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−初秋−
1−13 あの桜の花が散るころまでに(1)
しおりを挟む緊迫感に満ちた数日が過ぎた。
とはいえ、サヨが一方的に緊張していただけにすぎない。
サヨが捕らわれてからトキノオによる襲撃はぱたりと止まってしまったらしい。
トキノオ領に何かあったのだろうか。
……いや、サヨが捕らわれたくらいで軻皇国の中央からの使者が動きを止める理由がわからない。
サヨがいなければ別の誰かが立てばいいだけの話だ。
トキノオ領には優秀なサムライも多く、指揮がとれる者だって何人もいる。
腹心のトウマだってそうだ。東での戦で遠征に出てしまった武者も多いなか、領地の守護を任された年若い彼に付き従う者も多い。
サヨが捕らわれたのならなおさら、彼なら代わりに先頭に立ってくれるはずなのに――。
……もちろん、戦が起きないにこしたことはないのだが、トキノオの動きが止まったことが不気味にも感じてならなかった。
一方のサヨはというと、相変わらず彼の執務室の奥の部屋に押し込められたまま、ぼんやりと過ごす毎日だった。
もう勝手に死ぬこともないだろう――と、不本意ながら見定められたらしく、見張りは外。
つまり、たったひとりで部屋の中でぼんやりしているわけで。
小さな窓の前で揺れている色とりどりのコスモスが、唯一サヨの心を慰めてくれるものだった。
この頃から、件の男ディルヴェルト・ディーテンハイク――どこをどう切り取ったとしても発音することのできなさそうな名前の男のことを、サヨは脳内で「ディル」と認知するようになる。口で発声できなくとも、響きだけは覚えた。
サヨはあくまで捕虜。
自分ではそのつもりなのに、ディルはひどいあつかいをする気など毛頭ないらしい。
ここは国境の砦。
ディルほどの身分でも、この小さな寝室、そして比較的簡易な寝具で寝泊まりしているわけだが、彼の寝室がここだ。今はサヨがすっかり陣取ってしまっている。
曰く、ここが一番安全と言うらしく。
サヨにはまったく理解できないが、ディルの目の届く範囲にいてほしいらしい。
一方で、彼自身が寝るときはどうしているのかと訊ねても、曖昧に笑うだけで答えてはくれない。
その返事の代わりにと――なにが代わりなのかさっぱりわからないが――微笑みながら渡されたのが、この花束だったのだ。
可憐なコスモスを中心に、初秋らしい色とりどりの花を抱えるほどに大きな束にして。
戦時下なのに馬鹿にするな! と怒りを向けると、それでも、花に罪はないからと部屋に飾られてしまって――。
いまも、色彩の少ない部屋の中を、穏やかな愛らしさをたたえて彩ってくれている。
素朴な花だけれど、何もないこの砦で手配できる精一杯の花だったのだと思う。
――かわいい、けど……。
心がむずむずする。
しかも、彼がくれたものは花だけではないのだ。
サヨは次に自分の手に視線を向ける。
真っ白な手袋に、こちらにも華奢な花の刺繍が愛らしい。
自分には不釣り合いな模様ではあるが、ディルは似合うと言ってくれた。
これはサヨを捕らえたのちに、真っ先に手配してくれた贈り物らしい。
「なんなんだ、いったい……」
部屋にひとり、ぼそりと漏らした。
正直、ディルからの贈り物に身を包むのは、戸惑いも気恥ずかしさもある。
けれどもシルギアでは、女性は手袋をするのが一般的なマナーらしい。
なんせ、素肌で触れるのが許されるのは家族か恋人だけだと教えられ、焦って手だけはしっかり隠すと心に決めた。
いくらシルギアの文化を知らなかったとはいえ、自分がそんなにはしたない状態でいただなんて、いたたまれない。
……そういえば自分の素足だってディルにははっきりと見られてしまっていたのだ。
絶対だめだ。
もう二度と、見せてたまるかと心の誓う。
でも、正直、殿方からあのような贈り物を受けるのは初めてだった。
サヨに贈り物と言えば、それこそ武具や馬具のような勇ましいものばかり。武人が貰い受けるような厳つい品々。
確かにサヨは嬉しくはあったが、心の奥底で寂しい気持ちがうずまいていたことを知る者はいなかった。
だから、どうしたらいいのかわからなかったのだ。
普通の女人みたいな扱いをされて。
あの立派な敵国の英雄が、まるで優男のような甘い表情を見せるのだから。
サヨは立ち上がり、窓の外を見つめる。
南向きの窓からでは軻皇国の方の様子はいっさいわからない。けれども、今できるのはこうして考えごとをすることだけ。
いくら待遇がよくても、国境に位置するこの重要拠点を自由に歩き回ることなど当然許されない。たまに気分転換に散歩はどうだと誘われるけれど、まともに訓練もできなくて、このままでは体が鈍ってしまいそうだ。
ついつい部屋の中をぐるぐる歩き回ってしまう。
けれども、このブーツだって足にあわなくて、少し歩くだけでひどく痛む。それでも、脱いで足を出すわけにもいかず――だからといって動かないでいるとますます気持ちが塞がってしまうわけで。
堂々巡り。
結局、歩き回る方を選ぶわけで。
コンコン。
突然部屋の扉がノックされたところで、サヨは足を止めた。
「オレだ。ディルヴェルトだが。ここを開けても?」
瞬間、体は強ばるが、否とも言えない。
捕虜の自分にそんな権利はないし、嫌がったところで向こうが押し入ってきたらおしまいだ。
押し黙っていたら少し間があったのち、かちゃりと遠慮がちに扉が開かれる。
あわてて部屋の奥まで下がって、壁に体を寄せる。そして、姿を現したディルをギロリと睨みつけた。
うしろにはケーリッツをはじめ、いつもより大勢の兵を引き連れているようである。
警戒するサヨに対し、ディルは臆することなく、ゆっくりと近づいてくる。それから恭しく一礼してみせた。
「今日こそはエスコートさせてくれるか?」
エスコート――軻皇国にはないその言葉の意味も最初はわからなかったが、どうも男性と女性が手を繋ぐような行為だとサヨは学んだ。
正確にはもう少し複雑な意味があるようだが、軻皇国育ちのサヨでは理解できない感覚だ。だから今だって、どうしていいかわからない。
「ど、どこに。行くというのだっ」
自分は捕虜だ。
そしてここは国境の砦。
まだ食事の時間でもないし、部屋から出される意味を考えると少し恐ろしくもある。
「君をずっとここに閉じ込めておくわけにもいかなくてな」
ディルの返答に、やはり、と唾を飲み込む。
妻にするなどと言うのは詭弁で、今すぐに殺されたとしても文句は言えないのだ。
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