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第二章 過去との対峙編
100.その〝過去〟は、如何にして彼らの運命を変えたのか26
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ササノが言いつけに従って、その場から逃げ出したのを目視で確認したセッコウは、心臓を貫かれる感覚に脂汗をかきながらも、不敵に破顔して見せた。あと数えるほどの命だというのに、強気な姿勢を崩すどころか、自身に対する嘲笑を浮かべたセッコウを、ツキマは怪訝に思う。
「?……何がおかしい」
「っ……ハハッ、アンタも亜人だったとわな……。同族嫌悪拗らせすぎだろ」
「……」
セッコウが嘲笑混じりに煽ると、胸に突き刺さる刃が身じろぎした。ツキマは冷徹な無表情を貫いていたが、柄を握り締める手の震えからも、彼の怒りは十分に伝わってくる。セッコウの必死な煽りは、どうやら効きすぎてしまったようだ。
「ぐぁっ……!」
「黙れ……醜い亜人は、さっさと俺の前から消えろ」
「うっ……。くっ、ククッ……アンタの、大嫌いな……その醜い亜人には、いつでも会えるっていうのにか?」
「っ!」
苦し紛れのその皮肉は、ツキマの深淵に潜む何かを的確に刺激した。
そう――。いくら目につく亜人を全て殺しても、ツキマは一番近くに存在し続ける亜人を抹殺することは出来ないのだ。それこそ、自害して別の何かに生まれ変わることでも無ければ、ツキマが己を消すことは出来ないから。
死にかけの、こんなにも幼い少年に核心をつかれ、ツキマは呆然と佇んだ。
その反撃は、セッコウの心臓を抉る剣撃よりも、遥かに鋭い殺傷性を孕んでいた。窮鼠猫を噛むとはよく言ったものである。
ツキマは目を見開くと、セッコウの心臓から剣を引き抜いた。ツキマの頬に返り血が飛ぶと同時に、セッコウは「がぁっ!!」と苦悶の声を漏らす。ツキマはその声が枯れるよりも早く、血を目一杯吸った剣を目にも止まらぬ速さで真横に振るった。
ズパッ……ゴトッ……。
――その瞬間、セッコウという一人の少年の生は途絶えた。
一思いに首を刎ねられ、泣き別れになった胴体は重力に抗えないまま、力無く倒れていった。床に転がるセッコウの身体と頭は、本来の亜人の姿に戻っている。生命活動を停止したセッコウは、亜人の特徴を隠す術を持たないから。
「っ……はぁっ……」
構える剣を空で停止させたまま、ツキマは荒く呼吸する。セッコウを殺めた切っ先からは血が滴り落ち、ポタポタという規則的な雫の音だけが部屋に木霊した。
呆然と佇むツキマは相変わらず、ピクリとも表情筋を動かしていないが、空虚ともとれる相好からは底知れない絶望を感じられる。
思考を徹底的に避けるような現実逃避に浸っていたツキマだが、しばらくすると目を眇めながら腕を素早く振り下ろし、剣の血振りをした。
不意にツキマは、呼吸を止めたセッコウの亡骸を見下ろす。
「……本当に醜いな…………お前も、俺も……」
虚ろな表情で呟くと、ツキマは膝を曲げてセッコウの亡骸に手を伸ばした。そして、セッコウが亜人だという事実を永久的に秘匿する為、その亡骸に隠蔽の術を施すのだった。
********
セッコウが何者かに殺されたという一報は、翌日の内に屋敷中に広まった。そして同時にササノが行方知れずとなった為、ササノもセッコウを殺した犯人に連れ去られたか、もう既に殺されたのではないかという噂まで出回っていた。
彼ら双子と親しくない者にとっても衝撃的な知らせだった中、ユウタロウたちにとってその悲報は、当に青天の霹靂であった。
「「…………」」
セッコウの死を知った日の晩。ユウタロウたちは彼の部屋に集まっていた。当然、目的はセッコウの死とササノの失踪の件について話すことだが、直接的な言葉でそれを示し合わせた者はいない。示し合わせる必要も無いほどに、その残酷な真実は彼らの頭を支配していたのだ。
集まったはいいものの、彼らは深刻な表情で無言を貫いており、窒息しそうな程重苦しい空気が蔓延している。その空気に耐え切れなくなったのか、スザクは恐る恐る口を開いた。
「……あ、の……。……セッコウさんが殺されちゃったのって……セッコウさんが亜人であることと、何か関係があるんでしょうか……?」
