20 / 33
第二章
昼過ぎのまどろみ
しおりを挟む
それから数時間が経過した。
緊張と孤独感と、いつまでたっても鈴が鳴らないことへの苛立ちと、焦りが混じってなんだか居心地の悪さだけが、表面にでてくる。
昼食はロイダース卿ではなく、やはりレティシアが「お昼よ、ついてきて」と小さく誘い、食堂へと誘ってくれた。
白いパン、魚を焼いたものに、豚肉を蒸したもの。
そんなものが数十人が一度に座れそうな大きくて長いテーブルの上に並べられ、中央には、一家の主である男爵がいるはずだった。
しかし、彼は滅多にこの別邸にはこないのだという。
代わりにそこにはロイダース卿が座り、二人は上の人間たちの給仕に追われた。
彼らの食事が終わり、小さい些末な従僕たちが使う控え室で与えられた昼食は、上の人間たちが遺した余り物。
でも食べかけとかではないだけ、まだましだった。
ようやく自分の番だと思うと、緊張で感じなかった空腹と疲労感が一気に襲ってくる。
ルークは夢中になって昼ごはんにありついていた。
その様を見て、同い年の少女は「そんなに慌てなくても時間はあるわよ」と諭すように言った。
「今日は、礼拝の日だから。お嬢様は遅くても夕方までは戻らないわ」
「そう……なの?」
「ええ、そうよ。だからお姉さまたちも、どこかのんびりしていらしたでしょ」
それには気づかなかった。
目上の立場の人間たちに、給仕をするのが精一杯だった。
年上。
誰もが、母親のマーシャよりも、年配の女性達。
食事をする時にも、一定の緊張感が、あの場所には張り詰めていた。
ロイダース卿と同じような、冷たくて遠慮がなく、それでいて何かを警戒するような、そんな視線。
隙がなく身のこなしも軽々としていて、食事をする手つきもどことなく、乱暴なものを感じた。
ルークの知っている貴族の下男下女は、あんな目つきも態度も取らない。
彼らの持っている雰囲気とよく似たものを、少年は知っていた。
まだ父親が存命だった頃、配下の騎士団の演習を見学したことがある。
実戦さながらのそれは、目の前で剣と剣がぶつかり合い、槍と盾が耳につく金属音を上げる。
敵と味方に分かれたそれぞれの陣営から、人があげるものとは思えないような、凄まじい雄叫びが戦場にこだましていた。
あの時、あそこにいた騎士たちも、同じような顔つきをしていた。
同じような雰囲気をまとっていた。
ただ違うところといえば、こちらの方はどこかコソコソとするような、逃げ惑うような。
光の下に出ることを嫌うドブネズミのような、そんな薄ろ暗い気配を感じてしまう。
「みんな、強そうな顔しているね」
食事時。
レティシアと二人ということもあり、気が緩んででた一言に、彼女は「そうね」と返事をした。
「目つきも鋭くて」
「そうだと思う。あたしもここにきてから、ずっと怖いもの」
「君もそうなんだ」
「……でも、辞めれないから」
「え?」
親が男爵家に借金でもしているのだろうか。
それとも、前払いで多額のお金を親に支払うことで、彼女は売られるようにしてここに来たのだろうか。
そんな可能性を模索してみたら、ちょっとだけ違った。
「見える?」
メイド服は首元までぴっしりとボタンが閉じられていて、少女の小さくて細長い首筋は、その全部を見せていない。
レティシアは二つ、三つのボタンを外すと、「誰にも言わないでね」そう言って、左の肩の鎖骨付近を見せてくれた。
「元奴隷なの。買われてきたの。男爵様のおかげでいまは平民になれたけれど、ここを追い出されたらまた同じように奴隷に戻るかもしれない。だからどこにも行けないの」
「……」
「驚いた?」
「ごめん」
「いいの。誰にも言わないでくれたら。まあ、この屋敷のみんなは誰でも知ってるけど」
「言わないよ。誰にも」
そう約束して、食事を終えると食器を片付けてから、また応接室に戻る。
なんだか知ってはいけない人の秘密をいくつも目の当たりにした気がして、この子はとても疲れてしまった。
応接室で好きに見てもいいと言われた書棚から取り出した本を読んでいると、今度はお茶の時間よ、と簡単なティーセットを持ってお菓子の入った皿を片手に、レティシアが部屋に入ってきた。
「あ、え? ここで食べてもいいの?」
「後片付けをしておけば文句は言われないわ。とはいってもそんなに時間はないから、普段はこんなことも出来ないと思っといた方がいい。今日は特別ね」
彼女が言うには、午後のこの時間は人の出入りが激しいのだという。
だから、休憩があるようでないようでそんな感じ。
ないと思っておいた方が気楽だと、あらかじめ教えてくれた。
緑色のお茶を飲み、ふんわりとした触感のうす皮で包まれた甘い小豆の味がするその菓子を一つ口にすると、なんだか自分だけ一人いい目を見ているような気がして、心が痛む。
「これ、持って帰ってもいいかな?」
「いいわよ。でも、早く食べないと腐るから、気を付けてね」
「どれくらい?」
「三日間くらいはもつと思う」
「それなら―ーうん。お母様に差し上げたくなって」
「いい心がけだと思う。母親がいるって羨ましい」
レティシアはそれ以上自分のことを深く語らなかった。
