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第二章 過去との対峙編
63.不穏の足音4
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「っ……それ、結構不味いんじゃないの?」
「そうですね……レディバグと勇者様の関係を知られた以上、我々がロクヤ様を匿っていることに敵が気づくのも時間の問題……気づいたからこそ、ヒメたちは狙われたのでしょうし」
「というと?」
ルークの言葉の意味全てを網羅できなかったナツメは、キョトンと首を傾げて尋ねた。
「拷問でもして、ロクヤ様の居場所を探ろうとしたのでは?勇者様の協力者は少ないに越したことはありませんし、一族にとってレディバグは討伐対象……狙わない理由を探す方が難しいというものです」
「ふむ……であれば、序列下位の者たちには、あまりアオノクニに近づかぬよう通達した方が良さそうなのだ」
ルークの解説を踏まえ、アデルは今できる対策を提示した。
――ではどうやってその通達をするのか?
レディバグの構成員は各国に散らばっており、その一人一人に通信術で危機を知らせていては、多少時間がかかってしまう。
アデルたちは僅かに沈黙するが、その問題は即座に解決されることとなる。
「それでしたら、私が皆さんに伝えておきますね」
「うむ、頼んだのだ。メイリーン」
遠慮がちに挙手したメイリーンの提案をアデルが承諾すると、彼女は即座に行動に移した。
席を立ち、息を整えると、その力を行使する為に、メイリーンはそっと口を開くのだった。
********
ルークスに執務室から追い出された後、ティンベルは家中の使用人たちに、一見何てことない質問を投げかけ、その答えから有益な情報を引き出そうと画策していた。
陽が沈むまでその調査を続けていたティンベルだったが、これといって有益な情報を手に入れることは出来なかった。
すっかり夜も更けた頃、ティンベルは自室の寝具の上に横になっていた。方角的に彼女の部屋の窓からは月の光も差し込まず、夜になると暗然とした世界に包まれる。だが彼女は、この暗さが嫌いでは無かった。
だからこそティンベルは、スタンドライトも点けずに暗い天井を見つめているのだが、頭の中で色々と考え込んでしまい、一向に眠れる気配がない。
これは幼い頃からの、ティンベルの悪い癖であった。ティンベルは常に何かを考えており、それは眠りにつく直前も同じこと。ベッドに入っても中々思考から解放されないせいで、熟睡する機会を逃すことが多いのだ。
目を閉じているだけで、完全な眠りには没入していなかったティンベルは、不意に妙な気配を感じ、身体を強張らせた。
(……だれ?誰かが近くにいる。……でもクレハ様じゃない。クレハ様なら、私に気づかれるような気配を出したりしないもの……)
奇妙な気配の正体――相手に起きていること気取られないよう、ティンベルは目を閉じたまま相手の出方を窺う。既にこの部屋にいるのか、それともすぐ近くのどこかに身を潜めているのか。それでも、侵入者がティンベルの様子を窺っていることだけは明らかで、ギョロっとした目で凝視されているような居心地の悪さに、ティンベルは冷や汗を流した。
徐々に徐々に。その嫌な圧迫が増していき、ティンベルは表情を繕うので手一杯。足音はしない……つまり、それ相応の実力者――プロが迫っているのは明らかであった。
動くべきか、クレハの助けを待つべきか。目を閉じながらティンベルが懊悩していると、それは唐突に始まった。
――カキンっ!!
