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−初秋−
1−6 世界はたしかにふたりきりだった(1)
しおりを挟むで? と、主を主とも思わない従者が聞いてきた。
ケーリッツ・ヘインズ。栗色の髪と鳶色の瞳。
華やかさはないが柔らかな空気をまとう彼は、気がついたらどこかしらの会話に混じっているような、絶妙な存在感を持つ男。
十も歳の離れた従者は、幼い頃から面倒見ているだけあって、自分を親のように慕ってくれているのはわかる。そのぶん遠慮もないけれども。
戦闘中、ケーリッツ自身は砦に待機していたからか、彼女とのことは知らない。
ただ、ディルと呼ばれた男ディルヴェルト・ディーテンハイクが突然敵国の女武者を連れて帰ったと聞いて、たいそう驚いたようだった。
隣の小会議室まで移動して、ディルは思いっきり頭を抱える。
全力で噛み付かれた右手の指の付け根がピリピリと痛む。けれども、ディルの後悔に比べればこんな傷、なんということもなかった。
「まあ、ナニをしたのかは想像つきますけどね? 意気揚々と連れて帰ってきたお嬢さんを怖がらせて……あなた馬鹿ですか? 馬鹿ですね?」
「まぁ。……はあー…………やっぱり、やってしまったと思うか?」
ディルとて、わかってはいる。
どうやら自分は、男として最低なことをやってしまったらしい。
戦場で捕らえた女を姦すのは珍しいことではないご時世だが、実際自分の部下が同じことをやろうものなら殴り倒す勢いなはずなのに。
「それはもう、盛大に」
身もふたもないケーリッツの言葉に、やっぱりそうなるよなあとうなだれる。
……どうかしてたとは自分も思う。
だが、戦場でまみえたあの時、あの瞬間。サヨと剣を交えたあの空間。世界はたしかにディルとサヨの二人しか存在しなかった。
この稀有な娘を手に入れなければと本能が強く叫んだのだ。
ディルはそれなりに名の通ったシルギアの英雄だ。
謙遜でもなんでもない、それは事実。自分と並び立てる力量のある者なんてそういないと思っていたし、実際、この戦場でもいなかった。
普段は辺境伯として領都で生活しているけれども、軻皇国――正確には、軻皇国のトキノオ領の者たちが攻めてきたという連絡があって重い腰を上げたのだ。
しかし、実際参戦してみたら相手は腑抜けそのもの。
なぜか時間を稼ごうとしているような目的の見えない戦を繰り広げていて、イライラが募るばかりだった。
ここ、シルギア王国ガルトニーレ辺境領が接している軻皇国トキノオ領――トキノオの領主と言えば、泣く子も黙る戦場の虎トキノオ・アキフネではないか。
あの男の軍と十数年ぶりに交戦するのかと期待していた分、苛立ったのも事実だ。
だが、それもサヨに出会うまでだった。
巡り会った瞬間、あの娘は己とディルの力量を正確に測った。
彼女は自分が劣ることを理解していたはずだ。しかし、怯むどころかその激情でもって、真正面から斬り込んできた。
最初は矢だった。
引きつけるための一矢。それから、二度の速射。
速度をゆるめることなく駆け抜け、薙ぎ払う。
こちらも流して対応したが、圧倒的な力量差に負けることなく、軽い身のこなしで斬り返してみせる。その間も、一切目をそらすこともなく――。
ああ、と、ディルは思った。
これほどまでに、強い感情を向けられるのはいいなと。
どんな感情であれ、全身全霊で誰かに向き合ってもらえる感覚は、いつ以来だろう。
しかも、女。
技術は自分にこそ及ばないが、圧倒的な才覚とセンス。そして努力。
一朝一夕で身につくものではない。
真摯に、己と向き合って、研鑽を重ねた結果だ。
あの若さ、しかも筋肉が育ちにくい女で。周囲の風当たりもあるだろうに、あれ程の技術にまで己を高めたことは賞賛に値する。
それだけでも、あの娘がどれほど真っ直ぐに物事に向き合っているかが見て取れた。
ぞくりとした。
この娘だと思った。
この娘に、自分を見てほしいと。自分が娘に向けるだけの――いや、それ以上の興味と関心を、己に向けてほしいと希った。
早く連れて帰らなければ。誰かにとられる前に自分のものにしなければ。久々に戦場に立ち、猛った気持ちをそのまま娘にぶつけた。
気丈な娘だと思いこんでいた。
もちろん反抗すると思っていたし、それでも、組み敷いて屈服させるだけの自信はあった。
あれだけの激情を抱えた娘だ。娘の精神も強いはずだからと、どこか軽く見てしまっていたのだろうが。
――泣き顔に、あんなに動揺するなんてな……。
まだ若い娘を相手に、無理矢理モノにしてでも欲しいと思った事実にも驚いたし、彼女の涙に非情になりきれなかった自分にも驚く。
これという女と出会えず、のらりくらりと結婚などという呪いから逃げ続けていま――ようやく、これだという娘を見つけた。
「戦場に出たままの勢いで猛ってたのでしょうけど、やっていることは完全に強姦魔ですよ。強姦魔」
さらに追い討ちのようにケーリッツに言われて、ディルはますますうな垂れた。まさにその通りでぐうの音も出ない。
――いやいや、本人が捕虜になるとかなんとか言うから。あの顔だぞ? あの綺麗な顔で、捕虜なんて――姦されるのがオチじゃないか。それを想像してしまったら、こう、カーッとなってしまってだな……。
自分が情けなさすぎて、声にも出せない。
頭を抱えながら、ディルは机に突っ伏した。
基本、過去のことは振り返らないし、何か起こってもどうにでもなると大きく構えているディルなわけだが、今回ばかりはどうしたらいいのかさっぱりわからない。
今は辺境伯家を継いだものの、若い時から軍人としてやってきた自分は、娼館にもそれなりに通ったし、ディルの顔や名声に言い寄ってくる女も数多いた。
女と遊ぶこと自体はそれなりに楽しませてもらったが、お互い楽しく後腐れのない関係ばかり築いてきた。それ以上の存在などただ一人としていなかったからこそ、この体たらく。
愛だの、恋だの……どうもそこまでの感情とは無縁だと思っていたのに。
いや、これがそういう感情なのかわからないが、事実は変わらない。ただ確かなのは、サヨは圧倒的な存在感で自分を射落とした。
つまり、ディルはサヨがほしいし、彼女にこちらを見てもらいたいのだ。
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