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第二章 過去との対峙編
66.急転1
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時間とは、あっという間に過ぎるものである。ティンベルが暗殺者に襲われた日から二日経ち、これといった新情報を得られることの無いまま、アオノクニへ帰還する日がやってきてしまったのだ。
因みにあの暗殺者の男は、ティンベルの目論見通り、ただの不法侵入者として処理さえ、その後犯人――暗殺を依頼した人間が新たな刺客を送り込むことも無かった。
帰路に就く馬車に揺られる中、ティンベルは考えていた。仮面の組織に情報を渡し、ティンベルを殺すことも厭わない――その人物は一体誰なのか。一体、何の目的があってこんな真似をするのか。
(あの暗殺者の人は言っていました……依頼主の声は男だったと。でも、声は変えられるし、そもそも依頼してきた人物が真犯人という保証はない。私の暗殺を計画した人物が、暗殺者と接触する役目を第三者に依頼した可能性だって十分にあるのだから。でもその場合は、わざわざ声を変える必要は無いから、素直に男と考えるのが妥当なのでしょうけど。
もし仮に、真犯人が暗殺者と接触し、声も変えていなかったと仮定するのなら、一番怪しいのはやはりお父様でしょうね。タイミングがバッチリですし……まぁ、少し合いすぎな気もしますが)
ティンベルの父――ルークスはかつて、実の息子であるネオンを殺していた。その件でティンベルが、彼を揺さぶった直後に起きた、あの暗殺未遂事件。自らの罪を知る娘の口を封じる為に、ルークスが暗殺者を嗾けたと考えるのが自然であろう。だが、そう仮定すると些かタイミングが良すぎるのではないか?ティンベルはその点を疑問視していた。
(手掛かりが少ないですね……幸いなのは、私とアデル兄様が兄妹であることを知っている人物の中に、犯人がいることがはっきりしている点でしょうね。おかげで容疑者が絞られますから……)
ティンベルは心の内でため息をつくと、馬車の窓から流れる景色を目に焼き付け、一時の現実逃避に浸るのだった。
********
ティンベルがアオノクニに帰還してから五日後。五月中旬のことである。いつも通り学園生活を謳歌していたティンベルは昼休み、生徒会室で仕事をしていたのだが、そんな彼女の元に、思わぬ来客が訪ねてくる。
コンコン。生徒会室の扉がノックされ、ティンベルと彼女の仕事を手伝っていたナオヤは顔を見合わせる。そして、ナオヤとティンベルの護衛をしているヒメは、天井裏に潜んでいたのだが、その来客主に心当たりがあったのか、自作の天井の隠し扉からシュタっと降り立った。
因みに、皓然とディアンの二人は、学園内とその周辺を見回っている。
「どうぞ」
突如姿を現したヒメに当惑しつつも、ティンベルは扉の向こうで待つ来訪者に声をかけた。すると、生徒会室の扉が徐に開かれ、その先で佇んでいた人物に、ティンベルとナオヤは目を見開くことになる。
美しい白髪に、かつてのエルに似せた抹茶色の瞳の男子生徒――ルル・アリザカ。以前アデルが学園に潜入する際に作り上げた、この世には存在しない男が、彼女らの視界に飛び込んできたのだから。
「あ、アデル兄様っ?」
「ティンベル……元気そうで何よりなのだ。暗殺されかけたと聞いたのでな。少し心配になったのだ」
席を立ち、アデルの元へ駆け寄ったティンベルを見下ろすと、彼はホッと安堵したような柔らかい表情を零した。一方のナオヤは、仕事の手を止めてしまう程驚いており、呆けた様に目を丸くしている。
