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第二十二話『落ち武者と御朱印の証』
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夜が更け、月夜の光が森を照らしていた。
葉の隙間からこぼれる白い光は、祠の周囲を淡く染め上げ、苔むした石段や石板を浮かび上がらせている。昼間の祠とはまるで違う顔を見せ、森は静まり返り、風のそよぎさえも緊張を帯びて聞こえた。
三人は祠の前に立ち並んでいた。アラタはリュックから大事そうに御朱印帳を取り出し、胸の前で掲げる。墨で力強く書かれた「天下布武」の四文字は、月明かりを受けて重々しく輝いて見えた。
「これが……俺らの切り札や」
アラタは胸を張り、仲間に向かって言った。声は勇ましく響いたが、その手はじんわり汗ばんでいた。額に浮かぶ汗が冷たい夜気に触れ、緊張を隠しきれない。
ケンタは腕を抱くようにして御朱印を見つめた。喉がひりつき、足先まで震えが走る。落ち武者の影に阻まれたあの夜の記憶が、鮮明に脳裏に蘇る。
「……ほんまに効くんかな。もし、また止められたら……」
声がかすれ、胸の奥で鼓動が暴れていた。恐怖と期待が入り混じり、心臓が破裂しそうだった。
その隣でハルトが一歩前に出た。月夜の光に照らされた横顔は冷静そのもの。瞳には迷いがなく、低い声が森に落ち着きを与えるように響いた。
「御朱印はここで使うんやない。森の奥、橋の上で落ち武者に示すんや。信じん限り、力は発揮せぇへん」
ケンタは息を詰め、アラタは強く頷いた。三人の間に、言葉にせずとも決意が確かに交わされる。
石板の奥からかすかに冷気が漂い、今にも道筋が浮かび上がりそうな気配がした。三人は御朱印を握りしめ、静かな夜の祠の前で、次の一歩に備えて気持ちを固めた。
しんと静まり返った森に、ひやりとした風が通り抜けた。苔むした祠の石板が月夜の光を浴び、じわじわと淡い輝きを帯びていく。先日と同じように、石の表面に細い光の筋が浮かび上がり、ゆっくりと森の奥へと伸びていった。
「……出た」
アラタが息を呑み、拳を握りしめた。心臓が高鳴り、目の奥が熱くなる。待ち望んでいた瞬間が、再び訪れたのだ。
「やっぱり……夢やなかったんや」
ケンタが震える声でつぶやいた。胸の奥がきゅっと縮こまり、息が浅くなる。けれど同時に、目に涙のような光が滲んでいた。恐怖だけじゃない。未知の冒険へ導かれているという高揚感が、全身を震わせていた。
「落ち着け。前と同じや。道が俺らを導いてる」
ハルトが冷静に言った。声は低く、だが確かな響きを持って三人の胸に染み込む。彼自身も緊張していた。光の筋が伸びていく先に待つものが、ただの幻ではないことを、直感で悟っていたからだ。
森の奥へと延びる光の道は、水に濡れた落ち葉の上を滑るように走り、やがて闇の中に吸い込まれていった。
「行くで。今度は、最後まで」
アラタが力強く声を上げた。
「……うん。もう逃げへん」
ケンタが小さく答えた。その声にはまだ震えが混じっていたが、背筋は伸びていた。
「俺ら三人で……いや、四人で越える」
ハルトが言葉を添えた。三人の視線が交わり、強い決意がそこに宿った。
光の道は彼らの足元を照らし、森の奥へと誘う。石板に残る光はまるで「進め」と告げるかのように明滅を繰り返していた。
三人は頷き合い、同時に歩みを踏み出した。湿った森の空気が肌にまとわりつき、胸の奥は不安と期待で膨らんでいた。光の道は、まるで生き物のように彼らを導いていく。
光の道をたどった先に、闇に沈んだ小川が姿を現した。そこには確かに橋が架かっていた。だが、昼間には影も形もなかったはずのその橋は、月夜の光に照らされて淡く透きとおり、まるで幻のように浮かび上がっていた。木の板が何枚も連なっているはずなのに、輪郭は揺らぎ、足元の水面が透けて見える。
