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4巻

4-3

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 俺が建物の扉を勢い良く開くと、そこでは一〇人には満たないまでも結構多くの人たちが作業に没頭していた。
 その中から目的の人物を探し出した俺は、近くへと駆け寄る。

「ん? なんだロディフィスか。まぁ一応、言われた通りに作ってはみたが……」

 そう言うと、じーさんは作業の手を止め建物の奥に引っ込んで行った。少しして……

「こんなんでいいのか?」

 じーさんが差し出したのは一枚の〝紙〟だった。紙とはいっても、俺が普段から使っているパピルス紙ではない。俺がよく知るあの〝紙〟だ。き紙、和紙とも言うな。
 俺はそれを受け取ると、めつすがめつ観察する。色合い的には藁半紙わらばんしに近いが、それよりは若干薄いといった感じか。
 藁半紙。自分で言っておいてなんだが、随分と懐かしい響きだ。
 生前、俺がまだ子どもだった頃には普通に見かけていた物だが、成人してからはめっきり見かけなくなったなぁ……なんて話は置いといて。
 しっかりとした触感のある紙で、厚みは画用紙程度。表面がボコボコとしているのは、厚みが均一ではないからだろう。
 俺が生前、日常的に見ていた紙に比べたら、その品質はお粗末と言わざるを得ない。例えるなら、小学生の夏休みの工作レベル、といったところか。
 だが、初めて作った物でしかも完全な手作りであることを考慮すれば十分に上出来だ。

「おお! 意外と出来るものだね~」

 俺は手にした紙をヘコヘコしながら強度を確かめる。うむ、問題なさそうだ。
 空覚うろおぼえの知識を基に、じーさんに紙作り用の道具の製作と紙の製造をお願いしていたのだが、思ったよりまともな物が出来上がっていた。
 じーさんたちがここで何をしているかといえば、紙作りだ。
 そうここは、村が始まって以来初めて出来た工場なのである。一応、以前からじーさんの家の作業場を借りてリバーシを作ってはいるが、あそこは工場と呼ぶには規模的にちょっと物足りなさがあるんだよなぁ。
 で、ここにいる人たちはこの製紙工場で働く工員の方々だ。この場には数人しかいないが、実際はかなりの人数が勤務している。
 原料の調達を行う人たち、原料を加工する人たち、紙の製造を行う人たち――これがじーさんを含めたここの人たちのことだな――、そして仕上げを行う人たちだ。
 この紙作り、別に魔術陣式暖房具の製作に合わせて行っている訳ではない。まったくの別件から始まったものだった。
 というのも、村では麦の収穫を終えた段階で人手が余ってしまっていた。
 そりゃそうだ。
 冬になれば、当然農作業なんてできない。だから、今まで農作業に従事していた人たちの手が、丸々浮いてしまっていた。
 人手を遊ばせておくほど勿体ないことはない……のだが、売り上げが減少傾向にあるリバーシの製造に回すにも限界があった。
 少し前からイスュのすすめでソロバンの製造販売も始めてはいたが、それでも全員を雇用するには無理がある。
 ということで、人手が余る冬季限定で新しい事業を一つ立ち上げることにしたのだ。それが製紙業、という訳だ。
 俺が生前まだ学生をやっていた頃、日本史で〝紙作りは、農村では冬の貴重な収入源だった〟なんて学んだ覚えがあったので、それをパクっ……もとい、リスペクトした結果だ。
 この世界では漉き紙は不人気で、紙といえば専らパピルス紙や羊皮紙が利用されている。が、そんな不人気の漉き紙でも、紙は紙。
 市場ではそれなりの価格で取引されているようで、イスュも出来次第では高く買い取ってくれる、と言っていた。
 生産体制が整い、一定の品質のものを大量生産することができるようになれば、村の収益が増えることは間違いない。
 ちなみに漉き紙が不人気の理由はもろいことが原因だ。
 この世界での基本的な筆記用具は、万年筆のようにペン先が固い物が主流である。だから、漉き紙のような柔らかい紙ではペン先が刺さったり、書いている途中で紙が破れてしまったりするのだ。そのため、村で作っている紙は少し厚手にしている。
 紙が自作できるようになれば、もう高価なパピルス紙を購入しなくてよくなるうえ、売れば収入にも繋がる。まさに一石二鳥だ。
 とはいえ、現状の品質ではとても高値は付きそうにないので、もうひと手間が必要になる。
 まぁ、どのみち今作ってもらっている分に関しては、所詮は試作品かつ工員さんたちの練習用なので売りに出すつもりはない。当初の予定では、この試作品は全て溶かして原材料として再利用するつもりだったしな。だが……
 丁度、魔術陣式暖房具の製作が始まったことで、だったら折角出来上がったこの試作品を利用しない手はない、という考えに至った。
 そのためには、どうしても必要な物がもう一つだけあり、それの製作を依頼するために今日はここまで足を運んだのだ。

