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第二章 過去との対峙編
113.彼が陽の光を浴びる時-戦闘編-7
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(結界が破られた……?まさか……。あれは厳密にいうと結界ではない。
あれは亜人にしか操ることのできないよう構築されたもの……亜人に対しては結界としての効力が発揮されない代わりに、亜人以外の人間の介入を完全に断つことができる。力業であの結界を破ることは不可能なはずだ……。なら侵入者の中に亜人がいたということか?いや、亜人が相手でも同じこと。亜人があれを消滅させようとするのなら、壊すのではなく、俺から操作権を奪って結界の展開を停止させるしか術はない。確かにあの結界は亜人であれば操れるが、亜人であれば力業で壊すことができるというわけでもない……結界が壊れた瞬間、結界の操作権を奪われた感覚はなかった。
つまり、あれは間違いなく破壊されたのだ。破壊できるはずのない代物を、いとも容易く破壊した……。一体何者が、どうやって……?)
ツキマがこれまで積み重ねてきた経験、知識では、到底その答えにたどり着くことなどできない。
なにせ彼の結界を破壊した力は、この世界のものではないからだ。
何故彼女――メイリーン・ランゼルフがあの結界を破壊できたのかといえば、彼女が結界を壊そうとしたから。その答えに尽きてしまう。
そんな不条理で暴力的なまでの圧倒的な力こそ、ツキマを阻んだものの正体。流石のツキマも、そんな超常的なものが相手とは思い至らなかったらしい。
「はぁ……面倒なことになったな」
恐らく今この屋敷に潜入している敵の中で最も脅威となりうる存在を把握してしまった以上、それを無視することなどツキマには到底できない。
ツキマは辟易とした様子でため息をつくと、温度を失った瞳でユウタロウを一瞥した。
「仕方ない……少々不本意ではあるが……」
「?」
意味深な言動にユウタロウが首を傾げると、ツキマの身体に異変が起きた。身体全体から淡い光が発光したかと思うと、ツキマの顔から彼の取り込んだ災害級野獣の頭部が表出し、ユウタロウは衝撃で目を見開く。
一方のツキマは何食わぬ顔で災害級野獣の頭を掴むと、自らの身体から引き剝がすように、体内に残る災害級野獣の身体を取り出した。
「っ!」
「お前はこれと遊んでいろ。悪いが、お前如きにかまっている場合では無くなったのでな」
「おいっ!ぐっ……」
ツキマは災害級野獣をユウタロウに向けて放つと、完全に彼に対する興味を無くしたように背を向けた。
先の攻撃で重傷を負っている上、ハヤテが死んでしまったかもしれないと思い込んでいるユウタロウは、肉体的にも精神的にもボロボロな状態だ。恐らくツキマは、今のユウタロウであれば災害級野獣でも足止めできると判断したのだろう。
災害級野獣が趾を高い位置から素早く振り下ろすと、ユウタロウは咄嗟に剣を構えてその攻撃を受け止めた。
災害級野獣は次々と趾を素早く振り下ろし、ユウタロウに反撃する隙を与えない。何とか攻撃をかわしながらも、ユウタロウがその顔に苦悶の色を浮かべた、その時――。
「よぉ……久しぶりだな、当主」
「「っ!?」」
聞いたことのない声のはずなのに、その掠れたような重厚感のある声を耳が捉えた瞬間、一歩も動けなくなってしまう程の衝撃を二人は受けた。
その口調。その呼び方。纏う雰囲気――。
その全てが、記憶の中の彼を物語っていたが、そんなはずは無いという思い込みが、その存在を全力で否定する。
一瞬で、その場の空気が一変した。
(まさかっ……いや、そんなはずはない。あの亜人は俺が確実に殺したはず……。
……っ!まさかっ……!)
足を止め、突然の乱入者を見上げたツキマは、見覚えのある容姿をしたその人物を前に目を見開いた。
爽やかな紫色の瞳に、特徴的な髪型をしたクリーム色の髪。その美しい瞳は野暮ったい眼鏡のせいであまり目立たないが、それでも彼が何者かを判断するには十分すぎた。
その姿は、かつてツキマが殺し損ねたササノ以外の何者でもなかった。
だが、先の口調や纏う雰囲気は彼の双子の兄――セッコウその者で、ツキマたちが一瞬空目してしまうほど。
「……ササノ……?」
冷たく、空虚な瞳だった。
それは、おおよそ実の兄を殺した不倶戴天の仇に向ける眼差しでも、久方ぶりに再会したかつての仲間に向ける眼差しでもない。
淡々とした様子で塀の上から彼らを見下ろすササノの様子に、ユウタロウは強い違和感を覚えた。
彼は本当にササノなのだろうか?