三人は橋の手前で立ち止まった。湿った空気がまとわりつき、心臓の鼓動が耳の奥で響いているようだった。アラタは拳を握りしめ、ケンタは喉を鳴らして唾を飲み込む。ハルトの目も、普段の冷静さの奥に緊張の色を宿していた。
「……落ちたら、どうなるんやろ」
ケンタがぽつりと漏らした。声はかすかに震え、闇の水面に吸い込まれていった。足元をのぞき込むと、川面は月光を反射して白くきらめき、吸い込まれるような深さを感じさせた。
「考えても仕方ないやろ! 行くしかないんや!」
アラタは自分に言い聞かせるように叫び、勢いよく一歩を踏み出した。足が橋にかかる。瞬間、板のような感触が確かに彼を支えた。透けて揺らめく幻の橋は、決して幻ではなかったのだ。喉の奥が熱くなり、胸の奥で「行ける」という確信が灯った。
「見ろ! 大丈夫や! ちゃんと立てる!」
振り返ったアラタの声に、ケンタは唇を噛んだ。恐怖で足がすくみそうになるが、その瞳に揺るがぬ光があるのを見て、勇気を奮い立たせた。
「……ほんまに……大丈夫なんやな……」
ケンタは足を震わせながら橋に足を乗せた。体がふわりと浮くような感覚に襲われたが、確かに支えられていることを知り、安堵のため息を漏らした。
「うわ……ほんまや……落ちへん……」
その声は弱々しかったが、どこか誇らしげでもあった。肩から力が抜け、胸の奥に小さな勇気が芽生えていた。
最後にハルトが無言で橋に足をかけた。冷静さを装っていたが、眉間にはわずかな皺が寄り、口元は硬く結ばれていた。二人の背中を見つめるその瞳には、「守る」という決意が強く宿っていた。
「……行こう。立ち止まったら余計に怖くなる」
短くそう言い、三人は列を作って橋を渡り始めた。足元の板は月光に透けて光り、下には暗い川面が広がっている。水面は揺れ、黒い波がざわめくたびに足元が崩れる錯覚に襲われた。呼吸は浅く、喉は乾き、全身の神経が研ぎ澄まされていく。
「こ、これ……下見たらあかんやつや……」
ケンタが情けない声を漏らすと、アラタが後ろを振り返り、にやりと笑った。
「じゃあ前だけ見とけ! 俺らの未来は前にしかないんや!」
その言葉にケンタは思わず苦笑し、肩の力が少し抜けた。ハルトも小さく頷き、無言で前を向く。
三人と一匹は一歩、また一歩と進んでいった。背後に残した世界は遠ざかり、橋の先に広がる闇が彼らを待ち構えていた。恐怖と緊張、そして確かな希望を胸に、彼らは幻の橋を渡り続けた。
ケンタがごくりと唾を飲み込み、目を細めた。前回の恐怖が蘇り、足がすくみそうになる。それでも彼は拳を握りしめ、顔を上げた。
「でも……この前、ちゃんと渡れたんや。なら今回も行けるはずや」
アラタがにっと笑い、肩を叩いた。
「そうや! 一回成功してるんや。ビビる必要なんてない!」
ハルトは頷き、短く言葉を添えた。
「落ち着いて行けば大丈夫や。足元より前を見ろ」
三人は順に橋へ足をかけた。透けて見える川面にぞわりと背筋が粟立ったが、足元の板は確かに彼らを支えていた。息を詰めながらも一歩、また一歩と進む。やがて橋を渡りきったとき、三人の顔には安堵の笑みが広がっていた。
橋を渡り終えた三人とトラは、胸を撫で下ろす暇もなく、濃い霧に包まれた森へ足を踏み入れた。そこは先ほどまで月夜に照らされていた道とは一変し、光がほとんど届かない不気味な闇の世界だった。空気はひんやりと冷たく、霧が頬や腕にまとわりついて肌の熱を奪っていく。湿った匂いと、どこか鉄錆びのような匂いが混じり合い、呼吸するたびに胸の奥が重くなるように感じられた。
アラタは拳を握りしめ、仲間を振り返った。「……行くで」声は勇ましく装ったが、喉の奥が渇き、声がわずかに震えていた。
