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第二章 過去との対峙編
56.本音と建前
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――それから。
華位道国で情報収集を行うことになった林は、アデルと三試合ほど模擬戦をした後、宣言通りにリオの頭に三発の拳骨を入れた。
リオの頭頂部にはそれはそれは大きなたん瘤がぷっくりと出来ており、彼はナギカに摩るよう強請ったが、彼女には即却下された為、代わりにアデルが彼の傷を労わってやった。アデルに頭を撫でてもらったリオは大分だらしのない顔を晒し、終始ご満悦だったので、彼の頭を心配する者は誰一人としていなかった。
その間、ロクヤはこの家の台所を借りて、大量の作り置きを用意していた。ロクヤはこれからレディバグの保護下で生活することとなり、勇者一族の重鎮に疑われない為にも、ユウタロウたちとの接触を最低限に止める必要がある。そうなると、ユウタロウたちの食事を用意できないので、作れる内に作っておこうと思い至ったのだ。
任務を託された林は早々に華位道国に。意識を取り戻したギルドニスは、例の手紙を入手しに、それぞれ出立していった。
ティンベルは明日までの休日に加えて三日間、クルシュルージュ家の本邸に帰省し、調査をする為、林たちの後を追うようにして、クレハと共にアデルたちと別れた。
「――はいこれ!作ったから、ちゃんと計算して食べるんだよ?ユウタロウくん、ある物全部食べる癖あるから……」
「分かった分かった」
「チサトちゃん!ちゃんと見張っててねっ。あ、ちゃんと早寝早起きして、学校行くんだよ?」
「ふふ。分かったわよぉ……そんなに心配しないで?ロクヤちゃん」
ユウタロウたちが帰宅する頃合いとなり、それは同時に、長期間に渡るロクヤとの別れを意味していた。この件がいつ解決するか分からない以上、どれだけの間ロクヤとユウタロウたちが引き離されるのかも分からない。
ロクヤは抱えきれない不安を隠し通す自信がなく、捲し立てるように話してしまった。彼が抱える、言葉にならない、正体不明の不安を感じ取ったユウタロウはぶっきら棒に、ポンとロクヤの頭に手を乗せる。
「……ユウタロウくん?」
「アデルとリオは、俺よか強いぞ」
「……うん」
だから、ロクヤの身が危険に晒される可能性は少ないと、ユウタロウはそう伝えようとした。だが、ロクヤから返ってきたのは、安堵の声では無かった。
言いたい言葉を、心の奥底に隠す本音を、無理矢理飲み込んでいるような。「そうじゃないんだ」と、そんな心からの訴えが耳の奥で木霊している様な。
その一声だけで、ロクヤの心情を察したユウタロウは、彼の頭をグッと上に引き上げた。ロクヤの見上げる先には、あまりにも真っ直ぐな視線で彼を射抜くユウタロウしかいない。息も出来ない程精悍な眼差しに取り込まれそうになったその時、ユウタロウはふっと息を吐いた。
「……ロクヤ。お前は俺の仲間だ」
「っ!」
「離れていても、繋がっている。……お前を一人置き去りにはしねぇよ。これは、お前自身の問題だからな」
「うんっ……」
ユウタロウが言い放った瞬間、ロクヤは涙と一緒に花のような笑みを零した。
――分かってくれた。そんなロクヤの声が聞こえてきそうな微笑みだった。
ロクヤはずっと、自分一人が置き去りにされているような感覚を持っていた。これは自分自身の問題で、自分自身が関わって、解決すべき問題だというのに。
スザクの言葉のおかげで、弱い自分を認めて頼ってもいいのだと、そう思えるようになったロクヤではあったが、心の隅で妙な不安が燻ぶっていたのだ。
これは自分の人生なのに、自分の知らないところで事が進んでしまうのではないか。ユウタロウたちが自分の為に危険な目に遭い、それを知らないまま事が終幕してしまったら――。
