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−晩秋−
2−7 【幕間】かの虎は南の空を睨みつける(2)
しおりを挟むずし、ずし。
無言でありながらも、アキフネの足音が重々しい。
いまだ幼い彼の息子チアキもまた、トウマにしがみつきながら、彼の後を追う。
チアキも当然のことながら姉のサヨをたいそう慕っていたため、いてもたってもいられないのだろう。
そうしてトキノオ領の重鎮――いや、この日は若武者を中心に、大広間へとみなが集まる。
皆の前に腰かけたアキフネは、ふむ、と顎に手をあて、考えるような素振りを見せたのち、みなの方を向きなおった。
ちょうどそこに、臣下のひとりが何やら文のようなものをアキフネに差し出す。
先日、敵国からひっそりと届けられたそれらの手紙。誰もがその手紙の差出人の顔を思い浮かべて、拳を握りこんだ。
――あの男め……!
トウマとて、あの男――ディルヴェルト・ディーテンハイクの顔を思い出すだけで、腸が煮えくりかえりそうだ。
その手紙は三通あり、一通目は領主へと宛てられた今回の小競り合いに関するもの。
もう一通は、トキノオ領領主宛ではなく、サヨの父親であるトキノオ・アキフネという個人に宛てられた、サヨへの結婚の申し込み。
そして最後の一通は、サヨからの――と言っていいのだろうか。こればかりは領内でも解釈が割れたわけだが――ディルという男とサヨがともに書いたとしか思えない――まったく状況が読めない不可解な――謎の――だが、サヨが元気なことだけは伝わってくる奇怪な手紙だった。
アキフネは何を言うわけでもない。ただ、それらの文面をしばらく確認していた。
二通目を読んでいるときは苦虫を噛みつぶした顔をしていたし、三通目になるといよいよ自嘲じみた笑みを浮かべながらも、頬を緩めるような、父親の顔も見せて。
「……」
笑いながらそれを破り捨てようとして――できなかったらしい。
「ぅ……む……」
アキフネが見たことのないような顔をしている。
怒っていいのか安心していいのか――それもそうだろう。その手紙を確認した者たちは、こぞって同じ表情をしたのだから。
しかし彼は領主。いつまでも黙っているわけにもいかない。
ごほんと咳払いし、あらためてみなと向きあった。
「まずは、儂が不在の間、トキノオを守り抜いてくれた者たちに礼を言おうか。よく守った。
でもって、この手紙を読んでなお、よォーく耐えてくれた。――ハァ。あの男は。まったく、自由がすぎるナァ」
敵対する者同士であったが、アキフネが日頃よりかの領主のことをよく褒めていたのは周知の事実だ。
『いつかそちらの地をトキノオで染めてやる』という意味で桜の苗木を贈った――というのも有名な話。
『染めたところで、毎年儚く散るのをみるのもまた一興』と返され、苦笑いを浮かべていたのも、まだ若かりし頃のトウマの記憶に残っている。
「よりにもよってウチの可愛いサヨとはナァ。――らしいといえばァらしいが。厄介なことをしてくれる」
このご時世に。
――しかも、軻皇国とシルギア王国の戦いは、いったん軻皇国の勝利で決着がついた。
そんななか敗戦国の将軍が軻皇国の大領主の娘を奪って返さないとなればことではある。
アキフネとディルとふたりだけの問題であれば、適当に話はついたかもしれない。ただ、この問題を軻皇国がどうとらえるか……。
ただでさえ、中央との関係が微妙な時期である。サヨの存在に目をつけ、なんらかの横槍を入れてきてもおかしくないのだ。
だからこそ、急がねばとトウマは思う。
「お館さま! 俺は、サヨ姫を、取り戻したく存じます!」
沈黙するアキフネに向かって、トウマは真っ先に主張した。
アキフネがサヨをたいそう可愛がっていることは誰もが知っている。
それこそ『サヨを嫁にと名乗り出る者は、サヨに、それからアキフネ自身に勝ってから言え』と主張する始末。
ところが若い男衆ときたら、アキフネどころかサヨにだって歯が立たない。だからこそ誰もサヨに求婚できなかったのだ。
そんななか――ディルといえばシルギアの英雄。それなりの年齢ではあるが、アキフネよりはまだ若い。
敵国の者とはいえ、アキフネが認める数少ない男が、サヨを嫁にと主張しているわけだ。
アキフネが彼のことを気に入っているのを知っているからこそ、トウマは焦りを感じている。