ケンタは頷こうとしたが、視線が足元に吸い寄せられる。霧に覆われた地面はぼんやりとしか見えず、まるで一歩先に何があるのか分からない。足がすくみ、冷たい汗が背中を流れた。「……なんか、嫌な感じする……」
そのときだった。霧の中から、ゆらりと影が浮かび上がった。ひとつ、ふたつ……気づけば十を超える影が、森の奥からじわじわと近づいてくる。やがて霧が裂け、甲冑をまとった落ち武者たちの姿が現れた。鎧は古び、兜には傷が刻まれ、赤黒い光を放つ瞳がじっと三人を見据えている。無言のはずなのに、その存在だけで圧倒的な威圧感が押し寄せてきた。
ケンタが思わず後ずさりし、口を震わせた。「で、出た……!」
アラタの背筋に冷たいものが走る。心臓が早鐘を打ち、手に握った御朱印帳が汗で滑りそうになる。喉が鳴り、言葉が出ない。
そのとき、低く重い声が森全体に響き渡った。
「……証を示せ」
誰の声かは分からない。だが確かに、森全体がその言葉を唱えているように聞こえた。足元の地面さえ震えているかのように思えた。
「な、なぁ……どうするんや……? ほんまに……通れるんか……?」
ケンタの声は震え、今にも泣きそうだった。膝が笑い、立っているだけで必死だ。
アラタは歯を食いしばった。
「……こんなん、怖がっとる場合やない。俺らには御朱印がある」
声は強がっていたが、喉の奥は乾いて震えている。汗で掌が濡れ、御朱印帳を取り出す手が小刻みに揺れていた。
ハルトは二人を見やり、深く息を吐いた。
「……落ち着け。これは試しや。証を示せ、言うてる。つまり、俺らが持っとるそれを出せば通れる」
その冷静な声に、アラタとケンタは一瞬だけ恐怖から解き放たれる。二人の視線が自然とリュックの中へ向かった。確かにそこには“切り札”がある。
アラタは震える指で御朱印帳を取り出した。胸の前に掲げると、墨で書かれた「天下布武」の四文字が月明かりを受けて淡く光を帯びた。空気が一瞬、張り詰める。落ち武者たちの瞳がわずかに揺れ、霧の中で鎧がざらりと擦れる音が響いた。
「……これで……通れるんか……?」
ケンタが息を詰めながらつぶやいた。肩はまだ震えていたが、その目にはかすかな希望が灯っていた。
アラタは唾を飲み込み、力強く声を絞り出した。
「俺らの証はここにある! 通してもらう!」
アラタは震える手でリュックの奥から御朱印帳を取り出した。冷たい夜気にさらされた指先がかじかみ、思わず息を呑む。仲間の視線が自分に注がれているのを感じ、鼓動が耳の奥でやかましく響いた。彼は深呼吸をひとつしてから、思い切って御朱印帳を高く掲げた。
墨で力強く書かれた「天下布武」の四文字が、月明かりを浴びて淡く光を帯びる。その輝きは霧の中にじんわりと広がり、あたりを包み込んだ。瞬間、落ち武者たちの瞳がかすかに揺らぎ、兜の奥で赤黒い光が瞬いた。鎧の列がざわりと音を立て、霧の中に不気味な気配が波打った。
「うわ……ほんまに効いてる……」
ケンタは目を見開き、喉を鳴らしてかすれた声をもらした。
「……ほんまに通れたんや」
震えはまだ残っていたが、その言葉には安堵と驚きが入り混じっていた。胸がどくどくと脈打ち、今にも崩れそうな膝を必死に支えている。
アラタは胸に御朱印帳を抱きしめ、汗で濡れた手を強く握り直した。心臓が爆発しそうなほど高鳴っていたが、その奥には確かな自信が芽生えていた。
「これで……進める」
声は小さかったが、確かな力が宿っていた。
やがて、落ち武者たちの列が左右に静かに割れていった。鎧の重い擦れ音が森の奥へと吸い込まれていき、目の前にぽっかりと空いた道が姿を現す。霧の奥へと続くその道は、彼らを試すように不気味な闇の中へと誘っていた。
「……すげぇ……ほんまに道が開いたんや」
