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第二章 対決

54 「あなたならできます。あなた以外には、誰にもできません」

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 総勢2個小隊の内の半数が前部砲塔前に集結しているということは、前後部弾薬室とエンジンルーム、それに前後部の兵員居住区と食堂に配置された兵はそう多くないはずだ。

 思った通り、エンジンルーム前にいる敵兵はたった2人だった。どちらも銃を持ち、腰に半月刀を吊るしていた。通路は長く、途中に身を寄せる物もない。だが幸いなことに、チナ兵の銃は連発出来ない。そこに勝機があった。

 ヤヨイは、ステップの陰からワザと身を晒した。

「あなたたち。探しているのは、わたしじゃないの?」

 敵兵の一人は言葉がわからないまでも、撃って来た。

 ダーァンッ!

 瞬間的にステップの陰に身を避け、狭い通路に硝煙が立ち込め発射音が反響する間に敵兵に向かって風のように肉薄した。もう一人が彼女に銃の狙いを付けて2弾目を放ったが、女ネズミは速すぎた。むしろなまじ銃に頼ったばかりに腰の刀を抜くのが遅れ、先に銃を放った一人が腰の半月刀を抜ききる前に懐に入られ顎に飛び膝蹴りを食らって昏倒した。ヤヨイは男の半月刀を奪ってそれを投げた。後に銃を放った男は片手に銃を、もう片方に半月刀の柄を握ったまま、飛んできた半月刀を避けきれずに首を失った。昏倒した敵兵には鳩尾に残心して内臓を破裂させた。

 ぐえっ!・・・。

 敵兵は口から血を吐き、気管にも血を詰まらせ、窒息死した。

 これで、12人。

 手をパンパンと払ってまだ硝煙の匂いを発している敵の銃の銃床でコンコンとドアをノックした。

「ヤヨイです」

 とヤヨイは言った。


 

 ヨードルはもう、この可憐な少女に対する論評を放棄していた。

 この娘はマルスの化身か、マルスの娘なのだ。それならば、チナの兵の2人や3人、5人や10人など倒すに造作もないはずだ、そうに決まった、と。

 ヤヨイは白く美しい脚を惜しげもなく晒し、恥ずかしそうに入って来た。裸足だったが、叱る気にもならなかった。

「お騒がせしました」

 と、彼女は言った。

「・・・いいえ」

 ヨードルは答えた。それしか、言えなかった。

 ヤヨイの放つ独特のオーラがわかるのか、気配を察してドアの傍にまでやってきていたクロが、嬉しそうに彼女の胸に飛び乗り、その腕の中でゴロゴロと喉を鳴らした。

「ごめんね、クロちゃん。今は時間が無いの。もう少し、待っていてね」

 ノビレ少佐の他にも今の状況を知りたがっている者は多かった。だが、

「放送で流れた通りです。今、艦首にチナ兵の大部分が集結しています。彼らは長官を盾にして是が非でもわたしを捕え、殺そうと待ち構えています。

 今からそれを、排除しようと思います」

 クロをひと撫でしてノビレ少佐に預け、エンジンルームに続くキングストンバルブの部屋に入った。ヨードルは、彼女の後を追って部屋に入った。

「フレッド、そのバルブに固定したモノを外してくれませんか」

 と頼んだ。

「こんな時に発信機など、どうするのです?」

「これは発信機ではありません。爆弾です」

 壁に掛けておいたほうの機械を取り外しながら、彼女はあっさりと言ってのけた。

 げ!・・・。

 愕然としているヨードルに、ヤヨイは続けた。

「騙していてごめんなさい。任務のために、必要だったのです。でも今、これが別のところで必要になりました」

 目をぱちくりしながらも、大男はバルブに固く縛り付けた銀色の機械を外すためにしゃがみこんだ。

 この娘は、我らを救う神なのだ。それならば、何も言わずに手伝おう。

 そう思い込み、考えるのも止めた。

「わたしの背嚢はありますか」

 外した爆弾を小脇に抱え、ヤヨイはエンジンルームに戻った。

 作業台の上に爆弾を置き、背嚢を持って来てくれた水兵にありがとうと礼を言い、中から平たい銀色の通信機を取り出した。ヨードルが外した方をその隣に置いた。エンジンルームに詰めていた水兵たちは、いったい何が始まるのかと興味津々で作業台の周りに集まりヤヨイを取り囲んだ。

 ヤヨイは二つの爆弾のうち、一つのカバーを開け、中の配線を外した。配線を外した方は爆弾として使えなくなった。

「こうしておかないと、二つとも爆発しちゃうもんですから」

 ゴクリ。

 あっさり言い放ったヤヨイに、取り囲んだ水兵たちは一斉に一歩後ずさりし唾を飲み込んだ。通信機のスイッチを入れ、周波数ダイヤルを「0」に合わせた。そして並んだ赤と緑のボタンのうち、赤を押した。

 キーン!

