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第一章 学園編
9.ティンベル・クルシュルージュ3
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「……確かにレディバグのボスが悪魔の愛し子っていう噂はあるが、それだけでアンタの兄貴だと断定するのは、ちと早計じゃねぇか?」
レディバグのボスが悪魔の愛し子だという噂がある以上、そのボスがアデルである可能性は否定できない。だが現段階で、悪魔の愛し子がこの世界に何名存在しているのかは不明。それを決定づける根拠は少ないように思えた。
だが一方で、能力者で頭脳明晰な彼女がそのように推測するのには、何か明確な根拠があるのでは?と、ユウタロウは期待を込めて問いかけた。
「いえ。きちんとした根拠は他にあります」
「ほう?」
「私は今回の事件が起こる以前より、レディバグという組織に興味を持っておりました。彼らを義賊紛いの偽善者と呼ぶ人もいますが、私にはそう見えなかったのです。根拠に基づいた信頼できる情報のみをかき集めれば、レディバグという組織に悪しき所は見当たらなかったからです。レディバグに関する悪い噂は全て、ボスが悪魔の愛し子だからという、ただそれだけが原因で蔓延っているようでした。
なのでその実態が気になり、私はレディバグのことを調べていたのですが、その過程で組織の構成員を名乗る方々を見かける機会がありました。その際、構成員の方々が兄の名前を呟くのを、この耳で確かに聞いたのです」
「なるほど……それでアンタの兄貴が、レディバグの関係者である可能性が高まったというわけか」
「はい……。そんな中、今回の事件がレディバグの自作自演ではという噂まで出回り始め、私は少しずつ危機感を覚え始めました」
険しい表情のティンベルの気持ちは、ユウタロウにも痛いほど伝わってきた。
自らが慕い、心の中で思い続けてきた兄が犯罪に手を染めているなど、例え決定的な証拠があったとしても信じたくは無いだろう。その可能性を否定できるのであれば、全力で否定し続ける。それこそが、妹であるティンベルに出来る唯一なのだから。
「犯人の目的は未だ不明ですが、今の学園の雰囲気はあまり宜しくありません。徹底的に悪魔やその愛し子を悪としようとする風潮がどんどん広がる一方で……。
だから私はこの事件を解決し、悪魔の愛し子やレディバグに対する、謂れのない悪評を払拭したいのです」
揺るぎない強い意志の込められた瞳が、ユウタロウを捉える。彼女の決意を目の当たりにしたユウタロウは、最も気掛かりだったことについて尋ねる。
「アンタの事情は分かったが、何でよりにもよって俺に協力を仰いだんだ?俺が学園で恥さらしって呼ばれてること、知らない訳じゃねぇだろ?」
「理由はいくつかありますが……そうですね。
私も流石に、悪魔の愛し子である兄を、上辺だけで嫌悪するような人と協力はしたくなかったので、そういう差別意識を持たない人が良かったのです。あなたは悪魔に対する差別意識を持っていない……というよりも、興味が無さそうだったので」
「……なるほどな」
悪魔に興味が無いというのはまんまと図星だったので、ユウタロウは居心地悪そうに呟いた。
「いいぜ。丁度いい暇潰しになりそうだ。アンタの駒になってやるよ」
「ユウタロウ様であればそう仰ってくれると思っていました。では明日から、どうぞよろしくお願いいたします」
「……」
チサトはどこか不満気な眼差しをティンベルに終始向けていた。ふと、腕を組む力が強まるのを感じ、ユウタロウは漸くチサトがへそを曲げていることに気づいた。思わず、首を傾げる。
「チサト?」
「……ユウちゃんは私のだから、取っちゃ駄目よ?」
「はぁ?お前何言って……」
「ご安心ください」
通り魔事件に関する重要な話をしている間、チサトは随分と浮ついたことで頭を悩ませていたらしい。呆れた様にユウタロウは苦言を呈そうとするが、それをティンベルの透き通った声が遮った。
酷く穏やかな表情をしているティンベルを前に、思わず二人は目を奪われる。
