レディバグの改変<W>

乱 江梨

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第一章 学園編

4.通り魔事件1

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「なにも……」
「「?」」


 絞り出した残りかすのような、消え入りそうな声。リーダーの女が絞りだしたその声に、思わずヒメたちが首を傾げると、彼女は不意に顔を上げ――。


「何も知らない癖にっ……」

 理解されない苦しみを背負っているかのような、どうしようもない本音を吐露した。


「ヒメたちが何も知らないのは、あなたたちが教えようとしないのが悪いの」
「っ!」


 刹那、ヒメの視界から彼女の姿が消える。
 焦ったヒメは周りを見回すが、彼女の姿はどこにも見当たらない。次の瞬間殺気を感じ、急いで見上げると、剣を振り下ろす彼女の姿が迫っていた。

 カキンっ!!
 ギリギリのところで抜刀したヒメの小型剣と、彼女の剣が激しくぶつかる。

 例え面で顔を隠していようと、ヒメには分かった。リーダー格の女が、これ以上ないほど激昂していることを。
 まるで不倶戴天の仇を睨むような視線を、ヒメは仮面越しに感じた。

 感情任せに力を込める、リーダー格の女の剣と。冷静にそれを受け止めつつ、相手の感情の波に当惑するヒメの小型剣。二人の力は拮抗しており、僅かな動きの変化しかない。


「ヒメちゃ……」
「……すごく」


 心配するディアンの声を遮る様に、ヒメは不意打ちで呟いた。その声には焦りが滲んでおり、ディアンたちは首を傾げる。


「すごく、怒っているの…………ヒメ……この人の琴線に、触れてしまったみたいなの。激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム、なの」
「えっ?な、何て?」


 突如発せられた呪文の言葉に、ディアンは動揺を隠しきれなかった。


「最上級の怒りを表す言葉なの。リオ様に教えてもらったの」
「は、はぁ……?相変わらず、あの方の仰ることはよく分からないわね……」
「リオ様が教えてくれること、可愛いの……オレンジジュースの次に、可愛いの」
「ヒメちゃん。この状況でよくそんなこと話せますね」


 自らを襲う脅威は未だ消え去っていない中、呑気に談笑し始めたヒメに、皓然ハオランは呆れと感心入り混じる声で言った。


「できれば皓然たちにも加勢してもらいたいの」
「……そういうことらしいので、ディアンさん。コッチの二人は任せても良いですか?」
「もちろん。私たちの姫を助けてあげて」


 ディアンの返事を聞くと、皓然はすぐさま行動に移す。
 軽快な足取りで駆け出すと、ヒメと対峙する彼女の元へ向かった。そしてそのまま、何の躊躇いも無く敵の後ろから回し蹴りを入れる。彼女はその蹴りを食らう直前、右腕を挟んで直撃を避けようとする。だが――。


「っ……!」


 蹴りの威力が凄まじいあまり、彼女は左側に位置する建物まで思いきり飛ばされてしまった。想像の遥か上を行く衝撃に、彼女は目を見開く。ぶつかった建物には大きなひびが入り、欠片がいくつかポロポロと零れてしまっている。
 つい先刻まで抱いていたヒメに対する怒りがほんの少し治まる程の衝撃で、彼女は冷静さを取り戻した。


「あれ?思ったより吹っ飛びませんでしたね……」
「皓然の基準おかしい……十分吹っ飛んだの」
「くっ…………この力……まさか亜人か?」
「いやだなぁ。どこからどう見ても人間でしょ、おっと……」


 皓然が否定を言い切る前に、リーダー格の女は彼に斬りかかる。それを軽く躱したのを皮切りに、本格的な戦闘が火蓋を切った。

 皓然が躱したことで行き場を失った彼女の剣。それを受け止めたのはヒメの小型剣である。受け止めた瞬間に、右脚で回し蹴りを側頭部に打ち込もうとするが、ヒメの渾身の一撃は躱される。右脚を上げたことで空いた空間に滑り込むことで、彼女はその一撃から逃れたのだ。

 刃と刃が滑り、劈く程の不快な音が彼女らの鼓膜に襲い掛かる。
 体勢を持ち直し、再び剣を交わそうと彼女が振り返ったその時。


「はーい。コッチにちゅうもーく」


 緊張感の無いディアンの声で、彼女は動きを止める。目線の先に見えるのは、たった一人のディアンに押さえつけられている、二人の仲間の姿。地面に這いつくばることしか出来ずにいる二人を目の当たりにし、彼女は目を見開いた。

 ヒメと皓然の二人がかりでも、すぐに決着できなかった彼女とは対照的に、あの二人はディアン一人でも簡単に制圧できた。その為、リーダー格の女と仲間との間に、圧倒的な戦力差があることをヒメたちは悟る。


