完結『矢野アラタの大冒険。近江の悪ガキ、埋蔵金伝説に挑む』

カトラス

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第十話『祠の裏の異変──風に揺れた石板と掘り出される小箱』

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 朝の森は、まだ静けさに包まれていた。  ケンタたちは昨日見つけた祠の裏へと足を運んでいた。

 鳥のさえずりと葉擦れの音が交差するなか、トラがぴたりと立ち止まる。鼻先を草の根元に突っ込み、くんくんとしきりに匂いを嗅ぎ始めた。

「ん? どうしたんや、トラ」

 アラタが声をかけたその瞬間だった。

 カラン──

 小さな音を立てて、祠の石板の一部が傾いた。

「今の音、何や?」

 ハルトが駆け寄ると、トラが鼻で示すように石の奥を見つめている。

「ここ……地面、ちょっとへこんでる!」

 ケンタが地面を指差し、アラタはすぐに小さなスコップを取り出して掘り始めた。

「もしかして、なんか埋まってるかも!」

 土の匂いが強くなり、泥が指に絡む。  数分もしないうちに、硬い感触が手に触れた。

「これ……石の箱か?」

 半ば泥に埋もれたそれは、手のひらほどの大きさの石の箱だった。  コケに覆われ、長年ここに眠っていたことを物語っている。  そして、箱には古びた縄がきつく巻かれていた。

