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しおりを挟む〝Total Beauty Salon LUNA スタイリスト 星川アンリ〟
バックヤードの事務所の壁には、一枚の名刺が貼ってある。
彼に話し掛けにいったスタッフの戦利品である。
これを見たとき、すごい名前だなあ、と思った。芸名みたいだ。同時に、すごく似合っている、とも思った。
「お店は火曜定休らしいんですけど、雑誌の撮影とかでよく休日出勤してるみたいですよ。そういう日の方が、撮影が一段落したら休憩がゆっくり取れるみたいで、うちに来てくれるのはそういう日が多いんですって」
綺麗にパスタを口に運ぶ星川の姿につい見入っていた伊織はぎくりとした。
こっそりと耳打ちするように告げてきたのは、先ほど嬉々として彼のテーブルにパスタを運んだ女性スタッフだった。人懐っこくてとっつきやすいメンバーが揃っているこの店のスタッフだが、そんなことまで聞き出すとは。彼女の行動力とコミュ力は戦くレベルだ。
「遠田さん、星川さんのこと、じっと見てたから。気になるのかな、と思って」
そう言って彼女は悪戯っぽくニコッ、と笑う。
メニュー開発に携わる身として、客層の分析は仕事の一環だ。それは、言い訳でも何でもなく。
何時頃に来て何を頼むのか。滞在時間は、仕事中なのか休憩中なのか、はたまた休日か、家は近所なのか――。お客さんのことは、それなりに注意深く見ているつもりだ。星川に限らずとも。
しかしそれ以上に、彼女は周りをよく見ているらしい。
「それはどうも。貴重な情報ありがとう」
「どういたしまして」
思えば、このときからすでに、伊織の恋ははじまっていたのだろう。
次に伊織が白金の店に顔を出したのは、翌週の火曜日だったが、決して意図したものではなかった。
そう毎週毎週、休日出勤ばかりしているわけでもないだろう。ただ、いたらいいな、とは思っていた。
果たして彼は、先週と同じ席にいた。
昼のピークが過ぎた店内で、彼は先週と同じ、サーモンとポルチーニ茸のクリームパスタを食べていた。どうやら気に入ったらしい。
十月に入り、先週とは打って変わって朝晩は急に冷え込むようになった。星川もレンガ色の薄手のニットという秋めいた装いに変わっている。こってりしたクリーム系のパスタが恋しくなる季節だ。
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