レディバグの改変<W>

乱 江梨

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第一章 学園編

21.理事長3

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「今現在、誰かに監視されている様な気配を感じますか?」
「は?……いや、そんな感じはしねぇが」


 いきなり何を言い出すのだ。と、問いただしたい気持ちはあったが、ユウタロウは喉の奥でグッと堪えた。ティンベルの様子は目に見えておかしく、とても問いただせる雰囲気では無かったからだ。


「では今すぐ転移術で、人気の少ない場所に移動してもらえませんか?私とチサト様を連れて。どこでも構いませんっ」
「……分かった」


 言いたいことは山ほどあるが、まずは彼女の望み通りにしてやろう。そう思い、ユウタロウは彼女らの肩に軽く手を乗せた。
 そのまま転移術を発動させると、移動先である自宅の庭を強くイメージする。

 目を開くと、既にそこは、見慣れた自宅の庭先だった。転移術が成功したことを確認すると、ユウタロウはティンベルに一瞥をくれる。


「おい。着いたぞ」
「っ……あれは理事長ではありません!」
「……は?」


 着いた途端、何の前置きも無く言い放ったティンベルに対し、彼は思わず呆けたような疑問の声を上げた。


「っ、今回会った理事長は常に左手を使っていました。理事長は確かに左利きですが、理事長は紅茶を飲む際、いつもソーサーを左手で持ちながら、右手でカップを持つ癖があるんです。つまり理事長は普段、紅茶を右手で飲むのですっ。にも拘らず、今回の理事長は左手で紅茶を飲み、ソーサーも持っていなかったっ。
 加えて理事長は私のことをティンベル・クルシュルージュと呼びました。確かに理事長は、男子生徒に対してという敬称をつけて呼びますが、女子生徒の場合はいつも付けですっ」


 息継ぎなしで捲し立てるティンベルは非常に慌てており、自らの考えと思いを今すぐに共有して欲しいのだと、彼らは気づかされる。

 そして、ここまで解説されても尚理解できない程、彼らは愚かではない。


「つまり!……あれは、理事長の皮を被った……偽物ですっ……」
「「っ……」」


 ティンベルが核心をつくと、その事実の真の恐ろしさに、彼らは言葉を失った。

 何食わぬ顔で、今の今まで言葉を交わしていた相手が、彼らの知る理事長では無いという、表面的な恐ろしさも当然ある。だが、重要なのはそこではない。


「……なら、本物の理事長は今、どんな状況なんだ?」
「分かりません……最悪の場合、殺されているかと」
「っ……」


 彼らが危惧していたのは、いつの間にか入れ替わっていた、本物の理事長の行方と安否だ。ティンベルは毎日理事長に会っているわけでは無いし、すれ違っていたとしても、その程度の関わりで本物か否かを判断するのは難しい。今回のように長時間、至近距離で対話したのはかなり久方ぶりなので、どのタイミングで偽物が潜り込んだのか特定出来ないのだ。

 それは同時に、本物の理事長がいつから行方不明なのかも特定出来ないということ。故に、彼の安否を楽観視することは出来ない。
 良くて、行動の自由を封じられているか。悪くて、入れ替わった直後に殺されているだろう。


「問題はそれだけではありません。自然に考えるのであれば、理事長に成りすましている者は、恐らく通り魔事件の関係者です。犯人側が学園を裏から牛耳り、支配していたかと思うと……」


 全身が粟立つ感覚を抑えることが出来ず、ティンベルは震えを抑え込むように両腕で身体を包み込んだ。


「どうするんだ?理事長をあのままにしておくわけにはいかねぇだろ」
「ですが、彼が偽物だという証拠がありません。何らかの術か、純粋な変装なのか分かりませんが。相手側にそれを解いてもらわないことには、何も始まらないので……。せめて、本物の理事長の居所が分かれば良いのですが」
「最悪の更に最悪は、理事長が殺されて、死体も塵一つすら残されていないことだな」


 ユウタロウが止めを刺すように言うと、重苦しい空気が一気にその場を支配した。
 ティンベルは、その空気に逆らうように顔を上げると、意を決して口を開く。


「……ユウタロウ様」
「あ?」
「武闘大会の件、何とか考え直すことは出来ませんか?」
「……」


 そんな提案をしてきたティンベルを僅かに咎めるような、厳しい表情をユウタロウは見せる。想定通りの反応だったのか、ティンベルは怯むことなく続けた。


「あの偽物が、わざわざ武闘大会の話題を持ち出したことが、妙に引っかかるのです。何か企んでいるのかもしれません」
「つってもなぁ……あの大会に出ないって言うのは」
「分かっております。勇者の権限を剥奪されるのですよね?」