そんな疑問がユウタロウの頭を埋め尽くす中、ツキマは想定外の侵入者を鋭く睨みつけるのだった。
********
一方その頃。クルシュルージュ伯爵家でも想定外の来訪者によって、場に衝撃と困惑の入り混じった空気が流れていた。
今回の事件の首謀者――ネミウス・クルシュルージュ。
そんな彼女を利用し、己の計画を遂行しようと企てた仮面の組織の一員――メギド・サランドラ。アイシャ・サランドラ。
組織の計画にとって邪魔な存在となったネミウスを、仮面の組織が抹殺しようとしたところ、突如現れ彼女の命を救ったレディバグの長――アデル・クルシュルージュ。
アデルの登場に両者が思わず息をのむ中、沈黙を破ったのはアデルだった。
「まったく……ティンベルの先見眼には驚かされるのだ」
忌まわしい思い出ばかりのこの伯爵家にアデルが訪れたのは、ティンベルがネミウスの身を案じたことが原因である。
アデルが幼少の頃、伯爵によって虐待を受けていた旨を告発する記事の存在を知っただけで、告発者と思われるネミウスの危機をティンベルは察知した為、その推察力にアデルは感嘆したのだ。
一方、仮面の組織が最も警戒していると言って過言ではないアデルの登場に、メギドたちは少なからず狼狽えていた。
「これはこれは……レディバグの長がこんな矮小な女一人のために動くなんて、さすがのアイシャちゃんも想定外だったかな」
「流石に我のことは把握しているのだな」
「そりゃもっちろん。うちの大黒柱が随分とお世話になったみたいだし?」
「大黒柱……?あぁ、あのフェイクと名乗った呪術使いか」
「あ~、アイツってばそんな訳分かんない偽名名乗ってたんだ」
〝世話になった〟〝大黒柱〟というキーワードから、アデルはアイシャの語る人物にあたりをつけた。アデルが関わりを持った仮面の組織の構成員の中で、大黒柱と称されるほどの実力者は、フェイク――黄虎紅以外に思いつかなかったからだ。
偽名というのは彼の出自からして分かり切っていたことだが、アイシャの態度からそれが確実なものとなる。
「ちょっと待ちなさいよっ!!」
「「?」」
両者の会話に割って入る形で、劈くような怒鳴り声をあげたネミウスに、二人は困惑の表情を向けた。いや、正確に言うとアイシャの方は、会話を遮られたことに対する苛立ちを込めた、侮蔑のような眼差しを彼女に送っている。
「どうしてアンタがここにいるのよっ!お前みたいな悪魔がどうしてのうのうとまだ生きてっ……」
「叔父様ぁ、このおばさん頭がイカれちゃってるのかな?どう考えても正義の味方が性悪な実の母を助けに来た感動的シーンなのに、それを全く理解できないなんて。情緒が欠落しているとしか思えないんだけど?」
座り込みながらこれ以上ないほど顔を皺だらけに歪ませたネミウスは、不倶戴天の仇を目の当たりにしたようにアデルを睨みつけた。
そんなネミウスに対し、アイシャは呆れ果てたようにため息をつくと、自身の蟀谷をトントンと人差し指で叩いてみせる。
「馬鹿言わないでっ!お前みたいな悪魔に助けられるぐらいなら、死んだほうがマシよっ」
「お主の心中など正直どうでもよいのだが……我がここに来たのは、ティンベルに頼まれた故……」
「ティンベル……?」
アデルの口から発せられた想定外の名前に、ネミウスは過剰な反応を示した。だがその反応からは、娘が自身を危惧したことに対する喜びがまるで感じられず、アデルは思わず首を傾げる。
「あの娘……一体どういうつもりなの……?