「私……色恋沙汰にうつつを抜かせる程、余裕のある女じゃないので」
「……?」
ティンベルの言葉の真意が分からず、二人は当惑気味に首を傾げるのだった。
********
その日の夕刻。ロクヤの待つ自宅へ帰宅する道すがら。
ユウタロウの顔には「不服だ」という心の声がでかでかと書かれていた。歩けば歩く程、その表情は険しくなるばかり。
腕を組むチサトが、その豊満な胸をいつも以上に押し付けてみても、特に反応はない。ユウタロウの知らぬ所で、チサトは勝手にショックを受けるのだった。
「ユウちゃん……?なんか怒ってる?」
「……あの生徒会長が、俺をまんまと嵌めやがった……ってことに、今気づいた」
「へっ?嵌めたっ、て?」
ユウタロウは道中、歩きながらティンベルについて思考を巡らせていたのだが、その過程で気づいてしまったのだ。自分が彼女の掌の上で転がされていたのだという事実に。
結論を聞いてもチサトには理解できず、素っ頓狂な声で尋ねてしまった。
「あの女、俺と会う以前から、じじい共が事件に関与していることを察していたような口ぶりだった。俺らとじじい共の確執も含めてな」
「えっと……?」
「要するに、俺が何らかのトラブルに巻き込まれることも、あの女には予測できたってことだよ。あれ程洞察力と推理力に長けた女が、あの情報を知っておきながらその結論に至れなかったとは考えにくいからな」
「じゃあ、もしかして……わざと?」
チサトも漸く理解し、見る見るうちに顔を真っ青にしていく。
「あぁ。あの女のことだ。じじい共が何を企んでいるのか確かめる為に、俺の動向も探っていたはず……俺が始受会の二人と遭遇した場面も遠くから確認していただろうな。
下手すると、目撃者の生徒が証拠の写真を撮るのを阻止することだって出来たかもしれないのに、敢えてそれをしなかった」
「分かりやすく、ユウちゃんに恩を売ることが出来ないから?」
「まぁそれもあるだろうが、多分副生徒会長の出方を確認したかったんじゃねぇか?後々いい証拠にもなるだろうしな。チサトの言ったように、絶好のタイミングで現れた救世主を演出する目的もあっただろうが……。
あの女……犯人側と俺、そして勇者一族を泳がせやがった……ハハッ、やべぇな……」
今の今まで、ティンベルの掌の上で踊らされていたことに気づけなかった。それは、ユウタロウの完全敗北を意味していた。
ユウタロウは自嘲気味に乾いた笑い声を上げると――
「これ全部、悪魔の愛し子に対する悪評を払拭する為だとすれば……
アイツ……ブラコンにもほどがあんだろ」
ユウタロウは呆れたような声を上げ、苦い相好を露わにする。ティンベルの兄に対する異常なほどの執着と、目的達成に対する執念を垣間見、若干引いてしまったのだった。
********
生徒の大多数が下校した学園。しんと静まり返り、夕陽を目一杯浴びているその生徒会室の中、ポツンと一人。ティンベルは憂いと傾慕に満ちた瞳で、一枚の写真に熱視線を送っていた。
「アデル兄様……」
ポツリと、その名を呼ぶ声が力なく零れる。
写真に写るのは、黒い髪に赤い瞳を持つ、貧相な身体の少年。服はボロボロで、とても伯爵家の令嬢であるティンベルの兄とは思えない。その姿は、彼が実家で忌避され、酷い扱いを受けていた証明でもあった。
だが、写真に写るその少年は柔らかく微笑んでいて、自らの人生を悲観しているようには見えない。
それは恐らく、その視線の向こう側――この写真を撮ったのが、たった一人の妹であるティンベルだったから。
この写真はアデルと会えない時でも、兄を傍に感じていたかった、幼い頃の彼女が撮影したものである。
彼女の祖国――ゼルド王国において撮影機は貴重な物だったので、それは彼女の父親の自室で大切に保管されていた。故に、写真を撮るには父の許可が必要なのだが、彼がそれを承諾するはずも無い。聞かずとも、幼くとも、ティンベルには分かっていた。
だから彼女は撮影機をコッソリと持ち出し、バレない内に兄の写真を一枚だけ撮ったのだ。この日のことを、ティンベルは昨日のことのように覚えている。目を閉じれば、すぐにあの日の光景を思い浮かべられる程に――。
