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第二章 過去との対峙編
65.ササノを守る者2
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その後、ギルドニスは件の手紙を入手する為、ゼルド王国にその拠点を置く、始受会の本部へと早々に向かった。
一方、ギルドニスが第三支部を後にした途端、セッコウはバタッとソファに倒れ込んでしまった。そしてそれこそが、二重人格のスイッチが切り替わる合図でもあった。
倒れた数秒後、徐に目を覚ましたササノは、ムクリと身体を起こし、焦点の合わない目でキョロキョロと辺りを見回してみる。
「さ、ササノ?大丈夫?」
「……あ、ニーナさん……えっと、はい。大丈夫、です……」
ニーナが若干怯えながらササノの様子を窺うと、彼は少し俯きがちに答えた。
大丈夫と言いつつも、ササノはいつもよりも呆けているような、憂いを帯びているような。そんな雰囲気を醸し出していた。
グッと唇を噛みしめ、プルプルと震える程両手を強く握り締めるその様は、普段のササノからは想像できない程刺々しい。
(いや……全然大丈夫って顔してないけど……)
台詞と表情がちぐはぐなササノを前に、ニーナは思わず顔を引き攣らせた。そのまま「じゃ、じゃあね……」と、逃げるようにその場を後にする。
一人取り残されたササノは考え込むように俯き、一切微動だにしなかった。
(……ニーナさんたちがユウタロウくんたちと鉢合わせたって聞いた時から、薄々感じてはいたけど、当主たちはユウタロウくんを殺すつもりなのか?……セッコウ兄みたいに。
……あの人たち、本当に何も変わってないな。クズはクズのまんまってことか…………それにしても、何でユウタロウくんのことを排除しようとしているんだろう?亜人のことを知っているから?でもそれなら、今じゃなくていいはずだ。もっと前に殺しておいた方が大分楽なのに。最近になって、ユウタロウくんが一族の真実を知っていることに気づいた、とか?)
ササノは知らなかった。かつての家族――ロクヤが当主の真実を知ってしまい、命を狙われていることを。ロクヤは死んでいると見せかけ、長い間ユウタロウに匿ってもらっていることを。
それらは全て、兄を殺されたササノが、逃げるように一族の元を離れた直後の出来事だったから。
(ユウタロウくんが狙われているのなら、僕の計画に協力してもらえないだろうか。……いや、無理だな。僕はもう、あの頃のことを何一つ思い出したくない……彼らの顔を見たらきっと、セッコウ兄が殺された時の記憶が過ぎって、平静でいられなくなる。また、セッコウ兄になってしまう……この復讐は、僕自身の手でやらないと意味がないのに)
考えれば考える程、ササノの相好は険しくなるばかり。いつもこんなに思い悩んでいるわけでは無いが、今日は勇者一族の名前を耳にしてしまったせいで、箍が外れてしまったようだった。
ずっと俯き、考え込んでいたササノは気づかなかった。すぐ傍に、見知らぬ人物が佇んでいることを。
「あのぉ……大丈夫ですか?」
「っ!」
知らない男の声がササノの鼓膜を刺激し、その衝撃で彼は身体を跳ねさせた。誰もいないと思っていた空間に人がいたのだ。誰だって驚く。
だが、ササノの耳に届いたのは、血相を変えて反応する様な声ではなく、寧ろ、心がホッと落ち着くような和やかな声であった。
ササノに声をかけてきたのは、二十代前半ぐらいの青年。百八十センチ弱の背に、シュッとした身体つき。黒髪は基本的に短く切り揃えているが、首に沿うように流れている一部の髪は肩につく長さである。大きめの瞳は鮮やかな青色で、キラキラと星が瞬いているような。ササノの持っていない何かを秘めているような、そんな瞳である。
ソファからその人物を見上げたササノの第一印象は〝誰からも好かれそうな奴〟で、悪魔教団には珍しいタイプであった。だが、ササノはその人物に見覚えが無く、ほんの少しの警戒心を抱いてしまう。ここにいる時点で悪魔教団の関係者であることは間違いないのだが、このような信者をどの支部でも見たことが無かったので、彼の警戒は当然であった。
