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第四部 ついにもぐらとの死闘に臨むマルスの娘。そして、愛は永遠に。
69 大役を担うノラ
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混沌の時は過ぎた。
ゴルトシュミット家もまた、王国の他の貴族たちと同様、ノールの伝統にしたがい王家と王国の一大事に馳せ参ずるべく、当主以下使用人の男子全てが軍装を整え、銃を取り、屋敷を後にしようとしていた。
もちろん、ゴルトシュミットの密かな願望、すなわち「ノルトヴェイト家再興」のためには、むしろ迫りくるハーニッシュ族を支援し、この圧力を利用して現王家打倒の狼煙を上げてしまった方がトクなのである。
だが、まだ早いと思っていた。
寝耳に水のハーニッシュ蜂起ではあったが、それだけに、まだ準備が整わない。
しかも、王都に向かっているというハーニッシュ族とコンタクトすら取れておらず、さらには肝心のバロネンが未だ王宮から戻っていないのである。
旗印がいないでは、話にならない。
バロネン・ノルトヴェイト・フォン・ヴェインライヒという存在がハーニッシュ族の先頭に立って王宮に向かい、現王家をして平和裏にノルトヴェイト家再興を認めさせる。
そうしたいわば「ソフト・ランディング」こそが望ましいのであって、なんの見通しもなく現王家を打倒してそれにとってかわるなどいう「ハード・ランディング」が成功する保障などどこにもないのである。
「国粋バカ」ではあっても、ゴルトシュミットはそうした計算はできる男だった。
「皆の者! 用意はできたか!」
執事頭のエリックはじめ厨房や庭師や門番のグンダーにいたるまで。ゴルトシュミット家の使用人5名が陸軍の軍装に似た青いコートを着、銃を携え、トリコーヌの庇からとうとうと雨だれを落としながら、エントランス前に並んだ。
「出来ましてございます、旦那様!」
エリックが応えた。
それでは。
曳いてこさせた黒斑の鐙に長靴(ブーツ)をかけ、いざ出発の下知を下そうと跨ろうとしたゴルトシュミット。その、刹那。
「お待ちください、旦那様!」
他の使用人たちと同様に青のネル生地で誂えた膝上までのコート、同じ生地のウェストコートにヒラヒラのフリルのついたクラヴァットなしのシャツの袖を濡らしつつ、同じ青のブリーチズに短靴という、男子の装束を着けて駆け寄ったのは、なんとノラであった。
トリコーヌの後ろから垂らした金髪の三つ編みが泳がんばかりに駆けてきたノラは、エントランスに立つゴルトシュミットの前に片膝を突いた。
「ノラ・・・。なんだお前のその姿(なり)は!」
「旦那様、お願いでございます! わたしも一緒にお連れ下さい!」
構わず騎乗の人となったゴルトシュミットは、吐息と共に哀れな使用人を見下ろした。軍装整い今しも供をせんばかりの屋敷の男衆も、皆一様にノラをみつめた。なんだ、コイツは! そんな目をして。
「何事だ、ノラ。お前はわかっておるのか? 殺し合いぞ。いくさになるかもしれんのだぞ。いや、これはもういくさだ。お前のごときおなごが戦場に行ってなんとするのだ」
「わたしのせいかもしれないのです!」
雨除けの外から降り込む激しい雨に濡れるのも厭わず、ノラは叫ぶように懇願した。
「・・・何を言っているのだ」
「きっと、またペールがなにかしでかしたのです!
昨日、急に帝国に行くと言い出して。訳が分からなかったので断ったんです。そうしたら、ひとりでも行くと。喧嘩になってしまったんです。それで、もしかして、と。
帝国に行く途中で、もしかして気が変わって、ハーニッシュの人たちに何か焚きつけたんじゃないか、と。そう思ったのです!」
「訳が分からぬ。いったいお前はなにを・・・」
「旦那様!
彼は、ペールは、前からいかがわしい人たちと関わっているんです!」
「いかがわしい人たちだと?」
「はい、そうなのです! 今まで旦那様には黙っておりましたが、革命騒ぎを起こしている人たちだと思います。
だからこれも、きっと、そうなのです!