「で、じーちゃんよ。ものはついでに、もう一つ頼みたいことがあってですね……」
「おめぇーは、またじーちゃんをき使おうってのか?」

 そう切り出すと、じーさんはため息交じりに呆れたような視線を俺に向けてきた。

「まぁまぁ、なんだかんだでじーちゃんも結構儲かってるんだろ? なぁ?」
「……その嫌らしい笑い方をめんか、まったく」

 俺がじーさんに協力を頼むのなんて、昨日今日に始まった話ではない。特にリバーシの製作が始まってからは、協力費として結構な額を貰っているはずだ。
 つまり、俺への協力は何もタダ働きの慈善事業ではない、ということだ。
 実際にじーさんにお金を支払っているのは村長経由なので、俺はじーさんがいくら貰っているのか具体的な金額を知らない。でもその額は子どもの小遣い程度では済まないだろう、くらいのことは想像がつく。

「はぁ、そりゃ……まぁ……なぁ。で? 今回は何をしてほしいんだ?」
「流石じーちゃん。話が早くて助かるよ。実はこれの版木はんぎを作ってほしくってさ……」

 俺はそう言いつつ、持って来ていた暖房用の魔術陣が描かれたパピルス紙を渡した。

「こいつはまたデカいうえに、随分と細かいな……」

 じーさんは俺から受け取った魔術陣を一瞥いちべつして顔をしかめた。
 版木とは、要は版画を作るための原板のことを言う。
 そう、魔術陣の量産方法とは、つまり版画のことだ。紙が作れるなら、ついでに印刷もできるようになってしまえ、という訳だ。今回の場合なら、凸版とっぱん印刷と言った方が正確だな。
 これなら最初に原板を作ってしまえば、あとは作りたい放題だ。

「もしかして無理とか?」

 洗濯槽を作った時にも似たようなことをした覚えがあるが、今回の物は自分で書いておきながら、あれとは次元が違うくらい作りが細かい。素人目にも版木作りは難しいだろうということは一目瞭然だった。
 もし無理だと言われたら、また別の方法を考えなくてはいけないのだが…… 

「いや、無理っちゅーことはねぇが、こいつは多少骨が折れるな。まぁ、ちっとばかし時間は掛かるかもしれん」

 ということで、原板製作はじーさんにお任せすることにした。じーさんが、無理ではない、と言っているのだからきっとできるのだろう。そこは信頼しているので問題なしだ。
 紙作りは他の工員さんたちに任せて、じーさんには原板作りに集中してもらう。
 元々じーさんに紙作りをお願いしたのは、手先が器用だからというのと、親類で頼みやすいという理由だけで、他意はないのだ。
 そんな感じで話がまとまったところで、俺は他の工員さんたちの作業を見学させてもらうことにした。
 紙の品質向上、いては作業効率向上のために、何か改善改良できる点はないかと考えながら……
 ………
 ……
 …
 俺の目の前に一台の箱がある。大きさとしては、小学校なんかで使う勉強机程度の大きさだ。
 実はこれ、村で第一号となる機械なのだ。そう機械だ。英語で言うならマッスィーンだな。
 しかも、恐らくこの世界初の、魔術と歯車などの部品を組み合わせて作った、ハイブリッド機械なのである!
 機械、という言葉をどう定義するかにもよるのだが、ここでは〝動力原を持ち、ある一定の仕事を人力を用いずに行う物〟とする。
 要は、人間に代わって自動・半自動で仕事をしてくれるものを機械と呼びますよ、ということだな。
 そういう意味では、洗濯槽や銭湯の風呂釜、それに愛車クララなんかも全部〝機械〟に含まれてしまうのだが、あれらは除外している。
 なんというか、一〇〇パーセント魔術で動いている物を〝機械〟と呼ぶには、心情的にすごい抵抗感があるんだよなぁ。
 別に、歯車やクランクがなければ機械ではない、なんて言うつもりは毛頭ない。それでは、PCやスマホでさえ機械ではなくなってしまう。
 とはいえ、だ。魔術なんてファンタジーファンタジーした力で動く物を、〝機械です〟と言うには、やっぱり違和感がすごい。それでは、空飛ぶ絨毯じゅうたんでさえ機械になってしまう。
 そんな夢のないことは言いたくはない。魔法はやっぱり魔法のままであってほしいと、俺は思うのだ。
 で、この箱型機械、ぱっと見はコンビニなどに置いてあるマルチコピー機に似た形をしている。
 肝心なその仕事内容は何かといえば……それでは早速動かしてみることにしよう。
 度重なる実験の末に出来た、実用機の第一号。それの初回起動とあって、俺自身結構ドキドキものだったりする。