ルークもそれは聞いてはいけないもののような気がして、触れなかった。
菓子をお嬢様が使っているという紙を一枚だけ頂いてそれにくるむと、鞄に詰め込む。
「あとちょっとしたら戻られると思う。緊張しないように頑張ってね」
「ありがとう」
励ましの声をくれた。
レティシアが自分の仕事に戻ってしまうと、さすがに気疲れが限界を迎えたのか、ルークは窓から差し込む夏の陽ざしに負けそうになる。
眠ってはいけない。
それは分かっていたけれど。
でも、初夏のまどろみには勝てるものはない。
何とか頑張って耐えようとしたのに。いつのまにか、ルークは深い眠りに落ちてしまった。
緊張と孤独感と、いつまでたっても鈴が鳴らないことへの苛立ちと、焦りが混じってなんだか居心地の悪さだけが、表面にでてくる。
昼食はロイダース卿ではなく、やはりレティシアが「お昼よ、ついてきて」と小さく誘い、食堂へと誘ってくれた。
白いパン、魚を焼いたものに、豚肉を蒸したもの。
そんなものが数十人が一度に座れそうな大きくて長いテーブルの上に並べられ、中央には、一家の主である男爵がいるはずだった。
しかし、彼は滅多にこの別邸にはこないのだという。
代わりにそこにはロイダース卿が座り、二人は上の人間たちの給仕に追われた。
彼らの食事が終わり、小さい些末な従僕たちが使う控え室で与えられた昼食は、上の人間たちが遺した余り物。
でも食べかけとかではないだけ、まだましだった。
ようやく自分の番だと思うと、緊張で感じなかった空腹と疲労感が一気に襲ってくる。
ルークは夢中になって昼ごはんにありついていた。
その様を見て、同い年の少女は「そんなに慌てなくても時間はあるわよ」と諭すように言った。
「今日は、礼拝の日だから。お嬢様は遅くても夕方までは戻らないわ」
「そう……なの?」
「ええ、そうよ。だからお姉さまたちも、どこかのんびりしていらしたでしょ」
それには気づかなかった。
目上の立場の人間たちに、給仕をするのが精一杯だった。
年上。
誰もが、母親のマーシャよりも、年配の女性達。
食事をする時にも、一定の緊張感が、あの場所には張り詰めていた。
ロイダース卿と同じような、冷たくて遠慮がなく、それでいて何かを警戒するような、そんな視線。
隙がなく身のこなしも軽々としていて、食事をする手つきもどことなく、乱暴なものを感じた。
ルークの知っている貴族の下男下女は、あんな目つきも態度も取らない。
彼らの持っている雰囲気とよく似たものを、少年は知っていた。
まだ父親が存命だった頃、配下の騎士団の演習を見学したことがある。
実戦さながらのそれは、目の前で剣と剣がぶつかり合い、槍と盾が耳につく金属音を上げる。
敵と味方に分かれたそれぞれの陣営から、人があげるものとは思えないような、凄まじい雄叫びが戦場にこだましていた。
あの時、あそこにいた騎士たちも、同じような顔つきをしていた。
同じような雰囲気をまとっていた。
ただ違うところといえば、こちらの方はどこかコソコソとするような、逃げ惑うような。
光の下に出ることを嫌うドブネズミのような、そんな薄ろ暗い気配を感じてしまう。
「みんな、強そうな顔しているね」
食事時。
レティシアと二人ということもあり、気が緩んででた一言に、彼女は「そうね」と返事をした。
「目つきも鋭くて」
「そうだと思う。あたしもここにきてから、ずっと怖いもの」
「君もそうなんだ」
「……でも、辞めれないから」
「え?」
親が男爵家に借金でもしているのだろうか。
それとも、前払いで多額のお金を親に支払うことで、彼女は売られるようにしてここに来たのだろうか。
そんな可能性を模索してみたら、ちょっとだけ違った。
「見える?」
メイド服は首元までぴっしりとボタンが閉じられていて、少女の小さくて細長い首筋は、その全部を見せていない。
レティシアは二つ、三つのボタンを外すと、「誰にも言わないでね」そう言って、左の肩の鎖骨付近を見せてくれた。
「元奴隷なの。買われてきたの。男爵様のおかげでいまは平民になれたけれど、ここを追い出されたらまた同じように奴隷に戻るかもしれない。だからどこにも行けないの」
「……」
「驚いた?」
「ごめん」
「いいの。誰にも言わないでくれたら。まあ、この屋敷のみんなは誰でも知ってるけど」
「言わないよ。誰にも」
そう約束して、食事を終えると食器を片付けてから、また応接室に戻る。
なんだか知ってはいけない人の秘密をいくつも目の当たりにした気がして、この子はとても疲れてしまった。
応接室で好きに見てもいいと言われた書棚から取り出した本を読んでいると、今度はお茶の時間よ、と簡単なティーセットを持ってお菓子の入った皿を片手に、レティシアが部屋に入ってきた。
「あ、え? ここで食べてもいいの?」
「後片付けをしておけば文句は言われないわ。とはいってもそんなに時間はないから、普段はこんなことも出来ないと思っといた方がいい。今日は特別ね」
彼女が言うには、午後のこの時間は人の出入りが激しいのだという。
だから、休憩があるようでないようでそんな感じ。
ないと思っておいた方が気楽だと、あらかじめ教えてくれた。
