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第2章 出逢い
2-7 トビラ
しおりを挟むまた来た。
このイスカというニンゲン、よほど暇なのか陽が落ちて昇る度にやってくる。こちらはマトモに休む隙も無い。そして来るたびにふかふかした食べ物ととろりとした甘い水を持ってくるのだが、これがウマい……ではなくて、そんなに頻繁に持ってこられても困ってしまう。ちなみに、塩気が欲しいと言ったら『オキアミノシオヅケ』とかいうのを持ってきてふかふかに挟んで寄越した。これがまたなかなかに上等だったのでそこは不問としたい。
それはともかく、一日一回はちゃんとゴハンを食べなさい、と諭されてしまったわけなのだが流石に満腹なのだ。
「龍神様って食が細いのね」
……しかも龍族と神族を混同している。
何度か訂正したのだがよく理解できないらしい。
「お前こそよく毎日毎日メシ食えンな……」
説明しても時間の無駄だ……というか、ニンゲンという生き物がそういうものなのだろう。龍を神と崇め、毎日毎日飯を食う。それが彼女らの習慣なのだ。
そういえば、泳ぎながらずーっとオキアミを食い続けている魚もいるな、と思い当たった。それに比べれば毎日食事をするなどという習慣も驚くほどのことではないのかも知れない。
「毎日って……一日三回食べるわよ?」
……要は燃費が悪いのだ。
はい、と渡されたものに目を落とす。ここ数日で見慣れたそれは砂岩にも似た肌触りの、あまりにも水物を入れるのに特化した形。土を捏ねて炎で炙るとこういうものになるらしい。その中で光を反射して揺れるのは、海藻と海水から作り出したという『コブチャ』。飲用に特化し味を付けた水なのだそうだ。
ニンゲンとは、何なのだろう。
この世界にあらかじめ用意されたものでは満足せず自分たちで手を加えたものを使って生きる種族。他の種族たちとはあまりにも違い過ぎて、混乱する。
「どうしたの?」
「……なんでもねぇよ」
覗き込むイスカには適当に返して『コブチャ』に口をつけた。悔しいがこれもウマい。
「あ、そうだ。あなたにことわらないといけないと思っていたのだけれど」
何を改めてと構えているとごそごそと胸元を探り、イスカはそれを取り出した。
「あなたの鱗、落ちていたのを一枚貰ってしまったの」
見れば一枚の鱗を首から下げている。見覚えのあるそれは確かに自分の鱗だ。
そういえばあちこち鱗が剥がれかけた状態で『オクスリ』の痛みに転げ回った。数枚くらいは剥がれていても不思議は無い。
「……物好きだな」
身体に戻るわけでもなし、剥がれた鱗の一枚や二枚構わない。しかし、ただ白いだけで何も面白くはなかろうに。
「そう?とても綺麗よ?」
指に挟んだ鱗を光に当て、楽しんでいるように見える。まぁ光を反射させれば少しはマシなのかもしれないが、綺麗と表現するには程遠い。本当に美しいものを見たことが無いのかもしれない。少し哀れだ。
それにしても。
まだ彼女の目的が見えない。ここに自分を監禁し、龍型を封じたかと思えば甲斐甲斐しく世話をする。剥がれた鱗一枚にお伺いをたててくる。行動に一貫性が無さ過ぎて無駄に神経が擦り減るのだ。
「……なぁ」
──直接問いただしたら答えるだろうか。
「どうしてオレをここに閉じ込める?オレの龍型を封じたのはなんでなンだ?」
イスカは目を見開いてぱちくりと瞬きを繰り返す。これは彼女の驚きを表す表情だ。
そんなにおかしな質問をしているつもりも無いのだが。
「いい加減ホントの理由を教えちゃくンねぇかな……」
「だから、手当てのためだって言ったじゃない」
確かにここに来てから手当てしか受けていない。だがしかし。
「ここに来てから龍にも戻れねぇ、あの岩も開かねぇ、でも食いもんは持ってくるしオレを喰う様子も無ぇ……いい加減頭がおかしくなりそうだ」
イスカは更に瞬きを繰り返す。
「……食べる??」
「ああ」
「……あなたを?」
「……他に誰が居ンだよ」
どうにも調子が狂う。正しい疑問をぶつけているつもりなのだが、イスカを見ていると自分のほうがおかしなことを言っているような気になってくるのだ。
「人型の生き物を食べる気にはあんまりならないわね」
眉の間にきゅっと皺が寄っている……が怒っているわけではないらしい。目を閉じて天を仰ぎ、うーんと唸っている。
「本当にね、怪我人を岩場に放っておくわけにはいかなかっただけなの。前にも龍型がどうのって言ってたけど、私あなたをここに連れてきて手当てした以外には何もしていないわ」
「少なくとも閉じ込めてはいるだろう」
そう、少なくともあの一枚岩は開かない。何か理由があるとしか思えないのだが。
「それもしていないわよ」
なのにイスカはあっけらかんと答えるのだ。
「この『トビラ』には『カギ』も無いし、出ようと思ったらいつでも出られるわよ?」
「は?……だって押しても……体当たりしたって動かなかったぞ?」
再びイスカが目を見開き……笑い出す。
「……な、なに笑ってンだよ……」
あまりにも笑うのでなにやら居心地が悪くなってきた。なにかこう、とてつもない醜態を晒しているような。
「……あはっ……ごめ、ごめんね……ふふ、よく考えたら、そうね。『トビラ』を知らなくても不思議ではないのだわ」
とたとたと脚が地面を叩く音が遠ざかってゆき、一枚岩の前で止まった。呼ばれている気がして立ち上がり、近付く。
「『トビラ』はね、一方向にしか開かないの」
イスカは岩の凹みに前脚の指をかけ、手前に引っ張る。眩しい光の帯が岩の縁に沿って広がった。
「こちら側からは、引っ張って開けるのよ」
久しぶりに見た洞窟の外、光の洪水が目を焼く中で岩場の向こうに見えたのは広大な海。
故郷への入口、だった。
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