アクトコーナー

乱 江梨

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第一章 学園改革のメソッド

学園改革のメソッド14

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「断る」
「……ワンモアプリーズ」
「断る」
「…………ワンモアプリーズ」
「断る……これ以上は言わんからな」


 現実から目を逸らすように何度も問い直した明日歌に、遥音は哀れなものを目の当たりにしたような相好を見せる。同時に、明日歌が余程の自信を持ってこの誘いをしてきたのだろうと、遥音はどうでもいいことを思考する。


「…………まさか、この美少女明日歌ちゃんの誘いを断るなんて……」
「自分で言ってて悲しくならないか?」


 明日歌は顔を汗で濡らすと信じられないといった相好で恐れ戦いた。明日歌の自信の理由がだったのかと失望した遥音は、死んだ魚の様な目で明日歌を憐れむ。


「何で断るのさ!?」
「……理由なら大きく分けて三つある」
「そんなにあるの!?」


 涙目で悔し気な表情を向けてきた明日歌は、遥音が申し出を断った理由を尋ねた。これぐらいのことで泣くほど明日歌が負けず嫌いであることを悟った遥音は、若干引きつつも彼女の問いに答える。


「まず一つ。俺がそのクラスとやらに入るメリットがない。二つ、初対面の信用ならん人間と慣れ合う気は毛頭ない。三つ、お前の目標には計画性がまるでない。俺を説得したいなら具体的な計画案をレポートにして提出しろ。まぁ提出したところで断るがな」
「何のためのレポート!?」


 淡々と正論という名の暴力で明日歌を滅多打ちにした遥音。容赦というものを知らない遥音にボコボコにされた明日歌にも、ツッコむだけの体力は余っていたようだ。
 とは言っても、明日歌はライフはほぼゼロに近い。


「ぐぬぬ、論破する隙も無い正論で攻撃しおって…………あ!メリットならあるよ!」
「なんだ?」
「毎日私の美少女フェイスを拝める」
「脳みそ腐ってるのかお前」


 頬をハムスターが如く膨らませた明日歌は一瞬のうちに表情を明るくするとそんなことを言った。だが遥音は真剣に明日歌の言うメリットについて尋ねたことを刹那の内に後悔する。

 
「ぶふふ、脳みそが腐ってるわけないじゃん。遥音って変なこと言うんだね」
「お前いちいち癇に障るな」


 遥音のツッコみを比喩だと理解していないのか、理解した上で茶化しているのかは定かではないが、明日歌の態度は遥音を苛つかせるには十分すぎる材料だった。

 クスクスと笑い続ける明日歌を睨みつけていると、遥音はふと何かに気づいたようで呆けた面を見せる。


「……ん?待て。お前暁明日歌と言ったか?」
「そうだけど、今更なに?」


 出会い頭に済ませた自己紹介の件を掘り起こした遥音に、明日歌は思わず首を傾げる。遥音は明日歌の人を振り回すような人間性に気を取られ、彼女の名前をしっかりと頭にインプットしていなかったのだ。


「まさかお前、学年二位の暁明日歌か?」
「うん。でも遥音は一位じゃん」


 恐る恐る確認した遥音に、明日歌はあっさりと返す。二人が話している学年順位は当然成績の評価についてだ。
 遥音は中等部一年の学年一位、明日歌は次いで二位なのだ。試験のあとに張り出される試験結果及び順位を見る際、常に遥音は下に、明日歌は上に互いの名前を視認していたということにもある。


「こんな奴が二位……?世の中狂ってるのか……?」
「私が勉強できるのってそこまでおかしい!?」


 本気でショックだったのか、遥音は片手で口を覆うと世も末かと言いたげな表情で狼狽える。一方明日歌はそんな反応されたことが当然不本意なので、こちらもこちらとて大きすぎるショックを受けて消沈している。