そんな、表現し難い不安と虚しさを抱えていたというのに、ユウタロウに一声かけられただけで、荷物いっぱいの心が軽くなってしまうのだから、ロクヤは一生ユウタロウに頭が上がらないだろう。
「死ぬなよ、ロクヤ。お前が生きてさえいりゃ、あのクソ野郎共との戦いは俺らの勝ちなんだからな」
「うん!絶対に、生き延びるよ……。……また、当たり前にお日様の下、歩きたいもん」
「……そうだな」
この時。この場にいた全員が心に誓った。十年以上もの年月、真面に外を――陽の光の下を歩けていないロクヤの為、一日でも早くこの件を解決してみせると。
そしてもう一度ロクヤに、何の憂いも不安もないまま、当たり前のように、陽の光の下で過ごさせてやりたいと。
こうして、ティンベル発案の話し合いは、幕を閉じたのだった。
********
ユウタロウたちが着々と話を進めている頃。ある男はたった一人で、とある戦場へと赴いていた。
その男――ハヤテは一人、勇者一族の屋敷を訪ねていたのだ。
勇者一族の屋敷は、勇者一族のほとんどの者が生涯を過ごす場所であり、当主や重鎮たちもそこで生活している。当然、ハヤテ、ライト、スザク、クレハの四人もその屋敷で暮らしており、勇者の権限で家を与えられているユウタロウの方がイレギュラーなのだ。
今回ハヤテが訪ねたのは、その屋敷の中でも滅多に通されることの無い客間である。その客間は、当主が特定の個人、又は団体と内密な話をする際、よく使われる場所で、ハヤテも数度しか入室したことの無い部屋である。その客間に通される時は必ず、床の間側に当主が腰掛け、相手はその正面に座らされる。そしてそんな両者を囲むようにして、多くの重鎮たちが顰め面でその様子を眺めるのだ。
要するに、窒息しそうな程息が詰まる空間ということである。
何故そんな場所に、ハヤテはたった一人で立ち向かおうとしているのか?それは、勇者一族の当主直々に、ハヤテが呼び出されたからである。
ハヤテが当主に呼び出されるのはそう珍しいことでも無いが、時期が時期な為、それなりの警戒が必要になる。
何故なら、今回の呼び出しは、ハヤテを揺さぶり、何らかの情報を引き出す為の行為である可能性が高いからだ。
だからと言って、呼び出しに応じないというのは愚策中の愚策。ユウタロウを含めたハヤテたちは表向き、偽装したロクヤの死を信じ、勇者一族の亜人のことも一切知らないということになっている。故にそんなことをしてしまえば、却って怪しまれてしまうのだ。
その為、ハヤテは今、大勢の重鎮たちに囲まれる中、諸悪の根源である当主と相対していた。
呼吸も儘ならない空間の中、当主――ツキマは自身の抹茶色の髪を頻りに弄っており、目の前に正座するハヤテに一瞥もくれない。
百七十センチの背を猫背にして座椅子に腰掛けており、その表情はどこか薄い。眠たそうな垂れ目だというのに、その奥に潜む藍色の瞳は、見つめられると竦み上がる程鋭い。その目尻には皺が浮かんでいるが、彼自身の容姿は五十代とは思えない程若い。その若々しさが、亜人の血によるものだと知っているのは、恐らくこの場においてハヤテだけだろう。
ツキマは所謂浴衣のようなものに身を包んでおり、非常にリラックスしているようであった。
ふと、何の前触れも無くハヤテを見つめたツキマは開口一番、信じられない言葉を発した。
「……ロクヤは、生きていたようだな」
「……」
刹那、ハヤテの呼吸が止まる。キーンと耳鳴りがするせいで、何も考えることができなかった。衝撃のあまり面食らってしまい、中々言葉を紡ぐことが出来ない。
だがそれで良かった。表向き、ハヤテはロクヤが死んだものだと思っているのだから、突然生きていたなんて話が出れば、誰だって衝撃を受けるものだ。
故にハヤテは面食らいつつも、頭だけは何とかフル回転させて、次の一手を考えていた。