私を助ける?その為にこんな悪魔を送り込んでくるなんて……何の当てつけなのよっ!」
声を荒げてティンベルに対する不快感を露わにしたネミウスに、アデルは強い違和感を覚えた。
記憶の中のネミウスは、過保護なまでにティンベルのことを愛していたように思えたから。そんな彼女と、ティンベルに対して恨み言を吐露する目の前の彼女が合致せず、アデルは首を傾げてしまう。
「……ティンベルはお主のことを心配して……」
「心配っ……?はっ……あの娘が私を?……ふふっ……あははははははっ!」
「「?」」
何が彼女の琴線に触れたのか。突如たかが外れたように哄笑し始めたネミウスに、アデルたちは怪訝そうな眼差しを向けた。
「なにがおかしいのだ?」
「あの娘がそんな頭お花畑の小娘みたいな考え持つわけないじゃない。例え本当に私を心配していたとしても、ネオンを殺した女からの情けなんてこっちから願い下げなのよっ」
「……ネオンを殺したのは伯爵であろう?ティンベルは関係な……」
「関係大有りよっ!!」
怒気と悲哀の込められた叫び声が、鮮烈すぎるほど部屋に響き渡る。ティンベルの尊厳を傷つけるような物言いのネミウスに、アデルは正当な反論をしたのだが、最早彼女の耳には正論など意味を成していない。
「あの娘がネオンのことをルークスに告げ口しなければっ、ネオンが殺されることは無かった!」
「……話にならんな。当時ティンベルは齢五の少女。そんな幼い子供が実の兄に殺されかけ、その恐怖を誰にも打ち明けず、一人で一生抱え込むことが出来ると本気で思っているのであるか?」
「そんなの詭弁よっ!ネオンは死んで、あの子は生きてるっ……!これが事実よ!それ以外のことなんてどうでもいいわっ」
アデルは呆気にとられた。ネミウスのティンベルに対する被害妄想に対してではない。これ程ティンベルを憎んでしまうまで、彼女がネオンを愛していたという事実に対してである。
アデルがクルシュルージュ家に身を寄せていたのは八歳の年まで。それ以降はエルの元で暮らしていたため、彼はアデル・クルシュルージュとして生を享けたにしては、クルシュルージュ家について何も知らない。
そんな彼の八年間の経験から言ってしまえば、ネミウスはティンベルとネオンどちらのことも平等に愛していたように思えた。
だがそれは、悪魔の愛し子として嫌悪されていたアデルと比べれば、という次元の話だ。クルシュルージュ家に身を寄せていた頃、ネミウスはアデルにありとあらゆる罵詈雑言を浴びせ、時には手をあげることもあった。それは伯爵――ルークス・クルシュルージュからの拷問に比べれば可愛いものではあったが、それでも実の息子に対する行為ではない。
そんな自身に対する残酷な対応と比べてしまえば、ティンベルとネオンに対するネミウスの愛情の差など、あってないように見えたのかもしれない。
だからこそ、アデルには気づけなかった。彼女――ネミウス・クルシュルージュにとってネオンという存在が、どれ程愛おしいものだったのかということを。
「……ねお……」
アデルがネオンの名を口に出そうとした刹那、不意にネミウスに向けられた冷徹な殺意が突き刺さる。その殺気に誰よりも逸早く気付いたアデルは、咄嗟にネミウスと彼らの間に割って入ると、その殺気の正体――アイシャの狙撃銃による弾丸を剣で弾いた。
「ありゃりゃ。やっぱ君に狙撃銃は通用しないっかぁ~」
「……」
「そーんなに怖い顔しないでよ。十数年ぶりの家族の会話を邪魔したのは申し訳ないけど、こっちだってその女を殺さないといけない大義名分ってのがあるんだからさ」
「我が来た以上、お主らの思い通りにはならぬと思うのだが」
「あはっ、流石はレディバグの長。言うことが違うねぇ……アイシャちゃん惚れちゃいそう♡」
二度も自らの狙撃を防がれているというのに、余裕綽々といった様子のアイシャに、アデルはかすかな疑問を抱く。
そしてその疑問の答えは、想像よりも早くアデルの前に姿を現した。
「っ!?」
アデルが気付いた時には、既に彼女の手中であった。
アデルが弾き、真っ二つに割かれ、地面に転がっていたはずの二発の弾丸。それらが徐に宙に浮いたかと思うと、割かれた弾丸が元通りに復元される。刹那、復元された二発の弾丸はアデルにその矛先を向けた。
気づいた時には、二つの弾丸がアデルの右脚と左腕を貫いていた。
悪魔の愛し子は受けた傷を一瞬で再生できるだけでなく、そもそも身体に傷を受けにくい体質である。
だが、アイシャによる攻撃の威力は、そんなアデルの強靭な肉体に大きなダメージを与える程であった。
貫かれた瞬間、アデルの左腕は部屋の天井に、右脚は部屋の隅へと吹き飛ばされ、部屋中に彼の鮮血が飛び散るのだった。
あれは亜人にしか操ることのできないよう構築されたもの……亜人に対しては結界としての効力が発揮されない代わりに、亜人以外の人間の介入を完全に断つことができる。力業であの結界を破ることは不可能なはずだ……。なら侵入者の中に亜人がいたということか?いや、亜人が相手でも同じこと。亜人があれを消滅させようとするのなら、壊すのではなく、俺から操作権を奪って結界の展開を停止させるしか術はない。確かにあの結界は亜人であれば操れるが、亜人であれば力業で壊すことができるというわけでもない……結界が壊れた瞬間、結界の操作権を奪われた感覚はなかった。
つまり、あれは間違いなく破壊されたのだ。破壊できるはずのない代物を、いとも容易く破壊した……。一体何者が、どうやって……?)