「そうですか……。それにしてもアデル兄様、どうしてまたそのお姿に?あぁ、いえ。ここに来る為だというのは分かっているのですが……その」
「学園側には、ルル・アリザカが架空の存在であることがバレていないのでな。ルル・アリザカは現段階ではまだ、表向きにはこの学園の生徒なのだ。まぁ、毎日通学するつもりはない故、折を見て自主退学する必要はあるだろうが」
「な、なるほど」
言い淀んでいたティンベルの疑問を察してやると、アデルは丁寧に説明してやった。
本物の理事長が戻ってしばらく経つというのに、それでもまだ入学手続きの書類が偽装された物だとバレていないのか、と。ティンベルは少し、その書類を製作したルークの手腕に恐れ戦いてしまう。
「ヒメ」
「はいなの」
アデルがティンベルの後ろで跪くヒメを呼ぶと、彼女は即座に立ち上がって返事をした。
「ナオヤとティンベルの護衛、お疲れ様なのだ。……土産のオレンジジュースである」
アデルが懐から透明な水筒に注がれたオレンジジュースを取り出した刹那、ヒメは目のも止まらぬ速さで駆け出し、一瞬でアデルの目の前まで到達した。強風になびかれたような錯覚に陥り、ナオヤが目を白黒とさせる中、ヒメは目の前のオレンジジュースしか眼中にない。
ヒメは尋常じゃない程目を輝かせており、その嬉々とした相好からは、喜びと期待が満ち溢れていた。
「オレンジジュースなのっ!嬉しいのっ!マスターありがとうなのっ!」
「礼なら今度、ロクヤ殿にするといいのだ」
「ロクヤ様……なの?」
「うむ。ヒメの好物を聞いたロクヤ殿が、気を利かせて作ってくれた物が送られてきてのだ。どうやら、ユウタロウ殿たちの世話を焼かずにいると、暇で暇で仕方がないらしい」
「分かったの。今度会ったら必ずお礼を言うの…………ま、マスター……?」
唐突に、モジモジとしながらアデルを呼んだヒメ。顔を赤らめ、視点の定まらない上目遣いを向けられたアデルは思わず、キョトンと首を傾げると「ん?」と尋ね返す。
「もう……飲んでいいの?」
「ハハッ。ヒメは本当にこれが好きであるな……もちろん良いのだ」
「っ!ありがとうなのっ」
アデルからのお許しが出ると、ヒメは早速受け取ったオレンジジュースを一口飲んだ。刹那、ヒメはその目をかっぴらき、彼女がその味に衝撃を受けているのは明らかであった。
「っ……!……ロクヤは、天才なの……?」
「そんなに美味しかったのか?」
「ヒメが今まで飲んできたオレンジジュースの中でもダントツに美味しいの……こんなに濃くて、それなのに喉越しがいいなんて……信じられないの」
今この瞬間に飲み干してしまうのは勿体ないと感じたのか、ヒメは一旦水筒のふたを閉めると、崇め奉るようにそれを両手で掲げた。
ヒメは盲目とした眼差しをオレンジジュースに向けると、完全に自らの世界に没入しており、触れてはいけないオーラを放出していた。
しばらくそっとしておこう。そう思ったアデルは、ティンベルを訪ねた本題について切り出す。
「――今日は、ティンベルに渡したい物があって来たのだ」
「渡したい物……っ!もしかして、例の手紙を入手できたのですか?」
「流石はティンベル。察しがよいのだ」
ティンベルの勘の良さに感心しつつ、アデルは問題の手紙が封入されている封筒を取り出した。ゼルド王国に拠点を構える、悪魔教団〝始受会〟の本部まで出向いたギルドニスは、何とか手紙の入手に成功し、それをアデルに手渡していたのだ。
ティンベルは急いてしまう気を抑えつつ、絹の手袋をはめて、その封筒を受け取った。大きめの封筒の中には、始受会に送られてきた状態の、細長い封筒が入っている。ティンベルはその封筒から手紙を取り出すと、何か手掛かりが無いものかと探ってみた。
