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第二章 対決

52 ミン・レイの覚悟

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「もういいっ!」

 報告を受けたミン・レイは、テイの死の報をもたらした手下を強かに打った。

「必ず小娘を見つけるんだ。見つけ次第、必ず、殺せ!」

 八つ当たりされた手下もいい面の皮だった。


 

 レイはチナ王国にいくつかある軍閥、豪族の娘であった。

 遠い祖先のことはよく知らない。チナもまた、いくつかの有力な部族同士が干戈を交えつつ統合されてきた歴史を持つ多民族国家であり、軍閥はその名残だった。国王に絶対の忠誠を捧げることを条件に、代々幾ばくかの所領を安堵されている。

 帝国は異なる人種や部族を法と信義で治め結び付けてきたが、チナはカネと力でそれを行っていた。カネは力を育み、力はカネを生む。軍閥の存在はその象徴でもあった。一度力とカネを得た者は、それを手放すことを恐れた。

 レイの父親である首領には多くの兄姉弟妹があった。そのなかでもっとも目を掛けられていたのが彼女だった。

「此度の作戦が成功すれば、国王陛下のわが一族に対する覚えも高まろう。さすればお前に家督を譲ることも考えようぞ」

 父の言葉に、一時はレイも奮い立った。だが、そんなことをすれば帝国は黙ってはいないだろう。必ず戦争になる。

「ですが、父上。我が国の戦争準備は整っているのですか?

 そのような大艦を奪えば、帝国は必ず報復してくるでしょう。さすれば、チナでもっとも東に位置する我がミンが地理的にいち早く矢面に立つことになります。

 もう帝国と事を構える算段はついているのですか?」

「レイ、そちはそのようなことを案ずる必要はない!」

 父はさらに語気を強めた。

「ミカサとかいうその戦艦を奪えば人質もできる。帝国が報復すれば、人質を殺すと言えばよいのだ!」

 ことはそのような単純な問題ではない。一度帝国が本気になれば、大なりと言えども一豪族に過ぎないミンなどはひとたまりもない。肝心のチナ本国も、いざとなれば全ての責任をミンに負わせ、援軍を送ってくれるはずもない。捨て石にされるのがオチだろう。

 レイは父を諫めようとした。だが・・・。

「レイよ! 我がミンの道はすでに示された! 是が非でも帝国の最新鋭戦艦を奪い、このミンの家名をあげるのだ!

 それがそちの役目ぞ!」

 一度言い出したら聞かない父だった。

 いくばくかの不安を胸に、内心とは裏腹に手下どもに喝を入れ、勢い込んで乗り込んできたのだ。


 

 手の者のうち、レイは若い者だけを連れて来ていた。テイとツァオはそのなかでも有望な、将来ミンの一党の幹部にもなろうかと目をかけていた子分頭だった。それを2人とも呆気なく殺され、レイは怒り心頭に発していた。

 憤懣のやるかたがなかった彼女は、ノロノロ這うように動いている機関車を見下ろして悪態と唾を吐き、士官たちを押し込めている幕僚室に行った。

 ノックもせず、ドアを蹴って開けた。

 人質のはずのミカサの幹部たちが暢気に寛いでいるように見え、尚更腹が立った。

「あの娘は何者だ!」

 士官の中の、一番のジジイに尋ねた。彼は艦隊司令長官と名乗っていた。

 事前の打ち合わせでは艦隊司令官は下艦しているはずだったが。まあ、それはどうでもいい。司令長官だろうが一水兵だろうが、泊地にさえ着けば全員皆殺しにするのだ。

 不愉快にも、彼は胸をそびやかした。

「先ほど言わなかったかね。あれは軍神マルスの・・・」

 ワワン中将が言い終わらないうちに、レイの平手が彼の頬を打った。

 周囲の士官たちは自身が仰ぐ艦隊司令長官に対する無礼、暴挙に色めき立った。が、そんなことには歯牙にもかけず、レイはフン、と鼻で嘲笑った。

「ふざけたことを抜かすな! この世に神などあるものか!」

「そうだろうとも」

 と老中将は言った。

「神はこの世にあるのではない。神はこの地に生きる全ての人々の心のうちにおわしますのだ。我々は神を信じ、感じる。ゆえに心を安らかに、豊かに保つことが出来る。

 その幸福がわからないとは、チナに生きる者は実に不幸なことだのう・・・」

 レイは歯噛みした。

「艦内放送であの小娘に命じろ! 抵抗を止めて大人しく出て来い、と」

「断る! 例え殺されようとも、我らはお前たちの意のままにはならん! 殺したくば殺せばよかろう。」

 ワワン中将は即答した。

「ひとつ、お主に忠告してやろう。

 あの軍神マルスの娘をこれ以上怒らすな。さもなくば父神の怒りを呼び、娘は悪鬼に変わる。お前たちをこの艦もろとも、地獄へ誘(いざな)うであろう!」

「フンッ! たわけたことをっ!」

 それ以上対話する意味を失い、レイは幕僚室を出ようとした。が、

「お若いの」

 ジジイがレイを呼び止めた。

「捕虜はこの老いぼれだけでよかろう。他の将兵は自由にしてやってくれまいか。また、ここにいる怪我人に対し治療を要求する。

 貴国がわが帝国に対し宣戦を布告し、我らを捕虜とするなら、最低限のそれが礼儀であり、義務であろう」

 周囲の士官たちは皆同じように挑戦的な視線を浴びせて来る。

 正規軍ではないにしても、レイもまた指揮官であった。それだけに、この老いぼれの統率の見事さを認めないわけにはいかなかった。

 帝国という国は、あのカトーとかいう男やルメイという者のような、目先の利益だけを追う人間の集まりではないのか。むしろ、そういう者たちは少数派なのか。それでは我が国は、帝国に対し何のアドバンテージも持てないではないか。

 この世はただ、金と力。それだけではないのか。いったい帝国人というのは、何をよすがに生きているのだ。

 もちろん、レイが帝国の艦隊司令長官の言葉に反応することはなかった。

「どうした若いの。老いぼれだから殺す価値もないというのか」

 このジジイの毅然たる態度にたじろぐのを見せたくない。

「チッ・・・」

 ムカつくジジイだ・・・。レイは爪を噛んだ。

 とにかく、あんな小娘一人に翻弄され手間取っていては沽券にかかわる。泊地に着くまでに艦内を完全に制圧してしまわねば、レイも、彼女を遣わせた父のメンツも丸潰れになる。

 こうなってしまうと機関室と弾薬室の立て籠もり兵のことも、心配になって来た。帝国人は意外にホネがある。もしも、本当に弾薬室の兵が自爆したりすれば、どうなるか。

 なんとかせねば・・・。

 と、あるアイディアが閃いた。

「ジジイ! それほど死に急ぎたいのなら、望みどおりにしてやろうではないか」

 背後にいる兵たちを振り返り、早口のチナ語で低く囁いた。兵たちはワワン中将を引き立てると幕僚室から連れ出そうとした。

「待て! 長官をどこに連れてゆくか!」

 ラカ少佐が一喝したが、チナ兵たちに銃口を向けられ、沈黙した。

「あの娘を誘き出すエサになってもらうだけだ」

 レイは乱暴に吐き捨て、幕僚室を去った。
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