『ノクトホロウの魔女に選ばれし復讐者──幻眼の乙女』

カトラス

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第四十話『脅迫文と告白文』

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 厚いカーテンで閉ざされた薄暗い部屋。昼間だというのに、陽光はわずかな隙間からしか入らず、空気は澱んで重い。鼻をくすぐるのは、長く換気されていない室内特有の埃と香の混じった匂いだ。豪奢な絨毯の上には、レオンハルトが椅子に腰掛け、虚ろな目でペンを握っていた。机の上には上質な便箋が一枚、まるで彼の運命を記すために用意されたかのように置かれている。



 私は静かに彼の背後に立ち、左眼の力を注ぎ込む。冷たい光が私の視界を満たし、それが彼の意志を絡め取り、完全に塗りつぶしていく。



「……いい? これからあなたが書くのは、匿名で私に送られる脅迫文。誰かが私を嫌っているように装うの」



 ゆっくりと告げると、レオンハルトは途切れ途切れに「……はい、殿下」と答えた。その声には、さっきまでの尊大さも怒りもなく、従順さだけが残っている。



「まず、こう書きなさい──『この国にお前が来て、皆は歓迎していない』」



 ペン先が便箋を滑る音が、静寂を切り裂く。黒いインクが紙の上に形を成していく様子を、私はじっと見つめた。



「次に……『政略結婚の豚』。これで、侮辱の色がより濃くなるわ」



「……政略結婚の……豚……」



 彼は私の言葉を繰り返しながら、忠実に書き写す。かすかなインクの匂いと、ペンの擦れる音が薄暗い空間に響く。



「さらに、『このまま居続けたら、お前には不幸が訪れる』。そして最後に──『せいぜい食事に注意することだな』」



 その一文に、毒をほのめかす含み笑いを混ぜてみせる。レオンハルトの手は一瞬も迷わず、私の命令どおりに文字を綴った。



「……書き終えました、殿下」



(これでいい……これで、周囲をさらに疑心暗鬼に陥れられる)



 唇の端が静かに吊り上がる。レオンハルトは、虚ろな瞳で前を見据えたまま、私の次の指示を待ち続けていた。



 便箋の上には、丁寧な筆跡でこう記されていた。



―――――――――――――――――――――――――

この国にお前が来て、皆は歓迎していない。



政略結婚の豚。



このまま居続けたら、お前には不幸が訪れる。



せいぜい食事に注意することだな。

―――――――――――――――――――――――――



 机の上の便箋には、私が一言一句指示した通りの脅迫文が並んでいる。



 整った筆跡に滲む作り物の憎悪、そしてわずかな毒の匂わせ。これこそ、私が望んだ形だ。



「……よくできたわ、レオンハルト」



「……ありがとうございます、殿下」



 彼の声は低く、感情の欠片もない。まるで命令を実行するためだけに存在する人形のようだ。



「これを、適当な使いに託して私の部屋に届くようにしなさい。署名はいらないわ」



「承知しました」



 短いやり取りの後、レオンハルトは便箋を大事そうに折り畳み、封筒に入れる。その動作に迷いはなく、私の意図を完全に理解しているかのように正確だった。



(これでいい……これで、周囲はさらに私の存在にざわめく)



 レオンハルトの今は謹慎部屋となった自室は、金銀の装飾を施した家具に囲まれながらも、牢獄のような閉塞感を放っている。室内には長く使われた香の甘い匂いと、紙とインクの混じった匂いが漂っていた。



 私はゆっくりと歩を進め、彼の正面に立った。



「……まだ終わってないのよ、レオンハルト」



 その声に、椅子に腰掛けていた彼が顔を上げる。虚ろな瞳が私を映し出し、低く掠れた声で応じた。



「……殿下、まだ……何か」



 私はわずかに口角を上げ、事前に用意していた革張りの日記帳を机に置いた。ぱらりと紙が震え、上質な紙の香りがふわりと広がる。



「これを開きなさい。真ん中あたり……そう、そこよ」



 レオンハルトは無言でページを開く。私はその紙の端に指を置き、静かに指示を告げる。



「ここには、謹慎されたことへの恨みつらみを書きなさい。怒りをそのままぶつけるように」



「……はい、殿下」



「そして、前のページには──私が来てからの不満や、女官やメイドを乱暴して楽しかったこと。それから侯爵家の三姉妹がどれほど役に立つか……そういうことも書くのよ」



 ペン先が紙を擦る音が響く。レオンハルトは迷いなく、私の言葉通りに文字を刻んでいく。その表情は無で、ただ機械的に作業をこなす人形のようだ。



「後ろのページには、謹慎を命じた王や兄への不満。そして……飲み物に何か混ぜてやる、と書きなさい。やらせるのは侯爵家の連中に。そうね……次女にやらせようと記すの」



「……簡単なものでいいのですか」



「ええ、日付と一文だけでも構わないわ。重要なのは、形よ」



 彼は無言で頷き、淡々とペンを走らせた。インクの香りが濃くなり、黒い文字が紙の上にじわりと積み重なっていく。



 やがて二時間ほどが過ぎ、最後のページでペンが止まる。革表紙の日記帳はわずかに温もりを帯び、書き込まれた文字が詰まった厚みが増していた。



「……できました、殿下」



 差し出された日記帳を手に取り、私は中身を素早く目で追う。そこには、私が描いた通りの、彼の醜悪な記録が整然と並んでいた。



(これでいい……これで、さらに彼を地獄に落とせる)



 私はページを閉じ、冷たい笑みを唇に浮かべた。その笑みは、獲物を見下ろす捕食者のものだった。



 蝋燭の炎が揺れ、便箋の白い紙が赤く染まる。その光景を見ながら、私はゆっくりと唇の端を持ち上げた。



 自室に戻った私は、静まり返った空気の中で深く腰を下ろした。窓辺に置かれた燭台の炎が揺れ、長い影を壁に映し出している。その揺らぎを見つめながら、これから始まる舞台の光景を思い描いた。



(悪いけど……王には死んでもらう)



 胸の内でそう呟く。あの男は、この歪んだ封建社会を生んだ元凶だ。この国の農民は貧しく、食い扶持を減らすために、私のようにわずかな金貨で売られる者もいる。その根源は、苛烈な年貢。農民から奪い上げたもので、王族や貴族たちは成り立っている。



 生まれた場所が違うだけで、奴らは何もせず贅沢を享受する。暇さえあれば舞踏会で踊り、豪華な酒を飲み、食べきれないほどの料理をむさぼる。煌びやかな衣装や装飾品に身を包み、何一つ不自由を知らずに笑っていられる。



 だからこそ、王にはしんでもらう。舞台は決まっている──ゴリアテの槍試合だ。



 観衆の前で、左眼で操った侯爵家の次女にワイングラスへ毒を盛らせる。タイミングは、ゴリアテが勝者として名を呼ばれ、歓声が最高潮に達した瞬間。その犯人は次女、そして裏で命令したのはレオンハルトという筋書き。完璧な構図だ。



 私は唇を歪め、薄く微笑む。(もう少し……早く御前試合が見たいわ)



 計画の一手一手が頭の中で再生されるたび、胸の奥の炎が強くなる。窓の外には深い夜が広がり、城壁の向こうで風がうねるように吹き抜けていた。



 私は燭台の火を見つめたまま、ゆっくりと目を閉じる。復讐の舞台は、すぐそこまで迫っている。
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