「……そう、かもしれないな。……亜人であることが一族の誰かにバレ、殺されたと考えるのが自然だろう」
――しっかりするんだ。
そう自らに言い聞かせたハヤテは、スザクの問いかけに対して冷静な分析で返した。自らを鼓舞するように、暗示をかけるように。
そんなハヤテに続いたのは、今にも怒りで暴発しそうな表情のライトである。
「もしそれが事実なら、犯人は外部の人間の可能性が高いってじじぃ共が言い張ってたのは……」
「一族の人間の犯行から目を逸らさせる為だろうな」
ライトの代わりに、ハヤテはその推測を語った。
「一体誰がセッコウを……」
「今は犯人探しよりも、ササノの居所を探った方が建設的だろ」
「「っ!」」
苦汁を飲むような表情で吐露したライトの声を遮ったのは、これまで無言を貫いてきたユウタロウだった。その声には有無を言わさぬ圧迫感が感じられ、思わず彼らは背筋を伸ばす。
泰然自若とした態度で言い放ったユウタロウは、射抜くような眼差しで彼らを捉えており、未だかつてない程真剣な表情である。
「そうだな……ユウタロウの言う通りだ。……セッコウだって、ササノの無事を何よりも最優先するだろう」
ユウタロウの鶴の一声によって広がった場の緊張を解すように、ハヤテは続けて発言した。
『もう死んでしまったセッコウに囚われるよりも、救える見込みのあるササノについて考えよう』
二人の意見の根幹にあるのは、未来の為に今すべき最善の考えではあるが、そのようなこと、この状況では口が裂けても言えなかった。当然、皆同じことを頭には思い浮かべているのだが、今回に限り、正論が散弾銃よりも恐ろしい兵器となりうることも、同時に理解していた。
悲痛な面持ちで俯いていたロクヤは唐突に、心の奥底に眠る不安をボソッと吐露する。
「ササノくん、どこに行っちゃったんだろう?」
「どこに行ったかは見当もつかないが、考えられる可能性は三つある」
指で三を示したハヤテは、内二本を折り曲げて人差し指だけを立てた状態にした。
「一つ、セッコウを殺した際、その現場をササノに見られ、口封じのためにササノを殺した」
「「っ……」」
恐らくそれこそが、考え得る可能性の中で最悪のものなのだろう。表面上は淡々と告げられたその可能性に、彼らは思わず息を呑んだ。
セッコウだけでなく、ササノまで殺されてしまっていたら――。
内心ハヤテは、その不安と恐怖に痛い程共感していたが、それでも平静を装って話を続けた。
「二つ、その場では殺すことが出来ず、ササノをどこかに連れ去った可能性。ササノがまだ生きているのなら、事は一刻を争う。今すぐにでもササノを救い出さなければならない」
最悪の可能性では無いものの、ハヤテが呟いた刹那、その場には先刻よりも刺々しい緊張が走った。既に殺されてしまっているのなら、彼らに出来ることなど皆無だが、もしまだ生きた状態でササノの身に危険が迫っているのなら、これからの行動が彼の命運を握っていると言っても過言ではないからだ。
「三つ、犯人に気づかれること無く現場を目撃したササノは、命の危険を感じてその場から逃げ出した。……まぁ、今考え得る可能性はざっとこんな所だろうか」
「お頭、どうするんすか?もし犯人がササノをどこかに監禁でもしてるなら、一刻も早く助け出さないと不味いですけど」
「つってもなぁ……ササノが今どこにいるのか全く分からないこの状況だ。虱潰しに探したところで、その間に殺されちまうのがオチだろ」
ユウタロウは後頭部をガシガシと掻くと、困ったように眉を落としてライトの問いに答えた。自然災害のように突如起きた今回の悲劇に手掛かりなどあるわけも無く、行方知れずとなったササノを見つけ出すのは困難を極めるのだ。
「そもそも、生きているかも分からないササノを探すために屋敷を出るなんてこと、じじぃ共が許すとは思えないっすしね」
「「…………」」
付け足すようにライトが言い放つと、当に八方塞がりである現実を突きつけられ、彼らは口を噤んでしまった。
シンと静まり返った部屋の中は呼吸できない程息苦しく、ユウタロウは空気を追い求めるようにその重い口を開く。
「……取り敢えずてめぇら、今日のところは休め。今無計画に動いても埒が明かねぇからな。ササノのことは、何か策を立ててから探そう」