〝アオノクニ、エンジ通り3-8-24 深夜0時〟
手紙に書かれていたのはこれだけ。それは、ユウタロウと始受会の人間が鉢合わせた付近の住所と、鉢合わせた時間帯だった。封筒の差出人の欄には、仮面の組織を彷彿とさせる仮面の絵が描かれていた。当時、ユウタロウと同じように通り魔事件を調べていた始受会は、仮面の組織の手掛かりを掴めればと思い、書かれていた住所まで赴き、そこでユウタロウと鉢合わせたのだ。
それこそが、真の差出人――勇者一族の目的とも知らずに。
「どうであるか?」
「……そうですね。……筆跡に特徴があれば、そこからこの文を書いた人物を割り出せると思ったのですが、キチンと対策されていますね。文字が角ばっているので、筆跡を頼りに犯人を割り出すのは難しいかと。……このインクと、紙と封筒が売られている店を洗い出したとしても、犯人特定には至れないと思います。見たところ、どこにでも売っていそうな物ですから」
「そうか……」
ティンベルは俯きがちに、意気消沈とした声で語った。すると、アデルはどこかさっぱりとした表情で口を開く。
「ではやはり……彼奴を呼んだ方が良いかもしれぬな」
「えっと……彼奴、とは?」
アデルの言う〝彼奴〟なる人物に心当たりがなく、ティンベルは当惑気味に首を傾げた。すると、アデルは悠然と微笑み、その人物について語る。
「レディバグの序列七位である。……その者であれば、この手紙から手掛かりを見つけてくれるかもしれぬのだ」
「序列七位……」
レディバグの序列七位と言えば、序列六位で悪魔のコノハと、序列八位のナツメ、ルークに挟まれる順位。わざわざ説明されずとも、それ相応の強者であることは間違いなかった。
会ったことも、レディバグ構成員からその噂を聞いたことも無い、正体不明の存在を前に、ティンベルは固唾を飲むのだった。
********
昼休みが終わりに近づき、そろそろ教室に戻ろうかと、ティンベルが時計に目をやっていた頃。アデルの立ち去った後の生徒会室に、新たな来訪者が訪ねてきた。
ドンドンッ!と、先刻とは比べ物にならない程激しいノック音に、ティンベルとナオヤは当惑した表情を見合わせた。天井裏に潜んでいるヒメも、警戒心を高めて様子を窺っている。
「……どうぞ」
緊張感の抜けない声でティンベルが発した途端、勢いよく扉が開かれ、ナオヤはビクッと肩を震わせた。扉の向こう側にいたのは、生徒会の顧問を務めている教師で、見知った顔を前に、ティンベルはほんの少しだけ安堵した。
だが、その男性教師は血相を変えており、ただ事では無いことだけは明らかであった。
「クルシュルージュくんっ!君っ、こんな所にいて大丈夫なのかっ?」
「え……どういうことでしょうか?」
何故顧問がそんなことを尋ねてくるのか不可解で、ティンベルは怪訝そうに首を傾げてしまう。
「ご実家が大変だろうっ?こんな所で油を売っていていいのか?」
「……え?」
顧問が何を言っているのか本気で理解できず、ティンベルは微かに震える口から呆けた声を漏らした。そんな彼女の様子から、ティンベルが事情を何一つ知らないことを察すると、顧問は驚きで目を見開く。
「まさかっ、あの記事を読んでいないのか?」
「記事?」
「この記事だよっ」
そう言って顧問が差し出してきたのは、新聞の一面と思われる記事。顧問からそれを受け取ると、ティンベルは動揺する胸を抑えて、冷静にその記事を読み始めた。
「……ゼルド王国の伯爵家の一つ、クルシュルージュ家は、以前捨て子の悪魔の愛し子を引き取り、使用人として保護している旨を国に報告していたが、実はその悪魔の愛し子が、クルシュルージュ家の長男であることが分かった……」
「「っ!」」
