完結『矢野アラタの大冒険。近江の悪ガキ、埋蔵金伝説に挑む』

カトラス

文字の大きさ
17 / 30

第十七話『天下布武の御朱印』

しおりを挟む
 自動ドアを抜けた瞬間、冷房の風が汗ばんだ三人の身体を撫でた。
 京都の夏の熱気は外に残してきたはずなのに、胸の奥にはまだ緊張の熱がこもっている。
 磨かれた床は蛍光灯を反射し、館内は外の喧噪が嘘のように静まり返っていた。受付カウンターの奥では涼やかな声で職員が来館者に案内をしている。

 アラタは落ち着かず、靴先で床をコツコツと鳴らし、ケンタは持ってきた本をぎゅっと胸に抱え込む。
 二人の視線は受付に向かうが、口を開く勇気が出ない。
 喉がからからに乾き、心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる。

 その中で、ハルトが一歩前に出た。今日の彼は淡い水色のポロシャツに半ズボンという涼しげな格好。
 背筋を伸ばし、落ち着いた足取りでカウンターに近づいた。

「夏休みの自由研究のために調べたいことがあるので、歴史に詳しい学芸員さんを教えていただけませんか」

 その声ははっきりと落ち着いており、館内に小さく響いた。
 受付のお姉さんは一瞬目を瞬かせて三人を見やった。
 小学生がこんなに丁寧に話すとは思っていなかったのだろう。

「まあ……自由研究? 君たちが自分で調べに来たの?」

 問いかけられたアラタとケンタは、同時にこくりと頷いた。緊張で顔は赤く、肩が上がって固まっている。

「本来はそういう対応はしていないんだけど……」
 お姉さんは一瞬困ったように眉を寄せた。
 ケンタの指先がびくりと震える。断られるのでは、と胸が縮む。

 けれど次の瞬間、お姉さんはふっと笑みを浮かべた。
「でもせっかくだし、一応聞いてみるね」

 そう言って内線電話の受話器を取る。
 落ち着いた声でどこかに取り次ぎを頼んでいる。
 その仕草を見守りながら、三人の胸はどんどん高鳴っていった。

 やがて彼女に促され、三人は受付横の待合用の椅子に腰を下ろした。アラタは膝をがたがた揺らし、ケンタは汗ばんだ手を握りしめ、ハルトは背筋を伸ばしたまま前をじっと見据えている。

「……来てくれるんやろか」
 ケンタが小声で呟く。

「大丈夫や。ちゃんと話せば、きっと聞いてもらえる」
 ハルトの声は冷静で、二人の心にわずかな安心を灯した。

 静かな館内に時計の秒針の音が響く。三人の鼓動もそれに重なるように速まっていった。

 待合椅子に腰を下ろしてからの数分は、息が詰まるほど長く感じられた。アラタは落ち着きなく膝を貧乏ゆすりし、ケンタは本を抱きしめたまま手のひらに汗をにじませている。ハルトは姿勢を崩さず前を見据えていたが、胸の奥では自分でも驚くほど鼓動が早まっていた。静かな館内に時計の秒針の音だけが響き、その音が三人の心臓のリズムと重なるようだった。

 カツ、カツ、と廊下から規則正しい革靴の音が近づいてくる。三人の背筋が一斉に強張った。やがて現れたのは五十代半ばほどのおじさんだった。グレーのジャケットに白いワイシャツを合わせ、眼鏡の奥の瞳は鋭く光っている。身長は高くないのに、不思議な威圧感を漂わせていた。

「君たちが、僕を呼んだっていう子たちか?」低く落ち着いた声が、静まり返った館内に響いた。

 三人は慌てて立ち上がった。アラタは声が出ず、口をぱくぱくさせるだけ。ケンタは喉がひゅっと鳴り、心臓が跳ねる。冷たい汗が背中を伝った。そんな中、ハルトが一歩前へ進み、軽く頭を下げた。