イングリッド様に関わることを何か持ち出して・・・。でなければ、あのハーニッシュが銃をもってやってくるなど、ありえないのです!
もし、だとしたら。わたしのせいかも、と。
わたしが、何が何でも彼を引き留めていれば、と。
そう思ったのです!」
まだうら若いメイドの、その言を黙って聞いていたゴルトシュミットだった。
ノラの言をそのまま受け入れたからではない。
もう、事この期に及んでハーニッシュの田舎娘一人戦場に連れて行ってなんになるだろう。
いやむしろ、それよりも、と。そう考えていた。
革命騒ぎとやらがいささか気になるが、むしろ、唐突ではあっても、これは好機となるやも!
そう考えていたゴルトシュミットにとっては、バロネンの消息がないことの方が気にかかっていたのだ。彼の名代として。バロネン付きの従者としてノラを王宮に使いに遣り、バロネンとの連絡に使う方が有用ではないか。戦場になるやもしれぬところへ連れていけと欲しているぐらいの娘なのだ。使わない手はない! そう考えていたのだ。
「よろしい!」
馬上、ゴルトシュミットは快諾した。
「ノラ。
ではお前にいくさに出るよりも重要な任務を授けよう。
バロネンの、ノルトヴェイト様のご様子を伺いに王宮に参るのだ」
「わたしが、王宮に? 」
「そうだ!」
ゴルトシュミットは頷首した。
「こたびのハーニッシュの突然の蜂起。その理由はわからぬが、バロネンにおいでいただき、彼らを諫めていただく。それが一番なのだ。彼らの暴挙を抑えられるのは、今このノールにおいては唯一、バロネンだけなのだ。
150年前。ノルトヴェイト公クラウス様が暴徒と化したハーニッシュを諫め、ひいてはノールを救ったように。
これは、戦場で王国のために働くよりはるかに王国と陛下のお役に立つ。バロネンの御存在あらば、傷つくべき兵も、命を落とすべきハーニッシュも救うことができよう。
行ってくれるか? ノラ」
ノラは、そのひたむきなエメラルドの瞳をあげ、館の主を見つめた。
ゴルトシュミット家もまた、王国の他の貴族たちと同様、ノールの伝統にしたがい王家と王国の一大事に馳せ参ずるべく、当主以下使用人の男子全てが軍装を整え、銃を取り、屋敷を後にしようとしていた。
もちろん、ゴルトシュミットの密かな願望、すなわち「ノルトヴェイト家再興」のためには、むしろ迫りくるハーニッシュ族を支援し、この圧力を利用して現王家打倒の狼煙を上げてしまった方がトクなのである。
だが、まだ早いと思っていた。
寝耳に水のハーニッシュ蜂起ではあったが、それだけに、まだ準備が整わない。
しかも、王都に向かっているというハーニッシュ族とコンタクトすら取れておらず、さらには肝心のバロネンが未だ王宮から戻っていないのである。
旗印がいないでは、話にならない。
バロネン・ノルトヴェイト・フォン・ヴェインライヒという存在がハーニッシュ族の先頭に立って王宮に向かい、現王家をして平和裏にノルトヴェイト家再興を認めさせる。
そうしたいわば「ソフト・ランディング」こそが望ましいのであって、なんの見通しもなく現王家を打倒してそれにとってかわるなどいう「ハード・ランディング」が成功する保障などどこにもないのである。
「国粋バカ」ではあっても、ゴルトシュミットはそうした計算はできる男だった。
「皆の者! 用意はできたか!」
執事頭のエリックはじめ厨房や庭師や門番のグンダーにいたるまで。ゴルトシュミット家の使用人5名が陸軍の軍装に似た青いコートを着、銃を携え、トリコーヌの庇からとうとうと雨だれを落としながら、エントランス前に並んだ。
「出来ましてございます、旦那様!」
エリックが応えた。
それでは。
曳いてこさせた黒斑の鐙に長靴(ブーツ)をかけ、いざ出発の下知を下そうと跨ろうとしたゴルトシュミット。その、刹那。
「お待ちください、旦那様!」