 すぐに緑を押した。音は消えた。

「赤を押すとあらかじめセットされた信号を爆弾に送信するのです。爆弾はきっかり10秒間信号を受信すると起爆します。あのキングストン・バルブを完全に破壊できるほどの爆発力だということでした」

 ヤヨイは冷静に周囲に解説した。

 だが、そこで気づいた。

 爆弾の結構な重さに、だ。ふと隣にいたヨードルの逞しい腕に触れた。

「どうしました、少尉」

 急に美少女に頼りなげな瞳で見つめられたヨードルは困惑して尋ねた。

「フレッド。重いものを投げるのは、得意ですか?」


 

 甲板下の通路を背嚢を背負いスタスタ前を行くヤヨイについて、爆弾を抱えたヨードルは歩いた。行く先は舳先だ。

 この、「バカロレアから来た学生だと思っていたのに、鬼神のごとき活躍で次から次へ敵兵を屠ってゆく軍神マルスの娘」は、「ミカサの主」を自認するヨードル以上に艦内構造を熟知し尽くしているのを認めざるを得なかった。彼女の言うことには、もう無条件に従う覚悟だった。

 一階下はハンター少佐らが立て籠もる弾薬庫。その真上。前部回転砲塔の基部に辿り着いた。

 監視役のチナ兵がいないことを確認し、2人は、中に入った。このすぐ上が主砲の回転砲塔内部になる。もちろん、今は誰もいなかった。

「フレッド・・・。フレディー。

 落ち着いて聞いてください。これから砲塔の中に上がります。砲は艦首を向いています。従って砲塔尾部はブリッジに向いています」

「・・・はい」

「砲塔尾部のドアから外に出て、砲塔越しにその爆弾を艦首に向かって投げます。

 ただし、近すぎても敵兵を倒せませんし、遠くに投げすぎると敵兵の集団を倒せず、艦首に拘束されている長官に被害が及びます。わかりますか?」

「・・・本気ですか」

「あなたの投擲力に期待しています、フレディー」

「そんな! 」

 可愛い顔して、いったいなんてことを言い出すんだこの娘は! 

 ヨードルは、混乱した。

「まかり間違って投げすぎたらどうするんです! それにキングストン・バルブを破壊できるほどの爆発なら、その爆風だけでも・・・」

「大丈夫。あなたならできます!」

 ヤヨイはヨードルの腕に触れ、優しく微笑んだ。

「フレディー、聞いてください。

 司令長官は、お覚悟の上のなのです。ご自身のお命と引き換えにしてでも裏切り者を炙り出し、ミカサは絶対に敵に渡さない。今回の作戦に、長官はご自身のお命を懸けているのです。ですが、長官は必ずわたしが助けます」

「無茶だし、無理です!」

 このままでは、ミカサは敵の根拠地である泊地に引き込まれてしまう。その前に敵を排除してミカサを取り戻さねば。

 今、敵の指揮官と兵の大部分は目の前に集結している。今、この時が絶好のチャンスなのだ。それはわかっている。だが・・・。

 シャツの背中や袖がびっしょり濡れていた。ヨードルは生涯最大の汗をかいていることを自覚した。自分の手元の加減一つで、もしかすると雲の上の存在である艦隊司令長官を爆死させてしまうかもしれない。出来るなら、誰かに代わって欲しかった。

 と。

 目の前の美少女は、ヨードルの分厚い胸板に手を重ねた。

「ひとつ、訊いていいですか? フレディー」

 ヨードルの千々に乱れた内心を知ってか知らずか、ヤヨイは涼し気な碧い瞳を向け、優しく微笑んだ。

「あなたは、貴族の出身だと聞きました。どうして、おうちを出られたんですか?」

 何故知っているんだ?

 というよりも、今そんなことを話している場合ではないのでは、と言いたくなった。

 だが、この接所にも拘わらず、彼女の落ち着いた風情と声に触れ、碧い瞳に見つめられるにつれ、ヨードルの心も次第に落ち着きを取り戻してきた。

「あなたと初めて会ったときから、お父さんみたいに思っていました。頼れる人だな、って・・・」

 ああ、そうか・・・。

 彼女はオレを冷静にさせようとしているのだな・・・。

 このままでは、ただ時間だけが過ぎて行く。ここでうだうだしていても仕方がないのだ。

 彼女は、オレを、頼っている。

 なぜだろう。

 どうしてオレは、誰にも話さなかった心の内を、こんなにも素直に、この娘に話そうとしているんだろう。

 目の前のマルスの娘は、ニョーボと別れた時の、娘と、ヒルダと同じ目をしている・・・。


 

「おとうさーん! おかいりー♡!」


 

「どうしてお父さんはいつもいないの?」


 

「船が大きくなると航海勤務が長くなるって聞いたわ。寂しいでしょ? このコ、名前はクロちゃんっていうの。可愛がってあげてね、お父さん・・・」


 


 