「はい。僕たち、夏休みの自由研究で……どうしても歴史について知りたいことがあって」

 おじさんは腕を組み、三人をじっと見渡した。
「小学生が歴史館に来て自由研究……なかなか珍しいな」

「そ、そうですか?」ケンタがぎこちなく笑みを浮かべる。声は震えていた。

「まあ、冷やかしには見えんな」おじさんは椅子を指し示し、促した。
「座って話してごらん」

 三人は再び腰を下ろしたが、緊張で背筋はぴんと伸びきっている。アラタが両手を膝に置き、勇気を振り絞って前のめりに口を開いた。

「実は……森の祠で古い地図とか石碑を見つけたんです。それで証を示せっていう声まで聞こえて……」

 おじさんの目が一瞬だけ鋭くなった。眉がぴくりと動いたが、すぐに表情を整える。「……ほう、“証”とな」

 ケンタが慌てて補足する。
「あ、あの、ほんまにあったんです! 遊びや肝試しじゃなくて……木片や古地図も見つけて……ぼ、僕たち、意味を知りたいんです」

 ケンタの声が震えるのを聞いて、アラタがかぶせるように叫んだ。
「そうや! 俺ら、本気なんや! からかわれてるわけやない!」

 おじさんは二人をじっと見つめ、最後にハルトに視線を移した。ハルトは深呼吸し、落ち着いた声で言葉を紡ぐ。

「碑文に風が止まるとき扉は開くとありました。僕たちはそれが何を意味しているのかを確かめたいんです」

 短い沈黙が訪れる。三人の心臓の鼓動がやけに大きく聞こえた。おじさんは眼鏡を軽く持ち上げ、小さく笑った。「なるほどな……。子どもの空想にしては、筋が通っている」

 三人の胸に走る緊張はさらに強まった。信じてもらえたのか、それとも試されているのか分からない。その答えを待つ間、空気は重く張りつめていた。

 おじさんは腕を組んだまましばらく沈黙していた。三人は息を呑み、次の言葉を待った。時計の針が進む音がやけに大きく響き、心臓の鼓動がそれに重なっていく。

 やがておじさんは眼鏡を指で持ち上げ、低い声で言った。
「証になるかは分からないけれど……ひとつ、君たちに教えておこう。信長公ゆかりの神社、建勲(けんくん)神社という場所があるんだ」

 三人の目が同時に見開かれる。「信長の……神社?」アラタが思わず身を乗り出した。

 おじさんは静かに頷いた。
「そう。建勲神社は信長を祀る神社のひとつでね。そこの御朱印には天下布武と書かれている。信長の志そのものを表す言葉だ。……それは、ただの文字以上に、彼の象徴であり、お守りのようなものでもある」

「て、天下布武……」
 ケンタが震える声で繰り返した。頭の中で文字を描きながら、その言葉の重みを感じ取る。

 おじさんは少し表情を和らげると、語りかけるように続けた。
「信長といえば、派手で残忍なエピソードばかりが世に広まっているけれどね。実際に安土城のことを調べると、全然違う姿が見えてくる。あの城はただ金箔で飾られた豪華絢爛な城やなかった。上層は金碧障壁画で飾り立てられていたが、下層は武士だけやなく町人や僧侶、さらには外国人の来訪まで見越した造りで、合理的に配置されていたんだよ」

「町人や外国人まで……?」
 ケンタが驚きに目を丸くする。

「そうなんだよ。信長は戦だけの人間じゃない。安土の城下に楽市楽座を置いたのも、町をひとつの実験場にするためやった。人の出入りを自由にすれば、経済も活発になる。それを城の機能と一体化させたのは革新的なことだったんだよ」

「……単なる武将やなくて、頭の中では未来を作ろうとしてたんやな」
 ハルトが低く呟いた。冷静な声だったが、その目には確かな興味の光が宿っていた。

 おじさんは頷いた。
「だから天下布武の言葉も、単なるスローガンやない。彼が本気で描いた理想の世界を象徴しているんだよ。御朱印のその文字を手にすれば、もしかしたら君たちが探している証に近づけるかもしれないよ」

 三人は思わず顔を見合わせた。アラタの顔には興奮が広がり、ケンタの頬には驚きが浮かび、ハルトの瞳は真剣さを増していた。

「それや! 絶対に手に入れたい!」アラタが拳を握りしめる。

「で、でも……御朱印ってほんまに証になるんか……?」ケンタはまだ不安げだった。

 ハルトは真剣な表情でうなずいた。
「分からん。けど、信長公の志が刻まれた印なら、軽くは扱えん。少なくとも試す価値はある」

 おじさんの声が静かに重なる。
「行ってみるといい。建勲神社は少し遠いけれど……君たちにとって、何かを掴む場になるはずだ」

 三人は力強くうなずいた。
 胸に広がった熱は、恐怖ではなく確かな希望へと変わっていた。

 おじさんの言葉が静かに耳に残ったまま、三人はしばし沈黙していた。
 冷房の効いた館内にいるのに、胸の奥には熱が渦を巻いているようだった。
 息を整えようとしても、鼓動の速さは収まらない。

「……天下布武……」
 アラタがぽつりと呟き、次の瞬間には拳を握りしめて立ち上がった。
「これや! これが証になるんや!」

 ケンタは慌てて立ち上がったが、顔には不安がにじんでいた。
「で、でも……ほんまに証になるんかな。御朱印って、ただのお寺や神社でもらえる印やろ……?」

「分からん」
 ハルトが静かに言った。椅子に座ったまま、落ち着いた眼差しで二人を見つめる。
「けど、信長公の志が込められた印や。軽いものではない。試す価値はある」