アラタが小声でつぶやき、興奮と恐怖の入り混じった目をしていた。
ハルトは仲間二人を見回し、ゆっくりと頷いた。
「行こう。ここからが本当の試練や」
低い声は、恐怖を押し殺しながらも確固たる決意を帯びていた。
ケンタは唇を噛み、足を一歩踏み出した。
「……うん。もう逃げへん。進もう」
声は震えていたが、その目は前を見据えていた。
三人とトラは互いに息を詰め、慎重に落ち武者の列の間を通り抜けた。鎧の影をすり抜けるたびに背筋を冷たいものが走り、振り返りたい衝動に駆られたが、誰一人として後ろを見ようとはしなかった。背後では霧が閉じていくような音が響き、道は再び飲み込まれていった。
胸の奥に残ったのは、重くのしかかる予感。だが同時に、確信もあった。──この先には必ず、新たな試練が待っている。
葉の隙間からこぼれる白い光は、祠の周囲を淡く染め上げ、苔むした石段や石板を浮かび上がらせている。昼間の祠とはまるで違う顔を見せ、森は静まり返り、風のそよぎさえも緊張を帯びて聞こえた。
三人は祠の前に立ち並んでいた。アラタはリュックから大事そうに御朱印帳を取り出し、胸の前で掲げる。墨で力強く書かれた「天下布武」の四文字は、月明かりを受けて重々しく輝いて見えた。
「これが……俺らの切り札や」
アラタは胸を張り、仲間に向かって言った。声は勇ましく響いたが、その手はじんわり汗ばんでいた。額に浮かぶ汗が冷たい夜気に触れ、緊張を隠しきれない。
ケンタは腕を抱くようにして御朱印を見つめた。喉がひりつき、足先まで震えが走る。落ち武者の影に阻まれたあの夜の記憶が、鮮明に脳裏に蘇る。
「……ほんまに効くんかな。もし、また止められたら……」
声がかすれ、胸の奥で鼓動が暴れていた。恐怖と期待が入り混じり、心臓が破裂しそうだった。
その隣でハルトが一歩前に出た。月夜の光に照らされた横顔は冷静そのもの。瞳には迷いがなく、低い声が森に落ち着きを与えるように響いた。
「御朱印はここで使うんやない。森の奥、橋の上で落ち武者に示すんや。信じん限り、力は発揮せぇへん」
ケンタは息を詰め、アラタは強く頷いた。三人の間に、言葉にせずとも決意が確かに交わされる。
石板の奥からかすかに冷気が漂い、今にも道筋が浮かび上がりそうな気配がした。三人は御朱印を握りしめ、静かな夜の祠の前で、次の一歩に備えて気持ちを固めた。
しんと静まり返った森に、ひやりとした風が通り抜けた。苔むした祠の石板が月夜の光を浴び、じわじわと淡い輝きを帯びていく。先日と同じように、石の表面に細い光の筋が浮かび上がり、ゆっくりと森の奥へと伸びていった。
「……出た」
アラタが息を呑み、拳を握りしめた。心臓が高鳴り、目の奥が熱くなる。待ち望んでいた瞬間が、再び訪れたのだ。
「やっぱり……夢やなかったんや」
ケンタが震える声でつぶやいた。胸の奥がきゅっと縮こまり、息が浅くなる。けれど同時に、目に涙のような光が滲んでいた。恐怖だけじゃない。未知の冒険へ導かれているという高揚感が、全身を震わせていた。
「落ち着け。前と同じや。道が俺らを導いてる」
ハルトが冷静に言った。声は低く、だが確かな響きを持って三人の胸に染み込む。彼自身も緊張していた。光の筋が伸びていく先に待つものが、ただの幻ではないことを、直感で悟っていたからだ。
森の奥へと延びる光の道は、水に濡れた落ち葉の上を滑るように走り、やがて闇の中に吸い込まれていった。
「行くで。今度は、最後まで」
アラタが力強く声を上げた。
「……うん。もう逃げへん」
ケンタが小さく答えた。その声にはまだ震えが混じっていたが、背筋は伸びていた。
「俺ら三人で……いや、四人で越える」
ハルトが言葉を添えた。三人の視線が交わり、強い決意がそこに宿った。