突如現れた彼は、ティーポットとティーセットの乗ったお盆を持っており、それをテーブルにそっと置いた。
「えっと……あの……あなたは?」
「あ、これは失礼いたしました。俺はパーシェ。パーシェ・ダグニエールと申します」
「パーシェ、さん?」
これまた聞き覚えの無い名前で、ササノはコテンと首を傾げてしまう。自己紹介以上の説明が必要と判断した彼――パーシェは、ササノと向かい合う形でソファに腰掛けた。
「さんだなんてやめてください。俺は第四支部の主教様にそのような呼ばれ方をされる身分ではありませんので」
「えっと、でも……」
「ではこうしましょう。俺も気兼ねなく話しますので、あなたもタメ口で話してください。……ね?ササノ」
「あ……はい……っ、じゃなくて……う、うん」
「そうそう」
パーシェは心の底から喜んでいるような、屈託のない笑みをササノに向けた。そんな純粋な好意を向けられたのは久しぶりで、ササノは照れたように当惑してしまう。火照る顔を誤魔化す為に、ササノは何か言葉を紡がなければと頭を働かせる。
「えっと……パーシェは、どこの支部の信者、なの?」
「あぁ……えーっとね、実は俺、どこの支部にも所属してないんだ」
「?」
首を傾げるササノだったが、少しだけ合点がいっていた。どこかの支部に所属している信者であれば、必ずどこかしらで顔を合わせているはずで、それならこんなにも目立つ存在をササノが覚えていないはずがないのだ。
「ほら、始受会の古株の方々がいるだろう?俺はその人たちの小間使いみたいなものだよ」
「あぁ……そういえば、いるね……」
呟くと、ササノはほんの少し空を見上げて、彼の言う小間使いのことを思い起こしてみた。
古株というのは、始受会の最高権力者である総主教に仕えている者のことだ。ササノたちのような各支部の主教は、基本的にこの古株の命で動くことが多い。総主教は謎が多く、その実体を知る者は少ない。それもあってか、ササノを始めとした各主教たちは〝古株〟を胡散臭い連中だと思っている節がある。
そんな古株たちの後ろに控え、常日頃雑用を押し付けられている若者たちのことを、ササノは朧気に思い出した。
「今ササノが思い浮かべてるモブみたいな奴らが俺ね」
「そ、そんなつもりでは……」
「あははっ。ササノは真面目だな。冗談だからそんな顔しないで?」
「う、うん……」
パーシェの冗談に対してどう返せばいいのか分からず、ササノはしどろもどろに視線を泳がせた。するとササノは、テーブルの上で存在感を放つティーポットを指差して尋ねる。
「ねぇ、それは?」
「ハーブティーだよ。ササノと飲もうと思って」
「え?」
「だってササノ、凄い顔色悪かったから。俺の気配にも気づかないぐらい考え込んでるみたいだったし。これ飲んで、落ち着いて話をしようと思ってさ」
パーシェは恐らく、ササノに声をかける以前から、遠目でササノの様子を窺っていたのだろう。そして、何か思い悩んでいる様子のササノを心配し、わざわざハーブティーを淹れてきてくれた。そんな彼の優しさを犇々と感じたササノは、嬉々とした表情を露わにする。
「あ……あり、がとう……」
「どういたしましてっ!」
ササノは早速、ティーセットに注いでもらったハーブティーを頂くことにした。ふー、ふーと、息を吹きかけると、ハーブティーの湯気が思い切りササノの顔面に当たり、丸い眼鏡が瞬く間に白く曇ってしまう。ただでさえ普段はその顔を見辛いというのに、こうなってしまうと頼みの綱が顔の下半分だけになってしまう。
「あははっ!ササノっ、眼鏡が曇っちゃってるよ?」
「ああっ、うぅ……で、でも大丈夫……僕割と、普段から前見えて……」
見えていないから大丈夫だと言いかけたササノの言葉は、パーシェによって遮られる。パーシェはテーブルに手をつき、ヒョイと身体を乗り出すと、ササノの眼鏡のブリッジを掴み、軽々と眼鏡を奪い取ってしまったのだ。
思わずササノは「わっ……」と困惑の声を漏らすが、パーシェはボサボサの前髪の奥に潜む、ササノの瞳をジッと覗き込むのに夢中である。
「え、っと……」
「ササノの目……綺麗な菫色なんだな……隠れてるの勿体ないよ」
「そ、そんなことないよ……あ、あの……眼鏡を……」
「あぁ、ごめんごめん」
ササノが困っていることを察したのか、パーシェは陳謝して眼鏡を返してやった。
