完結『矢野アラタの大冒険。近江の悪ガキ、埋蔵金伝説に挑む』

カトラス

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第二十二話『落ち武者と御朱印の証』

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 夜が更け、月夜の光が森を照らしていた。
 葉の隙間からこぼれる白い光は、祠の周囲を淡く染め上げ、苔むした石段や石板を浮かび上がらせている。昼間の祠とはまるで違う顔を見せ、森は静まり返り、風のそよぎさえも緊張を帯びて聞こえた。

 三人は祠の前に立ち並んでいた。アラタはリュックから大事そうに御朱印帳を取り出し、胸の前で掲げる。墨で力強く書かれた「天下布武」の四文字は、月明かりを受けて重々しく輝いて見えた。

「これが……俺らの切り札や」

 アラタは胸を張り、仲間に向かって言った。声は勇ましく響いたが、その手はじんわり汗ばんでいた。額に浮かぶ汗が冷たい夜気に触れ、緊張を隠しきれない。

 ケンタは腕を抱くようにして御朱印を見つめた。喉がひりつき、足先まで震えが走る。落ち武者の影に阻まれたあの夜の記憶が、鮮明に脳裏に蘇る。

「……ほんまに効くんかな。もし、また止められたら……」

 声がかすれ、胸の奥で鼓動が暴れていた。恐怖と期待が入り混じり、心臓が破裂しそうだった。

 その隣でハルトが一歩前に出た。月夜の光に照らされた横顔は冷静そのもの。瞳には迷いがなく、低い声が森に落ち着きを与えるように響いた。

「御朱印はここで使うんやない。森の奥、橋の上で落ち武者に示すんや。信じん限り、力は発揮せぇへん」

 ケンタは息を詰め、アラタは強く頷いた。三人の間に、言葉にせずとも決意が確かに交わされる。
 石板の奥からかすかに冷気が漂い、今にも道筋が浮かび上がりそうな気配がした。三人は御朱印を握りしめ、静かな夜の祠の前で、次の一歩に備えて気持ちを固めた。

 しんと静まり返った森に、ひやりとした風が通り抜けた。苔むした祠の石板が月夜の光を浴び、じわじわと淡い輝きを帯びていく。先日と同じように、石の表面に細い光の筋が浮かび上がり、ゆっくりと森の奥へと伸びていった。

「……出た」

 アラタが息を呑み、拳を握りしめた。心臓が高鳴り、目の奥が熱くなる。待ち望んでいた瞬間が、再び訪れたのだ。

「やっぱり……夢やなかったんや」

 ケンタが震える声でつぶやいた。胸の奥がきゅっと縮こまり、息が浅くなる。けれど同時に、目に涙のような光が滲んでいた。恐怖だけじゃない。未知の冒険へ導かれているという高揚感が、全身を震わせていた。

「落ち着け。前と同じや。道が俺らを導いてる」

 ハルトが冷静に言った。声は低く、だが確かな響きを持って三人の胸に染み込む。彼自身も緊張していた。光の筋が伸びていく先に待つものが、ただの幻ではないことを、直感で悟っていたからだ。

 森の奥へと延びる光の道は、水に濡れた落ち葉の上を滑るように走り、やがて闇の中に吸い込まれていった。

「行くで。今度は、最後まで」

 アラタが力強く声を上げた。

「……うん。もう逃げへん」

 ケンタが小さく答えた。その声にはまだ震えが混じっていたが、背筋は伸びていた。

「俺ら三人で……いや、四人で越える」

 ハルトが言葉を添えた。三人の視線が交わり、強い決意がそこに宿った。

 光の道は彼らの足元を照らし、森の奥へと誘う。石板に残る光はまるで「進め」と告げるかのように明滅を繰り返していた。

 三人は頷き合い、同時に歩みを踏み出した。湿った森の空気が肌にまとわりつき、胸の奥は不安と期待で膨らんでいた。光の道は、まるで生き物のように彼らを導いていく。

 光の道をたどった先に、闇に沈んだ小川が姿を現した。そこには確かに橋が架かっていた。だが、昼間には影も形もなかったはずのその橋は、月夜の光に照らされて淡く透きとおり、まるで幻のように浮かび上がっていた。木の板が何枚も連なっているはずなのに、輪郭は揺らぎ、足元の水面が透けて見える。

 三人は橋の手前で立ち止まった。湿った空気がまとわりつき、心臓の鼓動が耳の奥で響いているようだった。アラタは拳を握りしめ、ケンタは喉を鳴らして唾を飲み込む。ハルトの目も、普段の冷静さの奥に緊張の色を宿していた。

