レディバグの改変<W>

乱 江梨

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第一章 学園編

5.通り魔事件2

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「……?なんか、いい匂いしませんか?」


 スンスンと、家中を見回しながらスザクは匂いを嗅ぐ。それにつられて嗅覚に意識を集中させると、甘い香りが漂っていることに彼らは気づいた。


「ロクヤが何か作ったのか?」
「あぁ……ここに来る前、ロクヤに連絡を入れたから、気を利かせて用意してくれたのかもしれない」
「アイツはどこぞの主婦か」


 ハヤテから事情を聞くと、ユウタロウは思わずツッコんでしまった。

 ロクヤはこの家の家事全般をこなし、同居するユウタロウとチサトの面倒をよく見てくれる。料理の腕はプロ並みで、彼は日に日に主夫スキルを上げまくっているので、ユウタロウは妙な危機感を覚えているのだ。

 甘い香りを辿って、彼らは居間へと導かれる。すると食卓の上で、鉄板に並べられたまま放置されているアイスボックスクッキーを見つけた。

 流れるように、居間に鎮座しているソファへ視線を移すと、エプロンをつけたまま、穏やかな表情で昼寝をしているロクヤの姿が。


「ロクヤちゃんったら、お昼寝してて気づかなかったのね」
「ロクヤ起きろ。茶ぁ用意してくれ。そんで早くこれを食わせろ」
「おい……少しはロクヤを休ませてやれ。お前らがそんなだから、ロクヤを疲れさせているのではないか?」


 微笑ましいロクヤの寝顔を楽し気に指で突くチサト。そして目の前の菓子を一刻も早く食したいあまり、眠っているロクヤを急かすユウタロウ。ロクヤに対する慈悲が感じられない二人に、ハヤテは苦言を呈した。

 すると、横たわるロクヤの瞼が徐に開かれる。


「…………ユウタロウくん、チサトちゃん……手、洗った?」
「第一声それかよ」

 起き上がり、目を擦り、二人の存在を視認したロクヤの問いかけに、ユウタロウは鋭いツッコみを入れる。

「うぅん……ふわぁぁ……あ、みんな……いらっしゃい」
「疲れているならまだ寝ていてもいいのだぞ?」
「ううん。大丈夫。ハヤテくんは相変わらず心配性だなぁ」

 ヘラっと破顔すると、ロクヤは全員分の紅茶を淹れる為に台所へと向かった。

 ********

 美しいカップとソーサー、皿に並べられたクッキー。カップから漂う湯気は、香しい紅茶の香りを運んでくれる。
 ユウタロウ、チサト、スザク、ライトの四人による、クッキー争奪戦が起こったが、それは余談である。

 全員がホッと一息ついたところで、ユウタロウは本題に入った。


「それで?じじい共は何て?」
「最近頻発している、通り魔事件について調べろと言ってきた」
「通り魔事件?」


 ハヤテの口から放たれた物騒な単語に、ユウタロウは怪訝そうに疑問を口にした。


「あぁ。ここ最近、アオノクニの人々が怪しげな面をつけた集団に襲われる事件が多発しているらしい。被害者はほとんど殺されている」
「……ほとんど?」
「どうやら、噂のレディバグって奴らに助けられた人もいるらしいっすよ」


 ほとんどということは、襲われながらも一命を取り留めた被害者もいるということだ。思わず疑問を呈すると、ライトがそれに答えた。


「レディバグ?……あぁ。あの意味分かんねぇ奴らか」
「レディバグ?なにそれ?」


 この中で唯一、レディバグという組織のことを知らなかったロクヤは、キョトンと首を傾げた。


「正体不明、目的不明、構成員の規模も未だ把握されていない、謎めいた組織ですよ。時には人助けをし、時には極悪な犯罪集団を殲滅したり。素性が謎なので、義賊の真似事をする偽善者だって言う人もいますけどね」
「……スザクの癖に理路整然と語るんじゃねぇよ」
「坊ちゃんの癖にねぇ?」
「えぇっ、ひどっ……僕がしっかりしてるのってそんなに変ですか!?」


 ユウタロウ、ライトの二人によって、徹底的に毒づかれたスザクは半泣きで抗議した。

 スザクはこの中では最年少の十七歳で、現在学園に通っている。だがユウタロウのように留年はしていないので、今年からは学園の三年生である。
 年下な上、この中では実力もまだまだひよっ子なので、日々ユウタロウたちによる下っ端扱いに苦汁を飲んでいるのだ。


「スザクくん偉い偉い」
「もう、ロクヤさんまでぇ……」


 ユウタロウたちとは違い、一切の悪意無くスザクを褒めちぎる者が一人。ロクヤは嬉々とした表情でスザクの頭を撫で続ける。


「それで、ここからが妙なんだが……」
「妙?」
「あぁ。被害者を救っているはずのそのレディバグが、何故か通り魔事件の犯人ではないかと目されているんだ」
「はぁ?何でそうなるんだよ」

