レディバグの改変<W>

乱 江梨

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第一章 学園編

19.理事長1

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 ユウタロウ宅での話し合いの結果、理事長と面会することに決まった彼ら。
 ティンベルは席を立つと、ユウタロウに向き合った。


「では明日、理事長へのアポを取ってみます。上手くいけば明後日にでも面会できるかと。その時はお二方とも、どうぞよろしくお願いしますね」
「おう」
「はいっ!」


 ユウタロウ、ルルの順に返事をした。


「もう帰るの?」

 ティンベルとルルが帰り支度を始めたので、ロクヤは首を傾げつつ尋ねた。

「あ、はい。……いつもお邪魔させていただき、ありがとうございます」
「ティンベルちゃんはお利口さんだなぁ。これからもいつだって遊びに来ていいんだからね?
 俺、ユウタロウくんたちが学園にいる時は、この家に一人で暇だから。皆が遊びに来てくれると、すごく嬉しいんだ」
「ロクヤ様……。
 では、ロクヤ様のお菓子が食べたくなったら、そのお言葉に甘えてお邪魔してもよろしいでしょうか?」
「うんっ。来て来てぇ」
「てめぇら家主を差し置いて何勝手に話進めてんだよ」


 微笑ましい会話で盛り上がる二人に、ユウタロウは眉間に皺を寄せながら鋭く指摘した。だが内心では、ロクヤが僅かな本音を吐露した事実を喜ばしく思っており、きっかけであるティンベルにも感謝しているのだ。

 そういった気持ちを態度に出さない。これこそが、ユウタロウが誤解されやすい主な原因である。

 穏やかな空気感が無自覚に出来上がっていたが、それが一変する出来事が、数秒後発生する。

 それは、ルルが帰宅するため、玄関の扉を開けた刹那に起こった。


「「…………」」


 ルルたちの目の前に、キョトンと目を丸くする人影が二人ほど。ルルとティンベルは、扉一枚隔てた向こう側に、見知らぬ男性二人がいたという事実に驚くあまり、茫然自失と硬直してしまう。だがそれは、相手側も同じことである。

 ティンベルたちが鉢合わせたのは、勇者一族の二人――ハヤテとライトだった。


「あ。お前らか。なんか用か?」
「いや……ロクヤの様子を見に来ただけなのだが……」


 ティンベルたちの後ろからひょっこりと覗き込むと、ユウタロウは僅かな沈黙を破った。ハヤテは訪問理由を答えるが、合間にティンベルたちを気にする素振りを見せる。


「……では、私たちはこれで失礼いたします。アリザカくん、行きましょうか」
「あ、はい!」


 ティンベルは、彼らが勇者一族であることを当然知っていた。特にハヤテに関して言えば、学園の生徒会長を務めていたので、ティンベルにとっては尊敬すべき先輩にあたるのだ。
 故に、勇者一族の彼らの間にも募る話があるだろうと、可及的速やかにこの場から退散することにしたのだ。

 二人がユウタロウ宅から去っていく背中を見届けると、ハヤテはユウタロウへ視線を戻し、

「……彼女たちは?」

 神妙な面持ちで静かに尋ねた。

「一緒に通り魔事件を調べている奴らだ。……生徒会長と、変人?」
「なんすかそれ」


 ユウタロウの適当な紹介に、ライトは思わず苦笑いを浮かべた。だが、一方のハヤテはどこか浮かない相好である。


「ユウタロウ。……あまりこういうことは言いたくないのだが」
「じゃあ言うな」
「まぁ聞け。……他人をこの家に上がらせるのは控えた方が良い。お前が信用している人間に限っておかしな連中はいないと思いたいが、万が一ということもある。
 何を切っ掛けにロクヤのことが露見するとも限らない。もう少し慎重に事を進めて……」


 ハヤテの警告は、彼らにとって尤もすぎる意見だった。そんなことは、聞く前から分かりきっていたことだ。
 彼らは、ハヤテがどういう男かを良く知っている。ハヤテという人間は、いつ如何なる時でも正しい男だ。
 そして自分以外の誰かのために、その正しさを振るうことが出来る。

 故に今回も、ハヤテの意見は正しい。
 正しいからこそ、ロクヤは眉を落とし、俯いてしまう。その変化に逸早く気づいたユウタロウは、射抜くような眼差しでロクヤを捉えた。


「ロクヤは、どう思う?」
「えっ……」


 ハヤテの言葉を遮る形で唐突に尋ねられ、ロクヤは当惑したように声を漏らした。


「アイツらのこと、好きか?」
「……えっと……」
「俺たちに委ねるな。これはお前の人生の、お前に関する大事な話だ。お前に決定権がある。だから俺は、お前の望みに従う」


