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第二部 歌姫と夢想家
11 革命のために
しおりを挟む帝都カプトゥ・ムンディーから四方に伸びる鉄道はいずれも単線である。
上り下りの列車が行きかうためにはどちらかが待避線に引き込まれ待合をしなければならない。
ヤヨイの乗った普通列車が待避線に入って停車すると、間もなく東からやってきた急行列車が轟音と共にそばを通過し西に、帝都へと向かった。
通過する急行列車の中に『もぐら』の意を受けたしもべが、ペールが乗っていることをもちろんヤヨイはまだ知らなかったし、ペールもまた、待避線で待っている普通列車に自分が尊敬する革命家、『もぐら』ことアニキを抹殺する使命を帯びた帝国の女エージェントが乗っているなど知るはずもなかった。
コンパートメントで隣り合わせた初老の男の頭がフラッと肩に触れた。
「あ・・・、いや、申し訳ない」
居眠りでもしていたのだろう。
「いいえ。大丈夫?」
ぎこちないペールの帝国語でも男は少しも不信を抱いた様子はなかった。
「あんまり乗り心地がいいもので。ドン行に比べると急行はいいですな。車両もいいし、それに速い。ドン行が丸3日かかるところをたった1日で、ですからな」
「・・・そうですね」
ペールのような使命を帯びた隠密にとって帝国ほど居心地の良い所はない。
言葉からしてそうである。
この初老の男は帝国の本流ドイツ系とノールが混じった地域の人間だろう。帝国のノールとの国境沿いの村によくある訛りがある。
だが急行で東の始発駅であるライプチヒを出て次の停車駅ウィルヘルムスハーフェンに着くと今度は若干英語訛りの帝国語に出会うことになる。
帝都からして本当にごちゃまぜである。片言しか帝国語を話せないチナ人もいるし、はっきり言って何を喋っているかわからない南の国の者もいる。それなのに、皆普通に生活できてしまうのだ。
初めてノールから国境を越えて帝国に来た時の最初の驚きがそれだった。
しかも帝国人の大多数は多神教を奉じていて、キリスト教や南の国の一神教の神も何の問題もなく彼らの中で共存できてしまっている。一神教で異教徒の入国を許さないノールとはまったくの異世界というしかない。
そんなふうだから、片言しか帝国語を喋れないペールのようなものでも不審に思われたりすることがほとんどない。
「どちらまで行かれますね?」
ドン行なら始終。急行だと停車駅に着くたびにヘルメットを被った憲兵隊の巡察が通る。一人でも怪しまれることはほとんどないし、こんな風に隣り合わせた見知らぬ他人と言葉を交わしていたりすれば全く注意をひかない。
「帝都まで。親類の叔母さん。家、行きます」
「ほお。その叔母さんのお宅は帝都のどのあたりですか」
もっとも、あまりに根掘り葉掘り質問をされるのも厄介ものではあった。
「知らないのです。叔母さん引っ越した、引っ越し、お祝い。東駅、迎えに来てくれる。聞いてます」
「ああ、なるほど」
「・・・ちょっと、すいません」
ペールの帝国語もその辺りが限界だった。不信を抱かれる前に、トイレに行くフリをして席を立った。3等車だから指定席ではない。こういう場合は他の車両に移るに限る。
コンパートメントを出て通路で北に面した窓に拠りタバコに火をつける。もし巡察の憲兵隊が見回りに来て何か訊かれても、
「コンパートメントでは喫えないので」
そんなふうにゴマかせる。
陽が落ちてから東駅に着いた。
コンパートメントで一緒だった老人に出会わぬよう、足早に薄闇の雑踏に紛れ込む。
ライプチヒの駅で帝国人の着るテュニカに着替えた。帝国への密行はこれで3度目になる。それなのにどこか垢抜けなく見えてしまうのではないかと気になってしまう。
雨や霧の多いノールと違い、帝国は一年中温暖。しかもカラッと晴れ上がった乾燥した日が多い。
そのゆえか、帝都の人々はみんなテュニカを素肌に着けていてインナーなどは着ていない。男も、女もだ。ノールの習俗に比べると、帝国人たちはラフでおおらかに、みんなどこかのんびり楽しそうに見える。
公衆トイレに飛び込んで個室で着こんだインナーを脱いだ。
なんだか急に寒気を感じ疲れてしまう。
アニキの夢見る「革命」が起こればノールもこの帝国のようになるのだろうか。
いや、きっとなる。それに、夢ではないのだ。それは予定された、現実だ。これは必然なのだ!