光の道は彼らの足元を照らし、森の奥へと誘う。石板に残る光はまるで「進め」と告げるかのように明滅を繰り返していた。
三人は頷き合い、同時に歩みを踏み出した。湿った森の空気が肌にまとわりつき、胸の奥は不安と期待で膨らんでいた。光の道は、まるで生き物のように彼らを導いていく。
光の道をたどった先に、闇に沈んだ小川が姿を現した。そこには確かに橋が架かっていた。だが、昼間には影も形もなかったはずのその橋は、月夜の光に照らされて淡く透きとおり、まるで幻のように浮かび上がっていた。木の板が何枚も連なっているはずなのに、輪郭は揺らぎ、足元の水面が透けて見える。
三人は橋の手前で立ち止まった。湿った空気がまとわりつき、心臓の鼓動が耳の奥で響いているようだった。アラタは拳を握りしめ、ケンタは喉を鳴らして唾を飲み込む。ハルトの目も、普段の冷静さの奥に緊張の色を宿していた。
「……落ちたら、どうなるんやろ」
ケンタがぽつりと漏らした。声はかすかに震え、闇の水面に吸い込まれていった。足元をのぞき込むと、川面は月光を反射して白くきらめき、吸い込まれるような深さを感じさせた。
「考えても仕方ないやろ! 行くしかないんや!」
アラタは自分に言い聞かせるように叫び、勢いよく一歩を踏み出した。足が橋にかかる。瞬間、板のような感触が確かに彼を支えた。透けて揺らめく幻の橋は、決して幻ではなかったのだ。喉の奥が熱くなり、胸の奥で「行ける」という確信が灯った。
「見ろ! 大丈夫や! ちゃんと立てる!」
振り返ったアラタの声に、ケンタは唇を噛んだ。恐怖で足がすくみそうになるが、その瞳に揺るがぬ光があるのを見て、勇気を奮い立たせた。
「……ほんまに……大丈夫なんやな……」
ケンタは足を震わせながら橋に足を乗せた。体がふわりと浮くような感覚に襲われたが、確かに支えられていることを知り、安堵のため息を漏らした。
「うわ……ほんまや……落ちへん……」
その声は弱々しかったが、どこか誇らしげでもあった。肩から力が抜け、胸の奥に小さな勇気が芽生えていた。
最後にハルトが無言で橋に足をかけた。冷静さを装っていたが、眉間にはわずかな皺が寄り、口元は硬く結ばれていた。二人の背中を見つめるその瞳には、「守る」という決意が強く宿っていた。
「……行こう。立ち止まったら余計に怖くなる」
短くそう言い、三人は列を作って橋を渡り始めた。足元の板は月光に透けて光り、下には暗い川面が広がっている。水面は揺れ、黒い波がざわめくたびに足元が崩れる錯覚に襲われた。呼吸は浅く、喉は乾き、全身の神経が研ぎ澄まされていく。
「こ、これ……下見たらあかんやつや……」
ケンタが情けない声を漏らすと、アラタが後ろを振り返り、にやりと笑った。
「じゃあ前だけ見とけ! 俺らの未来は前にしかないんや!」
その言葉にケンタは思わず苦笑し、肩の力が少し抜けた。ハルトも小さく頷き、無言で前を向く。
三人と一匹は一歩、また一歩と進んでいった。背後に残した世界は遠ざかり、橋の先に広がる闇が彼らを待ち構えていた。恐怖と緊張、そして確かな希望を胸に、彼らは幻の橋を渡り続けた。
ケンタがごくりと唾を飲み込み、目を細めた。前回の恐怖が蘇り、足がすくみそうになる。それでも彼は拳を握りしめ、顔を上げた。
「でも……この前、ちゃんと渡れたんや。なら今回も行けるはずや」
アラタがにっと笑い、肩を叩いた。
「そうや! 一回成功してるんや。ビビる必要なんてない!」
ハルトは頷き、短く言葉を添えた。
「落ち着いて行けば大丈夫や。足元より前を見ろ」
三人は順に橋へ足をかけた。透けて見える川面にぞわりと背筋が粟立ったが、足元の板は確かに彼らを支えていた。息を詰めながらも一歩、また一歩と進む。やがて橋を渡りきったとき、三人の顔には安堵の笑みが広がっていた。