『あでるにいさま!』
『ティンベル……それはなんだ?』
『しゃしんをとるきかいです!がいこくからのゆにゅうひん?と、おとうさまがいっていました!』
『……勝手に持ち出したのであるか?』
『ご、ごめんなさい……あでるにいさまのしゃしんが、どうしてもほしくて……』
咎められると思い、シュンと俯くティンベル。そんな彼女の頭に、とても温かく優しい感覚が降り注ぐ。
思わず見上げると、その先にあったのは、困ったように眉を下げ、微笑むアデルの姿。アデルはティンベルの頭をクシャクシャっと撫でると、しゃがみ込んで彼女と目線を合わせる。
『怒っているわけでは無いのだ。ただ、伯爵にバレてはティンベルも叱られてしまう。何かしたいことがあるのであれば、すぐに済ませてその機械を元の場所に戻すと約束できるであるか?』
『はい!やくそくします!』
『それともう一つ。今後何かあれば、必ず我か、他の信頼できる者に相談してから行動するのだぞ?』
『わかりました!』
そうして撮ったのが、この写真だった。ティンベルの手元にいる彼が困ったような表情で破顔しているのは、そういう理由である。兄としてティンベルを咎めなければいけないという思いと、彼女の気持ちが純粋に嬉しいという感情が拮抗していたのだろう。
両親から愛されずとも。人として当たり前の権利や尊厳を持っていなくても。他者から忌み嫌われようとも。
それでもティンベルには甘く、兄としての厳しさもキチンと持つ。そんな優しいアデルが、彼女は大好きで堪らなかったのだ。
「――アデル兄様は、あの勇者様と同い年……今もどこかで生きているのなら、あの人と同じぐらい、いや……それ以上に背も伸びて、逞しくなられているのでしょうね。顔つきもこの頃とは大分違っているかも……。
私……兄様にもし再会できたとしても、ちゃんと気づけるでしょうか?……いえ、きっと、分かるのでしょうね……アデル兄様は、悪魔の愛し子ですから……。
悪魔の愛し子として生まれてきたせいで、アデル兄様は散々苦しめられてきたというのに……何だか皮肉ですね」
写真の中の兄に語り掛けるように、ティンベルは自嘲気味に呟く。
「そういえば、ユウタロウ様を騙すようなことをしてしまいましたが……あの方ならもう勘付いて、悪態をついている頃でしょうか?
まぁこの程度のことで態度を変えられるような矮小な方では無いと思いますし、心配する必要は無いでしょうね。
ふふっ……大丈夫ですよ、ユウタロウ様。この件がつつがなく解決できた暁には、この私がロクヤ様の件に協力して差し上げますから」
ティンベルが不敵に微笑し、一人意味深な呟きを発していた事実を、ユウタロウが知ることは無い。
********
翌日。いつも通り授業をサボりつつ、学園にはキチンと登校していたユウタロウは、暇潰しの散歩がてら、校内を散策していた。
そんな中、とある教室を通りかかったユウタロウはある違和感に気づき、その足を止めた。腕を組んでいたチサトは意図せず引っ張られてしまい、目を白黒とさせる。
「……?」
「ユウちゃん?どうかしたの?」
チサトが尋ねても、ユウタロウは教室へ睨みを利かせるばかり。チサトも倣うようにその教室を観察してみるが、彼が何に注目しているのかは終ぞ分からなかった。
「……いや。何でもねぇ」
「??」
ユウタロウは言っていることと態度が全く一致していないので、チサトの抱く疑問は深まるばかり。
そんな中、更にチサトを困惑させる事態が唐突に、そして慌ただしくやって来た。
「ユウタロウ様っ!やっぱりここにいたのですねっ」
その正体はティンベルで、後方から聞こえてくる息切れ混じりの声に、ユウタロウたちは首を傾げつつ振り返る。
案の定ティンベルは走ってきたようで、両膝に手を置きながら息を切らしていた。
「あ?やっぱりってどういう……」
「説明している暇はありません!とにかく今から、私についてきてはいただけませんか?」
「いや別にいいけど……」
「では早速!説明は移動しながら致しますのでっ」