「兎に角。俺はお前の茶番に付き合うつもりはない。分かったら諦めろ」
「…………」


 遥音は開いていた教科書をパタンと閉じると立ち上がり、屋上の出口へ歩を進めた。扉に手をかけ、退出する直前に明日歌の方を振り向いた遥音は最後に冷たく突き放す。

 そんな遥音に明日歌は視線を返すだけで、反論も説得もしなかった。それを確認した遥音はバタンという無機質な音と共に立ち去る。

 屋上に一人残された明日歌はふとあることに気づいて、呆然としながら呟く。


「って、遥音が最後に出ないと、ここの鍵閉められないじゃん」



 ********

「なんか、今の二人と大して変わりませんね」
「ま、表面上はそやな」


 明日歌と遥音の最初の出会いについて、途中まで聞いた透巳は正直な感想を述べた。

 自由奔放な明日歌を、同級生であり真面目な遥音が毒舌で窘める。これは今も昔もやっていることは同じである。


「ま、でもこの時点で遥音は明日歌のことを信用してへんし、ただのツンツンやったから、そこは今とちゃうな」


 薔弥の言葉で、透巳は明日歌が言っていた遥音の特徴を思い出す。遥音は口は悪いがただのツンデレ。最初に明日歌が遥音を紹介する際に言っていた言葉である。

 明日歌が遥音をそんな風に称した理由は透巳にも何となく共感できる点があったので、薔弥の意見にも納得できる部分があった。
 
 会ったばかりの頃は平行線だった二人が、どうやって交わることになったのか。薔弥はそれを語り始めた。


 ********

 嵐の様な明日歌との初対面を果たした遥音は、車に揺られながら家への帰路に就いている。

 そんな帰宅途中、遥音は明日歌と話したことで、自分の奥底に眠らせていた嫌な記憶を起こしてしまい思わず顔を顰める。


「遥音様、どうかなさいましたか?」
「いや……何でもない」


 そんな遥音の不機嫌オーラをバックミラー越しに察知した運転手は、しっかりと前を向いたまま尋ねた。一方、遥音は速い速度で次々と変わる景色を車内の窓からぼぉっとその目に映す。

 力の籠っていない遥音の返事を聞いた運転手は思わず首を傾げるが、その原因を彼に知る術など無い。

 ********

「遥音ー。はーるーとー……遥音くーん……結城さーん……結城遥音くーん」
「その口縫い付けるぞ」


 次の日。遥音の安息の地である屋上を訪れた明日歌は、完全無視を決め込んでいる遥音の横でその名を呼び続けた。数十分間それを続けていると、流石の遥音も我慢の限界だったのかついうっかり明日歌をツッコんでしまう。

 明日歌の口を片手で塞いだ遥音は、怒気を孕んだ相好で彼女に詰め寄る。


「やっと反応した」
「ちっ……今日は何しに来た?」
「私遥音のツッコみ大好き」
「意思の疎通からなのか……」


 舌打ちをしつつ明日歌に尋ねた遥音だったが、全く会話が成立していない事実にガクッと肩を落とす。この自由奔放な明日歌相手に主導権を握るのはなかなかの困難であることを悟った遥音は、片手で顔を覆うと深すぎるため息をつく。


「……あれ?」
「今度は何だ?」


 ふと当惑したような声を上げた明日歌に、遥音は怪訝そうな表情で尋ねる。またどうでもいいことを唐突に言うのだろうと思った遥音だが、キョロキョロとしながら何かを探しているらしい明日歌の様子を目の当たりにしてその考えを改める。

 明日歌は酷く慌てているようで、遥音は今まで見たことの無いような彼女の態度に思わず目を見開く。


「……ない」
「何が無いんだ?」
「弟がくれた、ハンカチが無い」


 真っ青な顔で答えた明日歌の様子は、そのハンカチがどれほど大切なものかを遥音が理解するには十分すぎる材料だった。


「弟がいるのか?」
「うん。小六の……兼って言うの」


 明日歌に弟がいる事実をこの時初めて知った遥音は意外そうに尋ねた。兄弟がいるにしても、この自由奔放少女なら末っ子だろうという固定観念を遥音は持っていたからだ。

 そして同時に、ここまで動揺する程度には仲のいい姉弟なのだろうと遥音は想像する。


「いつも持っているのか?」
「うん。今朝ポケットに入れたんだけど……まだ今日は使ってないからどこで落としたのか見当つかないんだよね」


 何か手掛かりは無いものかと、遥音は明日歌に質問を続けた。今日はまだ使っていないのなら、使用する際に落としたという線は薄くなる。

 なので明日歌は普段あまり見せない様な難しい表情で頭を抱えている。


「どっちだ?」
「へ?」
「左右どちらのポケットかと聞いている」
「え、えっと、右」


 唐突に簡潔すぎる問いを投げかけられた明日歌は戸惑うが、何とか会話のボールを返すことが出来た。明日歌が自分から見て右側のポケットを指差すと、遥音は躊躇なくそのポケットに自身の手を突っ込んだ。