他の使用人たちと同様に青のネル生地で誂えた膝上までのコート、同じ生地のウェストコートにヒラヒラのフリルのついたクラヴァットなしのシャツの袖を濡らしつつ、同じ青のブリーチズに短靴という、男子の装束を着けて駆け寄ったのは、なんとノラであった。
トリコーヌの後ろから垂らした金髪の三つ編みが泳がんばかりに駆けてきたノラは、エントランスに立つゴルトシュミットの前に片膝を突いた。
「ノラ・・・。なんだお前のその姿(なり)は!」
「旦那様、お願いでございます! わたしも一緒にお連れ下さい!」
構わず騎乗の人となったゴルトシュミットは、吐息と共に哀れな使用人を見下ろした。軍装整い今しも供をせんばかりの屋敷の男衆も、皆一様にノラをみつめた。なんだ、コイツは! そんな目をして。
「何事だ、ノラ。お前はわかっておるのか? 殺し合いぞ。いくさになるかもしれんのだぞ。いや、これはもういくさだ。お前のごときおなごが戦場に行ってなんとするのだ」
「わたしのせいかもしれないのです!」
雨除けの外から降り込む激しい雨に濡れるのも厭わず、ノラは叫ぶように懇願した。
「・・・何を言っているのだ」
「きっと、またペールがなにかしでかしたのです!
昨日、急に帝国に行くと言い出して。訳が分からなかったので断ったんです。そうしたら、ひとりでも行くと。喧嘩になってしまったんです。それで、もしかして、と。
帝国に行く途中で、もしかして気が変わって、ハーニッシュの人たちに何か焚きつけたんじゃないか、と。そう思ったのです!」
「訳が分からぬ。いったいお前はなにを・・・」
「旦那様!
彼は、ペールは、前からいかがわしい人たちと関わっているんです!」
「いかがわしい人たちだと?」
「はい、そうなのです! 今まで旦那様には黙っておりましたが、革命騒ぎを起こしている人たちだと思います。
だからこれも、きっと、そうなのです!
イングリッド様に関わることを何か持ち出して・・・。でなければ、あのハーニッシュが銃をもってやってくるなど、ありえないのです!
もし、だとしたら。わたしのせいかも、と。
わたしが、何が何でも彼を引き留めていれば、と。
そう思ったのです!」
まだうら若いメイドの、その言を黙って聞いていたゴルトシュミットだった。
ノラの言をそのまま受け入れたからではない。
もう、事この期に及んでハーニッシュの田舎娘一人戦場に連れて行ってなんになるだろう。
いやむしろ、それよりも、と。そう考えていた。
革命騒ぎとやらがいささか気になるが、むしろ、唐突ではあっても、これは好機となるやも!
そう考えていたゴルトシュミットにとっては、バロネンの消息がないことの方が気にかかっていたのだ。彼の名代として。バロネン付きの従者としてノラを王宮に使いに遣り、バロネンとの連絡に使う方が有用ではないか。戦場になるやもしれぬところへ連れていけと欲しているぐらいの娘なのだ。使わない手はない! そう考えていたのだ。
「よろしい!」
馬上、ゴルトシュミットは快諾した。
「ノラ。
ではお前にいくさに出るよりも重要な任務を授けよう。
バロネンの、ノルトヴェイト様のご様子を伺いに王宮に参るのだ」
「わたしが、王宮に? 」
「そうだ!」
ゴルトシュミットは頷首した。
「こたびのハーニッシュの突然の蜂起。その理由はわからぬが、バロネンにおいでいただき、彼らを諫めていただく。それが一番なのだ。彼らの暴挙を抑えられるのは、今このノールにおいては唯一、バロネンだけなのだ。
150年前。ノルトヴェイト公クラウス様が暴徒と化したハーニッシュを諫め、ひいてはノールを救ったように。
これは、戦場で王国のために働くよりはるかに王国と陛下のお役に立つ。バロネンの御存在あらば、傷つくべき兵も、命を落とすべきハーニッシュも救うことができよう。
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