眼鏡をかけたササノは、再びカップを手に取り、チビチビと少しずつハーブティーを飲み始める。それに倣うように、パーシェもハーブティーに口をつけ、集いの間に香しくほっこりとした空気が満ちる。
数口飲み、落ち着きを取り戻すと、ササノは先刻から気になっていたことを尋ねた。
「……ねぇ。なんで……僕なんかと話をしようって思ったの?」
「ササノはなんかじゃないよ。……実は俺、前々から君に興味があったんだ」
「興味?」
思わずササノは首を傾げた。
「始受会に所属している人たちって、当然だけど悪魔様を慕っている人ばかりだろ?実はここだけの話、俺……そこまで悪魔様のことを信仰していないんだ」
「そう、なの?なら何で……」
ならどうして、始受会にいるのか?そんなササノの、言葉にならなかった疑問を察すると、パーシェは口を開いた。
「もちろん悪魔様にも興味はあるんだけど、あの人たち程熱狂的では無いというか……。俺はちょっとした成り行きで始受会に入っただけだから」
「へぇ……」
「だから、勇者一族への復讐の為に始受会に入団したササノに、少しだけ親近感を抱いていたのかも」
「そうなんだ……確かに僕も、悪魔様を信仰している訳じゃないからね」
ササノはただ、勇者一族に復讐を果たすために、一族と敵対関係にある悪魔教団に身を置こうと思い立っただけだ。他の信者のように悪魔を崇拝している訳ではなく、そういった点で、二人は酷似していると言えた。
「それで?」
「えっ?」
「ササノは何を悩んでいたの?無理に話すことは無いけど、俺で力になれることがあるなら、相談に乗るよ?」
刹那、ササノは目を見開き、その瞳には一筋の光が灯る。
ササノはこれまで、兄のこと。勇者一族との確執。自らの弱さ――それらを誰かに打ち明けたことが無かった。それこそ、始受会の入団動機を尋ねられた際に、大まかな事情を答えたぐらいで、誰かに相談したことなど一度も無い。
ずっと一人で抱え、一人で自己完結し、限界が来る度に兄の幻影に縋っていた。言っても無駄だと思っていたからだ。
――こんなこと、誰かに理解されるわけも無い。
――復讐を誓っておいて、兄に縋ることしか出来ない弱者を認めてくれるわけが無い。
そう決めつけ、一歩踏み出すこともせず、ササノは逃げていたのだ。
それでもこの瞬間、ササノは痛烈に思った。
――この人になら、話してもいいかもしれないと。
理由は分からない。それでもパーシェには、有無を言わさぬ説得力のようなものがあり、自然と腕を引っ張り上げられているような、そんな浮遊感にササノは酔いしれた。
気づけば、ササノは口を開いて全てを話していた。ササノの身に何が起き、今何に思い悩み、憂いているのか。その全てを。
どうしてこんなにも流暢に、自らの生い立ちを語っているのか。ササノには分からなかった。でも不思議と嫌な気は全くせず、寧ろ、丁寧に話を聞いてもらえることが心地いいとさえ思うほど。
いとも簡単に心を掬われ、パーシェの温かさに包まれたササノは、今まで背負っていた荷物が軽くなったような感覚に驚嘆する。
「――そっか。そんなことが……」
「僕、いつも肝心な時に、セッコウ兄に頼ってばかりで……結局あの頃から何も変わってない。……アイツらを殺して、セッコウ兄の仇をとるって、決めたのに……」
両手をぎゅっと握りしめ、悔し気に呟くササノを見つめると、パーシェは徐に口を開いた。
「……でも、俺がそのお兄さんだったら、嬉しいけどな」
「え?」
「だって……命を失っても、大事な弟の役に立ててるんだろ?」
「っ!」
そんな考え方をしたことも、他人から聞かされたことも無かったササノは、思わず目を見開いた。突如、予想だにしなかった方向から、新しい風が吹いてくるような。そんな鮮烈な衝撃がササノを襲う。
「それって、ササノの想い出の中でだけは、お兄さんが生き続けているってことでもあるし。お兄さんが生きてた証を、ササノが体現しているように思えるんだけど」
「……そんなこと、考えたことも無かった…………そ、っか。……そっか……。
……ありがとう、パーシェ。……変わる為にも、少し……考え方を変えてみるよ」
少しずつ、少しずつ。自らの中に浸透させていくように、パーシェの言葉を受け止めたササノは、蕩けるような微笑みを浮かべた。
