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第四話お料理ができるイケメン
しおりを挟むスマートフォンを枕元に置いて、ベッドの上で膝を抱える。
ケイはチヒロさんと交代で毎日来てくれるらしい。次に会えるのは明後日。
ご飯を食べたあと、ベッドに戻されて彼は大量のお弁当を抱えて去っていった。
何となく、一人になって寂しいような気がしてくる。
接客業をしてたから、喋っていると落ち着く事が多い。
今の仕事をはじめてから、一人の時間なんて朝と夜しか無かったから。
お互いの背景を何も知らないお客様たちとの幸せな時間。自分の技術で喜んでくれる笑顔。
でも、もう私はネイリストのお仕事はできないのかもしれない。
じわ、と涙が浮かんでくる。
それなりに、頑張ってきたとは思う。
記憶が無いまま、前の職場だったらしいところを辞め、失業給付金を貰いながら職業訓練校に入ってネイルサロンに飛び込みで研修生にしてもらいながら勉強して。
資格を順調にとって…当時の学校の仲間やサロンのネイリストたちとは独立しても連絡を取っていた。
多分、それももう連絡を取れることは無い。
チェーン店では結構必死でやってた。
先輩の顧客さんが私に指名を変えて喧嘩したこともあったけど、最後は先輩が頭を下げて、まだまだ未熟な私に私に教えを乞うてくれた。
技術畑で、女社会の嫌なところもありつつ、それでも根っこが職人で。みんな仕事のことが大好きだった。
誰かの役に立てることが、誰かの笑顔の源になれることが、やりがいだった。
記憶がなくても、親と疎遠でも幸せだった。
相変わらず怒りは湧いてこないけれど、寂しくて、寂しくて仕方ない。
ケイはきっと仲良くしてくれる。
でも、他の人やボスはどうだろう。
いつか私も殺されたりするのかな。
ボスも、あんなふうにずっと危ない目にあうのかな。
名前も教えて貰えないまま別れるのは嫌だなと思う。
サロンでのあの笑顔は、嘘じゃなかったと思ってる。そうであって欲しい、という気持ちの方が大きいけれど。
彼の笑顔がずっと心にあった。
出会った日に抱きしめられて、目が覚めたら居なくなった彼が残したメモ。それが入ったお財布もどこかに行ってしまったし。
メモだけでも残って欲しかった。
私、何もかもなくしてしまった。
涙が溢れて止まらない。
「蒼!」
急に名前を呼ばれて、ハッとする。ぱちぱちと瞬いて、瞳に溜まった涙が流れると、汗を額に浮かべて息が荒くなったボスが私を掴んでいた。
「あ、あれ?おかえりなさい?」
びっくりして返事をかえすと、心配そうな顔が私を見つめている。
「はぁ、はぁ……どこか具合が?返事がないから。スマホは持ってますね。はぁぁ…驚かせないでください……」
手に握ったスマホを確認すると、着信履歴が百件を超えてる。
メッセージも、三人から山のように来てた。
「す、すみません、わたし考え事すると周りが分からなくなるんです」
肩を握ったまま、ボスが片手で自分の額を抑えてる。
「そのようですね。良かった、何かあったかと」
心配してくれてたんだ。さっきまでの暗い気持ちがシュワシュワと溶けていく。
ムームー、とバイブ音が響く。
「私だ。あぁ、問題ない。考え事をしていたと…そうだ」
スマホを片手に通話しながら、青い目が探るように見つめて…私の頬を撫でてくる。
親指で涙を拭われ、擽ったさに目を閉じる。
「あぁ、わかった。…あとは頼む」
スマホを放り投げて、コートを床に落として、ボスがベッドに上がってくる。
スーツ姿のまま、引き寄せられて彼の腕に包まれた。
「体は、どこか痛むか?」
電話に引きずられたのか、口調が怖いボスの方に戻ってる。
「痛くはないです。足が動きません」
「それは、すまない。
私のせいだな…あなたが強情だからむきになった。逃げられる訳には行かないし。悪かった」
「えと、はい」
昨日とは打って変わって、優しい気遣いと柔らかく抱きしめてくる腕に包まれて、体の力が抜けていく。
なんだろう、ほっとする。
いつの間にか、ボスの体温が心地いいと思うようになっていた。
「なぜ、泣いていたのか聞いてもいいか」
「ケイが帰ってから、寂しくなって」
「うん」
「仕事のこと考えて」
「…うん」
「今まで頑張ってきたこととか、お友達のこととか、お客様のこととか」
「……うん」
「お財布無くしたし」
「ん?財布?なにか大切なものがあったのか?」
「あの、はい。その…」
「金のことなら問題ない。外出できるようになったらきちんと渡す」
あ、外に出れるようになるんだ。ちがうの、そうじゃなくて。
「メモが入ってたんです」
「メモ?なんのメモだ?」
腕が掴まれ、体に隙間ができる。
ボスの顔が覗くようにして私を見てくるが、目が合わせられない。
「ボスが残した、メモです」
途端に眉をしかめられる。
「ボス呼びはやめろ。メモって、私が書いた?もしかして連絡先のか」
「はい。あなたから貰ったものだったので」
ボスとしか名前、知らないんだから仕方ない。
名前教えてくれないから他に呼びようがないでしょ。
「そ、そうか。いや、物品は一応証拠だから…検証が終われば戻ってくる。申請しておくから」
えっ?検証?申請?微妙な違和感が頭をもたげる。
犯罪組織なのに、警察みたいなこともするのだろうか?
