降りしきる雨の中、桐生さんは傘をささない。

橘ふみの

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Episode.1

降りしきる雨の中、傘をささない②

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 《今帰ってきたよ~》

 メッセージを送ると当然のごとく秒で既読になった。お母さんって本当に仕事してるのかな? って疑いたくなるレベルで既読になるのが早い。

 《おかえりなさーい! 今日はどうだった?》

 ・・・今日はどうだった? ……か。いやぁ、どうもこうもヤクザあっち系っぽい人に絡まれたんだよね~! ……な~んて、絶対に言えないなぁ。

 《美冬と久々カラオケに行ってきたよ! 美冬の音痴は健在だった。笑》

 ついでに美冬がノリノリで熱唱してる動画もお母さんに送っとこうかな? 美冬……峯美冬みねみふゆは私の親友で、小学校も中学校も高校も一緒。美冬と離れたくなくて日本に残ったと言っても過言ではないっていうほどの存在。

 私が日本に残った理由は本当にシンプルなもので、お母さんの邪魔になりたくなかったのと美冬が日本にいるからって、ただそれだけの理由。

 《ウケる~! 相変わらずだねぇ。あとで美冬にメッセージ送っとく! 笑》
 《煽るのも程々にしなきゃ怒るよ~? 美冬。ちなみに私は怒られた。笑》

 そんなやり取りをしていたら自然と笑みが溢れて、今日あったことなんて忘れちゃいそう……というか、なかったことにすればいいよね? うん、そう、何もなかった、何もなかったんだ。だってもう会うこともないだろうし? 気にするだけかなり無駄だよね。

「よし、今日のことは綺麗さっぱり忘れて何もなかった……こと……に……」

 顔を上げて前を向くと、私ん家の玄関ドア前に誰かが立ってる。その“誰か”の姿を視界に捉えた私は驚愕した。

 ── な、なんで……どうしてあの人がここにいるの……?

 腕を組んで無表情な横顔。その横顔すら異常に整ってて、思わず見入ってしまって呼吸を忘れそうになる。

 ・・・え、とりあえずどうしよう。逃げる?

 私の気配に気づきたのかこっちに視線を向けて、髪をかき上げながら無表情のまま私を凝視しつつ、ゆっくり近づきてた。

 えっと、あの、私、あなたに何かしましたか? 傘をちょっと強く押し付けちゃった以外、あなたに何かをしてしまった覚えがないんですけど? 傘を押し付けただけで『骨が折れたぜ?』みたいな言いがかりをつけられるのは本当に勘弁してほしい。そんなことで折れてしまう骨なんて、そもそもがカルシウム不足なのでは? それって私のせいじゃないし……とか言い訳を並べながら内心焦りまくってる。

 どうする? この状況。逃げたいけど逃げれない。いや、正しくは“逃げても無駄”。だってもう家が特定されてるんだよ? 逃げてどうするの? 意味ないじゃん。だったらもう、戦うしか道はないでしょ。私は意を決して、しかめっ面をしながら勇敢にも立ち向かった。

「あの、なんなんですか?」

 ぶっきらぼうさんを見上げながら睨み付けると、真顔でフンッと鼻で笑われた。

「傘」

 差し出された傘は、さっき私がぶっきらぼうさんに押し付けた傘(私の傘)。

「え? あ、ど、どうも、ありがとう……ございます」

 差し出された傘を受け取ると、大きな手が私のほうへ伸びてきてポンッと頭の上に置かれた……え? えっと、これはどういうこと?

「さっさと風呂入れ、風邪引くぞ」

 そう言うと何をするわけでもなく私のもとから去っていくぶっきらぼうさん。

 ・・・え? これって、ただ傘を返しに来てくれただけ? いや、でも待って。なんで私の家がここだって分かったの? おかしくない? ねえ、絶対におかしいって……怖っ!!

 ぶっきらぼうさん、やっぱりこの人はただ者じゃない説が現実味が帯びていく。色々と聞くのは怖いけど、家を特定できた理由がどうしても知りたい……というか、ぶっきらぼうさんが“何者”なのかが知りたい。はっきりさせときたいじゃん、この先のことを考えるのなら。でも、怖い!

 うーん、こうなったらとことん追及する? それとも諦めてうやむやにする? いやいや、どう考えてもうやむやにするのはよくないよ。私の平和な日常を維持するためにも、ここで引き下がるわけにはいかない! がんばれ私、強気でいけ!

「あっ、あの!!」

 ぶっきらぼうさんのほうへ振り向くと、うちの隣の玄関ドアに手をかけている姿が私の瞳に映し出されてる。こっちへ視線を向けてきたぶっきらぼうさんと目が合って、唖然とする私にただ目を細めて凝視するだけのぶっきらぼうさん。

 ・・・え? えっ!? いやいや、ていうかなんで隣の玄関ドアに手をかけているの? そこ、うちの隣だよね? うちのお隣さんはこんな人じゃ……あれ、お隣さんって誰だっけ? ん? お隣さんに会ったことあるっけ? えっとぉ……ない。会ったこともないし、そういえば名前すら知らない。

「えっと、そこって誰の家ですか?」
「俺」

 ・・・ん? “俺”……とは?

「え?」
「あ?」

 今まで生きてきた人生の中で一番驚いてる。だってこんな偶然ある? たまたまお隣さんでした~! って……いやいや、えぇ、どんな偶然? こんな偶然いらないよぉ。

「あの……えっと、あなたがうちの“お隣さん”ということですか?」

 どう考えても……いや、考えなくてもうちの“お隣さん”なのは明白でしょ。だって、俺ん家だって言ってるんだよ? お隣さんでしかないじゃん。何を当たり前のこと聞いてるんだろ、私は。『なんだコイツ、ポンコツか?』とか思われてそう。

「お隣とやらになるわな」

 顔色ひとつ変えることのないぶっきらぼうさんに私の表情はスンッと真顔になった。

「あの……つかぬことをお聞きしますが、ヤクザですか?」

 ちょっと、いや、かなりつかぬことすぎるし、間違ってたらかなり失礼じゃない? これ。そもそもヤクザ=悪い人ってわけでもないだろうし、あまり偏見はよくない……とは思ってるんだけど。

「だったらどうする」

 淡々とした口調で少し無愛想な声……というか、素っ気ない感じ。そして、変わらず何を考えているのか分からない表情。

『だったらどうする』……か。否定も肯定もしないような返答だけど、おそらくヤクザで間違えないでしょ。だって『若』とか呼ばれてたし。正直に言うと関わりたくはないけど……悪い人ではなさそうだし、会ったら挨拶くらいはしてもいいよね?

 そんなことを考えていたら、ガチャッとドアが閉まる音が聞こえて、いつの間にかそこにいたはずのぶっきらぼうさんはいなくなっていた。

 ── 私が大嫌いな梅雨の時期に出会ったのは、“降りしきる雨の中、傘をささない”ぶっきらぼうなヤクザでした。

「……うん、なかったことにしよ」
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