(どういうつもりだ……?俺揺さぶって情報を引き出そうとしている?俺がロクヤの死の偽装に関わっているか判断する為、ふるいにかけているのか?あるいは……。
いや。考えすぎるのも良くない。俺は今、何の事情も知らない人間として、この地獄の時間を乗り切ればいいんだからな)
考えをまとめたハヤテはふっと息をつくと、先の言葉に対する返答をした。
「……生きていたとは、どういうことですか?ロクヤは死んだはずですが」
「それがな。ユウタロウの自宅から出て行く姿を目撃した者がいるんだよ」
「他人の空似という可能性は?ロクヤが死んでからもう十一年も経っていますし」
「まぁその可能性もあるが、ユウタロウの自宅に出入りできる人間――つまりはユウタロウの知人の中に、あんな青年は見たことが無いと、目撃した者が証言しているんだよ」
ハヤテは内心、グッと苦し気に歯噛みしてしまうが、それを決して表情には出さないよう努めた。
(ユウタロウの件を持ち出してくるか……。ロクヤがあの家から出てきたことから、ユウタロウがロクヤの生存を知っていた可能性が濃厚になってしまった。ロクヤを守る為のあの家が裏目に出てしまったか……)
ユウタロウの住む家は、勇者に与えられる権限の一つ。各世代の勇者に与えられる、初代勇者の暮らしていた家であり、勇者が認めた人間以外は侵入することが出来ない作りになっているのだ。面倒なことを嫌うユウタロウが勇者になったのは、この家を手に入れる為と言っても過言では無い。
だがその特性のせいで、ハヤテは今窮地に立たされていた。他者の侵入を許さないのであれば、目撃されたのは確実に、ユウタロウの知人ということになってしまうからだ。
「……もし仮に、ロクヤが生きていたとして、何故ロクヤやユウタロウは、その生存を一族に黙っていたのでしょうか?それと、何故目撃者はユウタロウの自宅付近にいたのですか?監視でもしていたのでしょうか?ならばその理由は一体何なのでしょうか?」
ユウタロウを庇っては訝しられてしまうので、ハヤテはそう答える他無かった。ロクヤの生存を認めるのではなく、仮にと前置きを加えたハヤテに、ツキマはどこか怪訝そうな眼差しを向ける。
「やけに疑うな?お前はロクヤと仲が良かったと記憶していたが。……友人が生きているかもしれないというのに、嬉しくはないのか?
……それとも何か、ロクヤの生存を否定したい理由でもあるのか?……あぁ、もしかして、あの能無しはお前が殺したのか……」
――ダンッ!
それは、ハヤテが握り拳を力強く床に叩きつけた音で、刹那の内にざわめきが広がっていった。ハヤテは俯いており、その表情を窺うことはできない。
ハヤテはずっと、ずっと我慢していた。何せ目の前にいるのは、セッコウの仇であり、ロクヤに窮屈な生活を余儀なくさせた張本人である。視界に入るだけで苛立ちは増殖し、今にも殴り掛かりそうになってしまうほど。
そんなツキマが、何食わぬ顔でロクヤの名前を口にし、剰えその安全を脅かすような行為を、言葉巧みにハヤテにさせようとしている。
その事実が我慢ならず、ハヤテは感情のままに床を殴りつけてしまった。
「おい貴様っ、当主様に対して」
「黙れ」
「はっ……」
重鎮の一人がハヤテを咎めようとしたが、ツキマの鶴の一声でその人物は押し黙った。
「……どうした?ハヤテ」
まるで、子供を心配する親のような声で問いかけたツキマであったが、その表情はハヤテの反応を愉しげに観察しているようで、あまりの対比の不気味さに寒気がするほど。
ほんの少しだけ顔を上げたハヤテは、震える唇から声を発する。
「…………ふざけないでいただきたい」
「なに?」
「あの日……ロクヤが死んだと知らせを受けたあの日っ!……ライトが、クレハが、スザクが、チサトが、ユウタロウが……俺がっ!どれだけ……どれだけっ……心を痛めたかっ……目の前が真っ暗になってっ、生きた心地がしなくてっ……信じたくなかった……」