 アラタは力強く頷き、ケンタはまだ唇を噛んで迷いを隠せなかった。それでも三人の間に確かな意思が芽生えていた。あの祠で求められた証──その答えに一歩近づけるかもしれない、という確信めいた光が胸に宿っていた。

 しばらく黙って三人を見ていたおじさんは、眼鏡の奥でわずかに目を細めた。
「君たちが本気で調べようとしているのは伝わったよ。……気をつけて行っておいで」

 その言葉に三人は同時に立ち上がり、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました!」

 アラタの声はいつになく真剣で、ケンタは緊張で声が震えていたが、感謝の思いが込められていた。
 ハルトは短くもはっきりとした声で
「お時間をいただき、感謝します」と告げた。三人の礼は、子どもなりに心からのものだった。

 学芸員のおじさんは軽く頷き、柔らかな笑みを浮かべた。
「礼儀正しいな。そういう心構えなら、きっと何かを掴めるはずだ」

 三人はもう一度礼をしてから受付へ向かった。自動ドアを抜けた瞬間、むっとした夏の熱気が肌にまとわりつく。だが今度はその暑ささえ、彼らを押し戻すものではなかった。胸の奥には確かな希望が灯っていたからだ。

「……行こうや。建勲神社へ」ハルトが短く告げる。

「よっしゃ!」アラタが勢いよく返す。

 ケンタも深く息を吸い込み、不安を押し込めるように小さく頷いた。「うん……行こ」

 蝉時雨が降り注ぐ京都の夏空の下、三人の冒険は新たな目的地──建勲神社へと続いていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

14歳で定年ってマジ!? 世界を変えた少年漫画家、再起のノート

谷川 雅
児童書・童話
この世界、子どもがエリート。 “スーパーチャイルド制度”によって、能力のピークは12歳。 そして14歳で、まさかの《定年》。 6歳の星野幸弘は、将来の夢「世界を笑顔にする漫画家」を目指して全力疾走する。 だけど、定年まで残された時間はわずか8年……! ――そして14歳。夢は叶わぬまま、制度に押し流されるように“退場”を迎える。 だが、そんな幸弘の前に現れたのは、 「まちがえた人間」のノートが集まる、不思議な図書室だった。 これは、間違えたままじゃ終われなかった少年たちの“再スタート”の物語。 描けなかった物語の“つづき”は、きっと君の手の中にある。

運よく生まれ変われたので、今度は思いっきり身体を動かします!

克全
児童書・童話
「第1回きずな児童書大賞」重度の心臓病のため、生まれてからずっと病院のベッドから動けなかった少年が12歳で亡くなりました。両親と両祖父母は毎日のように妾(氏神)に奇跡を願いましたが、叶えてあげられませんでした。神々の定めで、現世では奇跡を起こせなかったのです。ですが、記憶を残したまま転生させる事はできました。ほんの少しだけですが、運動が苦にならない健康な身体と神与スキルをおまけに付けてあげました。(氏神談)

少年騎士

克全
児童書・童話
「第1回きずな児童書大賞参加作」ポーウィス王国という辺境の小国には、12歳になるとダンジョンか魔境で一定の強さになるまで自分を鍛えなければいけないと言う全国民に対する法律があった。周囲の小国群の中で生き残るため、小国を狙う大国から自国を守るために作られた法律、義務だった。領地持ち騎士家の嫡男ハリー・グリフィスも、その義務に従い1人王都にあるダンジョンに向かって村をでた。だが、両親祖父母の計らいで平民の幼馴染2人も一緒に12歳の義務に同行する事になった。将来救国の英雄となるハリーの物語が始まった。

あだ名が247個ある男(実はこれ実話なんですよ25)

tomoharu
児童書・童話
え?こんな話絶対ありえない!作り話でしょと思うような話からあるある話まで幅広い範囲で物語を考えました!ぜひ読んでみてください!数年後には大ヒット間違いなし!! 作品情報【伝説の物語(都道府県問題)】【伝説の話題(あだ名とコミュニケーションアプリ)】【マーライオン】【愛学両道】【やりすぎヒーロー伝説&ドリームストーリー】【トモレオ突破椿】など ・【やりすぎヒーロー伝説&ドリームストーリー】とは、その話はさすがに言いすぎでしょと言われているほぼ実話ストーリーです。 小さい頃から今まで主人公である【紘】はどのような体験をしたのかがわかります。ぜひよんでくださいね! ・【トモレオ突破椿】は、公務員試験合格なおかつ様々な問題を解決させる話です。 頭の悪かった人でも公務員になれることを証明させる話でもあるので、ぜひ読んでみてください! 特別記念として実話を元に作った【呪われし◯◯シリーズ】も公開します! トランプ男と呼ばれている切札勝が、トランプゲームに例えて次々と問題を解決していく【トランプ男】シリーズも大人気! 人気者になるために、ウソばかりついて周りの人を誘導し、すべて自分のものにしようとするウソヒコをガチヒコが止める【嘘つきは、嘘治の始まり】というホラーサスペンスミステリー小説