「あの男はサヨ姫を戦場で自らのものにせんと我に走った下郎! かの辺境領へ行って、サヨ姫を取り戻して参ります!」
……ちなみに、シルギアからの手紙にはサヨとディルの仕合についての記載はなかった。
ゆえに、トウマは思い込んでいる。
サヨはディルに一方的に嫁に求められているだけで、あの手紙も、無理矢理書かされただけなのでは、と。
「ホォ?」
「――正直申し上げまして、サヨ姫がいまだ、清いままでいらっしゃるかはわかりません。
他領の、道理を知らぬ者たちによって姫を蔑む声も届いております! ですが、そんなことは関係ありません! サヨ姫は、このトキノオ領にいらっしゃるべきだ!」
「……フム」
アキフネの眉が寄せられる。興味深そうにトウマの方を見ているが、あの目は値踏みするための目であることをトウマは知っている。
退いてはいけない。
アキフネは厳しい男だが、こうして若手の意見にも耳を傾けてくれる柔軟なところもある。
ずっと実力が足りなくて言い出せなかったが、今を逃すと一生後悔すると、トウマは感じていた。
「ですからお館さま! サヨ姫を無事奪還したあかつきには――姫さまを。どうか、我が妻に迎えることをお許しください!」
周囲がざわめいた。
同じ若い衆からは、抜け駆けはずるいぞ! という声もあがる。
だがそんなことはしらない。これは、今までずっと、実力が足りないからと怖じ気づいてきた皆の失態。いま主張しなくてどうする。
彼女がほしいと言い出さないのは、謙虚だったからではない。単に、勇気と努力が足りなかったのだ。
このまますごすごと、シルギアの将軍などに彼女をとられていいはずがない。
かの地で、辛い思いをしているにちがいない。
彼女の幸せを思うならばなおさらだ!
サヨの嫁入り先については、これまでアキフネだって悩んでいたはずだ。
この軻皇国のどこに彼女の伴侶に相応しい男がいるのかと、ぼやいていたこともトウマは知っている。
いっそこのままディルの嫁に――などと思われてはたまらない。
「トウマ。――――ックククク! カカカカカッ! アァお前が最初に名乗りを上げるとはナァ」
「……っ」
「サヨを支えることばかり考えて、いささか覇気が足らんと思っていたが。ナルホドナルホド――」
大声で笑いながらも、びしびしと殺気をぶつけられる。
が、トウマは退かなかった。
それどころか、近くに控えているチアキが、わかりやすくキャー! と声をあげる。
「トウマが!? トウマが姉上の婿になってくれるのですか!? 父上、僕はトウマに兄上になってほしいです!」
サヨと同じように、兄弟のようにして接してきたからか、チアキはトウマに懐いている。
予想外の後押しに少しだけ胸が軽くなるが、アキフネの殺気は相変わらずだった。
「――トウマヨォ。お前もこの手紙には目を通したのか?」
「はっ」
「そうか。なら――儂の返事をヨォ、お前、ちょっくらあちらさんに届けてくれるか?」
体が大きく震える。
ごくり、と、息を呑んだ。
大役だ。中央に知られずにかの地に赴き、サヨを連れて帰ってくる。必ず!
「はい。お館さま。是非、このトウマにご命じください」
「ホォ……」
ようやくアキフネの口の端が上がる。
「わかった。では、お前に行かせよう。文をしたためるが――あのデカブツによーく言い聞かせてやってくれるか?」
「はっ! なんなりと!」
「本気でサヨを欲しいってんなら、儂のところに死合に来い。全部それからだ。
……なんてよ。トウマがサヨを連れて帰ってくるなら、必要ない伝言だがナァ」
そしてアキフネは、吐き捨てるように付け足した。
「……戦いのことしか能がねえと見せかけて、本当に小賢しい男サァ、アイツは。
いいか? お前が本気でサヨをほしいッてんなら――あの男には、呑まれるなヨ」
トウマは真っ直ぐアキフネと視線をあわせてから、一礼する。
「はっ! 肝に銘じます」
「オウ。なら、マァ、気合いいれて行ってこいや」
サヨを手に入れるための最初で最後の機会――トウマはそれを己の胸に刻みつけながら、再度深々と礼をする。
「あと……そうだな。醤油と味噌と――あとは任せるが、まあ、こっちの食いモンも、それなりに持っていってやれ」
などと、最後にアキフネが肩をすくめて言っていた。
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