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第二章
第20話 衣装選び
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翌朝。
洗面所で顔を洗い身支度を整えようとして、鏡に写る自分を見て俺は「げっ」と呻いた。
深夜まで妄想を戦いながら勉強を続けた俺は、三、四時間の睡眠しかとれず、疲弊した顔をしている。
目の下には薄く隈ができていた。
爺やティリスに見られたらなんと言われるだろう?
ここ数日の疲れが一気に出たと言い訳をするべきか。
まさか、昨夜たまたま見てしまった彼女の裸がずっと脳裏から離れずに……などと、告白するわけにもいかない。
貴族の子弟らしからぬ呆けた顔をしていたのだろう、朝食をとるためにリビングルームに顔を出したら、爺は訝しげに俺を見てなにやら目を細めていた。
「イニス様。具合でも悪いのですか?」
「え、いや。何もないよ……ティリス」
娼婦館で会った時のままの恰好で、彼女はテーブルの上に宿屋から貰って来たのだろう、朝食のプレートを並べていた。
「イニス様はどうやら旅のお疲れが出たようだ」
「まあ、それはいけませんね」
彼女の引いてくれた椅子に腰かけて、食事を始める。
今朝のメニューは拳大に丸めて焼いたパンが二つ。カリカリに焼いたベーコンは焦げ目がついていて、噛んだら硬い。
バターとミルクが味付けを濃くしているスクランブルエッグは、ティリスが焼いたのだという。
これは炒りすぎず、丁寧な仕上げになっていて、口の中でほろりとほろけて溶ける。
甘さと胡椒の辛さが絶妙に舌に絡みつき、美味しさで心が癒された。
そして、濃い目のコーヒーを飲むことで、ようやく俺の脳は覚醒する。
爺と俺の後ろに立ち、必要があれば給仕をする彼女は、冷え切った料理を口にすることになるのだ、と思い至り俺は「座っていいよ」とティリスに命じた。
爺は何も言わない。この場でもっとも偉いのは俺だからだ。
俺がティリスに無茶な命令をしない限り、爺がこれからの旅で口を挟むことはないだろう。
「え、でも……そんな。恐れ多いです」
「いいから。僕が許可してる。これから同じ旅をするんだから、今はいい」
他に部外者がいれば、話は別だけれど。俺は下座を示した。
賢いティリスはそのことを理解したのか、「それでは」と一礼すると自分のプレートを運んで、食事を始めた。
俺はその所作を見て、おれ? と首を傾げた。
ティリスの食事作法は、王国の貴族階級の者が習う礼法に則った、正式な作法だったからだ。
ナイフとフォークを使い、分厚いベーコンをきちんと切り分け、口元に運ぶ仕草を見ただけで、そう分かる。
こんな所作をどこで身に着けたのか。俺はそのことに気を取られてじっとティリスを見つめていた。
「レドロムには冒険者ギルドの支部がありましてな、イニス様」
「え、ああ。うん――ティリスの登録の件、だよね」
爺が俺の視線を遮るようにそう言い、今日の段取りを説明してくれる。
「作用です。ティリスの恰好をまず整えませんと。イニス様のお付きの奴隷としてならば問題ありませんが、冒険者資格を得るとなると、最低限の見栄えは必要になります」
「えっと……ああ、伯爵家が後見人になるから、だよね」
「そうですな。宿屋の主人と話をつけましたので、食事が終わればティリスを連れて本館へ。そこで古着ですが、侍女の服を譲ってもらうことになりました」
「爺は手配が早いね……でも、なんで僕まで?」
「奴隷ですからな。もし、物品が無くなればこちらの責任だと、難癖をつけられかねません。ここは王都ではありませんでな」
旅人の奴隷が勝手に本館に出入りするだけで、ここの住人は文句をつけるのか、とその時はなんとなく理不尽な怒りを感じたが、後になってみればこれはお互いの為だった、と分かる。
治安の良い王都ではないのだ。
互いに信頼関係などなくて、ぎりぎりの一線を越えないように付き合うことでしか、こんな田舎では余所者と土地の人間は折り合いがつかないのだった。
「分かったよ。付いていく」
俺はそう言い、黙々と食事を終えるティリスをそっと見やった。
食事の後片付けをするために彼女が去ったあと、俺は爺に静かに問う。
「どういう経緯で購入したの?」
「詳しくは本人に尋ねるのが一番よろしいかと」
「訊くのは簡単だけど」
「元はどこかの貴族の令嬢だったとか。幼くして奴隷となり冒険者に購入され、そのまま数年間、様々な冒険をしたのだとか」
「だから僕よりも経験者だって言ったの?」
「そうですな。後は冒険者ギルドに行けばわかることかと」
「どうやって行けばいいの。それすらも知らないんだけど?」
「ここから一時間ほど歩いたところに、冒険者ギルドの支部があると聞いております」
「一時間か……」
オロン爺は、俺達が冒険者ギルドで登録をしている間に他にやることがあると言った。
魔導列車の切符を購入したり、荷物を運び込んだりと色々あるみたいで、俺は深く聞かずとりあえず、ティリスを連れて衣装選びに行くことにした。
洗面所で顔を洗い身支度を整えようとして、鏡に写る自分を見て俺は「げっ」と呻いた。
深夜まで妄想を戦いながら勉強を続けた俺は、三、四時間の睡眠しかとれず、疲弊した顔をしている。
目の下には薄く隈ができていた。
爺やティリスに見られたらなんと言われるだろう?