 困ったように、ユウタロウは片手で頭をかき回した。彼が渋る理由も、ティンベルは理解しているだった。


「あぁ」
「ですが、ユウタロウ様は勇者の肩書など……」


 理解しているでしか無かったからこそ、彼女は疑問に思った。

 自分よりも仲間を尊重する彼が。勇者一族のしがらみを嫌っているように見える彼が。これ程まで勇者の権限に固執する理由が、彼女には分からなかったのだ。


「……この家」
「えっ?」

 ユウタロウが不意に口を開き、彼女は当惑した。

「この家、勇者になった時のオプションで貰えることになってるんだ。初代勇者が暮らしていたっていう、頑丈な家でな。この家だけは、俺の認めた人間以外入ることが出来ない作りになってる。
 勇者の権限を剥奪されるって言うのは、アイツから……ロクヤから。この家を奪うことなんだ」
「っ…………そう、だったのですか」


 息を呑むように、ティンベルは呟くことしか出来ない。自らの浅はかさに嫌気が差したからだ。
 彼女はユウタロウたちのことを、ある程度調べている。彼に通り魔事件の調査協力を打診する前から。

 その為、全てでは無いにしても、ある程度のことは理解しているという自負があったのだ。
 だがそれが、大きな間違いであることを思い知らされ、自らの愚かさに言葉を失った。


「申し訳ありません。先の発言は……どうか忘れてください」
「あぁ。そうさせてもらう」


 寧ろ何も知らなければ、自身の愚かさに気づくことも無かっただろう。中途半端な情報を入手したばかりに、ティンベルは知ってしまったのだ。ロクヤにとってこの家が、どれだけ重要なものなのか。

 それこそ、命と等価と言っても過言ではない程に。


「――逆にチャンスなんじゃねぇか?」
「えっ?」


 唐突に言われ、思わずティンベルは俯きがちだった顔を上げて尋ねた。自らの愚かな発言が、彼の怒りの琴線に触れてしまったのでは無いかと危惧していたので、普段通りのユウタロウに驚いてしまったのだ。


「生徒会長の嫌な予感が当たれば、犯人側が何かを仕掛けてくるってことだろ?そこを叩ければ、一気に形勢逆転できる。違うか?」
「……確かにそうかもしれませんが、大分危険な賭けでは?」
「このまま何もしないまま、手ぐすね引くだけよりはマシだろ。
 安心しろ。犯人が何を企んでいようが、もう人死は一人も出させねぇよ」


 サラリと強気なことを言ってのけたユウタロウを見ていると、妙な安心感を覚え、絆されてしまいそうになる。だが実際、彼の意見には一理あった。

 故にティンベルは、頭の中で考えをまとめると、


「……分かりました。あなたを信じます」

 ユウタロウの武闘大会出場を、完全に了承した。それを受け、ユウタロウは満足気に頷く。


「敵が何か仕掛けてくるとすれば、武闘大会の最中か?」
「その可能性が高いかと」
「なら。アンタとルルには大会中、最大限警戒を強めて欲しい。何を仕掛けてくるか分からない以上、アンテナを色んな所に張っておけよ?」
「それぐらい分かっています」
「それなら上々。あぁ、そうだ。アンタらとすぐ連絡できる手段が欲しいんだが」
「それでしたら、イリデニックス国からの輸入品がいくつか私の自宅にありますので、大会前にお渡ししますよ。アリザカくんには私から、ユウタロウ様の言伝と一緒に渡しておきますから」
「イリデニックス国の輸入品って、あのちっせぇ通信機器か」


 ティンベルが発した国名に反応したユウタロウは、ある程度の予想を立てて尋ねた。

 イリデニックス国というのは、この世界アンレズナにおいて、最も機器作りの技術が発展している国である。この場合の機器とは、ジルを操ることによって生じる現象を、決まった過程さえ踏めば、操志者以外の人間でも再現することができる商品のことだ。
 その内の一つ――通信機器は現時点でアオノクニにそこまで浸透しておらず、イリデニックス国から買い付けなければ入手できないのだ。