困惑に震える声で紡がれたその内容に、ナオヤとヒメは強い衝撃を受けた。一方、ティンベルは突然すぎるこの出来事を前に、どう感情を表せばいいのかも分からず、頭が真っ白になってしまっている。表情に大きな変化は無いが、目は泳ぎ、口からは「なんで……」という、小さな疑問の声が掻き消えそうに漏れ出ていた。
困惑から生じる不安を拭おうと、ティンベルは更に記事を読み進めていく。
「……クルシュルージュ伯爵家の当主、ルークス・クルシュルージュは、悪魔の愛し子の出生を秘匿し、然るべき対処をすることもなく、その力を伯爵家の繁栄の為に利用しようとするなど、その罪は重い。そして、悪魔の愛し子を生み出してしまったクルシュルージュ家への批難は免れないだろう……」
読み終えると、ティンベルは力が抜けてしまったのか、記事を持ち上げていた腕をダランと落とした。
その記事には、今までティンベルが頭の中で組み立てていた物を、いとも簡単に崩壊してしまう程の威力があった。ティンベルの認識を一瞬で全否定してくるような、そんな強い衝撃である。
思わずティンベルは口元に手を当てると、そのまま動けなくなってしまった。
「この記事の内容は事実なのか?クルシュルージュ君っ。今すぐにでも実家に帰って状況を把握した方が……」
「………………いえ。その必要はありません。
……あの家がどうなろうと、私の知ったことではありませんし」
「えっ?」
想定外の返答に、顧問は思わず呆けた声を漏らしてしまった。
だが正直なところ、ティンベルにとってクルシュルージュ家のことなど、心底どうでもよかった。この突発的台風のような記事をきっかけにあの家が没落しようと、社会的に抹殺されようと、ティンベルにとってそれは大した痛手では無いから。
ティンベルが当惑し、狼狽えていたのは、クルシュルージュ家を危惧してのことでは無い。仮面の組織にアデルの情報を渡し、ティンベルを殺そうとした人物――その容疑者として最も疑わしかったルークスの関与を、ここに来て完全否定せざるを得なくなったことに、ティンベルは動揺を隠しきれないのだから。
因みにあの暗殺者の男は、ティンベルの目論見通り、ただの不法侵入者として処理さえ、その後犯人――暗殺を依頼した人間が新たな刺客を送り込むことも無かった。
帰路に就く馬車に揺られる中、ティンベルは考えていた。仮面の組織に情報を渡し、ティンベルを殺すことも厭わない――その人物は一体誰なのか。一体、何の目的があってこんな真似をするのか。
(あの暗殺者の人は言っていました……依頼主の声は男だったと。でも、声は変えられるし、そもそも依頼してきた人物が真犯人という保証はない。私の暗殺を計画した人物が、暗殺者と接触する役目を第三者に依頼した可能性だって十分にあるのだから。でもその場合は、わざわざ声を変える必要は無いから、素直に男と考えるのが妥当なのでしょうけど。
もし仮に、真犯人が暗殺者と接触し、声も変えていなかったと仮定するのなら、一番怪しいのはやはりお父様でしょうね。タイミングがバッチリですし……まぁ、少し合いすぎな気もしますが)
ティンベルの父――ルークスはかつて、実の息子であるネオンを殺していた。その件でティンベルが、彼を揺さぶった直後に起きた、あの暗殺未遂事件。自らの罪を知る娘の口を封じる為に、ルークスが暗殺者を嗾けたと考えるのが自然であろう。だが、そう仮定すると些かタイミングが良すぎるのではないか?ティンベルはその点を疑問視していた。
(手掛かりが少ないですね……幸いなのは、私とアデル兄様が兄妹であることを知っている人物の中に、犯人がいることがはっきりしている点でしょうね。おかげで容疑者が絞られますから……)
ティンベルは心の内でため息をつくと、馬車の窓から流れる景色を目に焼き付け、一時の現実逃避に浸るのだった。