「なんか、封印……っぽくないか?」

 ケンタの声が少しだけ震える。

「うわっ、マジで宝箱やん!」

 アラタは目を輝かせて手を伸ばしかけたが、ケンタは思わずその腕をつかんだ。

「待てって。……なんか、開けたらあかん気もする」

 胸の奥で、何かが引っかかっていた。

「でも、これって地図と関係あるんやろ? 中身、見な損やって」

 ハルトが背中を押すように言った。

 ケンタは逡巡したが、やがて決意の表情を浮かべて、うなずいた。

「……わかった。三人で開けよ」

 石の箱を囲み、三人はそれぞれの手で縄をゆっくり解いた。  湿った縄が、粘つくような音を立ててほどける。

 パカッ。

 中から出てきたのは、古びた紙の束と、木の板で出来た何かの断片だった。

「これ……地図?」

 アラタが紙をそっと広げる。  それは手書きの地図で、文字はかすれていたが、近江八幡の地形を思わせる線が描かれていた。

「おお……これ、すごい」

 ハルトが思わず息を呑む。

 ケンタは、手にした地図を見つめながら、胸の中に芽生えた熱を確かめていた。

 この夏、本当に何かが始まっている。  そんな予感が、静かな森の中で確かに鳴っていた。

 寺の裏のごつごつと音をたててトラが掘り尽くした地面の中から、古びた石の箱が出てきた時、三人の心は最高潮に達していた。

 しかしその同時に、陽は天上の尾を引き始めていた。温かな光が森の葉の端に微かに射し込まれ、やがて夜が近づく。

「このへんで、いっぺん戻ろか」

 ケンタが土のついた手をふきながら言った。実はすこし脆弱な地図をずっと持ち歩くのが心配だった。

 秘密基地までの帰り道。わくわくした気持ちのままで、三人はゆるやかに歩んだ。


 石の箱の中から出てきた地図を、三人は秘密基地の床にそっと広げた。

 紙は茶色く変色し、ところどころ破れかけている。だが、かすれた線と文字が、確かに何かを示しているのは間違いなかった。

「これ……ほんまに地図やんな?」

 アラタが、眉をひそめながら覗きこむ。

「でもさ、川の形とか山の場所、ちょっと変やない?」

 ハルトがそう言って、地図と外の景色を見比べる。秘密基地の中には、川のせせらぎが微かに届いていた。

 ケンタは眉間にしわを寄せながら、じっと地図を見つめていた。そこには、古めかしい記号や、見慣れない筆致の文字が散りばめられている。

「読まれへんけど……なんか、わくわくするな」

 そう言ったケンタの声は、どこか震えていた。それは不安ではなく、未知への興奮に近いものだった。

「なあ、これ……方角、おかしない?」

 ふいにハルトが地図の端を指差した。そこには方位磁石のようなマークが描かれていたが、北が上ではなく、斜め右を向いている。

「ほんまや。こっちが北やったら、川の流れも逆になるやん」

 アラタが立ち上がり、秘密基地の出入り口から外を指差す。

「てことは……これ、今の地図やないんちゃう? 昔のとか……」

 その言葉に、三人は同時に顔を見合わせた。

 古地図——その言葉の響きが、どこか胸をざわつかせる。

「裏、なんか描いてある!」

 ケンタが地図を裏返すと、そこには丸い模様が描かれていた。

 中心には太陽と月が重なり合うマーク。その周囲を、放射状に線が伸びている。まるで日時計のようだった。

「これ、太陽と月……ってことは、時間に関係あるんかな?」

 アラタがそう言って空を見上げる。夏の太陽が沈みかけていて、蝉の声がジリジリと響いていた。

「もしかして、この地図って……特定の時間にしか正しい場所が分からへんとか……」

 ハルトが口にしたその仮説に、三人はしばし沈黙する。

 地図はただの紙ではない。そこには、過去と現在、昼と夜、秘密と真実が折り重なっている気配があった。

 風がふっと吹き抜け、地図の端がひらりと揺れた。

「——じゃあ、夜に行って確かめてみようぜ!」

 アラタの言葉に、再び三人の目が輝き出す。

 夜の森に行くためには、それぞれが家を抜け出す理由を用意しなければならなかった。小学六年生の彼らにとって、親を納得させるのはちょっとした冒険の前哨戦だった。

◆ アラタの場合  夕飯のあと、アラタは元気よく声を上げた。

「なあ母ちゃん、ケンタん家で夏の自由研究の相談するって言ってたやん。今日、夜しか時間合わへんから行ってくるわ!」

 母親は半ば呆れながらも、友達付き合いには理解を示す。「あんまり遅くならんようにね」とだけ言い、行くことを許した。アラタは心の中でガッツポーズをしながら玄関を飛び出した。

◆ ケンタの場合  母子家庭のケンタは、母親の心配をよく知っている。だからこそ、慎重に言葉を選んだ。

「図書館で借りた本、ハルトに返す約束したんや。明日だと学校始まるし、今渡しとかなあかんねん」

 母親は本好きの息子の言葉を疑わず、「分かった、でも遅い時間はあかんで」と優しく背中を押してくれた。ケンタは心の中で“ごめん”と呟きながら家を出た。

◆ ハルトの場合  ハルトは家では真面目な性格で通っている。だからこそ、口実も自然なものだった。

「理科の観察で、星座を見てメモ取らなあかんねん。夏休みの宿題やから、今のうちにやっとくわ」

 父親は眼鏡を直しながら「おお、勉強熱心やな。気をつけて行けよ」と満足そうに頷いた。ハルトは淡々とした顔を保ちながらも、内心では胸の鼓動が早まっていた。

 三人はそれぞれの家で口実を使い、時間を合わせて家を抜け出すことに成功する。外に出たとき、夜の空にはちょうど満月が昇り始めていた。

 彼らは足を速めて森へと向かっていった。待ち合わせは、いつもの秘密基地だった。そこに集まり、再び祠へ向かう決意を胸に秘めていた。


 夜の森には、昼とはまったく異なる匂いがあった。

 草がしっとりと濡れて、風はどこか遠慮がちに枝葉のあいだをすり抜ける。虫の声が静かに鳴き交わし、空には満月が丸く浮かんでいた。ケンタたちは、手元の懐中電灯を頼りに、あの祠の裏へと慎重に歩を進めていた。