ツキマがこれまで積み重ねてきた経験、知識では、到底その答えにたどり着くことなどできない。
なにせ彼の結界を破壊した力は、この世界のものではないからだ。
何故彼女――メイリーン・ランゼルフがあの結界を破壊できたのかといえば、彼女が結界を壊そうとしたから。その答えに尽きてしまう。
そんな不条理で暴力的なまでの圧倒的な力こそ、ツキマを阻んだものの正体。流石のツキマも、そんな超常的なものが相手とは思い至らなかったらしい。
「はぁ……面倒なことになったな」
恐らく今この屋敷に潜入している敵の中で最も脅威となりうる存在を把握してしまった以上、それを無視することなどツキマには到底できない。
ツキマは辟易とした様子でため息をつくと、温度を失った瞳でユウタロウを一瞥した。
「仕方ない……少々不本意ではあるが……」
「?」
意味深な言動にユウタロウが首を傾げると、ツキマの身体に異変が起きた。身体全体から淡い光が発光したかと思うと、ツキマの顔から彼の取り込んだ災害級野獣の頭部が表出し、ユウタロウは衝撃で目を見開く。
一方のツキマは何食わぬ顔で災害級野獣の頭を掴むと、自らの身体から引き剝がすように、体内に残る災害級野獣の身体を取り出した。
「っ!」
「お前はこれと遊んでいろ。悪いが、お前如きにかまっている場合では無くなったのでな」
「おいっ!ぐっ……」
ツキマは災害級野獣をユウタロウに向けて放つと、完全に彼に対する興味を無くしたように背を向けた。
先の攻撃で重傷を負っている上、ハヤテが死んでしまったかもしれないと思い込んでいるユウタロウは、肉体的にも精神的にもボロボロな状態だ。恐らくツキマは、今のユウタロウであれば災害級野獣でも足止めできると判断したのだろう。
災害級野獣が趾を高い位置から素早く振り下ろすと、ユウタロウは咄嗟に剣を構えてその攻撃を受け止めた。
災害級野獣は次々と趾を素早く振り下ろし、ユウタロウに反撃する隙を与えない。何とか攻撃をかわしながらも、ユウタロウがその顔に苦悶の色を浮かべた、その時――。
「よぉ……久しぶりだな、当主」
「「っ!?」」
聞いたことのない声のはずなのに、その掠れたような重厚感のある声を耳が捉えた瞬間、一歩も動けなくなってしまう程の衝撃を二人は受けた。
その口調。その呼び方。纏う雰囲気――。
その全てが、記憶の中の彼を物語っていたが、そんなはずは無いという思い込みが、その存在を全力で否定する。
一瞬で、その場の空気が一変した。
(まさかっ……いや、そんなはずはない。あの亜人は俺が確実に殺したはず……。
……っ!まさかっ……!)
足を止め、突然の乱入者を見上げたツキマは、見覚えのある容姿をしたその人物を前に目を見開いた。
爽やかな紫色の瞳に、特徴的な髪型をしたクリーム色の髪。その美しい瞳は野暮ったい眼鏡のせいであまり目立たないが、それでも彼が何者かを判断するには十分すぎた。
その姿は、かつてツキマが殺し損ねたササノ以外の何者でもなかった。
だが、先の口調や纏う雰囲気は彼の双子の兄――セッコウその者で、ツキマたちが一瞬空目してしまうほど。
「……ササノ……?」
冷たく、空虚な瞳だった。
それは、おおよそ実の兄を殺した不倶戴天の仇に向ける眼差しでも、久方ぶりに再会したかつての仲間に向ける眼差しでもない。
淡々とした様子で塀の上から彼らを見下ろすササノの様子に、ユウタロウは強い違和感を覚えた。
彼は本当にササノなのだろうか?
