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第二章 過去との対峙編
101.その〝過去〟は、如何にして彼らの運命を変えたのか27
しおりを挟む――約十分前。
(……眠れない)
自室の布団の中でゆっくりと瞼を開いたロクヤは、困ったような表情で暗い天井を見つめた。どこか視点の定まらないような意識の中、徐に上半身を起こすと、ロクヤは部屋の外に視線を流す。
深夜、寝付けないあまりにロクヤが身体を起こしたのは、やはりササノの失踪が大きく関わっていた。セッコウが殺されたという事実だけでも、ロクヤは心に大きな傷を受けていたというのに、ササノまで行方知れずとなった今、心が休まるはずも無かった。
「……ちょっと、外の空気でも吸おうかな……」
このまま布団に潜って目を閉じていても、後ろ向きな考えに支配されるばかりで埒が明かないと考えたロクヤは、呟いた直後に立ち上がった。
ロクヤ以外の子供たちは当然寝静まっているので、部屋の襖を開くと暗然とした世界と冷たい空気が彼を出迎えた。
裸足のまま、ヒンヤリとした床の上をぺたぺたと歩いていくと、ロクヤは耳元に微かな違和感を覚えた。
「っ……?何の音だろう?」
耳にこびりつくような正体不明の雑音に気づいたロクヤは、不安げに首を傾げた。何の音か判別することは出来ないが、それでも聞き馴染みのない音が響いていることは確かだった。
少しずつ音のする方向を彷徨ってみると、それが人の声であることが分かった。だがその時点では、問題の声が会話によるものなのか、はたまた独り言か何かなのか判別することが出来ず、その内容を窺うことも当然できなかった。
ロクヤは声の正体を探る為、少しずつ屋敷内を散策した。そうして、音の発生源との距離を詰めていく内に、ロクヤは気づく。
(これ……うめき声?)
発生源との距離が遠すぎるせいで、声から発せられる言葉を聞き取れないのではなく、そもそも言葉を発していないことにロクヤは気づいた。
込み上げる涙を堪えているような。苦痛のあまり漏れ出る声を必死に堪えているような。そんな苦悶の声は徐々に音量を増していき、ロクヤは震える両手をギュッと組みながら歩を進めていった。
そして――。とうとう問題の呻き声の聞こえてくる部屋まで辿り着いたロクヤは、不安げな眼差しでその扉を見上げた。
(ここって確か……ご当主様の部屋、だよね?)
何故ツキマの部屋から、このような酸鼻な声が聞こえてくるのか。ロクヤは疑問に思ったが、誰かが苦しんでいるのは明白だったので、恐る恐る部屋の扉に手を伸ばした。
……伸ばしてしまった。
ガチャリ――。
ツキマの部屋の扉を開いた刹那、ロクヤの視界に衝撃的な光景が飛び込む。
「ぐっ……がぁっ……!!」
「…………」
視線の先にいたのは、ツキマの顔をした、ツキマではない誰か。
……いや違う。
ロクヤはすぐに分かった。
髪の色も、本来存在するはずのない狐の耳と尻尾も。どれをとってもツキマと結びつけるものは無いはずなのに、その顔立ちや声音で、彼がツキマであることを理解してしまう。
だが、ロクヤが受けた衝撃は、ツキマが亜人だという真実によるものでは無い。もちろんそれも含まれてはいるが、その真実が生温く感じられる程凄惨な光景を前に、ロクヤはひゅっと息を呑んだのだ。
ツキマは自らの手で、そのあるはずのない獣耳を斬り落としていた。既に左耳は斬り落とされた後で、血に塗れた残骸が畳の上に転がっていた。
これが一体どういう状況なのか、ロクヤには何一つ分からなかったが、頭の中には様々な情報が駆け巡っていた。
そして何より。ロクヤの頭のほとんどを占領していたのは、殺されたセッコウのこと。セッコウは亜人であることが露見し、一族の何者かに殺されてしまった。
そして今、勇者一族当主であるツキマが、その忌まわしい出来事のきっかけになった耳を斬り落としているのは、彼がその事実を永久的に封印しようとしているから。
そしてロクヤは、よりにもよってその場面を目撃してしまった。恐らく今この瞬間、ツキマが亜人である事実を知る人間はロクヤだけ。
この場から、一刻も早く逃げなければならない。本能的に察したロクヤは、震える脚で一歩後退った。
その瞬間、横顔を向けていたツキマの眼差しが、ギロッとロクヤを捉える。
「っ……!」
ツキマの目は、衝撃と苦痛により酷く血走っており、まるで獲物を見つけた獣のような眼差しを向けられたロクヤは、一瞬の内に竦み上がった。
――今すぐ逃げ出さなければ、殺されてしまう。
状況や理屈などお構いなしに、本能的にそう感じたロクヤは、竦み上がった勢いに任せてその場から逃げ出した。
部屋から離れる直前、視界の端に自らを追おうと立ち上がるツキマの姿が映るが、傷口から大量に出血している彼は思うように身体を動かすことが出来ず、ロクヤを捕らえることは無かった。
(どうしようっ……どうしようっ、どうしようっ……!)