食い気味に言うと、ティンベルは彼らを置き去りにしたまま踵を返す。休む暇もなく再び走り出したティンベルの背中を、二人はしばらく呆然と眺めていたが、ふと我に返ると、彼女の後を追うのだった。
レディバグのボスが悪魔の愛し子だという噂がある以上、そのボスがアデルである可能性は否定できない。だが現段階で、悪魔の愛し子がこの世界に何名存在しているのかは不明。それを決定づける根拠は少ないように思えた。
だが一方で、能力者で頭脳明晰な彼女がそのように推測するのには、何か明確な根拠があるのでは?と、ユウタロウは期待を込めて問いかけた。
「いえ。きちんとした根拠は他にあります」
「ほう?」
「私は今回の事件が起こる以前より、レディバグという組織に興味を持っておりました。彼らを義賊紛いの偽善者と呼ぶ人もいますが、私にはそう見えなかったのです。根拠に基づいた信頼できる情報のみをかき集めれば、レディバグという組織に悪しき所は見当たらなかったからです。レディバグに関する悪い噂は全て、ボスが悪魔の愛し子だからという、ただそれだけが原因で蔓延っているようでした。
なのでその実態が気になり、私はレディバグのことを調べていたのですが、その過程で組織の構成員を名乗る方々を見かける機会がありました。その際、構成員の方々が兄の名前を呟くのを、この耳で確かに聞いたのです」
「なるほど……それでアンタの兄貴が、レディバグの関係者である可能性が高まったというわけか」
「はい……。そんな中、今回の事件がレディバグの自作自演ではという噂まで出回り始め、私は少しずつ危機感を覚え始めました」
険しい表情のティンベルの気持ちは、ユウタロウにも痛いほど伝わってきた。
自らが慕い、心の中で思い続けてきた兄が犯罪に手を染めているなど、例え決定的な証拠があったとしても信じたくは無いだろう。その可能性を否定できるのであれば、全力で否定し続ける。それこそが、妹であるティンベルに出来る唯一なのだから。
「犯人の目的は未だ不明ですが、今の学園の雰囲気はあまり宜しくありません。徹底的に悪魔やその愛し子を悪としようとする風潮がどんどん広がる一方で……。
だから私はこの事件を解決し、悪魔の愛し子やレディバグに対する、謂れのない悪評を払拭したいのです」
揺るぎない強い意志の込められた瞳が、ユウタロウを捉える。彼女の決意を目の当たりにしたユウタロウは、最も気掛かりだったことについて尋ねる。
「アンタの事情は分かったが、何でよりにもよって俺に協力を仰いだんだ?俺が学園で恥さらしって呼ばれてること、知らない訳じゃねぇだろ?」
「理由はいくつかありますが……そうですね。
私も流石に、悪魔の愛し子である兄を、上辺だけで嫌悪するような人と協力はしたくなかったので、そういう差別意識を持たない人が良かったのです。あなたは悪魔に対する差別意識を持っていない……というよりも、興味が無さそうだったので」
「……なるほどな」
悪魔に興味が無いというのはまんまと図星だったので、ユウタロウは居心地悪そうに呟いた。
「いいぜ。丁度いい暇潰しになりそうだ。アンタの駒になってやるよ」
「ユウタロウ様であればそう仰ってくれると思っていました。では明日から、どうぞよろしくお願いいたします」
「……」
チサトはどこか不満気な眼差しをティンベルに終始向けていた。ふと、腕を組む力が強まるのを感じ、ユウタロウは漸くチサトがへそを曲げていることに気づいた。思わず、首を傾げる。
「チサト?」
「……ユウちゃんは私のだから、取っちゃ駄目よ?」
「はぁ?お前何言って……」
「ご安心ください」
通り魔事件に関する重要な話をしている間、チサトは随分と浮ついたことで頭を悩ませていたらしい。呆れた様にユウタロウは苦言を呈そうとするが、それをティンベルの透き通った声が遮った。
酷く穏やかな表情をしているティンベルを前に、思わず二人は目を奪われる。
「私……色恋沙汰にうつつを抜かせる程、余裕のある女じゃないので」
「……?」
ティンベルの言葉の真意が分からず、二人は当惑気味に首を傾げるのだった。
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その日の夕刻。ロクヤの待つ自宅へ帰宅する道すがら。