「っ!?そんな馬鹿なっ……」
「この二人を殺されたくなければ、大人しく投降してもらいたいのだけれど、どうする?」


 ヒメと皓然は知っている。二人を殺すつもりなど、ディアンにはサラサラ無いということを。捕らえた二人から情報を聞き出そうという魂胆はあるが、必要以上に痛めつける趣味は無いのだ。
 彼女を脅したのは情報源をもう一人分、手っ取り早く増やしたかったからだ。


「っ…………覚悟は、出来ていますか?」
「「……?」」


 選択を迫られた彼女はしばらく唇を噛みしめていたが、唐突にその口を開いた。拘束されている仲間二人に向けた問いかけだと思われるが、その真意が分からずヒメたちは怪訝そうに首を傾げた。
 一方、言葉を投げかけられた二人は頻りに頷いている。二人の瞳孔には、揺らがぬ闘志のような覚悟が窺えられた。

 どこか剣呑さを覚え、ヒメが思わず顔を顰めたその時。

 リーダー格の女は、懐から取り出したのスイッチを勢いよく押した。


「……?……っ!ディアン逃げるの!」
「っ」


 彼女の思惑に気づいたヒメは、咄嗟に叫んでその危機を伝えた。刹那、リーダー格の女の手元から眩い閃光が放たれる。目も開けられない程の鋭さに怯み、ヒメたちは目元を覆う。その間ディアンは視界を遮りながらも、ヒメに言われた通り、後方へ撤退していた。

 視界が遮られている間、表現するのも耐え難い様な不快な轟音が鳴り響き、ヒメたちは最悪の可能性を想定する。
 何かが爆発したような音。そして、彼女たちが何度か聞いたことのある、生き物の臓器がバラバラに砕け散る独特の音。その二つが混じり合った、酸鼻を極めた音であった。

 閃光が止み、彼らは恐る恐る瞼を開く。


「……自爆」


 目の前に広がる悲惨な光景を前に、ヒメは簡潔に呟いた。
 ディアンが押さえつけていた二人は、その面影がどこにも無い。死屍累々とは当にこのことで、身につけていた奇妙な面も粉々に砕かれていた。


「これはまた……酷いですね。体内に爆弾でも抱えていたのでしょうか?」


 史上類を見ない程酷い状態の死体を前に、皓然は顔を顰めずにはいられない。

 恐らく、リーダー格の女が持っていた物が爆弾の起爆装置だったのだろう。体内から爆散でもしない限り、ここまで肉体は崩れないので、外界からの攻撃はあり得ない。皓然はそう推測した。


「上手いこと逃げられちゃったわねぇ……それにしてもあの光、何だったのかしら?」
「多分、ジル……でも、かなり眩しかったら、相当な量のジル、あった……相手、多分亜人」


 目くらましに使用されたあの閃光の正体。そして彼女の種族名を、ヒメは推測して語った。
 アンレズナに存在するジルの八割を生成しているのは悪魔。
 では残りの二割は?――それらは精霊、動物など、いくつかの存在によって生み出されている。
 その内の一つ――それが亜人種である。
 亜人は謂わば、動物と人間のハーフ。ジルを生み出すことの出来る動物の特性を、亜人種も受け継いでいるのだ。

 彼女は恐らく、自らが生み出したジルを光に変換して放ったと思われる。そして、悪魔やそれ以外の例外を除けば、自らの力でジルを生み出すことの出来る種族は亜人種しかいない。故に、彼女は亜人種である可能性が高いのだ。
 だが彼女はダボっとした服装に、フードを被り、面を被っていたので、亜人の特徴である耳や尻尾が見えず、ヒメたちは即座に気づくことが出来なかった。


「どうしよう……」
「「?」」


 不安気な声音で吐露したヒメに、二人は首を傾げた。


「敵に自害された上、一人取り逃したの…………マスターに、叱られちゃうの……」

 相変わらずその表情に変化は無いが、発する雰囲気だけで彼女が落ち込んでいるのは誰の目にも明らかである。


「アデル様はその程度で叱ったりしないかと」
「……マスターはそうかもしれないの。でも……でもリン様は、絶対に怒り心頭なの……」
「それは……弟ながら否定できませんね」


 リン。その人の怒り狂う姿を想像したヒメは、恐怖で声を震わせた。全く同じ姿を脳内で想起した皓然は、困ったように笑ってみせる。それは、親族だからこそ浮かべられる、余裕の苦笑であった。


「まぁまぁヒメちゃん。そう落ち込まないで。オレンジジュース買ってあげるから」
「オレンジジュース……!すぐに買うの。今すぐヒメに献上するの」
「調子いいんだから、まったく……」