********
ティンベルがアオノクニに帰還してから五日後。五月中旬のことである。いつも通り学園生活を謳歌していたティンベルは昼休み、生徒会室で仕事をしていたのだが、そんな彼女の元に、思わぬ来客が訪ねてくる。
コンコン。生徒会室の扉がノックされ、ティンベルと彼女の仕事を手伝っていたナオヤは顔を見合わせる。そして、ナオヤとティンベルの護衛をしているヒメは、天井裏に潜んでいたのだが、その来客主に心当たりがあったのか、自作の天井の隠し扉からシュタっと降り立った。
因みに、皓然とディアンの二人は、学園内とその周辺を見回っている。
「どうぞ」
突如姿を現したヒメに当惑しつつも、ティンベルは扉の向こうで待つ来訪者に声をかけた。すると、生徒会室の扉が徐に開かれ、その先で佇んでいた人物に、ティンベルとナオヤは目を見開くことになる。
美しい白髪に、かつてのエルに似せた抹茶色の瞳の男子生徒――ルル・アリザカ。以前アデルが学園に潜入する際に作り上げた、この世には存在しない男が、彼女らの視界に飛び込んできたのだから。
「あ、アデル兄様っ?」
「ティンベル……元気そうで何よりなのだ。暗殺されかけたと聞いたのでな。少し心配になったのだ」
席を立ち、アデルの元へ駆け寄ったティンベルを見下ろすと、彼はホッと安堵したような柔らかい表情を零した。一方のナオヤは、仕事の手を止めてしまう程驚いており、呆けた様に目を丸くしている。
「そうですか……。それにしてもアデル兄様、どうしてまたそのお姿に?あぁ、いえ。ここに来る為だというのは分かっているのですが……その」
「学園側には、ルル・アリザカが架空の存在であることがバレていないのでな。ルル・アリザカは現段階ではまだ、表向きにはこの学園の生徒なのだ。まぁ、毎日通学するつもりはない故、折を見て自主退学する必要はあるだろうが」
「な、なるほど」
言い淀んでいたティンベルの疑問を察してやると、アデルは丁寧に説明してやった。
本物の理事長が戻ってしばらく経つというのに、それでもまだ入学手続きの書類が偽装された物だとバレていないのか、と。ティンベルは少し、その書類を製作したルークの手腕に恐れ戦いてしまう。
「ヒメ」
「はいなの」
アデルがティンベルの後ろで跪くヒメを呼ぶと、彼女は即座に立ち上がって返事をした。
「ナオヤとティンベルの護衛、お疲れ様なのだ。……土産のオレンジジュースである」
アデルが懐から透明な水筒に注がれたオレンジジュースを取り出した刹那、ヒメは目のも止まらぬ速さで駆け出し、一瞬でアデルの目の前まで到達した。強風になびかれたような錯覚に陥り、ナオヤが目を白黒とさせる中、ヒメは目の前のオレンジジュースしか眼中にない。
ヒメは尋常じゃない程目を輝かせており、その嬉々とした相好からは、喜びと期待が満ち溢れていた。
「オレンジジュースなのっ!嬉しいのっ!マスターありがとうなのっ!」
「礼なら今度、ロクヤ殿にするといいのだ」
「ロクヤ様……なの?」
「うむ。ヒメの好物を聞いたロクヤ殿が、気を利かせて作ってくれた物が送られてきてのだ。どうやら、ユウタロウ殿たちの世話を焼かずにいると、暇で暇で仕方がないらしい」
「分かったの。今度会ったら必ずお礼を言うの…………ま、マスター……?」
唐突に、モジモジとしながらアデルを呼んだヒメ。顔を赤らめ、視点の定まらない上目遣いを向けられたアデルは思わず、キョトンと首を傾げると「ん?」と尋ね返す。
「もう……飲んでいいの?」
「ハハッ。ヒメは本当にこれが好きであるな……もちろん良いのだ」
「っ!ありがとうなのっ」