それは当に、仲間の死を悼む男の嘆きであり、その気迫に周囲の重鎮たちは息を呑んだ。一方のツキマは、先刻までの飄々とした態度から一変、涙を滲ませるハヤテを真剣な相好で観察している。
「それでもっ、ロクヤのいない人生は当たり前のように過ぎて。……受け入れざるを得ない状況に追い込まれてっ、信じたくない思いを必死に押し殺してっ、何度も何度も辛い夜を乗り越えてっ、何とかっ……何とかロクヤの死を受け入れたんです!……それを…………。
生きていてほしいに決まっているでしょうっ!?俺たちがどれだけそれを望んでいたか、あなた方には分からないでしょうね……。でも、ロクヤは死んでしまったんです……。死体も……あなた方にっ、お前らが一番顔を合わせていたからとっ、確認させられました……。
俺たちに事情も説明しないままっ、そんな不確かな情報でロクヤが生きているなどとっ、二度と口にしないでいただきたいっ!……俺たちに、掴めもしない淡い希望をチラつかせないでください。
……今回の話は聞かなかったことにします。ライトたちにも、この話は伏せておきます。重鎮の方々もどうか、アイツらの心を揺らすようなことを申し上げないでいただきたい。……あまりにも残酷だ」
涙が滲み、赤く血走った瞳でツキマを睨み上げたハヤテは、批難を込めて言い放った。親の仇を見るような、ハヤテの鬼気迫る相好を前にしても怯むどころか、どこか白けた様な表情を浮かべたツキマは、そっと口を開く。
「……そうか。何も知らないのならそれでよい。時間を取らせてすまなかったな。戻っていいぞ」
「……失礼いたします」
華位道国で情報収集を行うことになった林は、アデルと三試合ほど模擬戦をした後、宣言通りにリオの頭に三発の拳骨を入れた。
リオの頭頂部にはそれはそれは大きなたん瘤がぷっくりと出来ており、彼はナギカに摩るよう強請ったが、彼女には即却下された為、代わりにアデルが彼の傷を労わってやった。アデルに頭を撫でてもらったリオは大分だらしのない顔を晒し、終始ご満悦だったので、彼の頭を心配する者は誰一人としていなかった。
その間、ロクヤはこの家の台所を借りて、大量の作り置きを用意していた。ロクヤはこれからレディバグの保護下で生活することとなり、勇者一族の重鎮に疑われない為にも、ユウタロウたちとの接触を最低限に止める必要がある。そうなると、ユウタロウたちの食事を用意できないので、作れる内に作っておこうと思い至ったのだ。
任務を託された林は早々に華位道国に。意識を取り戻したギルドニスは、例の手紙を入手しに、それぞれ出立していった。
ティンベルは明日までの休日に加えて三日間、クルシュルージュ家の本邸に帰省し、調査をする為、林たちの後を追うようにして、クレハと共にアデルたちと別れた。
「――はいこれ!作ったから、ちゃんと計算して食べるんだよ?ユウタロウくん、ある物全部食べる癖あるから……」
「分かった分かった」
「チサトちゃん!ちゃんと見張っててねっ。あ、ちゃんと早寝早起きして、学校行くんだよ?」
「ふふ。分かったわよぉ……そんなに心配しないで?ロクヤちゃん」
ユウタロウたちが帰宅する頃合いとなり、それは同時に、長期間に渡るロクヤとの別れを意味していた。この件がいつ解決するか分からない以上、どれだけの間ロクヤとユウタロウたちが引き離されるのかも分からない。
ロクヤは抱えきれない不安を隠し通す自信がなく、捲し立てるように話してしまった。彼が抱える、言葉にならない、正体不明の不安を感じ取ったユウタロウはぶっきら棒に、ポンとロクヤの頭に手を乗せる。
「……ユウタロウくん?」
「アデルとリオは、俺よか強いぞ」
「……うん」
だから、ロクヤの身が危険に晒される可能性は少ないと、ユウタロウはそう伝えようとした。だが、ロクヤから返ってきたのは、安堵の声では無かった。