橋を渡り終えた三人とトラは、胸を撫で下ろす暇もなく、濃い霧に包まれた森へ足を踏み入れた。そこは先ほどまで月夜に照らされていた道とは一変し、光がほとんど届かない不気味な闇の世界だった。空気はひんやりと冷たく、霧が頬や腕にまとわりついて肌の熱を奪っていく。湿った匂いと、どこか鉄錆びのような匂いが混じり合い、呼吸するたびに胸の奥が重くなるように感じられた。
アラタは拳を握りしめ、仲間を振り返った。「……行くで」声は勇ましく装ったが、喉の奥が渇き、声がわずかに震えていた。
ケンタは頷こうとしたが、視線が足元に吸い寄せられる。霧に覆われた地面はぼんやりとしか見えず、まるで一歩先に何があるのか分からない。足がすくみ、冷たい汗が背中を流れた。「……なんか、嫌な感じする……」
そのときだった。霧の中から、ゆらりと影が浮かび上がった。ひとつ、ふたつ……気づけば十を超える影が、森の奥からじわじわと近づいてくる。やがて霧が裂け、甲冑をまとった落ち武者たちの姿が現れた。鎧は古び、兜には傷が刻まれ、赤黒い光を放つ瞳がじっと三人を見据えている。無言のはずなのに、その存在だけで圧倒的な威圧感が押し寄せてきた。
ケンタが思わず後ずさりし、口を震わせた。「で、出た……!」
アラタの背筋に冷たいものが走る。心臓が早鐘を打ち、手に握った御朱印帳が汗で滑りそうになる。喉が鳴り、言葉が出ない。
そのとき、低く重い声が森全体に響き渡った。
「……証を示せ」
誰の声かは分からない。だが確かに、森全体がその言葉を唱えているように聞こえた。足元の地面さえ震えているかのように思えた。
「な、なぁ……どうするんや……? ほんまに……通れるんか……?」
ケンタの声は震え、今にも泣きそうだった。膝が笑い、立っているだけで必死だ。
アラタは歯を食いしばった。
「……こんなん、怖がっとる場合やない。俺らには御朱印がある」
声は強がっていたが、喉の奥は乾いて震えている。汗で掌が濡れ、御朱印帳を取り出す手が小刻みに揺れていた。
ハルトは二人を見やり、深く息を吐いた。
「……落ち着け。これは試しや。証を示せ、言うてる。つまり、俺らが持っとるそれを出せば通れる」
その冷静な声に、アラタとケンタは一瞬だけ恐怖から解き放たれる。二人の視線が自然とリュックの中へ向かった。確かにそこには“切り札”がある。
アラタは震える指で御朱印帳を取り出した。胸の前に掲げると、墨で書かれた「天下布武」の四文字が月明かりを受けて淡く光を帯びた。空気が一瞬、張り詰める。落ち武者たちの瞳がわずかに揺れ、霧の中で鎧がざらりと擦れる音が響いた。
「……これで……通れるんか……?」
ケンタが息を詰めながらつぶやいた。肩はまだ震えていたが、その目にはかすかな希望が灯っていた。
アラタは唾を飲み込み、力強く声を絞り出した。
「俺らの証はここにある! 通してもらう!」
アラタは震える手でリュックの奥から御朱印帳を取り出した。冷たい夜気にさらされた指先がかじかみ、思わず息を呑む。仲間の視線が自分に注がれているのを感じ、鼓動が耳の奥でやかましく響いた。彼は深呼吸をひとつしてから、思い切って御朱印帳を高く掲げた。
墨で力強く書かれた「天下布武」の四文字が、月明かりを浴びて淡く光を帯びる。その輝きは霧の中にじんわりと広がり、あたりを包み込んだ。瞬間、落ち武者たちの瞳がかすかに揺らぎ、兜の奥で赤黒い光が瞬いた。鎧の列がざわりと音を立て、霧の中に不気味な気配が波打った。
「うわ……ほんまに効いてる……」
ケンタは目を見開き、喉を鳴らしてかすれた声をもらした。
「……ほんまに通れたんや」
震えはまだ残っていたが、その言葉には安堵と驚きが入り混じっていた。胸がどくどくと脈打ち、今にも崩れそうな膝を必死に支えている。
アラタは胸に御朱印帳を抱きしめ、汗で濡れた手を強く握り直した。心臓が爆発しそうなほど高鳴っていたが、その奥には確かな自信が芽生えていた。