「……ほんまに、夜に来ることになるとはな」

 アラタが小声で笑いながら言う。とはいえ、その目はきらきらと興奮に揺れていた。

「でもさ、あの地図の裏の“太陽と月”のマーク……どう考えても夜にヒントが出るってことやと思うねん」

 ハルトはポケットからコピーした地図を取り出し、月明かりにかざした。

「なんか、見えてきたりするんかな。インクが夜光塗料とか?」

「そんな近代的なもんやったら笑うけどな」

 ケンタは苦笑しつつも、内心の高揚を隠せなかった。昼間に感じた“引っかかり”は、今では“確信”に近いものへと変わっていた。

 トラが一歩先を行き、何かに気づいたように尻尾を振り、地面を軽くかぎ始めた。

「ここやな……」

 ケンタが呟いた。三人はしゃがみ込み、昼間に開けたあの石箱の跡地を懐中電灯で照らす。

「おい、これ……光ってないか?」

 アラタの指先が示す地面の一角。そこには、薄く浮かび上がるような線が見えた。

「地面に……何かの線?」

 ケンタがそっと手を伸ばして触れると、その線は土の上に刻まれていた。

 それは昼間にはまったく見えなかった模様だった。

「こっちもや……! ここと、こっちが繋がってる……!」

 ハルトが地図と見比べながら声を上げる。

「ちょっと待て……これ、地図の上の“線”と一致してへんか?」

 アラタが興奮気味に言う。

 ケンタは地図を広げ、土の上に浮かび上がる線を照らしながら重ねるように目を凝らす。

「……これって、夜になって初めて見える“道”なんかもしれん」

 静まり返った森のなかで、三人の心臓の音が聞こえるような気さえした。

「なあ……この線、どこかに続いてる。辿ってみようや」

 アラタの提案に、誰も反対しなかった。

 ケンタが懐中電灯を持ち、ハルトが地図を握りしめ、アラタが前を歩く。トラもぴたりとその後に続く。

 夜の森に刻まれた“見えない道”を辿るようにして、彼らは静かに、けれど確かに前へと進んでいった。

 それはまるで、誰かが何十年も前に用意した、真夜中だけの“宝の地図”だった。

 夜の森は昼間のざわめきを失い、深い静けさに包まれていた。遠くでかすかに水の流れる音がするほかは、風さえ止まったように思える。少年たちの吐く息が白く光を帯びて揺れ、緊張で胸がざわつくのが互いに伝わってくる。

 示された線を頼りに進む。
 土の上に示された線はまるで月を待っていたかのように淡く輝き始めた。
 灰色だった表面に、細い光の線がゆっくりと浮かび上がり、やがて森のさらなる奥へと吸い込まれるように伸びていく。それは道のようであり、幻の橋のようでもあった。

「……ほんまに出てきた……」

 ケンタの声はかすれていた。昼間に見たときは何の変哲もない森の中の道だった。それが今、まるで古の地図をなぞるように輝きを放っている。足がすくみ、思わず後ずさる。

 アラタは目を輝かせ、拳を握りしめる。

「やっぱりや! 地図と同じやろ、これ! 行くしかないやん!」

「アラタ……ほんまに大丈夫なんか?」

 ケンタは声を震わせる。「もし足元が崩れたりしたら……」

 しかし、返事の代わりにアラタはもう一歩、前へ踏み出した。彼の足が触れた瞬間、土の道が光に染まり、輪郭を持って浮かび上がる。まるで彼の勇気が道そのものを形づくったようだった。

「見えるか? これ、ただの光と違うで」

 ハルトが小さく呟く。理屈では説明できない現象に、冷静な彼でさえ息を呑んでいた。

 ケンタの喉は乾き、手のひらは汗ばんでいた。心の奥で“やめろ”と叫ぶ声が響くのに、視線はどうしてもその道に引き寄せられる。だが決意は揺らぎ続ける。

「俺……やっぱり……」

 その時、トラが低く吠えた。次の瞬間、月明かりを浴びた毛並みを揺らしながら、迷いなく光の道へと足を運んでいく。その背中は頼もしく、ためらいを知らなかった。

「トラまで……」

 ケンタは呆然と呟いた。犬にさえ勇気を示され、彼の胸に何か熱いものが込み上げてくる。恐怖は消えない。けれど、不思議と足は前に出ていた。

「しゃあないな……俺も行くわ」

 小さくそう口にすると、ケンタは震える膝を押さえ込みながら、一歩を光の道へと踏み出した。
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