相手を探るため?よく分からないけど。
「お財布返ってくるんですか?メモも?」
スーツの襟を思わず掴んで、彼の顔を見つめる。
「そう、言っておく。なるべく…早めに」
「お願いします」
「あ、あぁ。わかった」
彼が目線を逸らして、頬を赤く染める。
私、変なこと言ったかな?
━━━━━━
「靴はまだ未購入だ。外出できるのは当分先になる。あとは部屋着とパジャマに使えるワンピースと、カーディガン、パーカー、デニム、Tシャツ、あとは同じ下着が数着。他に欲しいものがあれば買うから言ってくれ。」
「…………」
多いです。明らかに。
そして全部ブランド物なの?!
待って、もしかして今着ているワンピースも部屋着とか言うつもり??
「これ、全部部屋着のつもりですか?」
「何かおかしいか?」
「バナナリパブリックは部屋着じゃありません」
「他にもあるが。ジミーチュウ、シャネル、ディオールが若い子にいいと言われたが店に服が少なくてな。銀座で揃えられるものしか無かったから。…好みではないか?」
「そ、そういうことじゃなくてですね、高すぎます。
ボスが言っているブランドは一般人は手を出しませんから。服なんて特に。ウニクロにして欲しかった」
「ボスはやめろ。ウニクロ?分かった、明日そこで買おう」
「いや、もうクローゼット一杯です」
「ウォークインクローゼットが隣の部屋にあるから問題ない。しばらく金を使ってなかったから丁度いい。気にするな」
気にするなという方が無理!お洋服が札束にしか見えません。
金銭感覚どうなってるの??
「パジャマはウニクロでお願いします。部屋着はもう、いいですから。お気遣いありがとうございます、ボス」
「礼を言われる立場では無いが、うん。ボス呼びは本当にやめてくれ。昴でいい」
「昴さん?」
「さんはなくてもいいが。悪くはないな」
ほんのり昴さんが頬を朱に染める。
つられて私も顔に熱が集まる。
スバルさん。昴さん。
いい名前。あ、これも偽名?ふと、青い目の色を確かめてみる。
……分からない。
「昴は本名だ。チヒロとケイの前以外は呼ばないでくれるか」
「は、はい。わかりました」
何となく顔を見れず、山になったブランドの箱と紙袋を眺める。
お客様からいただいたコットンの入っていたシャネルの紙袋、後生大事にしまいこんでいた事を思い出す。
こんな高級品、絶対私の着るべきものじゃないのに。これは困った。
「とりあえず夕食にしよう。これから作るから、待てるか?」
「えっ!?昴さんお料理出来るんですか?」
「一般的なものはな。他人が出す料理を食べるより安全だ。何か食べたいものは?」
昴さんのご飯!でも、私の感覚だと長時間もやもや考え事をしてたから、さっきお昼?を食べたばかりな気がしている。
食べて寝て、ぐうたらして。
「あまりお腹すいてないと思います、多分。お昼を食べたばかりのような心持ちなのですが」
「ケイが来てから九時間は経ってるぞ。そんなに考えこんでいたのか。凄い集中力だな。では軽いものにしよう」
あ、そうか。私の癖だ。お腹すいたから泣いちゃったんだ。
紙袋をまとめ、抱えて寝室を出ようとしてる。
「あ、あの、お料理作るところ見たいです」
「見てもつまらないぞ」
「見たいです。監禁者の楽しみです」
「そう言われると断れないな。わかった」
━━━━━━
「一般的な料理とは」
「ん?ダメか?」
首を傾げて聞いてくる昴さんは、帰ってきたスーツのワイシャツ姿のままエプロンをつけてる。
私の中の何かをすごく刺激してくる。
「これはなんですか」
「中華粥だ。パクチーと、食べるラー油。もう残り少ないからまた作らないと。あとはサラダとフルーツ。普通だろう?」
いや、これは多分普通では無いと思う。中華粥に知らないスパイスが入って、ほんのりエスニックな香りが漂ってるし。
日本のお粥と違って米粒を潰してるから、ポタージュみたいになって、エビとイカとホタテが小さく刻まれて入ってる。
パクチーは好きだけど、普通の冷蔵庫に常備はしてるものでは無いだろうし、食べられるラー油も作らないと、ってことは手づくり?
