【R18】サムライ姫はウエディングドレスを望まない

浅岸 久

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−晩秋−

2−12 いつかサヨナラしなくてはいけないのに(2)

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 ……そして、今に至る。

「……」

 久しぶりに馬に乗るのが嬉しくて、二つ返事で頷いてしまっていたけれど。
 サヨ自身、自由の効かない身なのは理解しているが――遠乗りがどういった形で行われるかまでは想像できていなかったわけで。


「どうした、サヨ。ほら、こっちへ来い」
「だっ、だが、しかしっだな!」
「遠乗りにつきあってくれるのだろう? ほら、観念しろ」

 そう言って差し出されるディルの大きな手。それを見て頭を抱えたい気持ちになる。
 彼の方からはこれ以上近寄るつもりはないらしく――ないらしいからこそ、サヨは硬直した。

 ――ディル殿に同乗させてもらうのか? それはつまり、手だけでなくて……。

 男女で馬に乗る姿を見たことがないわけではない。
 でも、軻皇国で見てきたそんな男女は、比較的若い恋人同士ばかりだった。
 彼らの醸し出す初々しい雰囲気に対して、仕方がないなと呆れるような、わずかに羨むような気持ちを持っては苦笑いして見てきたのだ。

 それをだ。
 見るばかりの立場だった自分が、今、倍ほども歳のちがう男に誘われている。
 羨ましいほどにかっちりとした筋肉に覆われた立派な肢体。男らしい精悍な顔立ちに、サヨの手をすっぽりと覆うほどに大きな手のひら。
 武人としてりっぱな体躯を持ちながら、洒落た雰囲気をまとった風雅な男。

 習慣とは恐ろしいもので、彼に手を差し出されると、すっかり反応するようになってしまっていた。
 無意識に手を伸ばしたところ、強く掴まれてハッとした。
 すぐに離そうと思ったけれどももう遅い。近づいてはいけない、触れてはいけない、そんな気持ちを全部吹き飛ばされるほどの勢いで身体を引かれて、気がつけば彼の前に腰かけている。

 ふわりと、彼の香水のかおりを感じる。
 それだけでぽやーっとしてしまって、ディルから声がかけられるまで呆然としていた。

「んー、そのままでもいいが、早駆けするなら脚を跨いでくれた方がいいぞ?」
「……」

 頭が働かないままの状態で、サヨは彼の言う通りにしてしまっていた。

「腰に手を回すが、いいよな?」

 否定出来ないでいたのも、応と判断したのだろう。がっしりとしたたくましい腕で腰を抱かれると、鼓動を忘れていた心臓が一気に暴れ始める。

「ふたり乗りは初めてか? オレに身体を寄せてろ。さ、行くぞ」

 ドキドキするサヨをよそに、ディルは涼しい表情でにやりと笑う。
 そしてそのまま手綱を軽くて引いては、一気に馬を走らせた。


『落ち着いたらともに遠乗りに行こう』

 彼とふたりの時間を過ごしているとき、たびたび誘われてはいたが、ずっとその機会がなかった。
 冬になると、早駆けすると風が冷たすぎる。
 だから秋のうちに――と考えていたようだが、ギリギリになってしまった。

 ディルの馬は立派な体躯の青毛の子で、ふたり乗せても、非常に安定した様子で野を駆けていく。

 領都オルフェンの北側には平原が、南側は穏やかな山が連なる地形で、彼は一度平原の方へと馬を走らせる。
 早駆けをするには最適な地形で、きっと、サヨを楽しませてくれようとしたのだろう。

 正直風が冷たいけれども、澄んだ空気は心地よい。
 もっと前へ、もっと速くと願うと、馬も反応して力強く駆けてゆく。
 少し気難しいところもあるようだが、この馬はとってもいい子で、サヨはすぐに好きになった。

 後ろからサヨを支える腕に力がこもった。
 しかしその腕の存在すらも忘れてしまい、久しぶりの自然の景色に、そして全身に感じる心地良い風にサヨは夢中になる。
 広大な緑の中を駆け抜けるのは心地良く、胸が踊った。

「すごい! どこまでも行けるな!」
「山が多いトキノオとは景色が違うだろう?」
「ああ! あの砦の向こうに、こんな景色が広がってたなんて……!」

 トキノオは山間地帯に根城を持つ領地だ。ここまで平地ばかり広がっている場所など、なかなかない。
 シルギア王国でしか見られない景色に、サヨの表情はきらきらと輝いて、周囲をぐるりと見渡した。