それを受けたパーシェは、鏡に反射したような笑顔を送ると「うん」と、その声音だけで激励を送るのだった。
一方、ギルドニスが第三支部を後にした途端、セッコウはバタッとソファに倒れ込んでしまった。そしてそれこそが、二重人格のスイッチが切り替わる合図でもあった。
倒れた数秒後、徐に目を覚ましたササノは、ムクリと身体を起こし、焦点の合わない目でキョロキョロと辺りを見回してみる。
「さ、ササノ?大丈夫?」
「……あ、ニーナさん……えっと、はい。大丈夫、です……」
ニーナが若干怯えながらササノの様子を窺うと、彼は少し俯きがちに答えた。
大丈夫と言いつつも、ササノはいつもよりも呆けているような、憂いを帯びているような。そんな雰囲気を醸し出していた。
グッと唇を噛みしめ、プルプルと震える程両手を強く握り締めるその様は、普段のササノからは想像できない程刺々しい。
(いや……全然大丈夫って顔してないけど……)
台詞と表情がちぐはぐなササノを前に、ニーナは思わず顔を引き攣らせた。そのまま「じゃ、じゃあね……」と、逃げるようにその場を後にする。
一人取り残されたササノは考え込むように俯き、一切微動だにしなかった。
(……ニーナさんたちがユウタロウくんたちと鉢合わせたって聞いた時から、薄々感じてはいたけど、当主たちはユウタロウくんを殺すつもりなのか?……セッコウ兄みたいに。
……あの人たち、本当に何も変わってないな。クズはクズのまんまってことか…………それにしても、何でユウタロウくんのことを排除しようとしているんだろう?亜人のことを知っているから?でもそれなら、今じゃなくていいはずだ。もっと前に殺しておいた方が大分楽なのに。最近になって、ユウタロウくんが一族の真実を知っていることに気づいた、とか?)
ササノは知らなかった。かつての家族――ロクヤが当主の真実を知ってしまい、命を狙われていることを。ロクヤは死んでいると見せかけ、長い間ユウタロウに匿ってもらっていることを。
それらは全て、兄を殺されたササノが、逃げるように一族の元を離れた直後の出来事だったから。
(ユウタロウくんが狙われているのなら、僕の計画に協力してもらえないだろうか。……いや、無理だな。僕はもう、あの頃のことを何一つ思い出したくない……彼らの顔を見たらきっと、セッコウ兄が殺された時の記憶が過ぎって、平静でいられなくなる。また、セッコウ兄になってしまう……この復讐は、僕自身の手でやらないと意味がないのに)
考えれば考える程、ササノの相好は険しくなるばかり。いつもこんなに思い悩んでいるわけでは無いが、今日は勇者一族の名前を耳にしてしまったせいで、箍が外れてしまったようだった。
ずっと俯き、考え込んでいたササノは気づかなかった。すぐ傍に、見知らぬ人物が佇んでいることを。
「あのぉ……大丈夫ですか?」
「っ!」
知らない男の声がササノの鼓膜を刺激し、その衝撃で彼は身体を跳ねさせた。誰もいないと思っていた空間に人がいたのだ。誰だって驚く。
だが、ササノの耳に届いたのは、血相を変えて反応する様な声ではなく、寧ろ、心がホッと落ち着くような和やかな声であった。
ササノに声をかけてきたのは、二十代前半ぐらいの青年。百八十センチ弱の背に、シュッとした身体つき。黒髪は基本的に短く切り揃えているが、首に沿うように流れている一部の髪は肩につく長さである。大きめの瞳は鮮やかな青色で、キラキラと星が瞬いているような。ササノの持っていない何かを秘めているような、そんな瞳である。
ソファからその人物を見上げたササノの第一印象は〝誰からも好かれそうな奴〟で、悪魔教団には珍しいタイプであった。だが、ササノはその人物に見覚えが無く、ほんの少しの警戒心を抱いてしまう。ここにいる時点で悪魔教団の関係者であることは間違いないのだが、このような信者をどの支部でも見たことが無かったので、彼の警戒は当然であった。
突如現れた彼は、ティーポットとティーセットの乗ったお盆を持っており、それをテーブルにそっと置いた。
「えっと……あの……あなたは?」
「あ、これは失礼いたしました。俺はパーシェ。パーシェ・ダグニエールと申します」
「パーシェ、さん?」