サラダもやけに野菜がパリパリして見えるし、グレープフルーツって、果肉だけになって出てきたのホテルくらいでしか見たことないんですが。
「これが普通」
「そんなにおかしいか?」
「昴さんのお嫁さんになる人は、かなり苦戦しますね」
「…そ、そうか?いや、いいから食べろ。冷めるぞ」
とろりとしたお粥を恐る恐る口にする。
上品で控えめな塩味、帆立のダシがよく効いてる。
ほのかなスパイスが色んな香りを引き出して、お米の粒がないからトロトロと喉に滑り込んでくる。
食べるラー油を載せてみると、結構辛い。
中に山椒やニンニク、しょうが、ごま、くるみ、玉ねぎ、色んなものが入ってこちらもほんのり塩が効いている。
素材がらザクザクとした食感とともに、噛み締める度旨味を引き出してくる。
口の中の傷はもうほとんどなくて痛くないからモリモリ食べてしまう。
パクチーを入れるとさらにエスニック感が強まり、清冽な香りとともに爽やかな香りが鼻に抜ける。
サラダは柚の香りがする。だししょうゆと柚の果肉を搾ったもの、ほんのりゴマ油。
パリパリの野菜は恐らく50°処理したんだなぁ。外側が少し柔らかくなるけど中の水分がパリパリとしている。
レタスの他に松の実、クコの実、アーモンドが砕かれて散らしてある。咀嚼するとサラダの食感がすごい。
なにこれ。私だって料理するけど、こんなにすごいものは無理です。
得意料理はカレーです。
ぱぱっと作れるもの、でこれが出てくるだなんて末恐ろしい。
考えながらも手が止まらない。
塩梅と言い、スパイスと言い、食感と言い、素晴らしい。
お金を出したい。一円も持っていないけど。
━━━━━━
「ご馳走様でした。美味しすぎます!凄い」
「気に入ったか?食後はコーヒー?紅茶?梅昆布茶もあるが」
至れり尽くせり!!
「梅昆布茶欲しいです」
「いい選択肢だな。梅昆布茶は良質な睡眠を促す」
ケトルのスイッチを入れ、お茶用の耐熱グラスを渡される。
昴さん食べる量が多いな。お粥何杯目なの?
梅昆布茶をグラスに入れ、ケトルの沸騰を待つ。
「ケトルまで高級品」
「ん?そうか?よく知ってるな、バルミューダだ。コーヒーを入れるのにいいんだ。私にもお茶を入れてくれるか」
「はい」
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今は突っ込むのを辞めておきます。
「どうぞ」
「ありがとう。はぁ、落ち着くな」
梅昆布茶を飲んで、一息着いている様子を見ると、ケイさんと同じような雰囲気を感じる。
ちょっとおじさんぽい。
「昴さんはお幾つなんですか?」
「二十九。ケイも言われたらしいがおじさんは禁句だ」
「…はい」
あとはチヒロさんの年齢が分かればコンプリート、かな?
私の生活に、何となく少し色が戻ってきたような気がした。
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