「ハハハ、ほら、身を乗り出すな。こいつは気性が荒いんだ」
「何を言うんだ。力強くて可愛い子じゃないか――って、っ!?」

 後ろを振り返るなり、見知った顔が近くにあって、サヨは驚いた。
 景色に夢中になりすぎて、自分が誰と一緒にいるのかすっかり意識になかったらしい。

「っ!!?? しょ、しょ……将軍っ」
「ん? どうした?」
「ちっ、近くないかっ」
「誰かさんが夢中になってるから、落馬しないように気をつけてるだけだろう? ほら、危ないからもう少し身体寄せておけ」
「わっ!?」

 そう言ってぐいっと身体を引かれては、さらに速度が上がった。
 こうなると身じろぎすると本当に危ないため、サヨは馬の動きを邪魔しないように、なすがままになるしかない。すなわち、ディルの腕に抱かれたまま大人しくしているということだが。


 顔が、近い。
 ディルは少し前屈みになって、サヨの右肩に顔を寄せる形になっていた。
 揺れに合わせて、頬と頬がくっつく。
 恥ずかしくて右方向が見られない。だって、右を向いて、ちょっと揺れたら、彼の頬に唇が――、

「お、サヨ。アレ見ろよ」
「ん――?」

 んちゅ。

「っ!!!???」
「おっと、こいつは運がいい。ありがとうよ」

 サヨは単純なところもあった。まんまと彼の示す方向に向かされて、しかも――、

 ――頬を、頬を寄せっ……寄せてきたよなっ!?

 唇に触れたのは、彼の頬に間違いない。
 つまり、サヨの方が彼の頬に接吻をしたわけで。

 どっどっどっどっ。
 心臓がとんでもない音を立てていた。彼は上機嫌に鼻歌を歌いながら手綱を握っているけれど、サヨにとってはそれどころじゃない。
 
 どうしよう。
 なんてことだとサヨは思う。
 ひとり部屋に籠って、頭を抱え込みたい気分になった。

 ――嫌じゃなかった。

 どうしよう!

 ――嫌じゃ、なかった!!

 周りの景色もなにも、もう目に入らない。
 心臓がばくばく苦しくて、サヨは涙目になる。
 こうなると妙に回された腕に意識が持っていかれる。しっかりした筋肉に覆われた力強い腕。サヨが寄りかかったとしてもビクともしなさそうな逞しさに胸が高鳴る――そう、高鳴っているのだ!

 顔に熱が集中する。
 彼が進行方向を向いてくれていて助かった。
 もう嫌だ。いつもだ。いつもいつも、自分ばっかりあたふたさせられて、真っ赤になっている。
 ディルの方が遥かに経験豊富な人生の先輩であることは承知しているが、あまりに振り回されっぱなしじゃないだろうか。

 ――このひとが、私に、求婚している……?

 剛毅な男だ。武力があるだけでなく、人望もあるし頭の回転も早い。
 少し軽すぎる気がするのに、サヨに対して、芯の部分では非常に誠実でいてくれる。
 わかっている。
 サヨは、この男が嫌いではない。
 むしろ、ひとりの領主として尊敬できるからこそ、信じられないのだ。

 ――ほんとうに。私なんかの、どこが良いのだろう。

 生まれて十九年。積み重ねてきた自分が女らしくないという認識は簡単に覆るものではない。いまだって、男装して走り回るお粗末さだ。領主の妻にと希う価値があるとは思えないのに。
 彼は揺るぎない。
 サヨに、サヨ自身の良さを言い聞かせるような言葉の数々。何度も何度も繰り返し、サヨだってひとりの娘なのだって、信じさせてくれるような――。


 火照った頬に、冷たい風が心地いい。

「……つぎは…………」

 混乱する頭で、サヨはたずねる。

「ん?」
「つぎは、いつまで……いられるんだ?」
「……!」

 サヨの言葉に、彼はからかうようなことは言わなかった。
 がさり、と、少しだけ強くサヨを抱きしめてつぶやく。

「また砦の方に一度向かうが――その後はしばらく領都にとどまるさ。もう冬だからな――」
「そうか……」

 ――はやく冬が来ればいいのに。
 ――いや、時間なんて止まって、ずっと、このまま――、

 そこまで考えて、やめた。
 サヨは、願うべきなのだ。
 なにごともなく、ただ、春を迎えるのを。
 いつかくるサヨナラを、迎えるのを。

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