ユウタロウの顔には「不服だ」という心の声がでかでかと書かれていた。歩けば歩く程、その表情は険しくなるばかり。
腕を組むチサトが、その豊満な胸をいつも以上に押し付けてみても、特に反応はない。ユウタロウの知らぬ所で、チサトは勝手にショックを受けるのだった。
「ユウちゃん……?なんか怒ってる?」
「……あの生徒会長が、俺をまんまと嵌めやがった……ってことに、今気づいた」
「へっ?嵌めたっ、て?」
ユウタロウは道中、歩きながらティンベルについて思考を巡らせていたのだが、その過程で気づいてしまったのだ。自分が彼女の掌の上で転がされていたのだという事実に。
結論を聞いてもチサトには理解できず、素っ頓狂な声で尋ねてしまった。
「あの女、俺と会う以前から、じじい共が事件に関与していることを察していたような口ぶりだった。俺らとじじい共の確執も含めてな」
「えっと……?」
「要するに、俺が何らかのトラブルに巻き込まれることも、あの女には予測できたってことだよ。あれ程洞察力と推理力に長けた女が、あの情報を知っておきながらその結論に至れなかったとは考えにくいからな」
「じゃあ、もしかして……わざと?」
チサトも漸く理解し、見る見るうちに顔を真っ青にしていく。
「あぁ。あの女のことだ。じじい共が何を企んでいるのか確かめる為に、俺の動向も探っていたはず……俺が始受会の二人と遭遇した場面も遠くから確認していただろうな。
下手すると、目撃者の生徒が証拠の写真を撮るのを阻止することだって出来たかもしれないのに、敢えてそれをしなかった」
「分かりやすく、ユウちゃんに恩を売ることが出来ないから?」
「まぁそれもあるだろうが、多分副生徒会長の出方を確認したかったんじゃねぇか?後々いい証拠にもなるだろうしな。チサトの言ったように、絶好のタイミングで現れた救世主を演出する目的もあっただろうが……。
あの女……犯人側と俺、そして勇者一族を泳がせやがった……ハハッ、やべぇな……」
今の今まで、ティンベルの掌の上で踊らされていたことに気づけなかった。それは、ユウタロウの完全敗北を意味していた。
ユウタロウは自嘲気味に乾いた笑い声を上げると――
「これ全部、悪魔の愛し子に対する悪評を払拭する為だとすれば……
アイツ……ブラコンにもほどがあんだろ」
ユウタロウは呆れたような声を上げ、苦い相好を露わにする。ティンベルの兄に対する異常なほどの執着と、目的達成に対する執念を垣間見、若干引いてしまったのだった。
********
生徒の大多数が下校した学園。しんと静まり返り、夕陽を目一杯浴びているその生徒会室の中、ポツンと一人。ティンベルは憂いと傾慕に満ちた瞳で、一枚の写真に熱視線を送っていた。
「アデル兄様……」
ポツリと、その名を呼ぶ声が力なく零れる。
写真に写るのは、黒い髪に赤い瞳を持つ、貧相な身体の少年。服はボロボロで、とても伯爵家の令嬢であるティンベルの兄とは思えない。その姿は、彼が実家で忌避され、酷い扱いを受けていた証明でもあった。
だが、写真に写るその少年は柔らかく微笑んでいて、自らの人生を悲観しているようには見えない。
それは恐らく、その視線の向こう側――この写真を撮ったのが、たった一人の妹であるティンベルだったから。
この写真はアデルと会えない時でも、兄を傍に感じていたかった、幼い頃の彼女が撮影したものである。
彼女の祖国――ゼルド王国において撮影機は貴重な物だったので、それは彼女の父親の自室で大切に保管されていた。故に、写真を撮るには父の許可が必要なのだが、彼がそれを承諾するはずも無い。聞かずとも、幼くとも、ティンベルには分かっていた。
だから彼女は撮影機をコッソリと持ち出し、バレない内に兄の写真を一枚だけ撮ったのだ。この日のことを、ティンベルは昨日のことのように覚えている。目を閉じれば、すぐにあの日の光景を思い浮かべられる程に――。
『あでるにいさま!』
『ティンベル……それはなんだ?』
『しゃしんをとるきかいです!がいこくからのゆにゅうひん?と、おとうさまがいっていました!』
