降りしきる雨の中、桐生さんは傘をささない。

橘ふみの

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Episode.2

特別は作らない③ 桐生視点

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 どうやらコイツらは“何事もなかったかのようにすれば何とかなる”、そう思っているらしい。俺も舐められたもんだな。まぁ良く言えば、俺をこんな扱いできる奴はコイツらだけ。つーことは、“他の奴等とは違う”ということ。コイツらは、この俺が側にいることを認めた奴等だ。要は信用して、信頼もしている。

「いやぁ、この前あの子っぽい女の子を見かけたんすよね~。丁度この辺で~」
「マジか」

 思わず食い気味で『マジか』なんて言った俺に、ギョッと目を見開いた長岡達の視線が痛い。

「マ、マジっす。で、もっと驚きなのがあの子、まさかのJって、誠さん!?」
「若っ!?」
「誠さん!?」

 ── 気づいた時にはもう、体が勝手に動いていた。

 信号待ちで止まっていた車から飛び出し、今この辺りにいるかも分からない“あの女”を求め彷徨う。降りしきる雨の中、傘もささずズブ濡れになりながら。

「……なにやってんだ、俺は」

 冷たい雨に打たれ、分厚い雨雲に覆われた空を眺める。

 浮かんでくるのはあの女のことばかり。この感情も、謎な執着心も、何がなんだか俺には分からない。ただただ無性にあの女のことを“自分だけのモノにしたい”という衝動に駆られる。こんなことを思うことも、感じることも、未だかつてなかった。

「……ダメだ」

 特別は作らない、そう決めただろ。

 自分で決めた“縛り”が、どうしようもなく窮屈で退屈で、それが徐々に倦怠感へ変わっていく。

「ハッ、馬鹿馬鹿しい」

 雨音でかき消されていく俺の声。ただ雨が落ちてくる灰色の空を見上げ、雨と共に邪念も流してくれ……そう思っていた時だった。

 ・・・誰だ? 

 俺に向けられた視線を感じて、その視線のほうへ目をやると、そこにいたのは……俺が求めていた“あの女”だった。この俺が見間違うはずがない、間違えなくあの女だ……ってマジか。あれ制服……だよな。

 俺をガン見していたのは制服を着たあの女だった。

 マジか。高校生なのかよ、お前。いや、まあ、制服着てりゃ学生にしか見えねぇな。どっからどう見ても、紛れもなく高校生だわな。

『高校生のガキなんざ論外だろ』っていつもの俺なら間違えなくこう言うだろう。だが、俺はどうしようもなく“あの高校生のガキ”が欲しくてたまらない。その強い欲求が抑えきれず、目を逸らすことなく女のもとへ向かった。

 ・・・つーか、無駄に容姿整いすぎだろ。俺に見下ろされ、俺を見上げている女。シンプルに『綺麗な女だな』と思うと同時に、『コイツが欲しい』と心の奥底から思った。

 コイツを逃したら俺は絶対に後悔する、そう断言できる。“特別は作らない”そう決めたはずだが、こんなもん理屈じゃねえだろうが。俺はただ、この本能に従う。

 ── で、本能に従った結果、傘を押し付けられて逃げられた。

「あーあ、逃げちゃいましたねぇ~」
「若、あのJKなんなんですか?」
「重要参考人でしょうか。どうします? 誠さん。追いましょうか」
「……いや、いい」

 別に怖がらせたいわけじゃねぇし、重要参考人でもねえ。俺を危険視してこの場から逃げたやつを追ったら、尚更ヤバい奴みたいな扱いされんだろ。

 どこの高校へ通ってんのかは制服で分かった。調べようと思えばいくらでも調べられる。もう逃がすこともない、焦る必要もねぇだろ。それに傘の玉留め部分に“月城”ってご丁寧に書かれている名前シールが貼っ付けてあった。もう、見失うことはない。

「おい、木村」
「はい、なんでしょう」
「南高校、“月城”の詳細……今すぐ調べろ」
「先程の女子高生ですか?」
「ああ」
「10分ほど時間をください」

 車に戻って10分も満たない内に調べ上げた木村。

「誠さん、月城の詳細です」

 なぜか神妙な面持ちで俺にタブレットを渡してきた木村。木村が妙な表情になった理由が、タブレットを見てすぐに分かる……マジか、こんな偶然あんのかよ。

「誠さん宅の隣人ですね。あの子……月城さん」
「うぇええ!? マジっすか! すげぇ~偶然すね!」
「どうするんです? 若。これはきっと、赤い運めっ」
「船越、黙れ。長岡、俺はマンションへ戻る」
「くくっ。へいへ~い、送って行きますよぉ~」

 木村・船越・長岡でヤンヤヤンヤと盛り上がっている車内。俺はそれをガン無視して、ただ月城梓のことだけを考えていた。“誰にも譲りたくねえ”、“誰にも奪わせはしない”沸々と沸き上がるこの感情とは裏腹に、『この理不尽で不条理な世界に、本当に巻き込んでいいのか?』という気持ちが入り交じる。

 特別は、何時でも手放せるように……そう割り切ればいいのか? 傍にいれたらそれだけでいい、近くで見守れたらそれだけで……と、何も望まずにいられるのか? そもそもこの気持ちは一体なんなんだ?

 それを確かめる為にも、もう一度会う必要がある……月城梓に──。

 マンションへ戻って、玄関ドア前で待ち伏せをしていると、人の気配が近づいてくる。見るまでもなくそれが月城梓だと分かった。そっちへ視線を向けると、なんでアンタがここにいるの? と驚いたような表情を浮かべ、どう対処しようか考えている様子。

 濡れて鬱陶しい前髪をかき上げながら、月城梓の透き通るような澄んだ瞳を捉え、俺が数歩進んで立ち止まると意を決したように、しかめっ面をしながら立ち向かって来る。

「あの、なんなんですか?」

 俺を見上げながら睨み付けてくるという、予想外の行動をしてきた月城梓に思わず鼻で笑っちまった。

「傘」

 俺が押し付けられた傘を差し出すと拍子抜けな表情を浮かべ、少し戸惑っている。

「あ、どうも……ありがとう……ございます」

 俺に礼を言う姿がどうにも無性に愛らしくて、気づけば月城梓の頭頂部にポンッと手を置いていた。

「さっさと風呂入れ、風邪引くぞ」

 らしくねぇことして、らしくねぇことまで言ってアホらしいと思うと同時に確信へ近づく。そして、その確信へ近づくとやはり躊躇いが生じる。

 ・・・月城梓に出会ってから、マジでらしくねぇことばかりだな。

 この場を去ろうとした時、なぜか俺を呼び止めた月城梓。俺が隣人であることに全く驚きを隠せていない。まあ、俺も過去イチっつっても過言ではないレベルでビビったけどな。

「あの……つかぬことをお聞きしますが、ヤクザですか?」

 そうか。まあ、こんな風貌じゃバレるわな。

「だったらどうする」

 これでもう、月城梓が俺に関わってくることもなければ、話しかけてくることもないだろう。静かな音を立てて閉まった玄関ドアに寄りかかり、大きなため息を吐く。

「……ガキ相手にアホすぎんだろ」

 特別は作らない、それを長年貫いてきた。だからバランスはしっかり取れてただろ。だかその均衡が、月城梓という存在によって、呆気なく崩れ落ちていく。

「吉と出るか、凶と出るか……ハッ、馬鹿馬鹿しいな」
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