「これで……進める」
声は小さかったが、確かな力が宿っていた。
やがて、落ち武者たちの列が左右に静かに割れていった。鎧の重い擦れ音が森の奥へと吸い込まれていき、目の前にぽっかりと空いた道が姿を現す。霧の奥へと続くその道は、彼らを試すように不気味な闇の中へと誘っていた。
「……すげぇ……ほんまに道が開いたんや」
アラタが小声でつぶやき、興奮と恐怖の入り混じった目をしていた。
ハルトは仲間二人を見回し、ゆっくりと頷いた。
「行こう。ここからが本当の試練や」
低い声は、恐怖を押し殺しながらも確固たる決意を帯びていた。
ケンタは唇を噛み、足を一歩踏み出した。
「……うん。もう逃げへん。進もう」
声は震えていたが、その目は前を見据えていた。
三人とトラは互いに息を詰め、慎重に落ち武者の列の間を通り抜けた。鎧の影をすり抜けるたびに背筋を冷たいものが走り、振り返りたい衝動に駆られたが、誰一人として後ろを見ようとはしなかった。背後では霧が閉じていくような音が響き、道は再び飲み込まれていった。
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異世界に飛ばされて、小学生の年齢まで退行してしまった幼なじみの銀河と美怜。とつじょ不思議な力に目覚め、Greatest Boons(グレイテストブーンズ:偉大なる恩恵)をもたらす新しい生き物たちBoons(ブーンズ)とアイテムを生みだした! 彼らのおかげでサバイバルもトラブルもなんのその! クリエイト系の2人が旅するほのぼの異世界珍道中。
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生まれたばかりですが、早速赤ちゃんセラピー?始めます!
mabu
児童書・童話
超ラッキーな環境での転生と思っていたのにママさんの体調が危ないんじゃぁないの?
ママさんが大好きそうなパパさんを闇落ちさせない様に赤ちゃんセラピーで頑張ります。
力を使って魔力を増やして大きくなったらチートになる!
ちょっと赤ちゃん系に挑戦してみたくてチャレンジしてみました。
読みにくいかもしれませんが宜しくお願いします。
誤字や意味がわからない時は皆様の感性で受け捉えてもらえると助かります。
流れでどうなるかは未定なので一応R15にしております。
現在投稿中の作品と共に地道にマイペースで進めていきますので宜しくお願いします🙇
此方でも感想やご指摘等への返答は致しませんので宜しくお願いします。
四尾がつむぐえにし、そこかしこ
月芝
児童書・童話
その日、小学校に激震が走った。
憧れのキラキラ王子さまが転校する。
女子たちの嘆きはひとしお。
彼に淡い想いを抱いていたユイもまた動揺を隠せない。
だからとてどうこうする勇気もない。
うつむき複雑な気持ちを抱えたままの帰り道。
家の近所に見覚えのない小路を見つけたユイは、少し寄り道してみることにする。
まさかそんな小さな冒険が、あんなに大ごとになるなんて……。
ひょんなことから石の祠に祀られた三尾の稲荷にコンコン見込まれて、
三つのお仕事を手伝うことになったユイ。
達成すれば、なんと一つだけ何でも願い事を叶えてくれるという。
もしかしたら、もしかしちゃうかも?
そこかしこにて泡沫のごとくあらわれては消えてゆく、えにしたち。
結んで、切って、ほどいて、繋いで、笑って、泣いて。
いろんな不思議を知り、数多のえにしを目にし、触れた先にて、
はたしてユイは何を求め願うのか。
少女のちょっと不思議な冒険譚。
ここに開幕。
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