「っ!」
刃と刃がぶつかる音が頭上から響き、とうとうティンベルは目を開いてしまった。刹那、視界に飛び込んできた光景によって、ティンベルは言葉を失う。
いくら暗闇の中とは言っても、長時間その空間にいれば目が慣れてくれるので、ティンベルにも何が起きているのかは理解できたのだ。
ティンベルの頭上では、侵入者の小型剣とクレハの刀が拮抗しており、彼女は思わずベッドから転げ落ちるようにして避難した。
「くっ……こんな用心棒がいるなんて聞いていないぞっ」
「臨時だからな」
想定外の事態に見舞われたことで、動揺を隠しきれない侵入者は、思わずクレハを睨みつけた。一方のクレハは至って冷静で、刀を握る右手も震えていないことから、大して力を入れていないことは明白であった。
侵入者はもう片方の手で新たな小型剣を掴むと、目にも止まらぬ速さでそれを振るう。だがそれよりも早く反応し、腕ごと力強く掴んだクレハは、ぐるっとその腕を背に回して、勢いそのままに侵入者をうつ伏せに倒した。
侵入者の口から「がっ……」という呻き声が漏れるが、クレハはお構いなしに、相手の頸動脈めがけて刀を振るおうとする。だが――。
「殺さないでくださいクレハ様っ!」
「っ……」
ティンベルの劈くような懇願で、クレハの手はピタッと止まり、届きそうだった刃も、侵入者の首ギリギリで止まっている。
だが、それを好機と捉えた侵入者は、集めていたジルで衝撃波を生み出し、それをクレハに向けて放った。
「ちっ……」
大した威力では無かったが、その衝撃波はクレハの体勢を崩す程度の役割は果たしてくれた。思わず、苛立ったクレハは舌打ちしてしまう。侵入者の男はクレハの拘束から脱すると、両手の剣にジルの炎を纏わせ、クレハに襲い掛かる。
最低限の動きでその素早い剣撃を躱したクレハは、壁まで追いつめられると、その壁を伝って部屋中を駆け回った。タタタタタッと、縦横無尽に駆けるクレハのあまりにも素早い動きに、侵入者は目を回し、攻撃を仕掛けたくても狙いを定めることができない。
侵入者はクレハの動きを予測し、小型剣をシュッと投げるが、クレハの刀によって呆気なく弾かれてしまう。その小型剣は、サクッと床に刺さった。
その隙をついてクレハは、壁を踏み台に侵入者の元へ迫るが、対する男はもう一本の小型剣をクレハに向けて投げつけた。
キンっ――。
それすらもクレハが刀で弾くと、炎を纏った小型剣は天井に刺さった。だが、侵入者の狙いはその小型剣ではなく、直後に放った暗器だった。クレハにとっては、攻撃を躱した直後という、最も気の抜けた瞬間だった為、ワンテンポ反応に遅れが生じてしまう。咄嗟に首を左側に傾け、その暗器を避けるクレハだが、刃先が右頬を掠めて行った。
そんなことなど気にも留めていないような無表情で、クレハは侵入者の元まで到達すると、右脚を相手の首に絡みつけてその態勢を崩した。
ガンっと、鈍い音が鳴ると、侵入者は顔面から倒れており、ティンベルは呆気に取られてしまう。何せ、両者が戦い始めてから一分も経っていないのだ。彼女にとっては全て一瞬の出来事のようで、何が起きたのかよく理解できていない。
操志者相手では、簡易的な縄の拘束が無意味になることが多いので、クレハは侵入者の首を脚で締め付けたまま動こうとしない。一方の侵入者は、先の衝撃で首を痛めた上、拘束が緩む気配が微塵も無いせいで、顔を真っ赤にしながらその苦しみに悶えていた。
クレハの右頬からツーっと血が浮かび上がると、ティンベルは我に返り、一瞬で顔面蒼白になった。
「申し訳ありませんっ!クレハ様っ……私が邪魔をしたばかりに怪我をっ」
「それはいい。それより、償う気があるのならそこの火を消してくれ。某には消せない」
「あっ……は、はい!」
そこの火と言ってクレハが差したのは、床と天井に刺さっている、炎を纏った小型剣で、放置したままだと火事の危険性があったのだ。
