レディバグの改変<W>

乱 江梨

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第二章 過去との対峙編

64.ササノを守る者1

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「では暗殺者さん。これから私の言う通りに行動してもらいますので、どうかそのおつもりで」
「……俺に何をさせようって言うんだ?俺は騎士団に捕まるなんて真っ平ごめんだからな!」
「言う通りにすれば、命だけは保証してやると私は申しているのです。我が儘を言われては困ります。あんまり羽音が五月蠅いと、そこのクレハ様がうっかり殺してしまうかもしれませんよ?」
「っ……」


 心底楽し気な声音で脅された暗殺者には、返す言葉も無かった。ティンベルは確かに稀有な才を持つ優れた人間ではあるが、戦闘能力においては学園内でも中の上と言ったところだ。そんな彼女が暗殺のプロ相手に、平然と脅しを持ちかけるというのは、中々奇妙な光景であった。


(この女勝手なことを……絶対に敵に回したくない人間の一人だな)


 脅しの材料として使われたクレハは不満げに顔を顰めるが、内心ではティンベルの交渉術や度胸の強さに戦々恐々としていた。


「まずあなたには、この伯爵家の衛兵たちにわざと捕まってもらいます。侵入した動機を尋ねられた場合は黙秘するか、何か適当な理由をでっちあげてください。これで依頼主は、暗殺者であるあなたが伯爵家侵入に失敗し、罪を軽くする為に暗殺のことを黙っていると解釈しますから」
「んな情けねー真似でき……」


 侵入者が渋ってみせた瞬間、キラキラキラ……という幻聴が聞こえてきそうな程の満面の笑みで、ティンベルはすぐ傍に佇むクレハを指し示した。ティンベルの両手のせいで注目されてしまったクレハは苦々しい表情になるが、彼に怯えきっている侵入者は、そんなことお構いなしに竦み上がった。


「わ、分かったよっ、やればいいんだろやれば」
「お話が早くて助かります。あ、武器の方もキチンと回収してくださいね?」


 暗殺者が要求を呑むと、ティンベルは酷く満足げな相好で話を進めていった。

 こうして、ティンベル暗殺未遂は、クレハと彼女自身の後始末のおかげで収束するのだった。

 ********

 時は少し遡り、一日とちょっと前。アデルからの命を受けたギルドニスは早速、問題の手紙を入手する為、アオノクニに拠点を構えている、悪魔教団始受会しじゅかいの第三支部に向かっていた。

 手紙がどこにあるのか分からない以上、まずは現在地から最も近い第三支部に向かうべきだと、ギルドニスは思い至ったのだ。加えて、始受会の三人の主教がアオノクニに滞在していたことを、ギルドニスはエルから聞いていたので、運がよければその三人に会えると思ったのだ。
 その三人の中に、手紙でおびき出され、ユウタロウと鉢合わせた人間がいるのなら、その人物が手紙を所持している可能性も高い。

 以上の理由から、ギルドニスは、地下にひっそりと拠点を置く第三支部を訪れたのだが――。


「――は?」
「だぁーかぁーらぁー!手紙は本部!ここには無いわよっ」


 どこか不満げな表情を向けてくるギルドニスに対して強気に返したのは、悪魔教団始受会第三支部主教――猫の亜人のニーナだ。

 突如現れたギルドニスに、第三支部の信者たちは度肝を抜かれつつも、当初は彼を追い出そうと試みていた。ギルドニスは随分と前に破門された身……要は部外者なので、彼らの判断は正しかった。だが、ギルドニスはかつて、始受会最強の名をほしいままにした男。追い出したくても追い出せる道理など無く、最終的には泣く泣く招き入れることとなったのだ。

 そんなギルドニスの対応に当たったニーナから、ユウタロウと鉢合わせたのは彼女とハッチであることを聞かされたギルドニスは、手紙がここにあるのではと淡い期待を抱いたのだが、それをあっさりと砕かれたので、ムッと顔を顰めているのだ。

 そしてギルドニスは開口一番、その不満を舌打ちに乗せた。


「……チッ、使えない」
「相変わらず失礼な男ね。破門して大正解だったわ」
「ふっ。破門されたおかげで私は、アデル様に仕えるという幸福を得られましたからね。私を始受会から追い出してくれたこと、恐悦至極に存じます」
「っ、あー言えばこー言う……やたら口調が丁寧なのが余計に癪に障るし」