「……あぁ」
ユウタロウの提案に対し、ハヤテは深い感謝と苦悶の籠った声で返した。
今すぐにでもササノを探しに行きたいという揺れる思いと、今動いたところで何もできないという現実が二律背反で、彼らは〝行動しない〟という決断を下すことすら躊躇っていた。そんな中ユウタロウは、ササノの捜索を一時的に諦めるという苦渋の決断を下してくれた。
それがどれ程辛く、勇気の必要な行為であることか。それが分からない者は、この場にはいなかった。
********
その日の丑三つ時。屋敷に住まう子供たちはもちろんのこと、大人たちも寝静まるその頃合い。
ツキマは寝床に入ることすらせず、鏡に映る自分自身を見つめたまま、呆然と立ち尽くしていた。
だが、彼の頭の中は非常に冴えわたっており、様々な思考が目にも止まらぬ速さで飛び交っていた。
(ササノが姿を晦ましたということは、昨日の……いや、もう一昨日か。兄が殺される現場を目撃したのだろうな。俺としたことが、第三者の気配に気づけなかったとは……。まぁ、あの二人の気配はほぼ同じと言っても過言では無いほど似ているからな。気配を感じたところで、セッコウのものだと結論付ける可能性は高かっただろう。
それにしても、金魚のふんのようにセッコウについて回っていたササノが、死にかけの兄を置いて逃げるとは、少々意外だったな。……はっ。あの時セッコウがせせら笑っていたのはこういう訳か)
心臓を剣で貫かれながらも、ツキマに嘲笑を送ったセッコウの姿を想起すると、彼は忌々しそうに息を吐いた。
(さて……。ここまで時間が経過してしまっては、ササノを見つけ出して口封じすることは終ぞ叶わなくなってしまうだろうな。まぁ、あのササノが勇者一族の脅威となりうる可能性は零に等しいからな……無理に見つけ出す必要性は無いだろう。もし万が一、ササノが一族に仇なす存在となったのなら、その時に殺せばいいだけのことだからな)
失踪したササノの対応を己の中で結論付けると、姿見に映る自分自身を凍てつく瞳で睨み据えた。そこには、彼の信じる誇り高い勇者の血を受け継いだ人間など、微塵も映っていなかった。
セッコウと同じ、狐の亜人の先祖返りであるツキマは、今まで嫌になる程見つめてきた、人ならざる者の特徴に焦点を合わせる。
ピクリと動く獣耳。意思一つでゆらりと動く尻尾。まるで、人が当たり前に瞬きをするような感覚で動くそれらが、ツキマは気持ち悪くて仕方がなかった。
飾りでも何でもなく、その醜い存在が身体の一部として機能している事実が、ツキマはいつまで経っても受け入れられないのだ。
(……どうして、俺は亜人なんだ?……俺の崇拝する初代勇者様の中に、忌まわしい亜人がいたという汚点が、記録を秘密裏に処理するだけで永遠に葬り去ることが出来たのなら、どんなに良かったことか……。俺を始めとした先祖返りが消えない限り、この汚点はいつまでも勇者一族について回り続ける。……はっ、まるで呪いだな)
姿見に手を伸ばし、鏡に映る亜人にそっと掌で触れると、ツキマは苦渋のあまりその掌を痛いぐらい握りしめた。
ツキマは許せなかった。自分という存在が、崇拝する勇者一族の誇りと繁栄を揺るがしているという事実が。
ツキマは自らが亜人であることを知った時から、ずっとずっと考えてきた。どうすれば、一族の汚点とも呼べる初代勇者の真実を、未来永劫抹消することが出来るのか。自分以外の先祖返りであれば、セッコウのように見つけ出して殺せば済む話だが、流石のツキマも自分を殺すことは出来ない。そもそも自分の後継も見つかっていない段階で自害なんてしようものなら、その後先祖返りが生まれた際、その子供を始末することも出来ないのだ。
「そうだ……」
――ふと。ツキマはあることに気づき、憑き物の落ちたような表情で顔を上げた。
それは、一族の存続を揺るがす己の存在を抹消する以外に、亜人である事実を永遠に秘匿する為の手段である。
何故今までこの手段に気づけなかったのか不思議な程、それは単純な手であった。その可能性に辿り着いた瞬間、ツキマの視界は開け、彼は早速行動に移す。
「そうだ……こんなものがあるからいけないんだ。……こんなものさえ無ければっ……」
ツキマは懐から小型剣を取り出すと、頭に生える狐の耳にその刃を突き立てた。忌まわしくて忌まわしくて仕方の無かった、汚点を証明する部位を斬り落とすために。