「え、なになに?遥音くん?」
「……これは何だ?」


 制服のジャケットのポケットに突然無遠慮に動く手が侵入してきたことで、明日歌は目を回しながら尋ねた。遥音がポケットから手を出すと、彼の掌には数枚の小銭が散らばっていた。


「え、お金ですけど」
「そんなものは見れば分かる。どういった使用目的の金だと聞いている。お前は毎日毎日制服に小銭を忍ばせる習慣でも持っているのか?」


 明日歌の「見て分からないのか?」とでも言いたげな相好に、遥音は青筋を立てるが平静を装って再度尋ねた。

 ポケットに直に小銭を突っ込むということはついさっき使用したか、これから使用する可能性が高いので、遥音はその使用目的を尋ねたのだ。


「あ、いや……さっき自動販売機で飲み物買った時に使った小銭だけど」
「そうか」


 明日歌からの返答を聞いた遥音は突然立ち上がると、明日歌の腕を引いて屋上の扉へと向かう。明日歌は目を見開きつつ、遥音の迷いない歩みに身を委ねた。


「遥音?どこ行くの?」
「その自動販売機だ。案内しろ」
「じゃあ何で案内される側が先導切ってんのぉ」


 ガチャリと扉を開けた遥音は、目的地である自動販売機の場所を尋ねた。ここまで迷いなく進んでいく遥音がその目的地を知らないという謎の状況に、明日歌は思わず疑問の声を上げる。

 だが明日歌は、当たり前のように彼女のハンカチを探してくれている遥音の背中を、目を細めつつ見つめるのだった。

 ********

「これか?」
「うん!これこれ!遥音ありがとう!」
「……」


 問題の自動販売機のすぐ傍に落ちていたハンカチを拾った遥音は、それが明日歌のものかを確認した。恐らく飲み物を買うために小銭をポケットから取り出した際、ハンカチが落ちてしまったのだろう。

 真っ白な生地にクローバーの刺繍と明日歌のイニシャルが入ったそのハンカチは、地面に落ちてしまったせいで多少汚れていた。

 だがそのハンカチを目の当たりにした明日歌はそんなこと気にも留めず、遥音の手を両手で握って礼を言った。だが涙を浮かべて喜ぶ明日歌を目の当たりにした遥音は、どういう反応をすればいいのか分からず思わずそっぽを向いてしまう。


「遥音はきっといい刑事さんになるね!」
「……そんなことはない。俺は、刑事に一番向いていない人種だ」

 
 明日歌が満面の笑みで遥音を褒め称えると、遥音は何故か神妙な面持ちになり、明日歌の評価を否定した。

 明日歌には分からなかった。警視総監の息子であり、成績も十分すぎる程優秀な遥音が何故自身のことをそう思うのか。遥音が自身を卑下してしまうような何かが昔あったのか。明日歌はそんな疑問を浮かべてしまう。


「どうして、そう思うの?」
「どうして?昨日から俺と接しているお前になら分かるだろう?」


 素直に尋ねた明日歌に対し、遥音は眉間に皺を寄せて当然のように言い放った。だが明日歌には本気でその理由が分からなかったので当惑しつつ首を傾げる。


「本気で分からないのか?」
「わかんない」
「……俺は誰に対しても口が悪い。市民を守るべき警察官に求められる優しさも態度も備わっていない。目つきは悪いし、すぐに苛ついて暴言を吐く。こんな人間が警察官に向いているなんて言ったのはお前が初めてだ」


 遥音は理解できていない明日歌のために一つ一つ理由を説明した。自身の欠点を語る遥音の表情は自己嫌悪に塗れていて、明日歌は思わず胸が締め付けられるような感覚に襲われる。

 会ってまだ間もない相手にこんな感情を抱いてしまう理由を、明日歌は知っていた。そう、明日歌は知っていたのだ。結城遥音という少年が一体どんな人物か。どうして屋上で一人、いつも勉強に勤しんでいるのかを。


「そんなことない。確かに遥音は口悪いけど、警察官に向いてないなんてこと、絶対に無い」


 俯き、拳を握り締める遥音の表情には隠し切れない悔しさが滲み出ていて、彼が本当は警察官になりたいという夢を持っていることを物語っていた。

 俯く遥音の目をキチンと見つめられるようにしゃがみ込んだ明日歌は、力強いその声で、何の疑いもなくそう言い切った。


 思えばこの時からだったのかもしれない。結城遥音という男が、暁明日歌という一人の人間を、他の誰とも比べることが出来なくなったのは。


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