降りしきる雨の中、桐生さんは傘をささない。

橘ふみの

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Episode.2

特別は作らない① 桐生視点

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 ── 裏社会に身を置く桐生家に生まれた俺は、何不自由することなく生きてきた。

 ガキの頃からこの界隈で育った俺は、この日常が“当たり前”で“普通”でしかない。だが、一般人の普通とは掛け離れているということは理解している。だから、“特別”は作らない。

 大切なものを失った奴等を何度も何度も、この目で見てきた。巻き込まないよう守ってきたつもりが、急襲や予期せぬトラブルに……なんてこともザラだ。防ぎようがないことなんて山ほどある。裏社会に限ったことではないが、表社会よりリスクが格段に上がるのは間違えないだろう。

『こんな生業をしていなければ、こんなことにはならなかったはずなのに』

 これが本音になる。

『悔やんでも悔やみきれない』

 この一言に尽きる。

 あまりに理不尽で不条理な世界──。

 そんな奴等をガキの頃から見てきた俺は、特定の何かを作らないと決めていた。“絶対”なんて言葉は存在しない。100%守りきれる保証なんてどこにもない。理不尽で不条理なこの世界に、大切なものを巻き込むわけにはいかない。

 ・・・なんて、聞こえは言いかもしれないが、俺は単純に逃げているだけだ。俺のせいで大切なものが奪われ、失うのが怖い。要はただのヘタレ野郎ってことだな。

「ねぇ、どうしたの~?」
「別に」

 ベッドの縁に腰を掛け、乱れた髪をかき上げながら立ち上がり、身なりを整える。

「もう行っちゃうの~? つれないわね」
「用は済んだ」
「ヤり逃げみたい」

 俺は欲を満たせれば誰でもいい。この女は俺とヤりたいだけ、これは利害の一致。余韻に浸って馴れ合うつもりは毛頭ない。事が済めば、ここに居座る理由は何一つないだろ。

 適当に金だけ置いて部屋から出ると、壁に背中を預けながらスマホをいじってる長岡ながおかが突っ立っていた。俺のほうに視線を向けると、スマホをポケットに入れながら妙にニヤニヤしてやがる。

「相変わらず早いっすね~。誠さんって早漏すかぁ?」
「あ? 殺すぞテメェ」
「ははっ。冗談すよぉ、冗談~」

 この能天気な野郎は、死にそうになっていたのを俺が拾って、なんだかんだ流れで組に入ったような奴。

「……長岡、後悔してねぇか」
「え? 何がっすか~」
「俺に拾われたこと」
「……なんつ~昔の話してんすかぁ。そんなこと心配しなくても、後悔なんて微塵もしてませんよぉ~」
「心配なんざしてねえよ」

 ・・・こういう奴ほど堕ちる時は一瞬、俺が拾ったからには最期まで面倒を見る責任がある。

「なんかあったらすぐ言えよ」
「くくっ。見た目とは裏腹に~とは、まさに誠さんのことっすねぇ」
「どういう意味だ」
「優しいってことっすよ~。ははっ、心配性なんだから~」

 なんて言いながら、俺の隣でケタケタ笑っている長岡に腹が立って、容赦なく頭頂部を殴った。声にならない声を上げて悶絶している長岡を横目に駐車場へ向かう。

 その後、ブツブツ文句を言いながら運転する長岡をガン無視して、人が行き交う街並みをただ眺めていた。そこに何の感情もない。勝手に視界に入ってくるだけ、ただの情報でしかない。

「うわぁ~、ありゃ渡りきれんでしょ~。俺達もあんなふうになるんすかねぇ~?」

 信号待ちをしている時、長岡のその言葉に視線を前へ向けると、長い横断歩道をゆっくり渡っている老人がいた。どう考えても渡りきれるわけがねぇだろ、あれ。

 誰も手を差し伸べず、老人を避けて通るだけ。ま、所詮はそんなもんだろうな。他人を助けて得することなんざねぇし。それに今のご時世、何が起こるか分かったもんじゃねぇからな。下手に人助けもしたくねぇだろ。

「どうします~? 誠さん。俺行ってきてもいいっすかー?」

 車は次々と老人を素通りしていくのが現状

「停めて待ってろ」
「へーい」

 俺が車から降りようとドアノブに手を掛けようとした時だった。

「すみません!! ごめんなさい!!」

 そう大声で謝ってる女の声が俺の耳に入ってきた。再び視線を前へ戻すと、若い女がどっからともなく走ってきて、老人のもとへ向かっていた。

 若い女は老人に声をかけて、老人をおぶりながら止まっている車へ何度も頭を下げつつ、横断歩道を渡りきる。別に大した光景ではない……はずなんだが、どうしてもその若い女から目が離せない。いや、離したくねぇとすら思う。

 ・・・なんだ、この感情は。

 随分と大人びてはいるが、どっからどう見ても大学生くらいの女だろ。そんな女から目を離せないとは一体どういうことなんだ? こんなにも目を奪われたことは、未だかつてない。そもそも、女に興味を持ったことが一度もない。どれもこれも一緒にしか見えねぇし。

「いやぁ、今時の子も捨てたもんじゃないっすねぇ。つーか、めちゃくちゃ可愛くなかったすか!? 美少女的な感じで! 俺、ナンパしてきてもいいすかね!?」

 うぜぇテンション感で車を走らせてる長岡。つーか、あの女だけは誰にもやれねえ。他の野郎にやるくらいなら俺のモンに……って、は? いや、何考えてんだ? 俺は。すこぶる可笑しなこと言ってねぇか? そうは思っても、あの女への好奇心が止められそうにない。

「止めろ」
「え? なんすか~?」
「車止めろ」

 俺がそう言うと路肩に車を停めて、ルームミラー越しに長岡がこっちを見ている。

「先に戻ってろ」
「いやいや、会合がっ」
「戻ってろ」
「……はぁ、へいへ~い」

 面倒くさそうな顔をして『早く降りろ』と言いたげな長岡。俺が車から降りると、すんなり車を発進させ去っていった。

 ・・・あの女がまだあの周辺にいるのかも分かんねぇのに、何をやってんだか馬鹿馬鹿しい。そう思いながらも来た道を戻る。

「ちょっとだけど……これ受け取ってちょうだい。お礼よ」
「いえ、当たり前のことをしただけなのでお礼だなんて……その気持ちだけで十分です。ありがとうございます」
「いいのよ、老い先短いんだから。あの世にお金は持っていけないもの。受け取ってくれると助かるわ」
「いや、でも……受け取れません」

 謝礼を渡したい老人と、その謝礼を受け取りたくない女が押し問答をしていた。

「嬉しかったのよ。あなたみたいな優しい子に手を差し伸べられて。おばあちゃんからのお小遣いだと思って。ね? 受け取ってちょうだい」
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