 思わずユウタロウは怪訝そうに尋ねた。

「事件の目撃者や、レディバグに助けられた被害者が口を揃えて言うんだ。事件現場、ないしその付近で、を見た……と」


 ハヤテの口から飛び出たその単語に、全員が思わず息を呑む。

 悪魔の愛し子。それは、悪魔がその大いなる力を分け与えた者に与えられる称号である。その為、悪魔の愛し子は悪魔と同様、ジルを大量に生み出す力を持っており、ほぼ不老不死という特性も受け継いでいる。
 五千年前に存在していた悪魔が世界を終焉へと導こうとした前科があるので、悪魔は多くの人々から恐怖の象徴として強く印象付けられている。一方、悪魔の愛し子はどうしても、悪魔より一つ格下の存在と認識されることが多く、悪魔よりも差別されてしまう傾向があるのだ。

 そして、悪魔の愛し子が悪魔より忌避される理由がもう一つ。

 悪魔の愛し子は何故か、必ず黒髪に赤い瞳を持って生まれてくるのだ。一つの例外も無く。
 そして、悪魔の愛し子以外に、黒髪と赤い瞳両方の特徴を持って生まれる者は一人たりともいない。
 故に悪魔の愛し子は、容姿を一瞥されただけでその正体が露見してしまうので、忌避されやすいのだ。


「あぁ、なるほどな……」
「え?どういうこと?」


 ロクヤには、悪魔の愛し子の目撃情報と、レディバグが事件の首謀者だと疑われることに、何の繋がりがあるのか理解できなかった。なので、納得の声を上げたユウタロウに疑問を呈す。


「噂のレディバグを仕切ってるボスが、悪魔の愛し子だっていう噂が前々からあるんだよ」
「そ、そうなの?」
「そう。だから今回の通り魔事件は、レディバグによる自作自演なのでは?という推測が立てられたんだ」

「……しっくりこねぇな。目撃者の証言と、レディバグのボスに関する噂。どちらも真実だと仮定しても、目撃された悪魔の愛し子と、レディバグの悪魔の愛し子が同一人物だと断言できる根拠はねぇんだろ?」


 悪魔は各時代において一人しか存在しないが、悪魔の愛し子は違う。悪魔はその気になれば、いくらでも悪魔の愛し子を生み出すことが出来るのだ。加えて、例えその時代の悪魔が死んでも、その悪魔によって生み出された愛し子が死ぬ訳ではない。
 つまり、偏に悪魔の愛し子と言っても、その根源は様々で、複数人の愛し子が存在している可能性が大いにあるのだ。

 ユウタロウの意見に、ハヤテは同調するように頷く。


「あぁ。しっくりこないというのは、俺も同意見だ。何故か学園では、悪魔、、そして悪魔の愛し子が関係しているのではないかという噂まで飛び交っているらしいしな」


 悪魔教団というのは、悪魔やその愛し子を崇拝する異端者たちによる宗教団体で、これまた謎の多い組織である。


「……ん?何でそこで学園が出てくるんだよ」
「あぁ……言ってなかったな。今回の通り魔事件の被害者……何故か全員、学園に通う生徒の関係者ばかりらしいぞ」
「……詳しく話せ」


 ユウタロウは学園に通う生徒として、流石に聞き流すことが出来なかった。最悪の場合、ユウタロウの関係者が標的として狙われる可能性もあるからである。


「生徒の親族、友人、知人……まぁ兎に角、あの学園の生徒と親しい間柄の者ばかりが狙われているせいで、学園内では通り魔事件の話でもちきりらしい。そうだったな?スザク」
「あ、はい。ユウタロウさんは校舎にもなかなか足を踏み入れないから知らないでしょうけど、どのクラスも通り魔事件の話ばかりしていますよ?」


 唐突にハヤテから話を振られ、スザクはほんの少し戸惑いながら説明した。


「……犯人の特徴……怪しい面をつけてるってことだけなのか?」
「あぁ。目撃者から、その仮面の特徴を聞いて出来た人相書が……これだ」
「「……」」


 ハヤテは荷物の中から一枚の紙を取り出し、テーブルの上に広げた。そして、全員がテーブルの中心に視線を集める。

 黒をベースにした面に、真っ赤な瞳。そして、ピエロの様な涙のマークが左右対称に施されており、同じように赤色である。まるで、赤い瞳から血の涙を流しているように。


「悪魔の愛し子みてぇな仮面だな」
「悪魔の愛し子が何らかの形で関わっている可能性は高いってことっすかねぇ?」
「……ねぇ、ユウタロウくん」


 首を傾げつつライトが推測した。すると、不意にロクヤが神妙な面持ちで口を開く。


「この仮面……何でこんなに悲しそうなのかな?」
「……お前には、そう見えるのか?」
「うん……すごく、すごく、悲しそう……とても、傷ついた顔してる」


 正直、ユウタロウたちには共感出来ない感覚だった。ユウタロウたちが見ている物と、ロクヤの瞳に映る色はまるで違う。一人一人の感性は異なるので仕方の無いことではあるが、ロクヤの場合は他者との違いが顕著なのだ。