これも「革命」のためなのだ。この程度はガマンせねば。
トイレを出るところで掃除のオバチャンに声を掛けられた。
「20ペニヒご寄付をお願いします」
そうだった。
帝国では公衆浴場や駅や街角にある公衆トイレでは寄付をしなければならないのを忘れていた。
東駅を出て帝都の中心街に向かう乗合馬車に乗った。
カーキ色のテュニカを着てゴツイ編み上げの軍用サンダルを履いた若い女と乗り合わせた。大きな、これもカーキ色の軍用リュックを担ぎ豊かにウェーヴしたブルネットを自然に流している。徴兵か、それとも職業軍人か。初めて来たとき帝国では女も軍隊に入るのを知って驚いたのを想い出す。彼女はよく日焼けして柔らかい人好きのする瞳を向けて来た。
「ねえ、どこまで行くの?」
「エスクィリーノの手前に住んでる知り合いに会いに。あそこはなんていったっけな・・・」
帝国人はみな話し好きで気さくだ。やはり初めての時に女に声を掛けられ居酒屋で飲んで勢いで閨を共にしてしまったことがある。朝になってノラを裏切ってしまった罪悪感に苛まれたものだったが、今回はそんなことをしているヒマはない。
「へえ。あたしは徴兵明けで除隊してボルドーの家に帰るところなの。西駅からまた汽車を乗り継いでね」
「フランス人?」
「母がね。貴族になりそこなって、今はドイツ系のボーイフレンドと暮らしてる、はず。今も付き合ってるなら、ね?」
とすると、彼女は国母貴族制度で生まれた平民なのだろう。貴族になってしまった母親には会えなくなってしまうが、そうでない場合は同居もできるのだろう。
乗り合いだから馬車は道端に停まっては客を乗せて行く。
混んできたころ合いで彼女は、ノラよりもはるかに大きな胸をゆさゆさと揺らしながらペールの隣に移って来た。おおらかな帝国人の中でも彼女はひと際積極的な女の子らしい。それとも、徴兵明けで人恋しいのかもしれない。
「あたし、リサ。あんたは?」
テュニカの裾から伸びている日焼けした健康的な脚の間に背嚢を挟み、肌を触れ合わせんばかりにくっついて来た。
「ぼくは、ピ、ピーター・・」
生唾をゴクリと飲み干し、とっさに前にも使った偽名を名乗った。
「ねえ、ピーター。あたし、あんたが気に入ったわ。スブッラで飲まない? キュークツな軍隊生活が終わって、今ハイな気分なの。付き合ってよ」
リサと名乗ったその女は可愛らしい瞳をウィンクさせ、微笑んだ。
このままだとまた前のように本務を疎かにしてしまいそうだ。
黒御影石の不味乾燥な四角いだけの建物の群れが見えて来た。教会や王宮、市街を取り巻く要塞の尖塔が特徴的なオスロホルムの市街とはだいぶ違う。
「リサ、ごめんね。そろそろ降りなきゃ。会えてよかったよ」
「・・・そう。残念ね。またどこかで会えたらいいわね。一度ボルドーに遊びに来て。ワインの名産地なの」
なんとかリサをやり過ごして馬車を降りた。陽はとっぷりと暮れていたが運よくカンテラを揺らしながら流して来た辻馬車を拾うことが出来た。
そしてスブッラに辿り着き、まっすぐチナ人街の骨董屋に向かった。そこが連絡先であることは前回来た時に突き止めてあった。
カンジ・キャラクターの看板や幟旗や横断幕が妖しい灯りに浮かび上がっている。異国情緒を感じさせる装飾が氾濫する複雑に入り組んだ狭い路地。最初に訪れた時はあまりの人の多さにたじろいだ。もう慣れたとはいえやはり通行が困難なほどであるのは変わっていなかった。
とにかく、人、人、人。道にあふれるように並べられている商品の籠と籠の間を動く人の頭。あまりにも狭すぎて馬車は入れない。それでも商品を山と積んだ人が引く荷車の類が強引に人を押し退けて通ろうとする。
「気を付けろ、バカ野郎!」
「うるせえっ! ボヤボヤ歩いてっからだ、この田舎もんがっ!」
誰かがサンダルの爪先を貨車の車輪で轢かれかけて怒鳴り、怒鳴られたヤツが怒鳴り返し、あちこちで怒号が飛び交ったりしている。それでもなお人々は何かを求めてここに集まり欲望を満たそうとし、それを提供する者たちとまじりあってゆく。
カオス。活気。逞しさ。強かさ。
ノールにはないものが、この帝国にはある。
先の戦役で帝国に敗れたチナは今はドンというらしい。それでも未だに「チナ人街」と呼ばれているのが大雑把な帝国らしくていい。古いものも新しいものも。否定したり訂正したりするのではなく、全てありのまま呑み込み、そこに集う人々の淘汰に任せる。
帝国に来たのはもう3度目だが、ペールはもうすっかり帝国の「市場主義的」ダイナミズムの虜になっていた。
「帝国に生まれていればなあ・・・」
そんな思いも禁じえないほどに。
だが、それも禁句だ。
アニキは、そんなノールを変えようとして、日々活動しているのだから。そのアニキの力になりたくて、今ここにいるのだから。
なにやら怪しげな香りが漂う薄暗い店の中は、表の喧騒が嘘のようにひっそりとしていた。
薄暗い店内には「トウサンサイ」や「ケイトクチン」といった、ほぼ千年以上前の名器の数々、壺や茶器や花器の逸品の、だが恐らくはそれを巧みに模写したものであろう模造品が高額の値札をつけられて陳列されていた。
店の奥の座敷に、緑のチナ服を着たハゲ頭の男がいた。彼が店長だ。
店長は店に入って来たペールに一瞥をくれるや、いらっしゃい、を言うでもなく、長いキセルの先を火鉢の上に炙り、煙を吸い込んでは吐き出すを繰り返していた。
「連絡は付きましたか?」
ペールは店長に尋ねた。
「さあね。伝えはしたよ。あとは、待つことさ」
「あの、急ぐんですが」
「そうかい。でも、そんなのはあたしの知ったことじゃない」
と、彼は言った。
はるばるノールからやってきてこれか。前に言伝を頼んでからもう半月は経っている。
だが、ペールはよく自制した。もちろん、このままでは帰れない。
どうしてもその「ミンの生き残り女首領」とコンタクトを取らねばならない。
「わかりました。また来ます」
ペールは、店を辞した。
とりあえず今夜の宿を探そう。
そう考えてチナ人街を出るべく、雑踏の中に歩き出した時だった。
ふいに背中に尖った固いものを感じ、振り返ろうとした。
「振り向くな。そのまま歩け。さもないと心臓に穴が開くぞ」
背後から聞こえて来た男の声がチナ訛りの帝国語であることはペールにもわかった。
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