先刻、自身が侵入者を殺さないようクレハに嘆願したせいで、軽傷ではあるものの彼の身体に傷をつけてしまったので、ティンベルはその過ちを一刻も早く払拭しようと行動に移した。
(そっか……クレハ様は操志者じゃないから、火が消せないのですね……。クレハ様が操志者じゃないってこと、偶に忘れそうになります……あんなにお強いのに……)
小型剣に纏った火を消す最中、ティンベルは改めてその事実を思い知らされていた。火を消すという行為は、操志者の技術の中でもかなり易しい部類に入る。操志者が踏むべき手順は、火を元々のジルに変換することだけで、これは操志者にとって基本中の基本。出来ない人間を探す方が難しいというものだ。
ティンベルはそれぞれの炎をジルに変換すると、床に押さえ込まれている侵入者の目の前にしゃがみ込む。
「二三質問に答えていただきたいのですが」
「はぁっ?……ぐっ」
ティンベルに対し強気な姿勢で返した侵入者だったが、即座にクレハが首の拘束を強めたことで、苦悶の声を漏らしてしまう。クレハは凍てつくような眼差しで侵入者を見下ろすと、淡々と口を開いた。
「黙秘、ないし虚偽の回答をしたとこちらが判断した場合は、容赦なくお前の首の骨を折る」
「わ、分かった!答えるからっ、少し緩めてくれ……」
聞き分けの良い侵入者はティンベルの要求を呑むと、クレハに懇願した。するとクレハは、侵入者がギリギリ拘束を解けない程度まで脚の力を緩めてやる。
首を絞めつけられる感覚が弱まったおかげで、侵入者も話しやすくなり、ティンベルは改めて尋問を始めることにした。
「――では。……あなたは、私を暗殺しようとした。これは間違いありませんね?」
「あぁ。それが仕事だからな」
「では、あなたに暗殺を依頼した人物は誰ですか?」
「……分かんねぇ」
瞬間、クレハに首の拘束を強められ、男は「がっ……」と苦痛に顔を歪ませるが、ティンベルが制止したことで再び拘束が緩み、彼は九死に一生を得た。
「かはっ……はぁっ、はぁ……本当に分からねぇんだよっ。顔に布みてぇなもの巻いてたし、分厚いマントを羽織ってて体格も分かり辛かったし」
「では、お会いしたことはあるのですね……身長はどのくらいありましたか?」
「うぅん……普通だったと思うぞ。平均的な男の背にも見えたし、身長の高い女にも見えた……あぁでも、性別は男だぜ」
「男?何故そう思うのですか?」
「何故って、声が男の声だったんだよ」
「声……。声は変成器や術で変えられるので、今はまだ依頼主の性別を断定すべきではないでしょうね……」
唯一の手掛かりではあったが、それを全て信用するのは命取りになる可能性もあるので、ティンベルは慎重を期してそう呟いた。
「では、その依頼主とはどのような会話を?覚えている限りを一言一句違わずに教えてください」
「会話なんてしてねぇよ。相手は〝ティンベル・クルシュルージュを暗殺しろ〟って、ただそれだけを伝えてどっか行っちまったからよ。報酬は後払いだったから、金もまだ受け取ってねぇし」
「そうですか……では最後に、その依頼主について、何か印象に残っていること、気になる点はありませんでしか?何でも構いません。言葉運びが独特だったとか、キョロキョロ周りに気を配っていたとか」
「はぁ?んなこと言われても…………あ、そう言えば」
「何かありましたか?」
最初は困ったように言い淀んでいた侵入者だが、記憶を辿る内に気になることを思い出したようであった。犯人の手掛かりを前に、ティンベルは食い気味に尋ねてしまう。
「靴の音が五月蠅かったな。コツコツコツコツって、やたら鳴ってたんだよ。俺たちみたいな職業の人間は絶対に履かないような靴だったから、よく覚えてる」
「……そうですか。ありがとうございました。
クレハ様、この方を解放して差し上げてください」