言いたい言葉を、心の奥底に隠す本音を、無理矢理飲み込んでいるような。「そうじゃないんだ」と、そんな心からの訴えが耳の奥で木霊している様な。
その一声だけで、ロクヤの心情を察したユウタロウは、彼の頭をグッと上に引き上げた。ロクヤの見上げる先には、あまりにも真っ直ぐな視線で彼を射抜くユウタロウしかいない。息も出来ない程精悍な眼差しに取り込まれそうになったその時、ユウタロウはふっと息を吐いた。
「……ロクヤ。お前は俺の仲間だ」
「っ!」
「離れていても、繋がっている。……お前を一人置き去りにはしねぇよ。これは、お前自身の問題だからな」
「うんっ……」
ユウタロウが言い放った瞬間、ロクヤは涙と一緒に花のような笑みを零した。
――分かってくれた。そんなロクヤの声が聞こえてきそうな微笑みだった。
ロクヤはずっと、自分一人が置き去りにされているような感覚を持っていた。これは自分自身の問題で、自分自身が関わって、解決すべき問題だというのに。
スザクの言葉のおかげで、弱い自分を認めて頼ってもいいのだと、そう思えるようになったロクヤではあったが、心の隅で妙な不安が燻ぶっていたのだ。
これは自分の人生なのに、自分の知らないところで事が進んでしまうのではないか。ユウタロウたちが自分の為に危険な目に遭い、それを知らないまま事が終幕してしまったら――。
そんな、表現し難い不安と虚しさを抱えていたというのに、ユウタロウに一声かけられただけで、荷物いっぱいの心が軽くなってしまうのだから、ロクヤは一生ユウタロウに頭が上がらないだろう。
「死ぬなよ、ロクヤ。お前が生きてさえいりゃ、あのクソ野郎共との戦いは俺らの勝ちなんだからな」
「うん!絶対に、生き延びるよ……。……また、当たり前にお日様の下、歩きたいもん」
「……そうだな」
この時。この場にいた全員が心に誓った。十年以上もの年月、真面に外を――陽の光の下を歩けていないロクヤの為、一日でも早くこの件を解決してみせると。
そしてもう一度ロクヤに、何の憂いも不安もないまま、当たり前のように、陽の光の下で過ごさせてやりたいと。
こうして、ティンベル発案の話し合いは、幕を閉じたのだった。
********
ユウタロウたちが着々と話を進めている頃。ある男はたった一人で、とある戦場へと赴いていた。
その男――ハヤテは一人、勇者一族の屋敷を訪ねていたのだ。
勇者一族の屋敷は、勇者一族のほとんどの者が生涯を過ごす場所であり、当主や重鎮たちもそこで生活している。当然、ハヤテ、ライト、スザク、クレハの四人もその屋敷で暮らしており、勇者の権限で家を与えられているユウタロウの方がイレギュラーなのだ。
今回ハヤテが訪ねたのは、その屋敷の中でも滅多に通されることの無い客間である。その客間は、当主が特定の個人、又は団体と内密な話をする際、よく使われる場所で、ハヤテも数度しか入室したことの無い部屋である。その客間に通される時は必ず、床の間側に当主が腰掛け、相手はその正面に座らされる。そしてそんな両者を囲むようにして、多くの重鎮たちが顰め面でその様子を眺めるのだ。
要するに、窒息しそうな程息が詰まる空間ということである。
何故そんな場所に、ハヤテはたった一人で立ち向かおうとしているのか?それは、勇者一族の当主直々に、ハヤテが呼び出されたからである。
ハヤテが当主に呼び出されるのはそう珍しいことでも無いが、時期が時期な為、それなりの警戒が必要になる。
何故なら、今回の呼び出しは、ハヤテを揺さぶり、何らかの情報を引き出す為の行為である可能性が高いからだ。
だからと言って、呼び出しに応じないというのは愚策中の愚策。ユウタロウを含めたハヤテたちは表向き、偽装したロクヤの死を信じ、勇者一族の亜人のことも一切知らないということになっている。故にそんなことをしてしまえば、却って怪しまれてしまうのだ。
その為、ハヤテは今、大勢の重鎮たちに囲まれる中、諸悪の根源である当主と相対していた。
呼吸も儘ならない空間の中、当主――ツキマは自身の抹茶色の髪を頻りに弄っており、目の前に正座するハヤテに一瞥もくれない。
百七十センチの背を猫背にして座椅子に腰掛けており、その表情はどこか薄い。眠たそうな垂れ目だというのに、その奥に潜む藍色の瞳は、見つめられると竦み上がる程鋭い。その目尻には皺が浮かんでいるが、彼自身の容姿は五十代とは思えない程若い。その若々しさが、亜人の血によるものだと知っているのは、恐らくこの場においてハヤテだけだろう。
ツキマは所謂浴衣のようなものに身を包んでおり、非常にリラックスしているようであった。
ふと、何の前触れも無くハヤテを見つめたツキマは開口一番、信じられない言葉を発した。
「……ロクヤは、生きていたようだな」
「……」
刹那、ハヤテの呼吸が止まる。キーンと耳鳴りがするせいで、何も考えることができなかった。衝撃のあまり面食らってしまい、中々言葉を紡ぐことが出来ない。
だがそれで良かった。表向き、ハヤテはロクヤが死んだものだと思っているのだから、突然生きていたなんて話が出れば、誰だって衝撃を受けるものだ。
故にハヤテは面食らいつつも、頭だけは何とかフル回転させて、次の一手を考えていた。
(どういうつもりだ……?俺揺さぶって情報を引き出そうとしている?俺がロクヤの死の偽装に関わっているか判断する為、ふるいにかけているのか?あるいは……。
いや。考えすぎるのも良くない。俺は今、何の事情も知らない人間として、この地獄の時間を乗り切ればいいんだからな)
考えをまとめたハヤテはふっと息をつくと、先の言葉に対する返答をした。
「……生きていたとは、どういうことですか?ロクヤは死んだはずですが」
「それがな。ユウタロウの自宅から出て行く姿を目撃した者がいるんだよ」
「他人の空似という可能性は?ロクヤが死んでからもう十一年も経っていますし」
「まぁその可能性もあるが、ユウタロウの自宅に出入りできる人間――つまりはユウタロウの知人の中に、あんな青年は見たことが無いと、目撃した者が証言しているんだよ」
ハヤテは内心、グッと苦し気に歯噛みしてしまうが、それを決して表情には出さないよう努めた。
(ユウタロウの件を持ち出してくるか……。ロクヤがあの家から出てきたことから、ユウタロウがロクヤの生存を知っていた可能性が濃厚になってしまった。ロクヤを守る為のあの家が裏目に出てしまったか……)
ユウタロウの住む家は、勇者に与えられる権限の一つ。各世代の勇者に与えられる、初代勇者の暮らしていた家であり、勇者が認めた人間以外は侵入することが出来ない作りになっているのだ。面倒なことを嫌うユウタロウが勇者になったのは、この家を手に入れる為と言っても過言では無い。
だがその特性のせいで、ハヤテは今窮地に立たされていた。他者の侵入を許さないのであれば、目撃されたのは確実に、ユウタロウの知人ということになってしまうからだ。
「……もし仮に、ロクヤが生きていたとして、何故ロクヤやユウタロウは、その生存を一族に黙っていたのでしょうか?それと、何故目撃者はユウタロウの自宅付近にいたのですか?監視でもしていたのでしょうか?ならばその理由は一体何なのでしょうか?」
ユウタロウを庇っては訝しられてしまうので、ハヤテはそう答える他無かった。ロクヤの生存を認めるのではなく、仮にと前置きを加えたハヤテに、ツキマはどこか怪訝そうな眼差しを向ける。
「やけに疑うな?お前はロクヤと仲が良かったと記憶していたが。……友人が生きているかもしれないというのに、嬉しくはないのか?
……それとも何か、ロクヤの生存を否定したい理由でもあるのか?……あぁ、もしかして、あの能無しはお前が殺したのか……」
――ダンッ!