そんな疑問がユウタロウの頭を埋め尽くす中、ツキマは想定外の侵入者を鋭く睨みつけるのだった。
********
一方その頃。クルシュルージュ伯爵家でも想定外の来訪者によって、場に衝撃と困惑の入り混じった空気が流れていた。
今回の事件の首謀者――ネミウス・クルシュルージュ。
そんな彼女を利用し、己の計画を遂行しようと企てた仮面の組織の一員――メギド・サランドラ。アイシャ・サランドラ。
組織の計画にとって邪魔な存在となったネミウスを、仮面の組織が抹殺しようとしたところ、突如現れ彼女の命を救ったレディバグの長――アデル・クルシュルージュ。
アデルの登場に両者が思わず息をのむ中、沈黙を破ったのはアデルだった。
「まったく……ティンベルの先見眼には驚かされるのだ」
忌まわしい思い出ばかりのこの伯爵家にアデルが訪れたのは、ティンベルがネミウスの身を案じたことが原因である。
アデルが幼少の頃、伯爵によって虐待を受けていた旨を告発する記事の存在を知っただけで、告発者と思われるネミウスの危機をティンベルは察知した為、その推察力にアデルは感嘆したのだ。
一方、仮面の組織が最も警戒していると言って過言ではないアデルの登場に、メギドたちは少なからず狼狽えていた。
「これはこれは……レディバグの長がこんな矮小な女一人のために動くなんて、さすがのアイシャちゃんも想定外だったかな」
「流石に我のことは把握しているのだな」
「そりゃもっちろん。うちの大黒柱が随分とお世話になったみたいだし?」
「大黒柱……?あぁ、あのフェイクと名乗った呪術使いか」
「あ~、アイツってばそんな訳分かんない偽名名乗ってたんだ」
〝世話になった〟〝大黒柱〟というキーワードから、アデルはアイシャの語る人物にあたりをつけた。アデルが関わりを持った仮面の組織の構成員の中で、大黒柱と称されるほどの実力者は、フェイク――黄虎紅以外に思いつかなかったからだ。
偽名というのは彼の出自からして分かり切っていたことだが、アイシャの態度からそれが確実なものとなる。
「ちょっと待ちなさいよっ!!」
「「?」」
両者の会話に割って入る形で、劈くような怒鳴り声をあげたネミウスに、二人は困惑の表情を向けた。いや、正確に言うとアイシャの方は、会話を遮られたことに対する苛立ちを込めた、侮蔑のような眼差しを彼女に送っている。
「どうしてアンタがここにいるのよっ!お前みたいな悪魔がどうしてのうのうとまだ生きてっ……」
「叔父様ぁ、このおばさん頭がイカれちゃってるのかな?どう考えても正義の味方が性悪な実の母を助けに来た感動的シーンなのに、それを全く理解できないなんて。情緒が欠落しているとしか思えないんだけど?」
座り込みながらこれ以上ないほど顔を皺だらけに歪ませたネミウスは、不倶戴天の仇を目の当たりにしたようにアデルを睨みつけた。
そんなネミウスに対し、アイシャは呆れ果てたようにため息をつくと、自身の蟀谷をトントンと人差し指で叩いてみせる。
「馬鹿言わないでっ!お前みたいな悪魔に助けられるぐらいなら、死んだほうがマシよっ」
「お主の心中など正直どうでもよいのだが……我がここに来たのは、ティンベルに頼まれた故……」
「ティンベル……?」
アデルの口から発せられた想定外の名前に、ネミウスは過剰な反応を示した。だがその反応からは、娘が自身を危惧したことに対する喜びがまるで感じられず、アデルは思わず首を傾げる。
「あの娘……一体どういうつもりなの……?