これまた聞き覚えの無い名前で、ササノはコテンと首を傾げてしまう。自己紹介以上の説明が必要と判断した彼――パーシェは、ササノと向かい合う形でソファに腰掛けた。
「さんだなんてやめてください。俺は第四支部の主教様にそのような呼ばれ方をされる身分ではありませんので」
「えっと、でも……」
「ではこうしましょう。俺も気兼ねなく話しますので、あなたもタメ口で話してください。……ね?ササノ」
「あ……はい……っ、じゃなくて……う、うん」
「そうそう」
パーシェは心の底から喜んでいるような、屈託のない笑みをササノに向けた。そんな純粋な好意を向けられたのは久しぶりで、ササノは照れたように当惑してしまう。火照る顔を誤魔化す為に、ササノは何か言葉を紡がなければと頭を働かせる。
「えっと……パーシェは、どこの支部の信者、なの?」
「あぁ……えーっとね、実は俺、どこの支部にも所属してないんだ」
「?」
首を傾げるササノだったが、少しだけ合点がいっていた。どこかの支部に所属している信者であれば、必ずどこかしらで顔を合わせているはずで、それならこんなにも目立つ存在をササノが覚えていないはずがないのだ。
「ほら、始受会の古株の方々がいるだろう?俺はその人たちの小間使いみたいなものだよ」
「あぁ……そういえば、いるね……」
呟くと、ササノはほんの少し空を見上げて、彼の言う小間使いのことを思い起こしてみた。
古株というのは、始受会の最高権力者である総主教に仕えている者のことだ。ササノたちのような各支部の主教は、基本的にこの古株の命で動くことが多い。総主教は謎が多く、その実体を知る者は少ない。それもあってか、ササノを始めとした各主教たちは〝古株〟を胡散臭い連中だと思っている節がある。
そんな古株たちの後ろに控え、常日頃雑用を押し付けられている若者たちのことを、ササノは朧気に思い出した。
「今ササノが思い浮かべてるモブみたいな奴らが俺ね」
「そ、そんなつもりでは……」
「あははっ。ササノは真面目だな。冗談だからそんな顔しないで?」
「う、うん……」
パーシェの冗談に対してどう返せばいいのか分からず、ササノはしどろもどろに視線を泳がせた。するとササノは、テーブルの上で存在感を放つティーポットを指差して尋ねる。
「ねぇ、それは?」
「ハーブティーだよ。ササノと飲もうと思って」
「え?」
「だってササノ、凄い顔色悪かったから。俺の気配にも気づかないぐらい考え込んでるみたいだったし。これ飲んで、落ち着いて話をしようと思ってさ」
パーシェは恐らく、ササノに声をかける以前から、遠目でササノの様子を窺っていたのだろう。そして、何か思い悩んでいる様子のササノを心配し、わざわざハーブティーを淹れてきてくれた。そんな彼の優しさを犇々と感じたササノは、嬉々とした表情を露わにする。
「あ……あり、がとう……」
「どういたしましてっ!」
ササノは早速、ティーセットに注いでもらったハーブティーを頂くことにした。ふー、ふーと、息を吹きかけると、ハーブティーの湯気が思い切りササノの顔面に当たり、丸い眼鏡が瞬く間に白く曇ってしまう。ただでさえ普段はその顔を見辛いというのに、こうなってしまうと頼みの綱が顔の下半分だけになってしまう。
「あははっ!ササノっ、眼鏡が曇っちゃってるよ?」
「ああっ、うぅ……で、でも大丈夫……僕割と、普段から前見えて……」
見えていないから大丈夫だと言いかけたササノの言葉は、パーシェによって遮られる。パーシェはテーブルに手をつき、ヒョイと身体を乗り出すと、ササノの眼鏡のブリッジを掴み、軽々と眼鏡を奪い取ってしまったのだ。
思わずササノは「わっ……」と困惑の声を漏らすが、パーシェはボサボサの前髪の奥に潜む、ササノの瞳をジッと覗き込むのに夢中である。
「え、っと……」
「ササノの目……綺麗な菫色なんだな……隠れてるの勿体ないよ」
「そ、そんなことないよ……あ、あの……眼鏡を……」
「あぁ、ごめんごめん」
ササノが困っていることを察したのか、パーシェは陳謝して眼鏡を返してやった。
眼鏡をかけたササノは、再びカップを手に取り、チビチビと少しずつハーブティーを飲み始める。それに倣うように、パーシェもハーブティーに口をつけ、集いの間に香しくほっこりとした空気が満ちる。