――その時のツキマは、天啓のように閃いた妙案に気を取られるあまり気づけなかった。
すぐ近くで、己が成そうとしている暴挙を目撃している者がいることに。
「?……何がおかしい」
「っ……ハハッ、アンタも亜人だったとわな……。同族嫌悪拗らせすぎだろ」
「……」
セッコウが嘲笑混じりに煽ると、胸に突き刺さる刃が身じろぎした。ツキマは冷徹な無表情を貫いていたが、柄を握り締める手の震えからも、彼の怒りは十分に伝わってくる。セッコウの必死な煽りは、どうやら効きすぎてしまったようだ。
「ぐぁっ……!」
「黙れ……醜い亜人は、さっさと俺の前から消えろ」
「うっ……。くっ、ククッ……アンタの、大嫌いな……その醜い亜人には、いつでも会えるっていうのにか?」
「っ!」
苦し紛れのその皮肉は、ツキマの深淵に潜む何かを的確に刺激した。
そう――。いくら目につく亜人を全て殺しても、ツキマは一番近くに存在し続ける亜人を抹殺することは出来ないのだ。それこそ、自害して別の何かに生まれ変わることでも無ければ、ツキマが己を消すことは出来ないから。
死にかけの、こんなにも幼い少年に核心をつかれ、ツキマは呆然と佇んだ。
その反撃は、セッコウの心臓を抉る剣撃よりも、遥かに鋭い殺傷性を孕んでいた。窮鼠猫を噛むとはよく言ったものである。
ツキマは目を見開くと、セッコウの心臓から剣を引き抜いた。ツキマの頬に返り血が飛ぶと同時に、セッコウは「がぁっ!!」と苦悶の声を漏らす。ツキマはその声が枯れるよりも早く、血を目一杯吸った剣を目にも止まらぬ速さで真横に振るった。
ズパッ……ゴトッ……。
――その瞬間、セッコウという一人の少年の生は途絶えた。
一思いに首を刎ねられ、泣き別れになった胴体は重力に抗えないまま、力無く倒れていった。床に転がるセッコウの身体と頭は、本来の亜人の姿に戻っている。生命活動を停止したセッコウは、亜人の特徴を隠す術を持たないから。
「っ……はぁっ……」
構える剣を空で停止させたまま、ツキマは荒く呼吸する。セッコウを殺めた切っ先からは血が滴り落ち、ポタポタという規則的な雫の音だけが部屋に木霊した。
呆然と佇むツキマは相変わらず、ピクリとも表情筋を動かしていないが、空虚ともとれる相好からは底知れない絶望を感じられる。
思考を徹底的に避けるような現実逃避に浸っていたツキマだが、しばらくすると目を眇めながら腕を素早く振り下ろし、剣の血振りをした。
不意にツキマは、呼吸を止めたセッコウの亡骸を見下ろす。
「……本当に醜いな…………お前も、俺も……」
虚ろな表情で呟くと、ツキマは膝を曲げてセッコウの亡骸に手を伸ばした。そして、セッコウが亜人だという事実を永久的に秘匿する為、その亡骸に隠蔽の術を施すのだった。
********
セッコウが何者かに殺されたという一報は、翌日の内に屋敷中に広まった。そして同時にササノが行方知れずとなった為、ササノもセッコウを殺した犯人に連れ去られたか、もう既に殺されたのではないかという噂まで出回っていた。
彼ら双子と親しくない者にとっても衝撃的な知らせだった中、ユウタロウたちにとってその悲報は、当に青天の霹靂であった。
「「…………」」
セッコウの死を知った日の晩。ユウタロウたちは彼の部屋に集まっていた。当然、目的はセッコウの死とササノの失踪の件について話すことだが、直接的な言葉でそれを示し合わせた者はいない。示し合わせる必要も無いほどに、その残酷な真実は彼らの頭を支配していたのだ。
集まったはいいものの、彼らは深刻な表情で無言を貫いており、窒息しそうな程重苦しい空気が蔓延している。その空気に耐え切れなくなったのか、スザクは恐る恐る口を開いた。
「……あ、の……。……セッコウさんが殺されちゃったのって……セッコウさんが亜人であることと、何か関係があるんでしょうか……?」
「……そう、かもしれないな。……亜人であることが一族の誰かにバレ、殺されたと考えるのが自然だろう」
――しっかりするんだ。
そう自らに言い聞かせたハヤテは、スザクの問いかけに対して冷静な分析で返した。自らを鼓舞するように、暗示をかけるように。
そんなハヤテに続いたのは、今にも怒りで暴発しそうな表情のライトである。