口から漏れるのは「はぁっ、はぁっ」という荒い呼吸ばかりだが、絶体絶命の危機に追い詰められたロクヤは、未来に対する不安と恐怖に頭を支配されていた。
こんな風に屋敷を走り回るのは初めてで、ロクヤは経験したことの無い感覚に苦悶した。息が上がり、喉が焼けつくような感覚も。胸と脇腹が締め付けられるように痛むことも、ロクヤは知らない。知ることの出来ない環境に身を置いていたからだ。
こんな時、誰に頼ればいいのか――。
そんな疑問が頭をよぎるが、真っ先に浮かんだのは、この世で一番巻き込みたくない、大切な仲間たち。
ユウタロウたちを巻き込みたくないという思いが強いあまり、一瞬思考を停止させながらも、ロクヤは脚だけは決して止めなかった。真の意味でユウタロウたちのことを思うのなら、絶対に死ぬわけにはいかないから。
(ユウタロウくんっ……)
今にも泣きそうな気持ちをグッと堪え、ロクヤはユウタロウたちに救いを求めるのだった。
********
『助けてっ……!ユウタロウくんっ』
そんなロクヤの、叫びにも似た心の底からのSOSを受けたユウタロウは、即座に行動に移った。顔面蒼白で、息を切らしながら救いを求めるロクヤを前にして、二の足を踏むことなど出来るはずも無く、ユウタロウは瞬発的に行動に移したのだ。
ロクヤの方は酷く動揺していたが、途切れ途切れの言葉で何とかこの状況を説明し、一刻の猶予を争う事態であると伝えることは出来た。
絶体絶命のロクヤを救う為、ユウタロウが起こした行動をまとめるとこうだ。
まず、ロクヤを屋敷から逃がし、一時的に匿う為の結界を人目のつかない場所に張る。その後、ユウタロウとチサトの二人は、眠っていたハヤテたちに事情を説明し、ロクヤの待つ避難場所へと呼び寄せた。
こうして集まった彼らは、重鎮らの目を掻い潜るよう慎重に屋敷を出ると、早速結界を張った住宅地の裏路地へと向かった。
「ロクヤっ……!大丈夫かっ?」
結界を掻い潜り、項垂れるようにしゃがみ込むロクヤの姿を確認すると、ハヤテは切羽詰まった様子で尋ねた。
一人孤独な結界という檻の中、ただ時が過ぎるのを待っていたロクヤは、突如侵入してきたその呼び声に、一瞬ビクリと肩を震わせたが、声の主がハヤテであることを理解すると、不安と緊張の糸がぷつりと切れてしまったように、ポロポロと涙を零した。
「っ、は……ハヤテくんっ……」
「っ……ロクヤ……。安心しろ。俺たちが絶対、お前を守ってみせるから」
自らの胸に飛び込んできたロクヤを前にすると、ハヤテは胸をぎゅっと締め付けられ、悲痛な面持ちでロクヤを抱きとめた。
耳元でハヤテの優しい声音を受け止めたロクヤは、その優しさに甘えてしまうことが不甲斐無く、締め付けた喉をくっと鳴らす。
「ごめんなさいっ……みんなを、まきこんでっ……」
「ロクヤは何も悪くない。……当主が亜人だったということは、セッコウを殺したのも十中八九当主なのだろうな……。これは俺たち全員に関わる問題だ。遅かれ早かれ、俺たちは当主と敵対する運命だったんだ。だから、ロクヤが気負う必要は無い。今はただ、どうやって当主の追跡から逃れるかだけを考えていればいい」
「うんっ……」
心身ともに疲弊しきっているロクヤにとってその言葉は、中毒性さえ孕んだ甘い特効薬であった。ハヤテに縋りつくロクヤを横目で捉えつつ、現実的な話し合いを始める為にライトは口を開く。
「その逃れる方法を考えるのが、一番厄介な問題ではあるがな」
「あぁ。あの野郎は他のじじぃ共と違って慎重な奴だ。一度仕留めると決めたら是が非でもロクヤを探し出して息の根を止めるだろう。……当主にどれだけの探知能力があるかは分からないが、ロクヤを見つけ出すのは時間の問題……。どこか、例え見つかったとしても、絶対にロクヤに手を出せない場所でもあれば……」
「いや、そんな都合のいい場所……」