「では、いきます……」

 ゴクリと、誰かののどが鳴ったような気がした。もしかしたら、それは俺自身だったのかもしれないが……
 緊張で汗ばむ手で、俺はまずふたを開ける。すると、そこには暖房用魔術陣の原板が顔を覗かせた。
 俺は手元で明滅を繰り返している〝行程一〟と書かれた文字に手を触れる。すると――
 ガタンッ。
 そう音を立てて、原板の部分が下に引っ込んだ。残されたのはぽっかりと空いた四角い穴。
 中は暗くて、ここからではよく見えないが、少しすると何やら中からガラガラと音が響いてくる。
 それから間もなく、またガコンと音を響かせ原板がせり上がってきた。
 その姿は先ほどとは打って変わって、真っ黒になっている。塗料が満遍まんべんなく塗られているのを確認してから、俺は紙を機械にセットして蓋をする。
 すると、〝行程一〟の明滅は消え、代わりに隣に書かれた〝行程二〟という文字が明滅を始めた。
 俺は光る〝行程二〟へと指を運ぶ。
 特にこれといった変化がないまま一〇秒程すると……更に隣にある〝完了〟の文字が光り出した。
 俺は機械の蓋を再度開き、中にセットされていた用紙をゆっくりと取り出す。
 そして用紙をひっくり返し、裏側を見てみれば……

『おおおぉぉーーー!!』

 俺の周りで、実動試験を見守っていたギャラリーから歓声が上がった。何せ、紙にはくっきりと魔術陣がプリントされていたのだから。
 今更かもしれないが、この機械は印刷機だ。正確には凸版印刷機という。

「おう、うまくいったみてーじゃないかロディフィス」

 刷り上がった印刷物を見て、じーさんがそう声を掛けてきた。

「ああ、ばっちりだな。印刷も綺麗に出てるし、紙の質も申し分なし。これも、皆の努力の結果だな!」

 試験印刷を固唾かたずを呑んで見守っていた工員さんたちも、俺の言葉を聞いて安堵あんどのため息を漏らし、互いに成功を喜び合っていた。
 なんせこの印刷機は、一機作るだけでも完成までに延べ一〇日以上も掛かった大作である。
 俺が一日掛かりで図面を引いて、それを基に棟梁が数日を掛けて部品を作り、それに俺が数日を費やして魔術陣加工を施し、更に数日掛けて棟梁が組み上げて完成したという、珠玉しゅぎょくの逸品だ。
 そもそも、なんでわざわざ印刷機を作ったかというと、単純に人力ではうまくいかなかったからだった。
 最初は、じーさんに作ってもらった版木をスタンプの要領で使おうかと思ったのだが、いざ印刷用の塗料を塗ってスタンプしようと下に向けたら、塗料がしたたり紙が汚れてしまったのだ。
 だったらと、版木を下にしてその上に紙を置き押さえつけ、まさに版画の要領でプリントしたのだが……
 押さえつける圧が足りなかったのか、それとも紙の表面に凹凸が多い所為か、とにかく所々こすれて綺麗に印刷できなかった。
 版木を上にするにしろ下にするにしろ、版木と寸分たがわず綺麗に印刷できなければ魔術陣は効果を発揮しない。それでは何の意味もない。
 が、村で作られている漉き紙は比較的厚く作られていた。
 だったら、もっと強い力で押さえつければ紙が版木の形に変形し、綺麗に印刷できるのではないか?
 そんな単純な発想から、魔術陣を用いたプレス機を作ることにしたのだ。それなら、人力の何倍も大きな力を掛けることができる。
 で、だったらいっそのこと塗料を付けるところから機械的に処理できないか? と考えた結果、こうして印刷機を作る流れになっていって、出来上がったのがこれという話だ。
 一応、版木ではプレス時に細かい部分が破損する恐れがあったので、この印刷機には粘土を焼き固めて作った複製品が使われている。
 これは、先日じーさんが作ってくれた版木から型を取って作ったものだ。これなら仮にプレス時に原板が割れたとしても、代わりはいくらでも作れる。
 補強用の魔術陣を使って版木自体の強度を上げようかとも考えたが、別に一トン二トンの力が掛かる訳でもなし、だったらまぁいいかなと特別なことはしていない。
 ……正直に言うと、ただ面倒くさかっただけというのは内緒の話だ。
 しかし、問題はそれだけにとどまらなかった。
 使っていた塗料が悪いのか、それとも紙の質が悪かったのか……
 とにかく塗料がにじんでしまい、魔術陣の一部が繋がってしまうという問題も発生してしまった。当然だが、魔術陣は形が崩れると機能を失ってしまう。
 このままではとても使い物にならなかったため、塗料の改良は勿論のこと、紙の原材料から製造工程まで一から見直し手を加え……と、それからは試行錯誤の連続だった。
 その過程で、紙作りの効率化また品質向上のために、魔術陣を利用した道具を数点作ることになった。
 印刷機を作るのに時間が掛かってしまったのはこのためだ。印刷機だけでなく、他にも色々作っていたからな……
 ちなみに、滲みにくい紙の開発は絶対条件だ。というのも、この国では文字が滲むことはかなり嫌われている。
 これも漉き紙が不人気な理由の一つだ。漉き紙は水分をよく吸うからな。それだけ滲みやすいのだ。
 で、新しい材料、新しい道具、新しい工程で作った紙、そして改良した塗料を使い、出来上がった機械で印刷したのが、今俺が手にしている魔術陣という訳だ。
 そう思うと、なんだか感動も一入ひとしおだな。
 勿論、俺一人が頑張って出来た訳ではない。ここにいる工員さんたちをはじめ、神父様や村のじーさんばーさんから知恵を借りて、ようやく辿り着いたものだ。
 皆の協力に感謝感謝である。
 ここに辿り着くまでに、魔術陣を使った暖房具の開発に着手したあの日から、実に三〇日程が経っていた。
 実際、全部俺が一人でこなそうと思ったら、あとどれくらいの時間が掛かったか知れたものではない。
 雪が降り出す前に完成できて、本当に良かった。
 去年は暖房費節約のために、家の中でも皆雪ん子状態だったからなぁ……ありゃ、寒いったらない。
 これで今年は快適に過ごせるぞい! てな。
 ………
 ……
 …
 良質な紙の生産態勢が確立して数日が経ち、それに伴いようやく暖房用魔術符――便宜上、呪符や護符のように紙に魔術陣の書かれているものを俺は魔術符と呼称している――の生産が開始され始めたのだが……その数はまだまだ少数にとどまっていた。
 というのも、元々紙は、イスュに売って村の財源にすることを目的として作っていたものだ。だから、生産した紙を全て暖房用魔術符に回す訳にもいかない。
 なので、全体の生産数の三分の一を魔術符用に回すことにした。そのため、まとまった数の魔術符を中々揃えられずにいたのだ。
 魔術符自体は印刷機を使ってお手軽簡単に量産することができるのだが、肝心の紙の製造はそうはいかない。
 一部で魔道具を使って効率化を図ってはいるものの、まだまだ手作業に頼る部分も多い。そのため製造には時間が掛かり、一日の生産数はあまり多くなかった。
 そんな状態ではあったが、数日掛かりでようやく多少はまとまった数の暖房用魔術符を生産することができた。
 で、それがどうなったかというと……