『……勝手に持ち出したのであるか?』
『ご、ごめんなさい……あでるにいさまのしゃしんが、どうしてもほしくて……』
咎められると思い、シュンと俯くティンベル。そんな彼女の頭に、とても温かく優しい感覚が降り注ぐ。
思わず見上げると、その先にあったのは、困ったように眉を下げ、微笑むアデルの姿。アデルはティンベルの頭をクシャクシャっと撫でると、しゃがみ込んで彼女と目線を合わせる。
『怒っているわけでは無いのだ。ただ、伯爵にバレてはティンベルも叱られてしまう。何かしたいことがあるのであれば、すぐに済ませてその機械を元の場所に戻すと約束できるであるか?』
『はい!やくそくします!』
『それともう一つ。今後何かあれば、必ず我か、他の信頼できる者に相談してから行動するのだぞ?』
『わかりました!』
そうして撮ったのが、この写真だった。ティンベルの手元にいる彼が困ったような表情で破顔しているのは、そういう理由である。兄としてティンベルを咎めなければいけないという思いと、彼女の気持ちが純粋に嬉しいという感情が拮抗していたのだろう。
両親から愛されずとも。人として当たり前の権利や尊厳を持っていなくても。他者から忌み嫌われようとも。
それでもティンベルには甘く、兄としての厳しさもキチンと持つ。そんな優しいアデルが、彼女は大好きで堪らなかったのだ。
「――アデル兄様は、あの勇者様と同い年……今もどこかで生きているのなら、あの人と同じぐらい、いや……それ以上に背も伸びて、逞しくなられているのでしょうね。顔つきもこの頃とは大分違っているかも……。
私……兄様にもし再会できたとしても、ちゃんと気づけるでしょうか?……いえ、きっと、分かるのでしょうね……アデル兄様は、悪魔の愛し子ですから……。
悪魔の愛し子として生まれてきたせいで、アデル兄様は散々苦しめられてきたというのに……何だか皮肉ですね」
写真の中の兄に語り掛けるように、ティンベルは自嘲気味に呟く。
「そういえば、ユウタロウ様を騙すようなことをしてしまいましたが……あの方ならもう勘付いて、悪態をついている頃でしょうか?
まぁこの程度のことで態度を変えられるような矮小な方では無いと思いますし、心配する必要は無いでしょうね。
ふふっ……大丈夫ですよ、ユウタロウ様。この件がつつがなく解決できた暁には、この私がロクヤ様の件に協力して差し上げますから」
ティンベルが不敵に微笑し、一人意味深な呟きを発していた事実を、ユウタロウが知ることは無い。
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そんな中、とある教室を通りかかったユウタロウはある違和感に気づき、その足を止めた。腕を組んでいたチサトは意図せず引っ張られてしまい、目を白黒とさせる。
「……?」
「ユウちゃん?どうかしたの?」
チサトが尋ねても、ユウタロウは教室へ睨みを利かせるばかり。チサトも倣うようにその教室を観察してみるが、彼が何に注目しているのかは終ぞ分からなかった。
「……いや。何でもねぇ」
「??」
ユウタロウは言っていることと態度が全く一致していないので、チサトの抱く疑問は深まるばかり。
そんな中、更にチサトを困惑させる事態が唐突に、そして慌ただしくやって来た。
「ユウタロウ様っ!やっぱりここにいたのですねっ」
その正体はティンベルで、後方から聞こえてくる息切れ混じりの声に、ユウタロウたちは首を傾げつつ振り返る。
案の定ティンベルは走ってきたようで、両膝に手を置きながら息を切らしていた。
「あ?やっぱりってどういう……」
「説明している暇はありません!とにかく今から、私についてきてはいただけませんか?」
「いや別にいいけど……」
「では早速!説明は移動しながら致しますのでっ」
食い気味に言うと、ティンベルは彼らを置き去りにしたまま踵を返す。休む暇もなく再び走り出したティンベルの背中を、二人はしばらく呆然と眺めていたが、ふと我に返ると、彼女の後を追うのだった。
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