ないものねだりのような望みを吐露したユウタロウに対し、ライトは呆れた様な声音で否定しようとした。だが刹那、雷に打たれたような気付きでハッと目を見開いたハヤテは、その表情のままボソッと呟く。
「……ある」
「「っ?」」
「っ!そうか……」
「どういうことだ?」
ハヤテの呟きにほぼ全員が首を傾げる中、ライト一人だけが合点が行ったように顔を上げていた。一方、未だ二人の思考を読み切れていないユウタロウは、真剣な相好で尋ねた。
「勇者だよ」
「?」
凛々しい声音で言い放つハヤテだったが、簡潔すぎるその答えではまだ、ユウタロウたちは結論に辿り着けていない。
「歴代の勇者は、勇者選定戦で勝利を収めた際、その褒美として初代勇者の住まいを与えられるだろう?その家を使うも使わないも本人の自由で、勇者が認めた人間以外は例え当主であっても出入りできない家が」
「っ!今の、ライトの親父の家か」
「えぇ。ま、うちのクソ親父は物置にしてますけど」
ハヤテの説明で漸く理解したユウタロウに対して、ライトは軽い肯定を返した。
勇者選定戦で勝利し、晴れて勇者の称号を手に入れた者は、その褒美として初代勇者が住んでいたとされる頑丈な住居を与えられる。今は現勇者であるライトの父親のものであるが、彼が引退し、新たな勇者が決まった暁には、その人物に問題の家が譲渡されるのだ。
「この中の誰かが次代の勇者になり、その家を手に入れることが出来れば……」
「ロクヤを守る隠れ蓑を手に入れることが出来る」
「「っ!」」
ユウタロウがハヤテの言葉を補うように言うと、全員が一縷の望みを見出した。
「でも、次の勇者選定戦まではどうしたって期間が空いちまう。今の作戦が上手くいったとして、それまでの間どうやってロクヤを匿うか……」
「あの……一つ提案しても良いだろうか?主君」
新たな問題発生に頭を抱えるユウタロウに救いの手を差し伸べたのは、おずおずと挙手したクレハだ。まだ知り合って間もない彼が、この危機的状況で意見をするのは流石に予想外だったが、ユウタロウはそんな心情を億尾にも出さずに尋ねる。
「何だ?クレハ」
「どう足掻いても当主に見つかってしまうのなら、当主がロクヤ殿を探そうとしないように仕組めばよいのではないか?」
「そうか……!」
クレハの考えを逸早く理解したハヤテは、暗闇の中から光を見出したように目を見開いた。そして、未だ当惑の表情を浮かべる彼らにも分かるよう、矢継ぎ早に口を開いた。
「当主がロクヤを見つけ出そうとするのは当然、口封じにロクヤを殺すためだ。その殺すという目的を果たす必要が無くなれば、当主は自然とロクヤの捜索をやめるはず……」
「つまり……?」
確信を求めるようにユウタロウが尋ねると、ハヤテは真っ直ぐ鋭い眼差しでその核心を口にした。
「ロクヤの死を、偽装するんだよ――」
――これこそが、ロクヤの長い長い隠遁生活の第一歩であった。
彼らは〝ロクヤは逃亡の末、崖から転落して死亡した〟という筋書きを作り、崖の下に偽の死体を用意することで、ツキマの魔の手からロクヤを一時的に逃がした。
それから後のことは知っての通り。ユウタロウはロクヤの為、毛ほどの興味も無かった勇者になり、あの家を手に入れ、そこにロクヤを住まわせることで、彼に一時の安住の地を与えたのだ。
だが――。
長い時間を経て、その安住の地――ロクヤが怯えることなく日々を過ごしていける当たり前は、一瞬にして崩れ去った。
ロクヤの死が偽りであると分かった以上、ツキマが彼を見逃す謂れはない。この十一年間、ツキマの魔の手から逃げ続けてきたつけが回ってきたようだ。
ロクヤを待ち受けるのは明るい未来か、それとも底の見えない真っ暗闇の死か。明暗を分けるツキマとユウタロウたちの戦いが、不気味な音を引き連れて始まろうとしていた。
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