「……逃がしていいのか?」
納得いかないのか、クレハは怪訝そうな声で尋ねた。暗殺者である彼を見逃せば、彼はまた生きる為に人を殺すだろう。被害者の全てが善人では無いだろうが、中には何の罪も無いというのに、無残にも殺されてしまう人間が少なからずいる。クレハにとって、救えるかもしれない命を見捨てることは苦渋の決断であった。
だがティンベルも、何も無罪放免で暗殺者の男を解放しようという腹積もりでは無いのだ。
「クレハ様の信念に反するというのであれば、このまま騎士団に突き出しても構いません。ですが、私の暗殺未遂でこの方が捕まれば、依頼主もその事実をいずれ知るでしょう。私はこの方より大分弱いので、私が撃退したわけでは無く、私が事前に護衛をつけていたことも、すぐに察するでしょう。そうなってしまえば、私がこの家を疑っていることもバレてしまう。それはなるべく避けたいのです。なので私が殺されていないのは、単なる暗殺失敗で収めるのが最善なのですよ」
「……分かった。それで構わん」
その説得で、ティンベルにも何か考えがあるのだろうと思い至ったクレハは、若干の不安を残しつつも、彼女の意見を尊重してやった。そして、クレハが右脚による拘束を解いてやると、侵入者の男は苦しげに首を押さえ、徐に体を起こした。
「ありがとうございます。クレハ様。
――では暗殺者さん。これからは、私の言う通りに行動する操り人形になってもらいますので、どうかそのおつもりで」
死神のように恐ろしかったクレハから解放されたのも束の間、全身が粟立つような感覚に、侵入者は目を逸らすことができない。視線の先――しゃがみ込むティンベルの、途轍もなく悪い笑みを目の当たりにした男は、本能的に嫌な予感を察知する。
これから一体どんなことをさせられてしまうのか?不安と、分からないことへの恐怖で、侵入者は引き攣った笑みを返すしかできなかった。
「そうですね……レディバグと勇者様の関係を知られた以上、我々がロクヤ様を匿っていることに敵が気づくのも時間の問題……気づいたからこそ、ヒメたちは狙われたのでしょうし」
「というと?」
ルークの言葉の意味全てを網羅できなかったナツメは、キョトンと首を傾げて尋ねた。
「拷問でもして、ロクヤ様の居場所を探ろうとしたのでは?勇者様の協力者は少ないに越したことはありませんし、一族にとってレディバグは討伐対象……狙わない理由を探す方が難しいというものです」
「ふむ……であれば、序列下位の者たちには、あまりアオノクニに近づかぬよう通達した方が良さそうなのだ」
ルークの解説を踏まえ、アデルは今できる対策を提示した。
――ではどうやってその通達をするのか?
レディバグの構成員は各国に散らばっており、その一人一人に通信術で危機を知らせていては、多少時間がかかってしまう。
アデルたちは僅かに沈黙するが、その問題は即座に解決されることとなる。
「それでしたら、私が皆さんに伝えておきますね」
「うむ、頼んだのだ。メイリーン」
遠慮がちに挙手したメイリーンの提案をアデルが承諾すると、彼女は即座に行動に移した。
席を立ち、息を整えると、その力を行使する為に、メイリーンはそっと口を開くのだった。
********
ルークスに執務室から追い出された後、ティンベルは家中の使用人たちに、一見何てことない質問を投げかけ、その答えから有益な情報を引き出そうと画策していた。
陽が沈むまでその調査を続けていたティンベルだったが、これといって有益な情報を手に入れることは出来なかった。
すっかり夜も更けた頃、ティンベルは自室の寝具の上に横になっていた。方角的に彼女の部屋の窓からは月の光も差し込まず、夜になると暗然とした世界に包まれる。だが彼女は、この暗さが嫌いでは無かった。
