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第二章

第19話 冷たい仕打ち

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 夕食は羊の肉を細かく切り、野菜とともに甘辛く煮た物と、魚を油で揚げたもの。あとは簡単な野菜のサラダだった。

 俺はワインを片手に、爺にどうするのさ、と視線を送る。爺は酒の瓶をそのまま煽りながら、俺たちの後ろに立ち、食事の給仕に徹するティリスを見やった。

「彼女の証明書が必要ですな」
「意味が分からないんだけど」
「魔導列車、飛行船。これらを運営しているのは、魔族の経営する会社なのですよ」
「王国の中を走っているんだから、王国の法律に従ってればいいんじゃ?」
「いえいえ、奴隷ともなれば、話しが別なのです。ティリスは本家の伯爵家の購入した奴隷ですから、奴隷が都市間を移動するには、証明書が必要です」
「馬車の旅なら、要らないわけ?」
「それは、イニス様が同行しておりますから。しかし、列車内では王国の特権は適用されません。と、いうわけで……」

 奴隷にも階級が存在する。
 馬や牛のように肉体労働に酷使され、人生をそのなかで終わらせる労働者階級。
 知的生産職として何がしかの特別な能力や、高等教育を受けたものの奴隷に落ちてしまい、その能力を主人の家業に対して奉仕することのできる、教育階級。

 娼婦などから身請けをされ、大金持ちの商人や貴族、地主などの愛人になる愛玩奴隷、などなど、その種類はさまざまなわけで。
「抱く? 僕が? 愛人にするって言うの?」
「いや、あくまで形式的に……それが一番、手っ取り早い」
「なんでそんなことをしなくちゃならないのさ!」
「イニス様は伯爵家を追われたとはいえ、個人の爵位まで剥奪されたわけではありませんから」
「あ、そういうことか」

 貴族の子弟子女には、それぞれ個別の爵位が親から与えられるのが、通例だ。
 伯爵の長男なら男爵を、次男なら準男爵を……俺に至っては準男爵補、程度の爵位でしかないが、これでも立派な貴族だ。あくまで末端の弱っちい、どうしようもない端くれだが、役に立つなら利用しない手はない。

「それを使い、ティリスを愛人ということにすれば、まあ世の中というものは、あとはこれで」

 と、爺は財布を取り出して金貨を見せる。
 どすぐろい大人の世界を垣間見た気がして、俺はなんだかいけない事に片足を突っ込んだ気分になる。

「わっ、わたしがですか……そんな、恐れ多い」

 と、ティリスは恥じ入るばかりで、しかし、否定はしない。
 まあ、そうだろうな。いまは形ばかりでも、俺は貴族。その愛人という枠に収まっている間だけ、彼女は奴隷でありながら、奴隷以上のなにかを手にできるのだから。

 権力とか、そういった目に見えないものを。
 そういう女なのか、と思い始めていた矢先、でも、とティリスが提言をする。

「奴隷でも冒険者登録を済まし、護衛として任務に当たらせれば、それは通用するのでは?」
「冒険者登録、か。それは盲点でしたな。確かに、ティリスが剣士なり戦える職として冒険者に登録できれば、護衛として供に列車に乗せることもできます」
「……爺。もうろくしたの? もっとしっかりしてよ。あ、でもそうなると、ティリスの登録が」

 俺はまだ食事の最中だということもあり、後ろに立つティリスが冒険者になれるほどの腕前、実力を持つのかどうかを知らない。

 それを告げると、爺はにんまりと笑って言った。「イニス様よりは、役に立ちますでな」と。
 嬉しくない、失礼な物言いだ。俺は鼻息荒くして食事を手早く終えると、そのまま自室に向かう。

 ベッドの上で魔石ランプの灯りを頼りに、学校でまだ習い始めたばかりだった外国語の本を読んでいたときだった。
 窓の外から、ばしゃ、ばしゃっと水音が下かと思うと、誰かがそこでなにかを洗っているような、そんな音がしたのは。

 てっきり、爺かティリスが馬の水桶を変えているのかと思ってガラス越しに覗いてみたら、そこにいるのは真っ白な肌を晒して全身に水を浴びるティリスの姿だった。

「おいおい、なんで」

 風呂があるだろ、と声掛けをしようとして、俺はそれを止めた。
 ティリスは奴隷なのだ。奴隷ならば、どんなに寒くても、井戸の水で肉体を清めるのが当たり前なのは、普通のことだった。

 伯爵家に仕えてくれていた奴隷たちはたまたま、恵まれていただけなのだ。奴隷専用の個室も、風呂場も、父上は与えていた。

 だが、これが田舎の現実なのだとしたら――爺も風呂場を使わせてやればいいのに。そう思ったけれど、爺も特別扱いをする気がなかったのだろう。奴隷は奴隷。風邪を引くほどに弱い肉体なら、さっさと売ればいい。それだけのことだ。

「……」

 美しい裸体をじっと見つめていることは、どうしてもできなかった。
 俺の奴隷なのだ。俺の所有物。なのに、なにかそれが正しいことだとは思えない。

 物だとしても、彼女たち、彼らにも自尊心はあるだろう。わざわざ、自ら周囲の視線を集めたいわけではないのだから。こうしなければならない過酷な仕打ちを与えたのは俺なのだから。

 そう思うと、俺はそっと窓から顔を伏せ、外国語に必死に打ち込むしかなかった。
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