「いやー、すごかったな小旦那……ここにあんな大人数が来たのなんて初めて見たぜ……」
「……そんなことより、僕はもう疲れたよマスター」

 隣から重たいため息と共に聞こえてきた声に、俺も項垂うなだれながら言葉を返す。
 隣にいるのは、銭湯のドリンクバーでマスターを務めている若い男、名前を……なんといったか? まぁいいか。
 とにかくそのマスターが、疲れた顔をして俺同様にへばって項垂れていた。
 その目は、死んだ魚のようだった。きっと、俺もマスターと同じような目をしているのだろうな……
 それほどまでに、あの激戦は熾烈しれつを極めていたのだから仕方ない。
 ここは、銭湯の隣に建っている小さな建物。その中に、俺はいた。
 辺りには保存の利く食材やら、薪や油といった最近ではあまり使わなくなった日用雑貨などが所狭しと並べられている。
 そう、ここは村で唯一の売店なのだ。
 元々は、銭湯の建物内に併設された小さな売店だったのだが、取り扱う商品が増加したことで銭湯の一コーナーでは収まらなくなってしまい、単独の商店として外に出したのがこの建物だった。
 何故にこの売店にマスターがいるのかといえば、この店の売り子が彼だからだな。
 彼は日が暮れてからは銭湯のドリンクバーでマスターをしているが、日の高いうちはこの売店で売り子をして働いているのだ。
 この店では、先に紹介したもの以外にも酒やタバコといった嗜好品なんかも取り揃えている。ちなみに、全てイスュから仕入れた品である。
 つまり、出来上がった暖房用魔術符を、この売店で売ってしまおう、ってことだな。
 いや、今となっては売ってというべきか。
 俺も流れで手伝いをするはめになったのだが、売り子なんて前世で学生時代にコンビニのバイトをしていた頃以来だ。ホント疲れた……
 なぜ俺が売店で売り子の手伝いなんてことをしてるのか。それには山よりも深く、海よりも高い理由があった。それが何かというと……
 今日早速、出来上がった魔術符を店頭に並べようと売店に持ってくると、開店前にもかかわらず多くの人たちが売店前に群がっていた。
 何事かと思ったら、どうやら全員俺が持ってきた暖房用魔術符が目当てだったらしい。
 そんなこともあり、当初は置いて帰るだけのつもりが、あまりの人の多さにマスターに泣き付かれて俺まで販売を手伝わされた、という訳だ。
 ホント、迷惑な話だ。
 魔術符は店頭に並べた途端に飛ぶような勢いでけてしまい、初回生産分は即日、しかも一時間足らずでソウルドアウトしてしまっていた。
 用意した分で、なんとか待っていた人たち全員をギリギリカバーすることができたのは不幸中の幸いだな。もし、途中で品切れになっていたらどうなっていたことか……考えるのも恐ろしい。
 群がっていたお客も、欲しい物が手に入ると蜘蛛くもの子を散らすように帰って行った。今や売店の前は、先ほどの人だかりが嘘のように誰もいない。静かなものだ。
 大人気なのは結構なことだが、これで追加生産も確定だ。 
 これは早急に製紙工場の工員さんを増やすなり、魔道具を増産、改良するなりして効率化を図り、紙の生産効率を上げないと、非常にマズいことになりそうな気がする。
 このまま放置していたら、洗濯槽の時の二の舞になりかねない。
 ……あんな目に遭うのはもう二度と御免ごめんだからな。しかし、これは予想外もいいところだ。
 今までの傾向からして、俺の予想では売れるにしても口コミで評判が広がってからだろうと思っていた。
 評判が広まっている間に、次の販売分を用意すればいい、と考えていたのだが……それがまさか、告知もなしに発売日当日に完売するなんて思ってもみなかったことだ。
 これは、暖房用魔術符を買いに来た人たちの話を聞いて知ったことなのだが、どうやら暖房用魔術符の存在は、試作段階から既に村人たちには広く知られていたらしい。
 実際、買い物に来ていた人たちの多くから、〝出来上がるのを待っていた〟とか〝使うのが楽しみだ〟なんて声を掛けられたしな。
 恐らくだが、製作作業に当たっていた工員さん辺りから話が伝わっていったのだろう。
 別に箝口令かんこうれいを敷いてまで秘密にしていた訳でもないので、それは別に構わないのだけど……それにしては、奥様方がずいぶんと静かだったような気がする。
 洗濯槽の時の一件もある。あの時と同様、暖房用魔術符の存在がバレていたのならもっとこう……矢のような催促があってもおかしくはないように思うのだ。
 もしかしたら、俺に迷惑を掛けないように大人しく待ってくれていたのだろうか? いや、それはないか……
 これは俺の予想だが、今回は製作状況がある程度外部に漏れていたことが、無用な騒ぎを起こさなかった要因なのではないか。
 今どれくらい製作が進んでいる、とか、完成したら販売される予定だ、とか、いつ店頭に並ぶ、とかとか。
 そういった細々とした情報が逐一耳に入ってくることで、俺個人をとっ捕まえて尋問のようなことをする必要がなかったのではないだろうか? なんだかそんな気がするなぁ。
 と、御婦人方の話は置いといて……


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