だからこそティンベルは、スタンドライトも点けずに暗い天井を見つめているのだが、頭の中で色々と考え込んでしまい、一向に眠れる気配がない。
これは幼い頃からの、ティンベルの悪い癖であった。ティンベルは常に何かを考えており、それは眠りにつく直前も同じこと。ベッドに入っても中々思考から解放されないせいで、熟睡する機会を逃すことが多いのだ。
目を閉じているだけで、完全な眠りには没入していなかったティンベルは、不意に妙な気配を感じ、身体を強張らせた。
(……だれ?誰かが近くにいる。……でもクレハ様じゃない。クレハ様なら、私に気づかれるような気配を出したりしないもの……)
奇妙な気配の正体――相手に起きていること気取られないよう、ティンベルは目を閉じたまま相手の出方を窺う。既にこの部屋にいるのか、それともすぐ近くのどこかに身を潜めているのか。それでも、侵入者がティンベルの様子を窺っていることだけは明らかで、ギョロっとした目で凝視されているような居心地の悪さに、ティンベルは冷や汗を流した。
徐々に徐々に。その嫌な圧迫が増していき、ティンベルは表情を繕うので手一杯。足音はしない……つまり、それ相応の実力者――プロが迫っているのは明らかであった。
動くべきか、クレハの助けを待つべきか。目を閉じながらティンベルが懊悩していると、それは唐突に始まった。
――カキンっ!!
「っ!」
刃と刃がぶつかる音が頭上から響き、とうとうティンベルは目を開いてしまった。刹那、視界に飛び込んできた光景によって、ティンベルは言葉を失う。
いくら暗闇の中とは言っても、長時間その空間にいれば目が慣れてくれるので、ティンベルにも何が起きているのかは理解できたのだ。
ティンベルの頭上では、侵入者の小型剣とクレハの刀が拮抗しており、彼女は思わずベッドから転げ落ちるようにして避難した。
「くっ……こんな用心棒がいるなんて聞いていないぞっ」
「臨時だからな」
想定外の事態に見舞われたことで、動揺を隠しきれない侵入者は、思わずクレハを睨みつけた。一方のクレハは至って冷静で、刀を握る右手も震えていないことから、大して力を入れていないことは明白であった。
侵入者はもう片方の手で新たな小型剣を掴むと、目にも止まらぬ速さでそれを振るう。だがそれよりも早く反応し、腕ごと力強く掴んだクレハは、ぐるっとその腕を背に回して、勢いそのままに侵入者をうつ伏せに倒した。
侵入者の口から「がっ……」という呻き声が漏れるが、クレハはお構いなしに、相手の頸動脈めがけて刀を振るおうとする。だが――。
「殺さないでくださいクレハ様っ!」
「っ……」
ティンベルの劈くような懇願で、クレハの手はピタッと止まり、届きそうだった刃も、侵入者の首ギリギリで止まっている。
だが、それを好機と捉えた侵入者は、集めていたジルで衝撃波を生み出し、それをクレハに向けて放った。
「ちっ……」
大した威力では無かったが、その衝撃波はクレハの体勢を崩す程度の役割は果たしてくれた。思わず、苛立ったクレハは舌打ちしてしまう。侵入者の男はクレハの拘束から脱すると、両手の剣にジルの炎を纏わせ、クレハに襲い掛かる。
最低限の動きでその素早い剣撃を躱したクレハは、壁まで追いつめられると、その壁を伝って部屋中を駆け回った。タタタタタッと、縦横無尽に駆けるクレハのあまりにも素早い動きに、侵入者は目を回し、攻撃を仕掛けたくても狙いを定めることができない。
侵入者はクレハの動きを予測し、小型剣をシュッと投げるが、クレハの刀によって呆気なく弾かれてしまう。その小型剣は、サクッと床に刺さった。
その隙をついてクレハは、壁を踏み台に侵入者の元へ迫るが、対する男はもう一本の小型剣をクレハに向けて投げつけた。
キンっ――。