緑色のお茶を飲み、ふんわりとした触感のうす皮で包まれた甘い小豆の味がするその菓子を一つ口にすると、なんだか自分だけ一人いい目を見ているような気がして、心が痛む。
「これ、持って帰ってもいいかな?」
「いいわよ。でも、早く食べないと腐るから、気を付けてね」
「どれくらい?」
「三日間くらいはもつと思う」
「それなら―ーうん。お母様に差し上げたくなって」
「いい心がけだと思う。母親がいるって羨ましい」
レティシアはそれ以上自分のことを深く語らなかった。
ルークもそれは聞いてはいけないもののような気がして、触れなかった。
菓子をお嬢様が使っているという紙を一枚だけ頂いてそれにくるむと、鞄に詰め込む。
「あとちょっとしたら戻られると思う。緊張しないように頑張ってね」
「ありがとう」
励ましの声をくれた。
レティシアが自分の仕事に戻ってしまうと、さすがに気疲れが限界を迎えたのか、ルークは窓から差し込む夏の陽ざしに負けそうになる。
眠ってはいけない。
それは分かっていたけれど。
でも、初夏のまどろみには勝てるものはない。
何とか頑張って耐えようとしたのに。いつのまにか、ルークは深い眠りに落ちてしまった。
0
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
幼馴染の許嫁
山見月 あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。
彼は、私の許嫁だ。
___あの日までは
その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった
連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった
連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった
女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース
誰が見ても、愛らしいと思う子だった。
それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡
どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服
どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう
「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」
可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる
「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」
例のってことは、前から私のことを話していたのか。
それだけでも、ショックだった。
その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした
「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」
頭を殴られた感覚だった。
いや、それ以上だったかもしれない。
「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」
受け入れたくない。
けど、これが連の本心なんだ。
受け入れるしかない
一つだけ、わかったことがある
私は、連に
「許嫁、やめますっ」
選ばれなかったんだ…
八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。
前世で私を嫌っていた番の彼が何故か迫って来ます!
ハルン
恋愛
私には前世の記憶がある。
前世では犬の獣人だった私。
私の番は幼馴染の人間だった。自身の番が愛おしくて仕方なかった。しかし、人間の彼には獣人の番への感情が理解出来ず嫌われていた。それでも諦めずに彼に好きだと告げる日々。
そんな時、とある出来事で命を落とした私。
彼に会えなくなるのは悲しいがこれでもう彼に迷惑をかけなくて済む…。そう思いながら私の人生は幕を閉じた……筈だった。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
これって政略結婚じゃないんですか? ー彼が指輪をしている理由ー
小田恒子
恋愛
この度、幼馴染とお見合いを経て政略結婚する事になりました。
でも、その彼の左手薬指には、指輪が輝いてます。
もしかして、これは本当に形だけの結婚でしょうか……?
表紙はぱくたそ様のフリー素材、フォントは簡単表紙メーカー様のものを使用しております。
全年齢作品です。
ベリーズカフェ公開日 2022/09/21
アルファポリス公開日 2025/06/19
作品の無断転載はご遠慮ください。
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる