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−初秋−
1−14 あの桜の花が散るころまでに(2)
しおりを挟む「そんなもの、鎖につないで連れていけば、それでいいだろうっ」
ぎゅっと両手を握りしめる。
そもそも、軻皇国では女の身にさほど価値はない。
誰かの妻になっているわけでもないサヨならなおさら。いくら重要拠点の領主の娘とて、正直、人質としての価値もさほどないと、サヨ自身は考えている。
「君に無体なことはしない。オレはそう誓ったな?」
「それはそうだが」
「どうか君に、ほんの少し触れるのを許してはくれまいか?」
まるで何かを請うような眼差しで見つめられると、それ以上拒むこともできなかった。
じっと差し出された手に視線をそそぎ、しばらく――サヨは震える手をそっと差し出す。
触れあう手と手。
彼はそれを強く握ることもない。ただ、サヨを先導するように、優しく手を引いてくれた。
「……」
無体なことをしない。
そう彼が誓ったのは本当だったのか、サヨの手は本当に、遠慮がちにちょこんと乗せられているだけ。サヨの意志を強く尊重してくれているのがわかって落ち着かない。
彼はサヨに歩調をあわせてゆっくり歩いてくれる。
ただ、歩くたびに足の踵がズキズキと痛んだ。
履物があわない。
もう何日も、ずっと誰にも言わずにいるが、足の皮が捲れたり、一部が水ぶくれになったりしてひどいことになっているのだ。
そんな弱みを悟られないようにと、サヨは表情を強ばらせたままついていく。
どこへ連れていかれるかもわからないけれど、彼が無理強いしないかぎりはサヨも大人しくしていよう。――そう思ったのに。
階段を降り、砦の南側へと向かっていく。
二階まで降りてきたところで、たまたま近くに寄った窓から下に、黒塗りの馬車が見えた。
瞬間、嫌な予感が立ちこめる。
思わず立ち止まってしまったところで、ディルが振りかえった。
「どうした?」
「…………、どこへ、行く……?」
心臓がうるさい。
さっきまでのドキドキとはちがった――もっと、肝が冷えるような、嫌な感覚。
もしかして、あの馬車に乗せられるのではないだろうか。あれはもしや、南へ向かうのではないだろうか。
トキノオ領は、北。
南へ、連れていかれてしまったら――!
「……サヨ?」
サヨは後ずさる。
首をぶんぶんと横に振り、一歩。二歩。
ドン! と、サヨたちの後ろについてきていた兵にぶつかった。
その兵も驚いた様子で、自分からは触っていないと主張するかのように両手を胸の前に掲げる。が、サヨはそれどころじゃなかった。
「! サヨ!」
次の瞬間、弾かれたように砦の中を走り出していた。
サヨの意識を支配している感情はただひとつ。
北へ。
軻皇国へ。
トキノオへ戻らなければいけないという、恐怖に似た感情だけ。
「嫌だっ」
南へ行ってはいけない。
もう二度と戻れなくなる。
確信に近い感情に突き動かされて、ただひたすらに走る。
「待ってくれ、サヨ!」
ディルの声が響き、彼の想いに反応するように慌ててシルギアの兵も動く。
サヨを捕らえようと、ふたりの兵が前を塞ぐ。が、股下をくぐり抜けるように体勢を低くし、転がるようにして抜き去る。
「ぃ……っ!」
ずきり、足が痛む。
けれどこれくらい何ということもない。捕まることと比べれば、どうとでも。
ここは国境の砦。北側に抜けることさえできれば、そこはもうトキノオ領へと繋がっているのだ!
しかし、どちらへ走るのが正解か。
がっちりと門が閉ざされている限り、一階から北へ抜けることはかなわないだろう。
であるならば、二階――いや、人が飛び降りられるほどの大きさの窓はなかった。だったら、どこへ行けば――!
最初から計画もなにもない。
ここは国境の砦。簡単に通り抜けられるはずがない。
だから、こんな無謀すぎる逃亡が成功するはずもなかった。
「サヨ!」
「っ……!」
太い腕に、まるで抱きしめられるようにして掴まえられ、絶望で目の前が真っ暗になる。
「はなしてっ!」
いくら無体なことはしないとはいっても、逃げようとする捕虜を捕まえようとするのは当然のことだ。
サヨよりもさらに身体能力の高いディルのもとから逃げることなど、かなうはずがない。
それでも。
「いやだ!」
願うことは、やめられない。
がっしりと後ろから抱きしめられて身動きがとれなくなっても、やっぱり、このままは嫌だ。
穢れた娘だと後ろ指をさされようとも、北が――軻皇国が自分の故郷で、生きるべき場所なのだ。それ以外は怖い。しらない。
抱きかかえられたまま、反対方向に連れていかれる。
やがて北の空すらも見えなくなり、サヨは叫ぶ。
「お願いだ、はなしてくれっ」
「すまない、できない」
トキノオの動きは止まったままだが、まだ戦は終わっていない。
ディルはこの砦にとどまるべきひと。
それなのに、サヨを連れてどこへ行こうというのだ!
「……っ、かえり、たい……っ」
「サヨ」
「やっぱり……私っ」
いろんなことが怖い。
なんだろう、この胸の奥に巣喰う不安は。
顔を上げた。
目があった。
どんなに髪の色が黒くたって、遠い空の色をたたえた瞳は同じ人種ではないことを知らしめる。ガッチリした腕も、白い肌も、全部、全然ちがう。
そもそもこのひとは、野蛮な男なのだ。そう自分で自分に言い聞かせる。
そうでないと、ほんとうに後戻りできない気がして、怖くてたまらない。
なのにディルは、サヨを帰してはくれなかった。
無体はしない。
その誓いは、自由をくれるのとは同義でない。
非情にも彼は、南側に寄せてあった馬車の方へと向かい、サヨを抱いたまま中へ乗り込む。
「ケーリッツ! 同乗しろ!」
「!? 僕がですか?」
「――ふたりきりだとサヨが怖がるだろう? いいからすぐに乗れ!」
四人乗りらしいその馬車に三人で乗り込むなり、入り口の扉が閉められる。その重たい音を、サヨは呆然としたまま聞いていた。
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