それすらもクレハが刀で弾くと、炎を纏った小型剣は天井に刺さった。だが、侵入者の狙いはその小型剣ではなく、直後に放った暗器だった。クレハにとっては、攻撃を躱した直後という、最も気の抜けた瞬間だった為、ワンテンポ反応に遅れが生じてしまう。咄嗟に首を左側に傾け、その暗器を避けるクレハだが、刃先が右頬を掠めて行った。
そんなことなど気にも留めていないような無表情で、クレハは侵入者の元まで到達すると、右脚を相手の首に絡みつけてその態勢を崩した。
ガンっと、鈍い音が鳴ると、侵入者は顔面から倒れており、ティンベルは呆気に取られてしまう。何せ、両者が戦い始めてから一分も経っていないのだ。彼女にとっては全て一瞬の出来事のようで、何が起きたのかよく理解できていない。
操志者相手では、簡易的な縄の拘束が無意味になることが多いので、クレハは侵入者の首を脚で締め付けたまま動こうとしない。一方の侵入者は、先の衝撃で首を痛めた上、拘束が緩む気配が微塵も無いせいで、顔を真っ赤にしながらその苦しみに悶えていた。
クレハの右頬からツーっと血が浮かび上がると、ティンベルは我に返り、一瞬で顔面蒼白になった。
「申し訳ありませんっ!クレハ様っ……私が邪魔をしたばかりに怪我をっ」
「それはいい。それより、償う気があるのならそこの火を消してくれ。某には消せない」
「あっ……は、はい!」
そこの火と言ってクレハが差したのは、床と天井に刺さっている、炎を纏った小型剣で、放置したままだと火事の危険性があったのだ。
先刻、自身が侵入者を殺さないようクレハに嘆願したせいで、軽傷ではあるものの彼の身体に傷をつけてしまったので、ティンベルはその過ちを一刻も早く払拭しようと行動に移した。
(そっか……クレハ様は操志者じゃないから、火が消せないのですね……。クレハ様が操志者じゃないってこと、偶に忘れそうになります……あんなにお強いのに……)
小型剣に纏った火を消す最中、ティンベルは改めてその事実を思い知らされていた。火を消すという行為は、操志者の技術の中でもかなり易しい部類に入る。操志者が踏むべき手順は、火を元々のジルに変換することだけで、これは操志者にとって基本中の基本。出来ない人間を探す方が難しいというものだ。
ティンベルはそれぞれの炎をジルに変換すると、床に押さえ込まれている侵入者の目の前にしゃがみ込む。
「二三質問に答えていただきたいのですが」
「はぁっ?……ぐっ」
ティンベルに対し強気な姿勢で返した侵入者だったが、即座にクレハが首の拘束を強めたことで、苦悶の声を漏らしてしまう。クレハは凍てつくような眼差しで侵入者を見下ろすと、淡々と口を開いた。
「黙秘、ないし虚偽の回答をしたとこちらが判断した場合は、容赦なくお前の首の骨を折る」
「わ、分かった!答えるからっ、少し緩めてくれ……」
聞き分けの良い侵入者はティンベルの要求を呑むと、クレハに懇願した。するとクレハは、侵入者がギリギリ拘束を解けない程度まで脚の力を緩めてやる。
首を絞めつけられる感覚が弱まったおかげで、侵入者も話しやすくなり、ティンベルは改めて尋問を始めることにした。
「――では。……あなたは、私を暗殺しようとした。これは間違いありませんね?」
「あぁ。それが仕事だからな」
「では、あなたに暗殺を依頼した人物は誰ですか?」
「……分かんねぇ」
瞬間、クレハに首の拘束を強められ、男は「がっ……」と苦痛に顔を歪ませるが、ティンベルが制止したことで再び拘束が緩み、彼は九死に一生を得た。
「かはっ……はぁっ、はぁ……本当に分からねぇんだよっ。顔に布みてぇなもの巻いてたし、分厚いマントを羽織ってて体格も分かり辛かったし」
「では、お会いしたことはあるのですね……身長はどのくらいありましたか?」
「うぅん……普通だったと思うぞ。平均的な男の背にも見えたし、身長の高い女にも見えた……あぁでも、性別は男だぜ」
「男?何故そう思うのですか?」
「何故って、声が男の声だったんだよ」