数口飲み、落ち着きを取り戻すと、ササノは先刻から気になっていたことを尋ねた。
「……ねぇ。なんで……僕なんかと話をしようって思ったの?」
「ササノはなんかじゃないよ。……実は俺、前々から君に興味があったんだ」
「興味?」
思わずササノは首を傾げた。
「始受会に所属している人たちって、当然だけど悪魔様を慕っている人ばかりだろ?実はここだけの話、俺……そこまで悪魔様のことを信仰していないんだ」
「そう、なの?なら何で……」
ならどうして、始受会にいるのか?そんなササノの、言葉にならなかった疑問を察すると、パーシェは口を開いた。
「もちろん悪魔様にも興味はあるんだけど、あの人たち程熱狂的では無いというか……。俺はちょっとした成り行きで始受会に入っただけだから」
「へぇ……」
「だから、勇者一族への復讐の為に始受会に入団したササノに、少しだけ親近感を抱いていたのかも」
「そうなんだ……確かに僕も、悪魔様を信仰している訳じゃないからね」
ササノはただ、勇者一族に復讐を果たすために、一族と敵対関係にある悪魔教団に身を置こうと思い立っただけだ。他の信者のように悪魔を崇拝している訳ではなく、そういった点で、二人は酷似していると言えた。
「それで?」
「えっ?」
「ササノは何を悩んでいたの?無理に話すことは無いけど、俺で力になれることがあるなら、相談に乗るよ?」
刹那、ササノは目を見開き、その瞳には一筋の光が灯る。
ササノはこれまで、兄のこと。勇者一族との確執。自らの弱さ――それらを誰かに打ち明けたことが無かった。それこそ、始受会の入団動機を尋ねられた際に、大まかな事情を答えたぐらいで、誰かに相談したことなど一度も無い。
ずっと一人で抱え、一人で自己完結し、限界が来る度に兄の幻影に縋っていた。言っても無駄だと思っていたからだ。
――こんなこと、誰かに理解されるわけも無い。
――復讐を誓っておいて、兄に縋ることしか出来ない弱者を認めてくれるわけが無い。
そう決めつけ、一歩踏み出すこともせず、ササノは逃げていたのだ。
それでもこの瞬間、ササノは痛烈に思った。
――この人になら、話してもいいかもしれないと。
理由は分からない。それでもパーシェには、有無を言わさぬ説得力のようなものがあり、自然と腕を引っ張り上げられているような、そんな浮遊感にササノは酔いしれた。
気づけば、ササノは口を開いて全てを話していた。ササノの身に何が起き、今何に思い悩み、憂いているのか。その全てを。
どうしてこんなにも流暢に、自らの生い立ちを語っているのか。ササノには分からなかった。でも不思議と嫌な気は全くせず、寧ろ、丁寧に話を聞いてもらえることが心地いいとさえ思うほど。
いとも簡単に心を掬われ、パーシェの温かさに包まれたササノは、今まで背負っていた荷物が軽くなったような感覚に驚嘆する。
「――そっか。そんなことが……」
「僕、いつも肝心な時に、セッコウ兄に頼ってばかりで……結局あの頃から何も変わってない。……アイツらを殺して、セッコウ兄の仇をとるって、決めたのに……」
両手をぎゅっと握りしめ、悔し気に呟くササノを見つめると、パーシェは徐に口を開いた。
「……でも、俺がそのお兄さんだったら、嬉しいけどな」
「え?」
「だって……命を失っても、大事な弟の役に立ててるんだろ?」
「っ!」
そんな考え方をしたことも、他人から聞かされたことも無かったササノは、思わず目を見開いた。突如、予想だにしなかった方向から、新しい風が吹いてくるような。そんな鮮烈な衝撃がササノを襲う。
「それって、ササノの想い出の中でだけは、お兄さんが生き続けているってことでもあるし。お兄さんが生きてた証を、ササノが体現しているように思えるんだけど」
「……そんなこと、考えたことも無かった…………そ、っか。……そっか……。
……ありがとう、パーシェ。……変わる為にも、少し……考え方を変えてみるよ」
少しずつ、少しずつ。自らの中に浸透させていくように、パーシェの言葉を受け止めたササノは、蕩けるような微笑みを浮かべた。
それを受けたパーシェは、鏡に反射したような笑顔を送ると「うん」と、その声音だけで激励を送るのだった。
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