アデルからのお許しが出ると、ヒメは早速受け取ったオレンジジュースを一口飲んだ。刹那、ヒメはその目をかっぴらき、彼女がその味に衝撃を受けているのは明らかであった。
「っ……!……ロクヤは、天才なの……?」
「そんなに美味しかったのか?」
「ヒメが今まで飲んできたオレンジジュースの中でもダントツに美味しいの……こんなに濃くて、それなのに喉越しがいいなんて……信じられないの」
今この瞬間に飲み干してしまうのは勿体ないと感じたのか、ヒメは一旦水筒のふたを閉めると、崇め奉るようにそれを両手で掲げた。
ヒメは盲目とした眼差しをオレンジジュースに向けると、完全に自らの世界に没入しており、触れてはいけないオーラを放出していた。
しばらくそっとしておこう。そう思ったアデルは、ティンベルを訪ねた本題について切り出す。
「――今日は、ティンベルに渡したい物があって来たのだ」
「渡したい物……っ!もしかして、例の手紙を入手できたのですか?」
「流石はティンベル。察しがよいのだ」
ティンベルの勘の良さに感心しつつ、アデルは問題の手紙が封入されている封筒を取り出した。ゼルド王国に拠点を構える、悪魔教団〝始受会〟の本部まで出向いたギルドニスは、何とか手紙の入手に成功し、それをアデルに手渡していたのだ。
ティンベルは急いてしまう気を抑えつつ、絹の手袋をはめて、その封筒を受け取った。大きめの封筒の中には、始受会に送られてきた状態の、細長い封筒が入っている。ティンベルはその封筒から手紙を取り出すと、何か手掛かりが無いものかと探ってみた。
〝アオノクニ、エンジ通り3-8-24 深夜0時〟
手紙に書かれていたのはこれだけ。それは、ユウタロウと始受会の人間が鉢合わせた付近の住所と、鉢合わせた時間帯だった。封筒の差出人の欄には、仮面の組織を彷彿とさせる仮面の絵が描かれていた。当時、ユウタロウと同じように通り魔事件を調べていた始受会は、仮面の組織の手掛かりを掴めればと思い、書かれていた住所まで赴き、そこでユウタロウと鉢合わせたのだ。
それこそが、真の差出人――勇者一族の目的とも知らずに。
「どうであるか?」
「……そうですね。……筆跡に特徴があれば、そこからこの文を書いた人物を割り出せると思ったのですが、キチンと対策されていますね。文字が角ばっているので、筆跡を頼りに犯人を割り出すのは難しいかと。……このインクと、紙と封筒が売られている店を洗い出したとしても、犯人特定には至れないと思います。見たところ、どこにでも売っていそうな物ですから」
「そうか……」
ティンベルは俯きがちに、意気消沈とした声で語った。すると、アデルはどこかさっぱりとした表情で口を開く。
「ではやはり……彼奴を呼んだ方が良いかもしれぬな」
「えっと……彼奴、とは?」
アデルの言う〝彼奴〟なる人物に心当たりがなく、ティンベルは当惑気味に首を傾げた。すると、アデルは悠然と微笑み、その人物について語る。
「レディバグの序列七位である。……その者であれば、この手紙から手掛かりを見つけてくれるかもしれぬのだ」
「序列七位……」
レディバグの序列七位と言えば、序列六位で悪魔のコノハと、序列八位のナツメ、ルークに挟まれる順位。わざわざ説明されずとも、それ相応の強者であることは間違いなかった。
会ったことも、レディバグ構成員からその噂を聞いたことも無い、正体不明の存在を前に、ティンベルは固唾を飲むのだった。
********
昼休みが終わりに近づき、そろそろ教室に戻ろうかと、ティンベルが時計に目をやっていた頃。アデルの立ち去った後の生徒会室に、新たな来訪者が訪ねてきた。
ドンドンッ!と、先刻とは比べ物にならない程激しいノック音に、ティンベルとナオヤは当惑した表情を見合わせた。天井裏に潜んでいるヒメも、警戒心を高めて様子を窺っている。