 だがロクヤの偏った感覚が的を得ているということを、彼らはこれまでの経験から思い知らされている。故に、ユウタロウはロクヤの言葉をしっかりと胸に刻んだ。


「――で?事件のことはあらかた把握したが、俺に事件を調べさせて、じじい共は何が目的なんだ?」
「分からない……探りはいれてみたのだが、繕った答えしか引き出せなかった」
「……くそっ、あのじじい共め……」


 勇者一族の重鎮たちが何を企んでいるのか分からず、ユウタロウは深いため息をついてしまう。

 ユウタロウはその苛立ちから思い切り顔を顰めると、

「……もうアイツら殺すか?」

 と、随分と物騒な発言をした。そしてそれは、ユウタロウが自身の身の振り方について懊悩している証でもあった。


「おい……先走るな。……俺らを除いた勇者一族全員を相手にするとなると、流石に俺らも相当な覚悟が必要になる。それに、彼らの悪事を証明するものが何もない。確たる証拠も無い状態でお前が争いの火種となれば、流石の騎士団も黙っていないぞ」
「分かってんだよそれぐらい…………だぁっ!くそっ……」


 苛立ちと憤りを己の内に抑え込むことが出来ず、ユウタロウは頭を掻きむしりながら叫んだ。
 理性的な考えを持つことで、ユウタロウに落ち着いて欲しかっただけなのだが、ハヤテの正論は寧ろ逆効果だったようだ。


「ごめんね、ユウタロウくん……俺のせいで」


 俯きがちに陳謝した、ロクヤのか細い声が彼らの胸を締め付ける。

 ユウタロウたちが、勇者一族の幹部と裏で対立するようになった原因はロクヤなのだ。もちろん他にも理由はあるが、決定打となったのはロクヤの問題である。
 だが彼らは、ロクヤにそんな辛そうな表情をさせる為に対立したわけでも、ロクヤに自らを責めさせる為に行動したわけでも無い。

 これでは、本末転倒である。

 彼らが思わず口を噤む中――。


「……馬鹿かお前。てめぇのせいなわけねぇだろうが。ふざけたこと抜かすと追い出すぞ」


 ユウタロウただ一人が、苛立ったように、ぶっきらぼうに、そして精悍に言い放った。
 泰然自若としたその態度は、彼らの目を奪う程の輝きを放っている。
 彼らは皆、その輝きに惚れ込んだからこそ、ユウタロウという男に付き従うことを決めたのだ。それを今、彼らは不意打ちで再確認させられる。


「っ!……うん……ありがとう。……追い出されたくは無いから、もう言わないね」
「そうしろ」


 ユウタロウの不器用な優しさに触れ、ロクヤは破顔一笑する。コテンと、首を傾けながら。


「――まぁでも、妙な話ってのは確かっすよ。あのクソ野郎共がお頭に、通り魔事件の解決を命じるなんて」


 紅茶を一口飲み、ライトは言った。ライト自身が今回の通り魔事件を軽視している訳ではない。ライトは、重鎮たちのそういった認識を遠回しに批判しているのだ。


「ふっ……まさか〝人々の平和を守り、悪を滅する為〟なんて、お綺麗な理由でも無いだろうし」
「……すごいなライト。俺が重鎮の方々に尋ねた際のはぐらかし方を見事に言い当てているぞ」


 ハヤテはキョトンとした相好で感嘆の声を漏らした。瞬間、彼らの時がカチッと止まる。僅かな沈黙の後、耐え切れなくなったようにライトは吹き出した。


「…………ぶっ……あははははははっ!あ、あのクソ野郎共っ……ど、どんな顔でそんなギャグ言ってっ……はあああ…………ほんっとうに…………

 ……どの面下げて言ってやがるんだか」


 怒りのあまり、酷く冷めきった低い声でライトは言った。そこに、いつものようなおちゃらけた雰囲気などあるはずも無く、まるで別人のようであった。
 だが、そんなライトの変貌に驚愕する者などその場にはいなかった。各々、ライトが憤慨してしまう気持ちを痛いほど理解し、共感しているからだ。

 故に、誰も、それ以上何も言わなかった。
 思いは全て、ライトが代弁してくれたから。これ以上の共感は無いと、これ以上言うことなど無いと。彼ら各々が思えたからこそ。

 居間は、居心地のいい静寂に包まれた。

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