「もしそれが事実なら、犯人は外部の人間の可能性が高いってじじぃ共が言い張ってたのは……」
「一族の人間の犯行から目を逸らさせる為だろうな」
ライトの代わりに、ハヤテはその推測を語った。
「一体誰がセッコウを……」
「今は犯人探しよりも、ササノの居所を探った方が建設的だろ」
「「っ!」」
苦汁を飲むような表情で吐露したライトの声を遮ったのは、これまで無言を貫いてきたユウタロウだった。その声には有無を言わさぬ圧迫感が感じられ、思わず彼らは背筋を伸ばす。
泰然自若とした態度で言い放ったユウタロウは、射抜くような眼差しで彼らを捉えており、未だかつてない程真剣な表情である。
「そうだな……ユウタロウの言う通りだ。……セッコウだって、ササノの無事を何よりも最優先するだろう」
ユウタロウの鶴の一声によって広がった場の緊張を解すように、ハヤテは続けて発言した。
『もう死んでしまったセッコウに囚われるよりも、救える見込みのあるササノについて考えよう』
二人の意見の根幹にあるのは、未来の為に今すべき最善の考えではあるが、そのようなこと、この状況では口が裂けても言えなかった。当然、皆同じことを頭には思い浮かべているのだが、今回に限り、正論が散弾銃よりも恐ろしい兵器となりうることも、同時に理解していた。
悲痛な面持ちで俯いていたロクヤは唐突に、心の奥底に眠る不安をボソッと吐露する。
「ササノくん、どこに行っちゃったんだろう?」
「どこに行ったかは見当もつかないが、考えられる可能性は三つある」
指で三を示したハヤテは、内二本を折り曲げて人差し指だけを立てた状態にした。
「一つ、セッコウを殺した際、その現場をササノに見られ、口封じのためにササノを殺した」
「「っ……」」
恐らくそれこそが、考え得る可能性の中で最悪のものなのだろう。表面上は淡々と告げられたその可能性に、彼らは思わず息を呑んだ。
セッコウだけでなく、ササノまで殺されてしまっていたら――。
内心ハヤテは、その不安と恐怖に痛い程共感していたが、それでも平静を装って話を続けた。
「二つ、その場では殺すことが出来ず、ササノをどこかに連れ去った可能性。ササノがまだ生きているのなら、事は一刻を争う。今すぐにでもササノを救い出さなければならない」
最悪の可能性では無いものの、ハヤテが呟いた刹那、その場には先刻よりも刺々しい緊張が走った。既に殺されてしまっているのなら、彼らに出来ることなど皆無だが、もしまだ生きた状態でササノの身に危険が迫っているのなら、これからの行動が彼の命運を握っていると言っても過言ではないからだ。
「三つ、犯人に気づかれること無く現場を目撃したササノは、命の危険を感じてその場から逃げ出した。……まぁ、今考え得る可能性はざっとこんな所だろうか」
「お頭、どうするんすか?もし犯人がササノをどこかに監禁でもしてるなら、一刻も早く助け出さないと不味いですけど」
「つってもなぁ……ササノが今どこにいるのか全く分からないこの状況だ。虱潰しに探したところで、その間に殺されちまうのがオチだろ」
ユウタロウは後頭部をガシガシと掻くと、困ったように眉を落としてライトの問いに答えた。自然災害のように突如起きた今回の悲劇に手掛かりなどあるわけも無く、行方知れずとなったササノを見つけ出すのは困難を極めるのだ。
「そもそも、生きているかも分からないササノを探すために屋敷を出るなんてこと、じじぃ共が許すとは思えないっすしね」
「「…………」」
付け足すようにライトが言い放つと、当に八方塞がりである現実を突きつけられ、彼らは口を噤んでしまった。
シンと静まり返った部屋の中は呼吸できない程息苦しく、ユウタロウは空気を追い求めるようにその重い口を開く。
「……取り敢えずてめぇら、今日のところは休め。今無計画に動いても埒が明かねぇからな。ササノのことは、何か策を立ててから探そう」
「……あぁ」
ユウタロウの提案に対し、ハヤテは深い感謝と苦悶の籠った声で返した。
今すぐにでもササノを探しに行きたいという揺れる思いと、今動いたところで何もできないという現実が二律背反で、彼らは〝行動しない〟という決断を下すことすら躊躇っていた。そんな中ユウタロウは、ササノの捜索を一時的に諦めるという苦渋の決断を下してくれた。