「……どうぞ」
緊張感の抜けない声でティンベルが発した途端、勢いよく扉が開かれ、ナオヤはビクッと肩を震わせた。扉の向こう側にいたのは、生徒会の顧問を務めている教師で、見知った顔を前に、ティンベルはほんの少しだけ安堵した。
だが、その男性教師は血相を変えており、ただ事では無いことだけは明らかであった。
「クルシュルージュくんっ!君っ、こんな所にいて大丈夫なのかっ?」
「え……どういうことでしょうか?」
何故顧問がそんなことを尋ねてくるのか不可解で、ティンベルは怪訝そうに首を傾げてしまう。
「ご実家が大変だろうっ?こんな所で油を売っていていいのか?」
「……え?」
顧問が何を言っているのか本気で理解できず、ティンベルは微かに震える口から呆けた声を漏らした。そんな彼女の様子から、ティンベルが事情を何一つ知らないことを察すると、顧問は驚きで目を見開く。
「まさかっ、あの記事を読んでいないのか?」
「記事?」
「この記事だよっ」
そう言って顧問が差し出してきたのは、新聞の一面と思われる記事。顧問からそれを受け取ると、ティンベルは動揺する胸を抑えて、冷静にその記事を読み始めた。
「……ゼルド王国の伯爵家の一つ、クルシュルージュ家は、以前捨て子の悪魔の愛し子を引き取り、使用人として保護している旨を国に報告していたが、実はその悪魔の愛し子が、クルシュルージュ家の長男であることが分かった……」
「「っ!」」
困惑に震える声で紡がれたその内容に、ナオヤとヒメは強い衝撃を受けた。一方、ティンベルは突然すぎるこの出来事を前に、どう感情を表せばいいのかも分からず、頭が真っ白になってしまっている。表情に大きな変化は無いが、目は泳ぎ、口からは「なんで……」という、小さな疑問の声が掻き消えそうに漏れ出ていた。
困惑から生じる不安を拭おうと、ティンベルは更に記事を読み進めていく。
「……クルシュルージュ伯爵家の当主、ルークス・クルシュルージュは、悪魔の愛し子の出生を秘匿し、然るべき対処をすることもなく、その力を伯爵家の繁栄の為に利用しようとするなど、その罪は重い。そして、悪魔の愛し子を生み出してしまったクルシュルージュ家への批難は免れないだろう……」
読み終えると、ティンベルは力が抜けてしまったのか、記事を持ち上げていた腕をダランと落とした。
その記事には、今までティンベルが頭の中で組み立てていた物を、いとも簡単に崩壊してしまう程の威力があった。ティンベルの認識を一瞬で全否定してくるような、そんな強い衝撃である。
思わずティンベルは口元に手を当てると、そのまま動けなくなってしまった。
「この記事の内容は事実なのか?クルシュルージュ君っ。今すぐにでも実家に帰って状況を把握した方が……」
「………………いえ。その必要はありません。
……あの家がどうなろうと、私の知ったことではありませんし」
「えっ?」
想定外の返答に、顧問は思わず呆けた声を漏らしてしまった。
だが正直なところ、ティンベルにとってクルシュルージュ家のことなど、心底どうでもよかった。この突発的台風のような記事をきっかけにあの家が没落しようと、社会的に抹殺されようと、ティンベルにとってそれは大した痛手では無いから。
ティンベルが当惑し、狼狽えていたのは、クルシュルージュ家を危惧してのことでは無い。仮面の組織にアデルの情報を渡し、ティンベルを殺そうとした人物――その容疑者として最も疑わしかったルークスの関与を、ここに来て完全否定せざるを得なくなったことに、ティンベルは動揺を隠しきれないのだから。
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