「えぇ。機能が通話だけですので、操作も簡単ですし、今回に限っては丁度いいかと」
「ま。ルルもアンタも、通信の術なんて使えなさそうだしな。……そういやルルの奴、体調大丈夫なのか?」
「どうでしょう……武闘大会前には回復しているとよいのですが」


 彼らはルルの体調面を心配しつつ、その緊急作戦会議を緩やかに閉幕するのだった。

 ********

 それから、武闘大会が開催されるまでの一週間。ユウタロウたちは、出来うる限りの最善を尽くした。

 重点的に行ったのは、夜間のパトロール。これ以上の被害者を出さない為。そして実行犯を捕らえ、情報を引き出すために。
 だが、あの奇妙な仮面をつけた人間どころか、先日遭遇した人形にも出くわすことは叶わず、新たな被害者も当然生まれなかった。

 犯人、理事長、副生徒会長のナオヤに関する情報を集める為、生徒や目撃者に聞き込みなども行ったが、特に有益な情報を得られることは無かった。
 それは、彼らに対する尾行に関しても同じである。尾行は引き続き、クレハが主に担当してくれたのだが、理事長やナオヤが大きな動きを見せることも無かったのだ。

 何の成果も得られないまま時間は過ぎて行き、とうとうその日――武闘大会当日となってしまった。

 ********

 早朝、学園の近くで待ち合わせをしていた四人。ユウタロウ、チサト、ティンベルは既に到着しているのだが、最後の一人――ルルが中々姿を現さない。実はこの一週間、ルルはずっと体調不良で学園を休んでいたので、今日も来られない可能性が十分にあるのだ。

 だが、そんな彼らの不安を余所に、ルルはあまりにも予想外な形で姿を現す。


「あっ!ユウタロウ様、チサト様、生徒会長。おはようございますっ!」
「「…………」」


 声のする方へと視線を移すと、刹那の内に全員が目を点にした。その理由は、ルルの格好である。

 ルルは制服の上からフード付きの外套を羽織っており、そのフードを目深に被っていた。その上、何故か薄い布で口元全体を覆っており、一瞥しただけでは誰か分からない程である。
 にも拘らず、何食わぬ顔で爽やかな朝の挨拶をかましてきたことが、一番の困惑材料だろう。


「おまっ……何だその格好は」
「えっと……実はまだ風邪が完全には治っていなくて。皆様にうつしては悪いと思いまして……」
「家帰って寝てろや」
「いえっ!流石に今回は意地でも出席しなくてはと思い、馳せ参じた次第です!それに、こういう格好の方が雰囲気出るかなぁと思いまして……」
「……」


 照れた様子で後頭部に手を置くルルを、ユウタロウは怪訝そうに見つめる。そして何を思ったのか、不意に歩み寄ると、ルルの顔を隠す障害全てを取っ払った。

 突如フードを剥かれ、口元を覆っていた布まで下げられたルルは、ギョッと目を見開く。


「ちょ、ユウタロウ様!?いきなり何をするんですかっ」
「うーん。ちゃんとルルだな」
「はい……?ルルですけど……」


 ユウタロウの両手でガシッと、力強く自らの顔を掴まれてしまい、ルルは当惑する。一方のユウタロウは至近距離で、ルルの顔面を食い入る様に観察していた。


「いやほら。偽理事長の件もあるし、誰かが化けてたら怖いからな」
「ご心配には及びません。ちゃんとルル・アリザカですから!」


 ユウタロウたちの体調を考慮してこんなにも暑苦しい格好をしてきたというのに、その努力を水の泡にされたので、ルルはほんの少し怒気を孕んだ声で断言した。ユウタロウが一歩下がると、ルルはフードを被り直し、口元もいそいそと隠す。


「……あれ?」
「どうした?生徒会長」


 ふと、焦り混じりの疑問の声がティンベルの口から発せられた。ティンベルは忙しない手つきで学生鞄の中を探っており、何かを探索中のようであった。


「……通信機器を四つ入れていたはずなのですが……何故か二つしかありません」
「……急にどうした。ドジっ子にでもなるつもりなのか?」
「今結構真面目な話をしているのですが……」


 かなりの危機的状況だというのに、ユウタロウのボケのせいでその重大性が薄れてしまった。思わずティンベルは死んだ魚の様な目で、苦々しい相好を露わにするのだった。

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