それがどれ程辛く、勇気の必要な行為であることか。それが分からない者は、この場にはいなかった。
********
その日の丑三つ時。屋敷に住まう子供たちはもちろんのこと、大人たちも寝静まるその頃合い。
ツキマは寝床に入ることすらせず、鏡に映る自分自身を見つめたまま、呆然と立ち尽くしていた。
だが、彼の頭の中は非常に冴えわたっており、様々な思考が目にも止まらぬ速さで飛び交っていた。
(ササノが姿を晦ましたということは、昨日の……いや、もう一昨日か。兄が殺される現場を目撃したのだろうな。俺としたことが、第三者の気配に気づけなかったとは……。まぁ、あの二人の気配はほぼ同じと言っても過言では無いほど似ているからな。気配を感じたところで、セッコウのものだと結論付ける可能性は高かっただろう。
それにしても、金魚のふんのようにセッコウについて回っていたササノが、死にかけの兄を置いて逃げるとは、少々意外だったな。……はっ。あの時セッコウがせせら笑っていたのはこういう訳か)
心臓を剣で貫かれながらも、ツキマに嘲笑を送ったセッコウの姿を想起すると、彼は忌々しそうに息を吐いた。
(さて……。ここまで時間が経過してしまっては、ササノを見つけ出して口封じすることは終ぞ叶わなくなってしまうだろうな。まぁ、あのササノが勇者一族の脅威となりうる可能性は零に等しいからな……無理に見つけ出す必要性は無いだろう。もし万が一、ササノが一族に仇なす存在となったのなら、その時に殺せばいいだけのことだからな)
失踪したササノの対応を己の中で結論付けると、姿見に映る自分自身を凍てつく瞳で睨み据えた。そこには、彼の信じる誇り高い勇者の血を受け継いだ人間など、微塵も映っていなかった。
セッコウと同じ、狐の亜人の先祖返りであるツキマは、今まで嫌になる程見つめてきた、人ならざる者の特徴に焦点を合わせる。
ピクリと動く獣耳。意思一つでゆらりと動く尻尾。まるで、人が当たり前に瞬きをするような感覚で動くそれらが、ツキマは気持ち悪くて仕方がなかった。
飾りでも何でもなく、その醜い存在が身体の一部として機能している事実が、ツキマはいつまで経っても受け入れられないのだ。
(……どうして、俺は亜人なんだ?……俺の崇拝する初代勇者様の中に、忌まわしい亜人がいたという汚点が、記録を秘密裏に処理するだけで永遠に葬り去ることが出来たのなら、どんなに良かったことか……。俺を始めとした先祖返りが消えない限り、この汚点はいつまでも勇者一族について回り続ける。……はっ、まるで呪いだな)
姿見に手を伸ばし、鏡に映る亜人にそっと掌で触れると、ツキマは苦渋のあまりその掌を痛いぐらい握りしめた。
ツキマは許せなかった。自分という存在が、崇拝する勇者一族の誇りと繁栄を揺るがしているという事実が。
ツキマは自らが亜人であることを知った時から、ずっとずっと考えてきた。どうすれば、一族の汚点とも呼べる初代勇者の真実を、未来永劫抹消することが出来るのか。自分以外の先祖返りであれば、セッコウのように見つけ出して殺せば済む話だが、流石のツキマも自分を殺すことは出来ない。そもそも自分の後継も見つかっていない段階で自害なんてしようものなら、その後先祖返りが生まれた際、その子供を始末することも出来ないのだ。
「そうだ……」
――ふと。ツキマはあることに気づき、憑き物の落ちたような表情で顔を上げた。
それは、一族の存続を揺るがす己の存在を抹消する以外に、亜人である事実を永遠に秘匿する為の手段である。
何故今までこの手段に気づけなかったのか不思議な程、それは単純な手であった。その可能性に辿り着いた瞬間、ツキマの視界は開け、彼は早速行動に移す。
「そうだ……こんなものがあるからいけないんだ。……こんなものさえ無ければっ……」
ツキマは懐から小型剣を取り出すと、頭に生える狐の耳にその刃を突き立てた。忌まわしくて忌まわしくて仕方の無かった、汚点を証明する部位を斬り落とすために。
――その時のツキマは、天啓のように閃いた妙案に気を取られるあまり気づけなかった。
すぐ近くで、己が成そうとしている暴挙を目撃している者がいることに。
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