 始受会にいた頃から何も変わっていないギルドニスを前に、ニーナは苛立ちを隠しきれないのか、ピクピクと目元を痙攣させている。

 このままだと主教と元主教による小競り合いが始まりそうだったが、それを阻止する人物が不意に現れた。


「あれっ、ギ、ギルドニス……さん?」
「おやササノ。お久しぶりですね」


 現れたのはササノで、どうやら彼は騒ぎを聞きつけて、この〝集いの間〟を覗きに来たようだった。ビクビクと相手の様子を窺うササノは、ササノで、ギルドニスは柔和な表情を向けた。


「な、何でここにギルドニスさんが?」
「少々探し物があったのですが、どうやらここには無かったようです。すぐにおいとましますよ」
「そう、なんですか……。探し物って?」


 ササノは他の信者と違い、ギルドニスのことを好いていたので、協力できることであれば力になりたいと思い、彼に尋ねた。
 ササノが二重人格者であることは始受会内で周知の事実となっており、人格が一変したササノを恐れている者は多い。そのせいでササノは、信者たちとの交流に悩んでいたのだが、ギルドニスだけは唯一、どちらのササノに対しても平然と接してくれていたのだ。
 ギルドニスは肝が据わっていたし、そもそもあの頃のギルドニスは悪魔と悪魔に関わること以外に興味が無かったので、ササノがどのような状態でも自然に対応できたのだろう。


「それがですね、仮面の組織から始受会宛てに送られてきたと思われる手紙が、実は勇者一族が送った物だったらしく……」
「っ!……勇者、一族…………」


 勇者一族。その名を耳にした途端、ササノの顔から表情が消える。「その手紙を探しているのですよ」というギルドニスの声も全く耳に入っておらず、茫然自失とその場に立ち尽くしていた。

 その内、力強く握り締めた拳がわなわなと震え始め、ササノは徐に俯いた。刹那、ササノから発せられるオーラの違いを感じ取ったニーナは、強烈な嫌な予感を察する。

 ササノはボサボサの髪を鬱陶しそうに片手でかき上げると、苛立ったように口を開く。


「っ、勇者一族……だと?」
(はぁ……来ちゃったわね……)


 一気に声のトーンが低くなったササノを目の当たりにし、ニーナは自身の嫌な予感が的中したことを悟り、頭を抱えてしまう。

 一方のギルドニスも、ササノの二重人格のスイッチが入ったことには気づいていたが、彼女とは対照的に泰然自若と構えていた。


「勇者一族のクソ共が、何で始受会うちに手紙なんて寄こすんだよ」
「……前々からあなたのその変わりようには内心驚いていたのですが……今になって漸く合点がいきました」


 まるで別人のようなササノをジッと見つめると、ギルドニスはどこか意味深な発言を零した。一方、ギルドニスがササノの変貌ぶりに驚いているとは到底思えなかったニーナは内心「嘘つけ」と彼にジト目を送ってしまう。

 そんな彼女の視線など気にも留めず、ギルドニスはその核心に迫った。


「もしかして、ササノのお兄さんですか?」
「っ……!」


 ギルドニスが尋ねた刹那、ササノは衝撃で目を見開いた。ササノには、ササノにだけは分かっていたのだ。ギルドニスがと呼んだのは、ササノでは無いということを。図星を突かれたようにササノが一歩後退る中、ニーナは怪訝そうに首を傾げた。


「はぁ?あんた何言って……」
「お前……一体何を知っている。誰から聞いた」

 ニーナの声を遮ると、ササノはギルドニスを鋭く睨み据えて尋ねた。

「勇者のユウタロウ氏ですよ。彼から、勇者一族の当主に殺されたセッコウという少年の話を聞きましてね」
「あぁ、アイツか……あの野郎、他人の個人情報をペラペラと……」
「えっ?ねぇちょっと、どういうことなのよ?」


 合点がいったように呟くと、ササノは記憶の中のユウタロウに向かって、忌々し気な眼差しを向けた。一方、事情を一切知らないニーナは当惑気味に尋ねるが、ササノはそれを完全に無視すると、ギルドニスを見据えて断言した。