 一瞬、ハヤテたちの顔色を窺って本音を飲み込もうとした自分自身を、ロクヤは恥じた。
 ロクヤを思う、あまりにも真っ直ぐすぎるユウタロウの言葉に対して、自分の意思を無視するような行いは、無責任にも程があると思ったから。

 意を決したように、ロクヤは口を開く。


「俺…………ユウタロウくんが、勇者一族の恥さらしって呼ばれてること、すっごく嫌なんだ」
「ロクヤ?」


 何故か唐突に自身の話を持ち出されたので、ユウタロウは困惑気味に首を傾げた。


「ユウタロウくんのこと何も知らないのに、外側だけ見て判断して……。ユウタロウくんのことを、暗い感情の捌け口にして……一族も学園の人たちも、勇者を道具としか見ていないことが、凄く嫌だったんだ。
 でもあの子たちは……ユウタロウくんのこと、勇者としてじゃなく、一人の人間として接して、仲良くしてくれるから。……俺、あの二人のこと、凄く好きなんだ」


 心の底から湧き出た様なロクヤの本音に、全員が目を見開いた。ロクヤが内心、そんなことを思っていたとは露程も知らなかったユウタロウは、自分で聞いておきながら一番驚いていた。


「……分かった。ロクヤがそこまで言うのなら、もう小言を並べるのはそう。……すまないロクヤ。お前の気持ちを、蔑ろにしていたな」
「ちょ、ちょっと待って!ハヤテくんは何も悪くないからっ、謝らないで?ハヤテくんが俺のこと心配して言ってくれてるって、みんなちゃんと分かってるから!……言葉なんかじゃ足りないぐらい、ハヤテくんにはいつも感謝してるんだよ?」


 何故かハヤテが自分自身を悪者にして話を終わらせようとした為、ロクヤは慌てて対処するように、思いの丈を伝えた。刹那、ハヤテは滲む目を見開いて、少しだけ唇を噛みしめる。そしてその頬は、淡く色づいていた。

 ロクヤは知っている。
 ハヤテが苦言を呈した時、誰よりも辛そうな表情を浮かべていたことを。

 ロクヤは知っている。
 ハヤテがいつも、損な立ち回りばかりを進んで選ぶ、不器用な人間であることを。

 ハヤテだって、ユウタロウの知人を疑うような真似をしたいわけでは無い。それでも誰かが白黒をつけなければならないから、ハヤテは心を鬼にして声を上げる。

 それを理解していない者など、この場において一人もいないのだ。


「ハヤテはその真面目癖、どうにかしろよな。少しは俺を見習って適当に生きろってんだ」
「そういうユウタロウくんには、ハヤテくんの爪の垢を煎じて飲んでもらいたいよ」


 ユウタロウはハヤテに対して。ロクヤはユウタロウに対して呆れの眼差しを向けるという、奇妙な光景に耐え切れなくなったのか、ハヤテは破顔一笑する。

 普段硬い表情が張り付いているハヤテが、屈託ない笑みを浮かべる機会は少ない。そんな彼を自分たちが笑わせたのかと思うと嬉しくなってしまい、ロクヤたちはソワソワと顔を見合わせるのだった。

 ********


 ある、一人の暗殺者の男がいた。

 どの国にもいるような、それなりに辛い過去を背負った。人を殺すことを生業にしなければ、生きていけない程度には不幸せな。そんな、どこにでもいる暗殺者の男だ。

 その男は近頃、ある特定の人物から依頼を受けることが多々あり、アオノクニに長期滞在をしていた。
 依頼人はいつも顔を隠しているので、暗殺者の男はその正体を知らない。知りたいとも、思っていなかった。
 世の中、知らない方が良いことなんて山ほどある。触れるなと言っている様なものに、土足で踏み込むのは自殺行為だ。

 だから暗殺者の男は、疑問に思うことすらやめた。

 暗殺対象は、何故殺さなければならないのか。
 殺す際、何故奇妙な仮面をつけなければならないのか。
 そして任務遂行中。何故いつも、車椅子に乗った悪魔の愛し子を見かけるのか。

 そんな疑問、持ったところで無意味だった。

 この日――ユウタロウたちが、理事長との面会を決めた翌日。

 暗殺者の男が今回受けた依頼は、ルル・アリザカという学園の生徒を、秘密裏に殺して欲しいというものだった。

 学生寮に住んでいるということだったので、暗殺者の男は、ルルが下校するタイミングを狙うことにした。
 幸い、その日のルルは一人で帰路に就いており、邪魔者は一人たりともいなかった。