それは、ハヤテが握り拳を力強く床に叩きつけた音で、刹那の内にざわめきが広がっていった。ハヤテは俯いており、その表情を窺うことはできない。
ハヤテはずっと、ずっと我慢していた。何せ目の前にいるのは、セッコウの仇であり、ロクヤに窮屈な生活を余儀なくさせた張本人である。視界に入るだけで苛立ちは増殖し、今にも殴り掛かりそうになってしまうほど。
そんなツキマが、何食わぬ顔でロクヤの名前を口にし、剰えその安全を脅かすような行為を、言葉巧みにハヤテにさせようとしている。
その事実が我慢ならず、ハヤテは感情のままに床を殴りつけてしまった。
「おい貴様っ、当主様に対して」
「黙れ」
「はっ……」
重鎮の一人がハヤテを咎めようとしたが、ツキマの鶴の一声でその人物は押し黙った。
「……どうした?ハヤテ」
まるで、子供を心配する親のような声で問いかけたツキマであったが、その表情はハヤテの反応を愉しげに観察しているようで、あまりの対比の不気味さに寒気がするほど。
ほんの少しだけ顔を上げたハヤテは、震える唇から声を発する。
「…………ふざけないでいただきたい」
「なに?」
「あの日……ロクヤが死んだと知らせを受けたあの日っ!……ライトが、クレハが、スザクが、チサトが、ユウタロウが……俺がっ!どれだけ……どれだけっ……心を痛めたかっ……目の前が真っ暗になってっ、生きた心地がしなくてっ……信じたくなかった……」
それは当に、仲間の死を悼む男の嘆きであり、その気迫に周囲の重鎮たちは息を呑んだ。一方のツキマは、先刻までの飄々とした態度から一変、涙を滲ませるハヤテを真剣な相好で観察している。
「それでもっ、ロクヤのいない人生は当たり前のように過ぎて。……受け入れざるを得ない状況に追い込まれてっ、信じたくない思いを必死に押し殺してっ、何度も何度も辛い夜を乗り越えてっ、何とかっ……何とかロクヤの死を受け入れたんです!……それを…………。
生きていてほしいに決まっているでしょうっ!?俺たちがどれだけそれを望んでいたか、あなた方には分からないでしょうね……。でも、ロクヤは死んでしまったんです……。死体も……あなた方にっ、お前らが一番顔を合わせていたからとっ、確認させられました……。
俺たちに事情も説明しないままっ、そんな不確かな情報でロクヤが生きているなどとっ、二度と口にしないでいただきたいっ!……俺たちに、掴めもしない淡い希望をチラつかせないでください。
……今回の話は聞かなかったことにします。ライトたちにも、この話は伏せておきます。重鎮の方々もどうか、アイツらの心を揺らすようなことを申し上げないでいただきたい。……あまりにも残酷だ」
涙が滲み、赤く血走った瞳でツキマを睨み上げたハヤテは、批難を込めて言い放った。親の仇を見るような、ハヤテの鬼気迫る相好を前にしても怯むどころか、どこか白けた様な表情を浮かべたツキマは、そっと口を開く。
「……そうか。何も知らないのならそれでよい。時間を取らせてすまなかったな。戻っていいぞ」
「……失礼いたします」
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そんなある日、トラックに轢かれて死んだ英二は異世界へと転生させられる。
グランベルン王国のエイデル公爵の長男として生まれた英二はリオン・エイデルとして生きる事に・・・
しかし、リオンは貴族でありながらまさかの魔力が200しかなかった。貴族であれば魔力が1000はあるのが普通の世界でリオンは初期魔法すら使えないレベル。だが、リオンには神話で邪悪なドラゴンを倒した魔剣士リュウジと同じ身体強化魔法を持っていたのだ。
これは魔法が殆ど使えない代わりに、最強の英雄の魔法である身体強化魔法を使いながら無双する物語りである。
異世界転生おじさんは最強とハーレムを極める
自ら
ファンタジー
定年を半年後に控えた凡庸なサラリーマン、佐藤健一(50歳)は、不慮の交通事故で人生を終える。目覚めた先で出会ったのは、自分の魂をトラックの前に落としたというミスをした女神リナリア。
その「お詫び」として、健一は剣と魔法の異世界へと30代後半の肉体で転生することになる。チート能力の選択を迫られ、彼はあらゆる経験から無限に成長できる**【無限成長(アンリミテッド・グロース)】**を選び取る。
異世界で早速遭遇したゴブリンを一撃で倒し、チート能力を実感した健一は、くたびれた人生を捨て、最強のセカンドライフを謳歌することを決意する。
定年間際のおじさんが、女神の気まぐれチートで異世界最強への道を歩み始める、転生ファンタジーの開幕。
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