私を助ける?その為にこんな悪魔を送り込んでくるなんて……何の当てつけなのよっ!」
声を荒げてティンベルに対する不快感を露わにしたネミウスに、アデルは強い違和感を覚えた。
記憶の中のネミウスは、過保護なまでにティンベルのことを愛していたように思えたから。そんな彼女と、ティンベルに対して恨み言を吐露する目の前の彼女が合致せず、アデルは首を傾げてしまう。
「……ティンベルはお主のことを心配して……」
「心配っ……?はっ……あの娘が私を?……ふふっ……あははははははっ!」
「「?」」
何が彼女の琴線に触れたのか。突如たかが外れたように哄笑し始めたネミウスに、アデルたちは怪訝そうな眼差しを向けた。
「なにがおかしいのだ?」
「あの娘がそんな頭お花畑の小娘みたいな考え持つわけないじゃない。例え本当に私を心配していたとしても、ネオンを殺した女からの情けなんてこっちから願い下げなのよっ」
「……ネオンを殺したのは伯爵であろう?ティンベルは関係な……」
「関係大有りよっ!!」
怒気と悲哀の込められた叫び声が、鮮烈すぎるほど部屋に響き渡る。ティンベルの尊厳を傷つけるような物言いのネミウスに、アデルは正当な反論をしたのだが、最早彼女の耳には正論など意味を成していない。
「あの娘がネオンのことをルークスに告げ口しなければっ、ネオンが殺されることは無かった!」
「……話にならんな。当時ティンベルは齢五の少女。そんな幼い子供が実の兄に殺されかけ、その恐怖を誰にも打ち明けず、一人で一生抱え込むことが出来ると本気で思っているのであるか?」
「そんなの詭弁よっ!ネオンは死んで、あの子は生きてるっ……!これが事実よ!それ以外のことなんてどうでもいいわっ」
アデルは呆気にとられた。ネミウスのティンベルに対する被害妄想に対してではない。これ程ティンベルを憎んでしまうまで、彼女がネオンを愛していたという事実に対してである。
アデルがクルシュルージュ家に身を寄せていたのは八歳の年まで。それ以降はエルの元で暮らしていたため、彼はアデル・クルシュルージュとして生を享けたにしては、クルシュルージュ家について何も知らない。
そんな彼の八年間の経験から言ってしまえば、ネミウスはティンベルとネオンどちらのことも平等に愛していたように思えた。
だがそれは、悪魔の愛し子として嫌悪されていたアデルと比べれば、という次元の話だ。クルシュルージュ家に身を寄せていた頃、ネミウスはアデルにありとあらゆる罵詈雑言を浴びせ、時には手をあげることもあった。それは伯爵――ルークス・クルシュルージュからの拷問に比べれば可愛いものではあったが、それでも実の息子に対する行為ではない。
そんな自身に対する残酷な対応と比べてしまえば、ティンベルとネオンに対するネミウスの愛情の差など、あってないように見えたのかもしれない。
だからこそ、アデルには気づけなかった。彼女――ネミウス・クルシュルージュにとってネオンという存在が、どれ程愛おしいものだったのかということを。
「……ねお……」
アデルがネオンの名を口に出そうとした刹那、不意にネミウスに向けられた冷徹な殺意が突き刺さる。その殺気に誰よりも逸早く気付いたアデルは、咄嗟にネミウスと彼らの間に割って入ると、その殺気の正体――アイシャの狙撃銃による弾丸を剣で弾いた。
「ありゃりゃ。やっぱ君に狙撃銃は通用しないっかぁ~」
「……」
「そーんなに怖い顔しないでよ。十数年ぶりの家族の会話を邪魔したのは申し訳ないけど、こっちだってその女を殺さないといけない大義名分ってのがあるんだからさ」
「我が来た以上、お主らの思い通りにはならぬと思うのだが」
「あはっ、流石はレディバグの長。言うことが違うねぇ……アイシャちゃん惚れちゃいそう♡」
二度も自らの狙撃を防がれているというのに、余裕綽々といった様子のアイシャに、アデルはかすかな疑問を抱く。
そしてその疑問の答えは、想像よりも早くアデルの前に姿を現した。
「っ!?」
アデルが気付いた時には、既に彼女の手中であった。
アデルが弾き、真っ二つに割かれ、地面に転がっていたはずの二発の弾丸。それらが徐に宙に浮いたかと思うと、割かれた弾丸が元通りに復元される。刹那、復元された二発の弾丸はアデルにその矛先を向けた。
気づいた時には、二つの弾丸がアデルの右脚と左腕を貫いていた。
悪魔の愛し子は受けた傷を一瞬で再生できるだけでなく、そもそも身体に傷を受けにくい体質である。
だが、アイシャによる攻撃の威力は、そんなアデルの強靭な肉体に大きなダメージを与える程であった。
貫かれた瞬間、アデルの左腕は部屋の天井に、右脚は部屋の隅へと吹き飛ばされ、部屋中に彼の鮮血が飛び散るのだった。
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