「……お察しの通り、俺はササノの双子の兄――セッコウだ。……まぁ厳密に言うと、セッコウでも無いんだが」
「つまり……どういうことなのですか?」


 ギルドニスが神妙に尋ねる中、完全なる置いてけぼり状態に陥ってしまったニーナは、呆けた面で二人の様子を見つめることしか出来ていない。


「ササノの中にセッコウの人格が生きているとか、そんな夢物語みてぇな話じゃねぇってことだよ」


 ギルドニスでもその言葉の意味を理解しきれなかったのか、彼は不可解そうに首を傾げた。ササノ――セッコウはほんの少しだけ目線を落とすと、ポツリポツリと語り始める。


「ササノはまだ、俺の死を受け入れられてねぇんだ。だから俺に縋る。俺に頼って、自分から逃げてるんだ」
「つまり、その人格はセッコウの物ではあるものの、根本的に何かが変わっているわけでは無いと?」
「あぁ。何らかのストレスを感じた時、逃げたいと思った時。ササノは自分の意思で、俺に助けを求める……無意識の内にな。でもそれは、中身が丸ごと変わってるわけじゃなくて、ただ単に、ササノが俺を演じてるだけなんだよ。今喋っている俺も、ササノが記憶の中の俺を再現してるだけだ。ササノは人格が変わっている間の記憶もちゃんと持ってるしな。
 ……俺はササノが造り上げた幻影だから、ササノも自分の中に兄貴が生きてるとは思ってねぇはずなんだが……アイツ、現実を直視したくなくて、気づかない振りしてやがるんだよ」
「あなた自身はそれについて、どう思っているのですか?」


 舌鋒鋭く尋ねられ、セッコウは一瞬だけ沈黙した。
 ――このままでいいと思っているのか?
 ――ササノが兄に縋ったまま、現実から目を逸らしていることを黙認するのか?

 ギルドニスはセッコウに尋ねたつもりだったが、彼の眼前に佇むのは、どう繕ってもササノだ。ササノもセッコウとして答えを手繰り寄せているが、それは彼の記憶の中のセッコウを元に紡いでいるだけで、結局のところ、ササノの答え以上の何かなんて見つかるわけが無い。


「……ササノは、勇者一族のことを死ぬほど憎んでいる。まぁそれは俺も同じだが、本質的などす黒さでいりゃあ、俺の恨みなんてアイツの足下にも及ばない。だからササノは、例え自分の命を犠牲にしてでも一族を滅ぼしたいと思ってるし、勇者一族の名前を聞くだけで平静でいられなくなる。……でも、ササノが俺に助けを求めている時だけは、アイツが自分自身を守ろうとしていることを確認できるんだ。いっつも、一族を滅ぼすことしか頭にないアイツが、唯一自分を顧みる瞬間が、今なんだ。
 俺っていう存在は差し詰め、ササノが自分を守ろうとする意志ってところか。……だから、俺に助けを求めることを否定するつもりはない。
 だが……いつかササノが、自分で自分を守れるようになるのなら、それが一番いいとは思ってる。……コイツもそろそろ、兄離れを覚えねぇとな」


 セッコウは、今は眠るササノに向けて、深い深い愛を込めて言った。それは、ササノの記憶に残るセッコウが、弟に深い親愛を与えていた証でもあった。今、セッコウとして語る彼も、結局はササノでしかないのだから。
 つまり、ササノも本当は分かっているのだ。自分の弱さも、依存も、自分がどうするべきかも。無意識の内でも、ちゃんと理解している。彼自身が、見て見ぬ振りをしているだけで。

 それを曝け出せるのが、素直になれるのが――強くいられるのは、セッコウという盾に守られている時だけなのだ。

 ギルドニスが、その複雑に絡み合った糸に気づいているのかいないのか。そもそも理解しようともしていないのか。真意は本人にしか分からないが、ギルドニスは呆けている様な声で返す。


「……そうですか。まぁ、頑張ってくださいとしか言いようがありませんね」
「お前ホント変わってねぇな。デリカシーの欠片もねぇ」


 セッコウはギロリとギルドニスを睨みつけるが、その瞳には温かみがあり、彼が本気で憤っている訳ではないことは明らかであった。するとギルドニスは、さも衝撃の告白をするかのような態度で陳謝する。


「すみません。本当のことを言ってしまうと、あんまり興味ないんですよ」
「知ってる。そういう奴だからこそ、ササノはお前のこと気に入ってるんだからな」
「……ササノが私のことを?」
「あぁ。知らなかったのか?お前、他人に興味ないにも程があるだろう」


 ポカンと、かつてない程に茫然自失としてしまったギルドニスを嘲笑うように、セッコウはサラリと肯定した。そして、悪魔や愛し子以外に興味がないあまり、他人の感情に対して鈍感になっているギルドニスに、セッコウは心底呆れてしまうのだった。

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