「声……。声は変成器や術で変えられるので、今はまだ依頼主の性別を断定すべきではないでしょうね……」
唯一の手掛かりではあったが、それを全て信用するのは命取りになる可能性もあるので、ティンベルは慎重を期してそう呟いた。
「では、その依頼主とはどのような会話を?覚えている限りを一言一句違わずに教えてください」
「会話なんてしてねぇよ。相手は〝ティンベル・クルシュルージュを暗殺しろ〟って、ただそれだけを伝えてどっか行っちまったからよ。報酬は後払いだったから、金もまだ受け取ってねぇし」
「そうですか……では最後に、その依頼主について、何か印象に残っていること、気になる点はありませんでしか?何でも構いません。言葉運びが独特だったとか、キョロキョロ周りに気を配っていたとか」
「はぁ?んなこと言われても…………あ、そう言えば」
「何かありましたか?」
最初は困ったように言い淀んでいた侵入者だが、記憶を辿る内に気になることを思い出したようであった。犯人の手掛かりを前に、ティンベルは食い気味に尋ねてしまう。
「靴の音が五月蠅かったな。コツコツコツコツって、やたら鳴ってたんだよ。俺たちみたいな職業の人間は絶対に履かないような靴だったから、よく覚えてる」
「……そうですか。ありがとうございました。
クレハ様、この方を解放して差し上げてください」
「……逃がしていいのか?」
納得いかないのか、クレハは怪訝そうな声で尋ねた。暗殺者である彼を見逃せば、彼はまた生きる為に人を殺すだろう。被害者の全てが善人では無いだろうが、中には何の罪も無いというのに、無残にも殺されてしまう人間が少なからずいる。クレハにとって、救えるかもしれない命を見捨てることは苦渋の決断であった。
だがティンベルも、何も無罪放免で暗殺者の男を解放しようという腹積もりでは無いのだ。
「クレハ様の信念に反するというのであれば、このまま騎士団に突き出しても構いません。ですが、私の暗殺未遂でこの方が捕まれば、依頼主もその事実をいずれ知るでしょう。私はこの方より大分弱いので、私が撃退したわけでは無く、私が事前に護衛をつけていたことも、すぐに察するでしょう。そうなってしまえば、私がこの家を疑っていることもバレてしまう。それはなるべく避けたいのです。なので私が殺されていないのは、単なる暗殺失敗で収めるのが最善なのですよ」
「……分かった。それで構わん」
その説得で、ティンベルにも何か考えがあるのだろうと思い至ったクレハは、若干の不安を残しつつも、彼女の意見を尊重してやった。そして、クレハが右脚による拘束を解いてやると、侵入者の男は苦しげに首を押さえ、徐に体を起こした。
「ありがとうございます。クレハ様。
――では暗殺者さん。これからは、私の言う通りに行動する操り人形になってもらいますので、どうかそのおつもりで」
死神のように恐ろしかったクレハから解放されたのも束の間、全身が粟立つような感覚に、侵入者は目を逸らすことができない。視線の先――しゃがみ込むティンベルの、途轍もなく悪い笑みを目の当たりにした男は、本能的に嫌な予感を察知する。
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そして俺は、あまりにも非道な仕打ちの末、
神の娘ティアリーナが治める世界へと“追放転生”させられた。
記憶を失い、『ライト・ガルデス』として迎えた新しい日々。
それは、久しく感じたことのない“安心”と“愛”に満ちていた。
だが――5歳の洗礼の儀式を境に、運命は動き出す。
くどいようだが、俺の望みはスローライフ。
……のはずだったのに。
呪いのような“女難の相”が炸裂し、
気づけば婚約者たちに囲まれる毎日。
どうしてこうなった!?
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