未来スコープ  ―この学園、裏ありすぎなんですけど!? ―

米田悠由
児童書・童話
「やばっ!これ、やっぱ未来見れるんだ!」 平凡な女子高生・白石藍が偶然手にした謎の道具「未来スコープ」。 それは、未来を“見る”だけでなく、“触れたものの行く末を映す”装置だった。 好奇心旺盛な藍は、未来スコープを通して、学園に潜む都市伝説や不可解な出来事の真相に迫っていく。 旧校舎の謎、転校生・蓮の正体、そして学園の奥深くに潜む秘密。 見えた未来が、藍たちの運命を大きく揺るがしていく。 未来スコープが映し出すのは、甘く切ないだけではない未来。 誰かを信じる気持ち、誰かを疑う勇気、そして真実を暴く覚悟。 藍は「信じるとはどういうことか」を問われていく。 この物語は、好奇心と正義感、友情と疑念の狭間で揺れながら、自分の軸を見つけていく少女の記録です。 感情の揺らぎと、未来への探究心が交錯するSFラブストーリー、シリーズ第3作。 読後、きっと「誰かを信じるとはどういうことか」を考えたくなる一冊です。

【3章】GREATEST BOONS ~幼なじみのほのぼのバディがクリエイトスキルで異世界に偉大なる恩恵をもたらします!~

丹斗大巴
児童書・童話
 幼なじみの2人がグレイテストブーンズ(偉大なる恩恵)を生み出しつつ、異世界の7つの秘密を解き明かしながらほのぼの旅をする物語。  異世界に飛ばされて、小学生の年齢まで退行してしまった幼なじみの銀河と美怜。とつじょ不思議な力に目覚め、Greatest Boons(グレイテストブーンズ:偉大なる恩恵)をもたらす新しい生き物たちBoons(ブーンズ)とアイテムを生みだした! 彼らのおかげでサバイバルもトラブルもなんのその! クリエイト系の2人が旅するほのぼの異世界珍道中。  便利な「しおり」機能を使って読み進めることをお勧めします。さらに「お気に入り登録」して頂くと、最新更新のお知らせが届いて便利です! レーティング指定の描写はありませんが、万が一気になる方は、目次※マークをさけてご覧ください。

生まれたばかりですが、早速赤ちゃんセラピー?始めます!

mabu
児童書・童話
超ラッキーな環境での転生と思っていたのにママさんの体調が危ないんじゃぁないの? ママさんが大好きそうなパパさんを闇落ちさせない様に赤ちゃんセラピーで頑張ります。 力を使って魔力を増やして大きくなったらチートになる! ちょっと赤ちゃん系に挑戦してみたくてチャレンジしてみました。 読みにくいかもしれませんが宜しくお願いします。 誤字や意味がわからない時は皆様の感性で受け捉えてもらえると助かります。 流れでどうなるかは未定なので一応R15にしております。 現在投稿中の作品と共に地道にマイペースで進めていきますので宜しくお願いします🙇 此方でも感想やご指摘等への返答は致しませんので宜しくお願いします。

四尾がつむぐえにし、そこかしこ

月芝
児童書・童話
その日、小学校に激震が走った。 憧れのキラキラ王子さまが転校する。 女子たちの嘆きはひとしお。 彼に淡い想いを抱いていたユイもまた動揺を隠せない。 だからとてどうこうする勇気もない。 うつむき複雑な気持ちを抱えたままの帰り道。 家の近所に見覚えのない小路を見つけたユイは、少し寄り道してみることにする。 まさかそんな小さな冒険が、あんなに大ごとになるなんて……。 ひょんなことから石の祠に祀られた三尾の稲荷にコンコン見込まれて、 三つのお仕事を手伝うことになったユイ。 達成すれば、なんと一つだけ何でも願い事を叶えてくれるという。 もしかしたら、もしかしちゃうかも? そこかしこにて泡沫のごとくあらわれては消えてゆく、えにしたち。 結んで、切って、ほどいて、繋いで、笑って、泣いて。 いろんな不思議を知り、数多のえにしを目にし、触れた先にて、 はたしてユイは何を求め願うのか。 少女のちょっと不思議な冒険譚。 ここに開幕。

処理中です...