 暗殺者の男は標的を視界に収めると、いつも通りに仮面を被る。そして、イメージを固めた。

 標的を人気の少ない路地裏に連れ込み、確実に首を斬る。遺体はどこか見つからない場所に捨て置けばいいと言われているので、簡単な仕事だ。
 何せ相手は、ただの学生。勇者が相手となれば流石に苦戦を強いられるだろうが、今回は違う。操志者としての才に恵まれただけの学生に後れを取るなど、その男にとってはあり得ないのだ。

 暗殺者の男は、そう思っていた。
 彼は自らの暗殺術にそれなりの誇りと自信を持っていたし、完全に油断して足を掬われるタイプでも無かったからだ。


 ――その時が訪れる。

 暗殺者の男は、ルルの背後に忍び寄り、彼の身体に手を伸ばそうとした――。


 ――暗殺者の男が依頼人の元へ、任務達成の報告をすることは無かった。

 ********

 ユウタロウ宅で話し合いをした翌日。ティンベルは早速、理事長との面会の為のアポイントメントを取ることに成功した。

 そして現在はその翌日。つまり、思い立ってから二日後――面会当日である。

 放課後、ユウタロウはいつも通りチサトを引き連れ、待ち合わせ場所へと向かった。その待ち合わせ場所は、ティンベルの所属するクラスの教室である。

 到着する頃には既に全ての授業が終了していたのか、ティンベルは教室の外で彼らを出迎える。スッと背筋の伸びたその美しい立ち姿は流石、クルシュルージュ公爵家の跡取りと言ったところである。

 だがユウタロウには一つ、気掛かりな点があった。
 それは、いの一番に到着していそうなルルが、その場にいないという奇妙な状況である。


「……?ルルはどうしたんだ?」


 疑問に思い、ユウタロウは流れるように尋ねた。すると、ティンベルは困ったように眉を下げる。


「それが今朝、登校している際にばったりとお会いしたのですが、体調が優れないので早退すると言って、寮へ戻られてしまったのですよ」
「風邪か?……アイツ風邪とかひくのか?馬鹿なのに」
「口が悪いですよ。ユウタロウ様。……とにかく今回はアリザカくん抜きです」
「まぁアイツがいないところで大して困らねぇけどな」
「ユウタロウ様……アリザカくんに何か恨みでもあるのですか?」
「うふふっ、これでもユウちゃんなりの愛情表現なのよ?」
「いい加減なこと言うな殺すぞ」
「ほらねぇ?」


 勝ち誇った様な笑みを浮かべ、チサトは嬉々とした声で言った。好ましく思っている人間に対して、減らず口ばかり叩いてしまうユウタロウの特性を理解し、尚且つ、自らが愛されているという自負を持っているチサトにしか言えない台詞である。

 そんな会話を交わしながら歩を進めていると、ふと気づいたようにユウタロウが声を上げる。


「今更だけどよ。事件の関係者かもしれねぇ人間に、俺らが共闘してることバラしても大丈夫なのか?」
「共闘って…………問題はありませんよ。というより、もし理事長が黒幕なのであれば、その程度の情報既に入手しているでしょうし。手遅れです」
「あ、っそ」


 酷く冷静に言ってのけたティンベルだが、内容が内容なのでユウタロウはどこか遠い目をしてしまう。
 ティンベルの発言を深読みすると、犯人側に自らの存在を認識され、警戒視されている可能性があるということだ。それはつまり、彼女自身も犯人側に命を狙われる危険があるということ。
 それを理解できない彼女では無い。その上で何でも無い様に、サラリと言ってのけたティンベルは、やはり普通の女生徒とは一線を画していると言える。

 そうこうしている内に、彼らは理事長室の目の前まで辿り着いた。

 ティンベルは浅く深呼吸をすると、その扉をノックした。程なくして、理事長の「どうぞ」という返事が扉越しに聞こえる。

 ティンベルは躊躇なく扉を開くと、「失礼します」と頭を下げる。一方のユウタロウは、理事長を真っすぐに見据えるのみだ。


「――よく来たね。生徒会長、ティンベル・クルシュルージュくん。そして勇者、ユウタロウくん」


 首を傾けながら、理事長は不敵に微笑する。その姿を目の当たりにしたティンベルは、ほんの一瞬だけ呆けてしまう。その様に気づいた者は、一人たりともいなかった。


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