ここ数日の疲れが一気に出たと言い訳をするべきか。
まさか、昨夜たまたま見てしまった彼女の裸がずっと脳裏から離れずに……などと、告白するわけにもいかない。
貴族の子弟らしからぬ呆けた顔をしていたのだろう、朝食をとるためにリビングルームに顔を出したら、爺は訝しげに俺を見てなにやら目を細めていた。
「イニス様。具合でも悪いのですか?」
「え、いや。何もないよ……ティリス」
娼婦館で会った時のままの恰好で、彼女はテーブルの上に宿屋から貰って来たのだろう、朝食のプレートを並べていた。
「イニス様はどうやら旅のお疲れが出たようだ」
「まあ、それはいけませんね」
彼女の引いてくれた椅子に腰かけて、食事を始める。
今朝のメニューは拳大に丸めて焼いたパンが二つ。カリカリに焼いたベーコンは焦げ目がついていて、噛んだら硬い。
バターとミルクが味付けを濃くしているスクランブルエッグは、ティリスが焼いたのだという。
これは炒りすぎず、丁寧な仕上げになっていて、口の中でほろりとほろけて溶ける。
甘さと胡椒の辛さが絶妙に舌に絡みつき、美味しさで心が癒された。
そして、濃い目のコーヒーを飲むことで、ようやく俺の脳は覚醒する。
爺と俺の後ろに立ち、必要があれば給仕をする彼女は、冷え切った料理を口にすることになるのだ、と思い至り俺は「座っていいよ」とティリスに命じた。
爺は何も言わない。この場でもっとも偉いのは俺だからだ。
俺がティリスに無茶な命令をしない限り、爺がこれからの旅で口を挟むことはないだろう。
「え、でも……そんな。恐れ多いです」
「いいから。僕が許可してる。これから同じ旅をするんだから、今はいい」
他に部外者がいれば、話は別だけれど。俺は下座を示した。
賢いティリスはそのことを理解したのか、「それでは」と一礼すると自分のプレートを運んで、食事を始めた。
俺はその所作を見て、おれ? と首を傾げた。
ティリスの食事作法は、王国の貴族階級の者が習う礼法に則った、正式な作法だったからだ。
ナイフとフォークを使い、分厚いベーコンをきちんと切り分け、口元に運ぶ仕草を見ただけで、そう分かる。
こんな所作をどこで身に着けたのか。俺はそのことに気を取られてじっとティリスを見つめていた。
「レドロムには冒険者ギルドの支部がありましてな、イニス様」
「え、ああ。うん――ティリスの登録の件、だよね」
爺が俺の視線を遮るようにそう言い、今日の段取りを説明してくれる。
「作用です。ティリスの恰好をまず整えませんと。イニス様のお付きの奴隷としてならば問題ありませんが、冒険者資格を得るとなると、最低限の見栄えは必要になります」
「えっと……ああ、伯爵家が後見人になるから、だよね」
「そうですな。宿屋の主人と話をつけましたので、食事が終わればティリスを連れて本館へ。そこで古着ですが、侍女の服を譲ってもらうことになりました」
「爺は手配が早いね……でも、なんで僕まで?」
「奴隷ですからな。もし、物品が無くなればこちらの責任だと、難癖をつけられかねません。ここは王都ではありませんでな」
旅人の奴隷が勝手に本館に出入りするだけで、ここの住人は文句をつけるのか、とその時はなんとなく理不尽な怒りを感じたが、後になってみればこれはお互いの為だった、と分かる。
治安の良い王都ではないのだ。
互いに信頼関係などなくて、ぎりぎりの一線を越えないように付き合うことでしか、こんな田舎では余所者と土地の人間は折り合いがつかないのだった。
「分かったよ。付いていく」
俺はそう言い、黙々と食事を終えるティリスをそっと見やった。
食事の後片付けをするために彼女が去ったあと、俺は爺に静かに問う。
「どういう経緯で購入したの?」
「詳しくは本人に尋ねるのが一番よろしいかと」
「訊くのは簡単だけど」
「元はどこかの貴族の令嬢だったとか。幼くして奴隷となり冒険者に購入され、そのまま数年間、様々な冒険をしたのだとか」
「だから僕よりも経験者だって言ったの?」
「そうですな。後は冒険者ギルドに行けばわかることかと」
「どうやって行けばいいの。それすらも知らないんだけど?」
「ここから一時間ほど歩いたところに、冒険者ギルドの支部があると聞いております」
「一時間か……」
オロン爺は、俺達が冒険者ギルドで登録をしている間に他にやることがあると言った。
魔導列車の切符を購入したり、荷物を運び込んだりと色々あるみたいで、俺は深く聞かずとりあえず、ティリスを連れて衣装選びに行くことにした。
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