降りしきる雨の中、桐生さんは傘をささない。

橘ふみの

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Episode.2

特別は作らない② 桐生視点

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「……そうですか、分かりました。ありがとうございます」
「じゃあね、本当にありがとう」

 老人は嬉しそうに微笑み、満足げな表情を浮かべゆっくりと去っていく。押し問答を続けるわけにもいかねぇし、ああするしかないわな。ま、所詮は万札貰えて喜んでんだろ。

 女のほうへ視線を向けると、受け取った謝礼の万札を眺め、何やら考え事をしている様子だった。喜ぶどころか何なら困ったような顔をしている。そして、何かを決めたようにスタスタ歩き始めた女の後を追って、一定の距離を保ちつつ尾行した。

 野郎共がチラチラと女を見て、俺とすれ違う時に『レベル高ぇ』だの『めちゃくちゃ可愛くね?』だの『美人だったな』だの、あれこれと騒ぎ立てている。まあ、遠目からでも容姿が整っているのは明白だ。

「……銀行か」

 女が入っていったのは銀行だった。わざわざ銀行へ来た理由が俺には分からない。読めねぇな、この女の行動が。

 つーか、若い女を尾行してるヤクザとかさすがにヤバくねえか? キモすぎんだろ、普通に……とは思うものの、体は勝手に銀行の中へ。

「あの、募金したいんですけど──」

 受付で募金がなんちゃらと会話をしている声が微かに聞こえた。さっき貰った万札を募金するつもりなのか? あの女。わざわざそれをするために銀行へ来るなんざ……変な女だな。

 こういうのを“偽善者”と罵る奴もいるだろう。だが、この女はおそらく“偽善者”とは違う。誰もが見て見ぬふりをしていたあの状況で、迷わず老人に手を差し伸べた。ただただ純粋に、老人を助けたいという気持ちだけで、体が勝手に動いたパターンだろうな。

 あの様子じゃ、本当に見返りを求めていたわけでもないだろう。だいたい謝礼を募金するのだって、この俺が尾行なんてしてなければ誰に知られることもなく、この女はしれっとやってたんだろうしな。

 なんだあの女、おもしれぇ。ごちゃごちゃと女のことを考えれば考えるほど、どうしようもなく気になって仕方なくなる。

「ありがとうございました」

 そう言いながら軽く会釈をして、銀行から出ていった女を追うかどうか躊躇ためらった。

 ── 『あの女を逃したら一生後悔する』

 その衝動に強く駆られ、柄にもなく焦りながら外へ出た。目を凝らしながら周りを見渡したが、もう既にあの女の姿はない。

「チッ」

 後悔が苛立ちに変わっていく。なんであの時、すぐに追わなかった。なんで躊躇っちまったんだよ。

「……ったく、しくったな。完全に」

 一瞬の躊躇いが運命を左右する。その躊躇いは、良いほうにも悪いほうにも転ぶ。俺は立場上、判断を間違えるわけにはいかない。ちんたら迷って、決心がつかないようじゃ話になんねえ。俺は少しのミスすら許されねぇんだから。

「ハッ、躊躇った時点でそこまでだったっつーことだろ」

 自分にそう言い聞かせるよう、この場を後にした。

 ── 寝ても覚めても、何をしている時も、あの女が頭から離れない。なんでだろうな、全然忘れられねえ。

「誠さ~ん。最近ボーッとしすぎじゃないっすー? 大丈夫すかぁ?」
「あ? 別に、問題ねえよ」
「まぁ、こんだけ雨降りが続いちゃボーッとしちゃいますよねぇ。何もしたくねえっすもん」
「若、この後どうします?」
「時間空いたんで、どこか適当に店でも入りますか?」
「ああ……」

 車に揺られながら窓の外を見て、風に左右されることなく、真っ直ぐ降りしきる雨をただ眺める。

 ・・・あの女は今、どこで何をしてんだろうな。

「あ、そう言えば……いつぞやの美少がいたじゃないっすか~」
「いや、急に何の話だよ。若の前で変な話すんな」
「いやいや、船越ふなこしさん。これ、誠さんにも関係ある話なんすよ~」
「店、どこにしましょう。私はイタリアンな気分ですが」
「ちょいちょい木村きむらさん。俺の話を端っからガン無視すんのやめてくれませ~ん?」

『いつぞやの美女』……か。真っ先に浮かぶのはあの女。俺にはあの女しか浮かんでこないが長岡のことだ。どうせキャバクラの女か、クラブの女の話をしてんだろ。しょーもねえ、どうでもいい。

「興味ねえ」
「ええ~? 横断歩道で老人を助けてた女の子~、あの美女のことっすよぉ? ほら、レベチだったじゃないっすか~」

『横断歩道で老人を助けてた女の子』その言葉だけで、ドクンッと胸が高鳴った。

「その女がどうした」

 俺がそう言うと、長岡・木村・船越が目を見開きながら一斉に俺を凝視する。

「おい、長岡。前向いて運転しろ、俺を殺す気かテメェは」
「え、あっ、すんません」

 慌てて前を向き、しっかりハンドルを握り直した長岡。

「で、その女がなんだ」
「あの若が……女に興味を持つなんて……」
「大雨が降るかもしれませんね……厄介です」
「そんな顔で見んじゃねぇよ。鬱陶しい」

 “驚愕”と言わんばかりな顔をして、どこか拍子抜けした表情を浮かべている船越と木村。

「もしかして誠さん……ロリコンっすか?」
「殺すぞテメェ」
「ははっ。冗談すよ、冗~談っ!! ま、20歳そこそこっぽかったすもんねぇ~」

 この際、年齢なんざどうだっていい。俺は、心の奥底から無性にあの女を求めている。

「どうでもいいことをベラベラと喋んな。用件をさっさと言え。あの女がどうした」
「あ、あの若が……どうしてもその女のことが知りたい……だと……?」
「誠さんに『どうしても気になって仕方ない』……なんて言わせる女は一体何者なんですか?」

 ・・・どいつもこいつも、俺をおちょくってんのか? 鬱陶しい。

「あ? そんなこと一言も言ってねぇだろ。マジで黙ってろ、オメェら」

 木村と船越を睨み付けると、何事もなかったかのように前を向いた。

「……いやぁ、あのぉ……そんなに期待しちゃってる誠さんには申し訳ないっすけど、そこまで大したことではないっすよ?」

 ルームミラー越しに映る長岡の顔面がうざすぎて、こめかみの青筋が今にもブチ切れそうになっているのは、言うまでもない。

「あ? 別に期待なんざしてねぇーよ。その減らず口、二度とたたけねぇようにしてやろうか」

 ルームミラーに映る長岡の瞳の奥底を捉えると、スーッと目を逸らして何事もなかったかのようにしている。
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