「……落ちたら、どうなるんやろ」

 ケンタがぽつりと漏らした。声はかすかに震え、闇の水面に吸い込まれていった。足元をのぞき込むと、川面は月光を反射して白くきらめき、吸い込まれるような深さを感じさせた。

「考えても仕方ないやろ! 行くしかないんや!」

 アラタは自分に言い聞かせるように叫び、勢いよく一歩を踏み出した。足が橋にかかる。瞬間、板のような感触が確かに彼を支えた。透けて揺らめく幻の橋は、決して幻ではなかったのだ。喉の奥が熱くなり、胸の奥で「行ける」という確信が灯った。

「見ろ! 大丈夫や! ちゃんと立てる!」

 振り返ったアラタの声に、ケンタは唇を噛んだ。恐怖で足がすくみそうになるが、その瞳に揺るがぬ光があるのを見て、勇気を奮い立たせた。

「……ほんまに……大丈夫なんやな……」

 ケンタは足を震わせながら橋に足を乗せた。体がふわりと浮くような感覚に襲われたが、確かに支えられていることを知り、安堵のため息を漏らした。

「うわ……ほんまや……落ちへん……」

 その声は弱々しかったが、どこか誇らしげでもあった。肩から力が抜け、胸の奥に小さな勇気が芽生えていた。

 最後にハルトが無言で橋に足をかけた。冷静さを装っていたが、眉間にはわずかな皺が寄り、口元は硬く結ばれていた。二人の背中を見つめるその瞳には、「守る」という決意が強く宿っていた。

「……行こう。立ち止まったら余計に怖くなる」

 短くそう言い、三人は列を作って橋を渡り始めた。足元の板は月光に透けて光り、下には暗い川面が広がっている。水面は揺れ、黒い波がざわめくたびに足元が崩れる錯覚に襲われた。呼吸は浅く、喉は乾き、全身の神経が研ぎ澄まされていく。

「こ、これ……下見たらあかんやつや……」

 ケンタが情けない声を漏らすと、アラタが後ろを振り返り、にやりと笑った。

「じゃあ前だけ見とけ! 俺らの未来は前にしかないんや!」

 その言葉にケンタは思わず苦笑し、肩の力が少し抜けた。ハルトも小さく頷き、無言で前を向く。

 三人と一匹は一歩、また一歩と進んでいった。背後に残した世界は遠ざかり、橋の先に広がる闇が彼らを待ち構えていた。恐怖と緊張、そして確かな希望を胸に、彼らは幻の橋を渡り続けた。

 ケンタがごくりと唾を飲み込み、目を細めた。前回の恐怖が蘇り、足がすくみそうになる。それでも彼は拳を握りしめ、顔を上げた。

「でも……この前、ちゃんと渡れたんや。なら今回も行けるはずや」

 アラタがにっと笑い、肩を叩いた。
「そうや! 一回成功してるんや。ビビる必要なんてない!」

 ハルトは頷き、短く言葉を添えた。
「落ち着いて行けば大丈夫や。足元より前を見ろ」

 三人は順に橋へ足をかけた。透けて見える川面にぞわりと背筋が粟立ったが、足元の板は確かに彼らを支えていた。息を詰めながらも一歩、また一歩と進む。やがて橋を渡りきったとき、三人の顔には安堵の笑みが広がっていた。

 橋を渡り終えた三人とトラは、胸を撫で下ろす暇もなく、濃い霧に包まれた森へ足を踏み入れた。そこは先ほどまで月夜に照らされていた道とは一変し、光がほとんど届かない不気味な闇の世界だった。空気はひんやりと冷たく、霧が頬や腕にまとわりついて肌の熱を奪っていく。湿った匂いと、どこか鉄錆びのような匂いが混じり合い、呼吸するたびに胸の奥が重くなるように感じられた。

 アラタは拳を握りしめ、仲間を振り返った。「……行くで」声は勇ましく装ったが、喉の奥が渇き、声がわずかに震えていた。

 ケンタは頷こうとしたが、視線が足元に吸い寄せられる。霧に覆われた地面はぼんやりとしか見えず、まるで一歩先に何があるのか分からない。足がすくみ、冷たい汗が背中を流れた。「……なんか、嫌な感じする……」

 そのときだった。霧の中から、ゆらりと影が浮かび上がった。ひとつ、ふたつ……気づけば十を超える影が、森の奥からじわじわと近づいてくる。やがて霧が裂け、甲冑をまとった落ち武者たちの姿が現れた。鎧は古び、兜には傷が刻まれ、赤黒い光を放つ瞳がじっと三人を見据えている。無言のはずなのに、その存在だけで圧倒的な威圧感が押し寄せてきた。