 オレンジジュースという単語を耳にした瞬間、ヒメは全ての憂いを忘れたかのように声を跳ねさせた。……チョロい。思わず二人はヒメに対してそんな印象を覚えてしまう。


「……それにしても。自らの命もこうも簡単に捨ててしまうなんて……流石に想定外でしたね」
「……ヒメに対する怒りは、本物だったの…………私利私欲のために、殺している可能性は、消えた……と思うの」
「そうね……ちょっとあの執念は異常よ。相当な理由があるとしか……。まぁとにかく。パトロールを続けましょう」


 ヒメと皓然は首肯した。

 この日の夜。
 二つの勢力が争ったこと。
 二人の人間が自ら命を絶ったこと。
 彼女らが、この国の人々を守らんと戦ったこと。

 その全てを、この国の人間が知ることは無かった。

 ********

 入学式での一騒動から約一週間後。普段通り授業をサボりまくり、チサトと自由気ままに過ごしていたユウタロウ。
 その日の夕刻。西日をたっぷりと浴びた、ロクヤの待つ自宅に帰ると、門扉の前で立ち往生している先客と鉢合わせた。


「……てめぇら、何してんだ?」
「あ、お頭ぁ……丁度いいところに!これ、開けてくれません?」


 先客は三人。その内の一人――ライトは門扉を指差しながら、困ったように笑って見せた。

 一八五センチの高身長。艶やかな長い髪は金色で、緩く束ねている。常ににこやかの表情で、何を考えているのか読み取り辛い。丸みが特徴的な、フレームの細い眼鏡をかけている。そして、いつもヘラヘラと笑っているからか、その奥に潜む目は細まっている。
 彼――ライトは勇者一族の一人である。


「はぁ?ロクヤはどうしたんだよ」
「それが、いくらチャイム鳴らしても出てくれないんですよ。ロクヤさん」


 怪訝そうに尋ねたユウタロウに答えたのは、三人の内のもう一人――スザクである。

 百七十センチ弱の背丈は、高身長揃いのこの場においてとても目立つ。彼の天真爛漫さを表すような真っ赤な髪は、短く切り揃えてる。たんぽぽ色の瞳はクリっと丸く、大きい。
 彼――スザクもまた、勇者一族の一人である。


「ユウタロウ。早く開けてくれ。万が一ということもある。ロクヤの安否確認がしたい」
「へいへい」


 ユウタロウを急かしながらも、とても落ち着いた深みのある声で言った人物。彼が最後の一人――ハヤテである。

 ライトより少し低い背を、スッと姿勢よく伸ばしている。三人の中で最も真面目な彼は、常に無愛想な表情をしている。白髪に、所々黒い部分が混じっている。キリっと鋭い吊り目だが、べっこう色の瞳は大きい。左目の斜め下、唇の下、左頬にそれぞれ黒子が一つずつある。その容姿の美しさも含め、一度見れば忘れられない様な顔立ちをしている。
 そして彼もまた勇者一族の一人で、学園に通っていた頃は生徒会長を務めていたほどの秀才である。


「――ロクヤのことはさておき、今日は何の用で来たんだ?」


 門扉を開き、彼らを家の敷地内に招き入れながら、ユウタロウは尋ねた。


「重鎮の方々から、色々と言伝を預かっている」
「うぇぇ……」

 庭先を通り、玄関へと歩を進めつつ聞かされた情報に、ユウタロウは思い切り顔を顰めてしまう。
 まるで最上級に苦いエスプレッソを、誤って飲んでしまったかのような。眉間に皺を寄せる彼を目の当たりにし、答えたハヤテはため息を零す。


「そんな顔をするな。
 ……だが俺も、お前にこのようなことを押し付けてしまい、とても心苦しく思っている……すまない」


 室内に入った直後、立ち止まってハヤテは陳謝した。俯く彼の姿は、彼を知る者であればそう珍しいものではない。相変わらずのハヤテに、ユウタロウは苦笑交じりのため息を漏らした。
 

「……はぁ。……お前があのクソ野郎共のご機嫌取りをしてくれているおかげで、俺が本来より動きやすくなっているのは分かってる。お前がいっぱいいっぱいなのもな。お前は周りに気を遣い過ぎだ。俺らといる時ぐらい、もちっと肩の力抜けや」
「……そうだな」


 虚を突かれた様に目を丸くしたハヤテは一瞬、ほんの少しだけ微笑んだ。僅かな変化ではあるが、いつも仏頂面のハヤテからしてみれば大きな変化である。

 そんな会話を交わしつつ、彼らはロクヤの居所を探るのだった。


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