求めたのはデカダンス

吉田美野

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 遠回りと言っても、せいぜい1ブロック先まで歩いて引き返してくる程度のものだ。駅の明かりは案外すぐに見えてきた。そろそろお別れだ。これが最初で最後というわけではない。本心がどうあれ、星川から〝約束〟だと言ってくれたのだ。伊織から誘う口実にしたっていいだろう。
 名残惜しさから、歩みはだんだん遅くなってゆく。それに気付いた星川も、自転車のスタンドを立てて立ち止まった。

「もうすこし、話して帰りましょうか」
「あ、はい、あの――……っ!」

 次はいつにしますか、今度のお店は俺が探します、何系がいいですかね。
 言おうと思った言葉はたくさんあるが、一瞬で頭が真っ白になる。何もないところで躓いた伊織があっと声を上げるのと、星川がこちらに手を伸ばすのはほとんど同時だった。
 前につんのめったところを、片腕で支えられる。彼の――香水なのか柔軟剤なのか、それとも整髪料なのか――ほんのりと甘い、いい匂いを感じられるほどに距離が近くなった。つい、しがみつくように掴んでしまったその腕の力強さに、その香りに、ハッとする。夏の終わりに見た、半袖のTシャツの袖からのぞくたくましい腕を思い出した。

「あ、の……すみません、ありがとうございます」

 顔を上げてギクリとする。
 あまりにも顔が近く、思わず息を呑んだ。星川の方がいくらか背が高いが、おそらくさほど差はないだろうから、こんな風に星川の腕に抱かれるような体勢になっていればそれは当たり前の話なのだけれど。伊織は慌てて離れようとして、自分が掴んでいたはずの腕に抱き寄せられた。
 あ、と思う間もなく、星川の唇が、そっと触れ、離れていく。乾燥気味ですこしカサついた彼の唇は、触れるとひんやりとした。

 伊織は呆然として星川を見つめた。至近距離で、星川もじっとこちらを見つめていた。食事の間、しばしば星川は今みたいな目で伊織を見ていた。

 考えるより先に、伊織は言葉を発していた。

「あの……もう一回」

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