 ヨードルは、話した。

「家門とか、家とか、政治とか・・・。そういうのに関わるのが、なんか、イヤだったんですよ。イヤに、なってたんだ・・・。

 リセを出れば、自動的に士官学校へ、で、軍人になって、元老院、ですからね。

 そういう、さだめ、みたいのが、イヤだったんだよ・・・」

 ヨードルは、抱えた爆弾のカバーを、愛おしそうに、撫でた。

「で、思いつめた挙句、やみくもにボンにあった家を出て、歩いたり馬車をヒッチハイクしながら南に、キールに辿り着いて、生れて初めて海を見た。

 爽快、だった・・・。

 生まれてからずっと、鬱々してた気持ちが、スーッと、洗われた」

 こんな接所で。

 ヨードルは、自分でも確と自覚しないままに、今まで誰にも話したことがなかった心の内を、話していた。まるで娘のような美少女。不思議なことに、ヤヨイになら、全てが話せるような気がした。どうしてなのだろう・・・。

「で、たまたま声をかけてくれた漁師の家に居ついちゃってね。

 世話になったその漁師の家で仕事と、妻を得たまでは良かったんだが・・・、今度は、結婚生活ってのが、これが、なんとも・・・」

 気が付けば、イヤなことから逃げる話ばかりしていた。貴族の子弟の運命から逃げ、結婚生活から逃げ・・・。

「すいません・・・。

 こんなこと、話すつもりはなかった・・・」

「いいえ、フレディー。

 話してくれて、良かったです」

 この娘の吸い込まれそうな碧い瞳は、まるで初めて海を見たあの青年の時のように、ヨードルのこんがらがってぐちゃぐちゃになった心を解きほぐした。

 見上げて来るブルネットの美少女。ヤヨイの美しい碧眼が、愛しい娘のヒルダの面影に重なる。それほどに、2人の娘は、よく似ていた。この娘の前だと、何故か、まるでヒルダを前にしているように素直になれる。喋らなくてもいいことまで喋ってしまいそうだ・・・。

 思わずブルネットの美少女を抱きしめてしまいたくなる自分がいた。

 ヨードルの中でやっと、恐怖よりも、守ってやらねばという義務感が勝った。ずっと忘れていた父親としての自分を、思い出した、身体じゅうに力が漲って来るのがわかり、闘志がわいてきた。

 そうだ。今、ここで立たなければ!

 このままでは、いろんなことから逃げてばかりいた自分を受け入れてくれた海軍と部下たちまで失ってしまうのだ! こんな自分をずっと慕ってくれていた娘も、失う。

 オレはこの舟の先任士官。このミカサの、主だ!

 大男はやっと、ここ一番のハラを、決めた。

「・・・れ、練習は、なしですよね」

「やってくれますか、フレディー」

「やります!」

 大男は、大真面目で、かぶりを振った。

「はい、そうです。ぶっつけ本番。これ一回こっきりです!」

 娘のような歳の美少女ながら、ヨードルは目の前のブルネットの碧眼を鬼だと思った。鬼だが、この鬼は、いい鬼だ。

 このミカサを、わが海軍を、わが帝国を救うために、マルスによって遣わされた、鬼なのだ。そして、恐らくは、この、未だに過去にこだわり続ける、未熟な自分を鍛えてくれるために、来てくれた、鬼なのだ。

 ならば、従うだけだ!

 鬼の娘。軍神マルスの娘は、穏やかに笑った。

「あなたならできます。あなた以外には、誰にもできません」

「わ、わ、わかりましたっ!」

 深呼吸して、腹に息を溜めた。

「大丈夫です。落ち着きました。行きましょう、少尉」

「ヤヨイ、です。名前を呼んでください」

「ヤヨイ。キミのおかげで、勇気が湧いて来た。オレに任せてくれ!」

「頑張って、フレディー!」

 ヨードルは少女の肩を叩き、自ら梯子を上って行った。


 

 ミカサの連装砲塔は砲身が突きだしている前部はバイタルパートと同じ分の厚い装甲が施されているが砲塔後部はその半分の厚みになっていた。その真ん中に、甲板へ出る水密ドアがある。

 ヨードルをドアの前で待たせ、ヤヨイは砲塔上部にあるコマンダー用ののぞき窓まで登った。最初は艦内の複雑さに迷った風さえしていたのに。

「状況変わらず、です。作戦通り、敵兵を爆弾の投擲により攪乱し制圧します」

 のぞき窓から降りて来たヤヨイは爆弾を抱えたヨードルの肩に触れ頬にキスした。

「行きましょう、フレディー!」

 マルスの娘は水密ドアのハンドルを回し、開いた。

 ヤヨイは背負った背嚢をヨードルに預け、中から通信機を取り出し、電源を入れた。周波数ダイヤルが「0」になっていることを確認し、赤いボタンに手をかけた

「行きます!

 5つ数えます。2で、投げてください。それより早くても遅くてもダメです。いいですね?」

 ヨードルは立ち上がり、爆弾を両手に抱えた。身を屈めた。そしてヤヨイに、

「うむっ!」

 と頷いた。

「・・・5、4、3、今だ!」

 ヨードルは渾身の力を込めて銀色の爆弾を、放った。

「伏せて!」

 ヨードルはヤヨイの華奢な身体を庇い、身を伏せた。
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