 ケンタが思わず後ずさりし、口を震わせた。「で、出た……!」

 アラタの背筋に冷たいものが走る。心臓が早鐘を打ち、手に握った御朱印帳が汗で滑りそうになる。喉が鳴り、言葉が出ない。

 そのとき、低く重い声が森全体に響き渡った。

「……証を示せ」

 誰の声かは分からない。だが確かに、森全体がその言葉を唱えているように聞こえた。足元の地面さえ震えているかのように思えた。

「な、なぁ……どうするんや……? ほんまに……通れるんか……?」

 ケンタの声は震え、今にも泣きそうだった。膝が笑い、立っているだけで必死だ。

 アラタは歯を食いしばった。
「……こんなん、怖がっとる場合やない。俺らには御朱印がある」

 声は強がっていたが、喉の奥は乾いて震えている。汗で掌が濡れ、御朱印帳を取り出す手が小刻みに揺れていた。

 ハルトは二人を見やり、深く息を吐いた。
「……落ち着け。これは試しや。証を示せ、言うてる。つまり、俺らが持っとるそれを出せば通れる」

 その冷静な声に、アラタとケンタは一瞬だけ恐怖から解き放たれる。二人の視線が自然とリュックの中へ向かった。確かにそこには“切り札”がある。

 アラタは震える指で御朱印帳を取り出した。胸の前に掲げると、墨で書かれた「天下布武」の四文字が月明かりを受けて淡く光を帯びた。空気が一瞬、張り詰める。落ち武者たちの瞳がわずかに揺れ、霧の中で鎧がざらりと擦れる音が響いた。

「……これで……通れるんか……?」

 ケンタが息を詰めながらつぶやいた。肩はまだ震えていたが、その目にはかすかな希望が灯っていた。

 アラタは唾を飲み込み、力強く声を絞り出した。
「俺らの証はここにある! 通してもらう!」

 アラタは震える手でリュックの奥から御朱印帳を取り出した。冷たい夜気にさらされた指先がかじかみ、思わず息を呑む。仲間の視線が自分に注がれているのを感じ、鼓動が耳の奥でやかましく響いた。彼は深呼吸をひとつしてから、思い切って御朱印帳を高く掲げた。

 墨で力強く書かれた「天下布武」の四文字が、月明かりを浴びて淡く光を帯びる。その輝きは霧の中にじんわりと広がり、あたりを包み込んだ。瞬間、落ち武者たちの瞳がかすかに揺らぎ、兜の奥で赤黒い光が瞬いた。鎧の列がざわりと音を立て、霧の中に不気味な気配が波打った。

「うわ……ほんまに効いてる……」

 ケンタは目を見開き、喉を鳴らしてかすれた声をもらした。

「……ほんまに通れたんや」

 震えはまだ残っていたが、その言葉には安堵と驚きが入り混じっていた。胸がどくどくと脈打ち、今にも崩れそうな膝を必死に支えている。

 アラタは胸に御朱印帳を抱きしめ、汗で濡れた手を強く握り直した。心臓が爆発しそうなほど高鳴っていたが、その奥には確かな自信が芽生えていた。

「これで……進める」

 声は小さかったが、確かな力が宿っていた。

 やがて、落ち武者たちの列が左右に静かに割れていった。鎧の重い擦れ音が森の奥へと吸い込まれていき、目の前にぽっかりと空いた道が姿を現す。霧の奥へと続くその道は、彼らを試すように不気味な闇の中へと誘っていた。

「……すげぇ……ほんまに道が開いたんや」

 アラタが小声でつぶやき、興奮と恐怖の入り混じった目をしていた。

 ハルトは仲間二人を見回し、ゆっくりと頷いた。

「行こう。ここからが本当の試練や」

 低い声は、恐怖を押し殺しながらも確固たる決意を帯びていた。

 ケンタは唇を噛み、足を一歩踏み出した。

「……うん。もう逃げへん。進もう」

 声は震えていたが、その目は前を見据えていた。

 三人とトラは互いに息を詰め、慎重に落ち武者の列の間を通り抜けた。鎧の影をすり抜けるたびに背筋を冷たいものが走り、振り返りたい衝動に駆られたが、誰一人として後ろを見ようとはしなかった。背後では霧が閉じていくような音が響き、道は再び飲み込まれていった。

 胸の奥に残ったのは、重くのしかかる予感。だが同時に、確信もあった。──この先には必ず、新たな試練が待っている。
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