殿下、婚約者の私より幼馴染の侯爵令嬢が大事だと言うなら、それはもはや浮気です。

和泉鷹央

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第二章 帝国編(海上編)

来訪者

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 ――一日前。
 困ったものだ。
 そう思いながら、アルナルドは丸くくりぬかれた部屋の窓から外を見ていた。
 迫りくる昼と夜の境目のような水平線に浮かぶ太陽の異様な巨大さに目を見張りそうになる。
 とても感動的な情景なのに、感動どころか頭を悩ませないといけないなんて。
 沈みゆく太陽は少年の悩みと怒りの度合いを表すかのように、七割は赤く、三割は黒く染まっている。
 やがて姿を失えば漆黒の闇……どんよりとした悩みが自分の心を覆うことは分かっていた。
 その原因は向かうソファーに座る人物で、彼の涼し気な顔つきと柔らかい物腰が与える印象とはまったく違う中身があることも、アルナルドは理解していた。
 
「その弟にそっくりな容姿が何よりも腹立たしい……」
「まあまあ、そう言ってくれるな皇太子殿下。あれよりは俺はまともなつもりだ」
「……」

 ニヤリと口の端を歪めて笑うさまは、さしずめ人食い鮫のようだ。
 どこまでも獲物を追い詰めて追い詰めて、弱り切るまで血を吸い上げてから最後に貪り喰うようなそんな印象しか沸いて出てこない。
 まだ弟のあいつの方が、何万倍も可愛げがあっていいよ。
 アルナルドは小さく首を振ってから相手の真意を確かめようと質問する。

「弟に王位継承の座を奪われてどんなお気持ちですか、ラフトクラン王国第一王子ハサウェイ?」
「おいおい、御挨拶だなアルナルド。ハサウェイ殿下だろう? 言葉遣いに気をつけろ」

 言葉遣いね。
 左右に一人ずつ、帝国から共に連れ帰って来た近衛騎士だろう。白い制服が似合いの彼らは表情一つ変えることなく、室内にいる帝国兵に対して気を配っている。
 油断のならない二人だ。水兵を含めれば八人。
 狭くない室内だが、剣は時として銃よりもすばらしい働きをするときもある。
 有能かつ戦闘になれた騎士なら――どうだろうかと確かめる気は、アルナルドにはなかった。

「王位継承権を持つ王族を殿下と呼ぶのが帝国のしきたりでしてね。ハサウェイ王子。貴方はロイズにその権限を奪われた。いいや、出し抜かれたんだ。これは帝国の船で、僕の所有物でもある。ついでに僕は帝位継承者でもあるんですよ」
「……負け犬にかける礼儀はないとでも言いたそうだな、アルナルド殿下」
「そうは言っていません。いきなりの乗船にいきなりの面会、そしていきなりの殿下と呼べと言う貴方は何を考えているのか。僕は貴方の正気を疑いたいところです、ハサウェイ。この場で殿下詐称の罪で投獄してもいい」
「出来るかな?」
「その左右の近衛騎士もその程度には法律を弁えていると思いたいところですね」
「確かに彼らは帝国の忠実な臣民だ。それは間違いない」
「どういう経緯でこうなったのか、詳しく知りたいところだよ。僕は故郷にようやく戻れるんだ。十年ぶりにね。どうして邪魔をするのさ?」

 サラをさんざん困らせたあの顔によく似た者がもう一匹そこにいる。
 いまこの船にはサラがいて、それをこの男は知っているのかそれとも……?
 もし、サラを連れもどすというなら、それはアルナルドにとっては許しがたいことだった。
 ハサウェイ第一王子は足を片膝にのせて大仰な姿勢で両手をおおきく広げて見せる。
 あまりいじめないでくれよ、そんな仕草だった。

「邪魔なんかしないさ、アルナルド。あの愚弟が王位継承権を得たと聞いて戻ろうとしていた矢先、この船団に出会った。たまたま、だよ。空からの来客は初めてかな?」
「ええ……まさか、飛行船からの来客は予想外でしたよ。それも、出港した港の王族御一行が来たとあっては慌てもします」
「なぜ?」
 
 その何故を語れるならこんなに苦労するもんか。
 窓から差し込む夕陽の強烈な光にさらされて、アルナルドの鳶色にも見える瞳は強い意思の光をたたえていた。
 王国の領海は脱したし、ここはセナス王国の領海内だ。
 帝国の皇族が所持する船においては、どの国も手出しをすることはためらうはず。
 なのに、なんだろうこのじっとりと湿ったような嫌な予感は。
 なにをしても守りたい女がいる。最愛の女性だ……二度と手放さないとそう誓った矢先に彼女を失うことだけは避けたかった。
 どちらにせよ、その愚弟が数か月前に手にしたはずの王位継承権を今更どうこうする気は無いに決まっている。
 表向きには、何もできないはずだ。
 もうすこし延びればよかったのにとアルナルドはぼやいていた。
 この男――第一王子ハサウェイは素行が悪く、半ば王国を追放される形で帝国正規軍の幹部候補生として本国に行かされていたからだ。
 どうせ、ロイズが王位継承権を託されたと知ったものの、勝手には帰国など許されない。軍役の任期開けで戻ろうとしたのだろう。

「なぜ? 事前の連絡くらいはできたでしょう、ハサウェイ。それすらなしにいきなりの乗り継ぎとはね。歓迎はしますが、いまひと時だけにして頂きたい」
「つまり、あの無粋な飛行船に戻れ、そう言いたいのかアルナルド殿下?」
「そういうことですよ。何にせよ、向かう方向が違いすぎる。それに部下を渡せとは心外な要求に応じる気はありませんよ」
「ない、か。臣下の一人や二人、どうでもいいだろう?」
「良くはない。大事な僕だけの家臣だ。貴方の道具じゃない」

 ふっ、と二度目に鼻を鳴らしたハサウェイは羨ましいほどに長い脚を更に組み直し、姿勢を正すと傍らの近衛騎士から何やら包を受け取り、アルナルドにほらっと言って投げてよこした。

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