降りしきる雨の中、桐生さんは傘をささない。

橘ふみの

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Episode.8

あの人に傘を貸すのは、この私②

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「んんっ! んんんっ!」
「抵抗すんじゃねぇよ、めんっどくせ。黙っ……グハァッ!」

 ── 一瞬、何が起こったのか分からなかった。男が吹き飛んで、バタリと地面に倒れ込む。そして私の目の前にいるのは。

「汚ぇ手で触れてんじゃねぇよ、殺すぞテメェ」
「……み……美冬」
「ごめん、遅れた」
「な、んで……どうして……」
「呼んだでしょ、あたしのこと」

 ・・・『美冬』って心の中で呼んだ。それが美冬にちゃんと届いたってこと……?

「怪我は?」
「な、ないよ……」
「何もされてない?」
「……うん、なんとか」

 美冬が今まで一度も私には見せてこなかった一面。それだけ美冬が今、怒っているんだと伝わってくる。倒れ込んでる男を酷く冷めた瞳で見下すように眺めている美冬。今にも殺してしまうんじゃないかって、少し不安になった。

「で、コイツは何」

 ── 『桐生さんに恨みがある人っぽい』なんて言ったら、美冬はきっと私を心配する。『あの男はやめておけ』って私を思ってそう言うかもしれない。

「まあ、いいわ。だいたい分かった」
「……み、美冬……?」
「先に店行ってて」
「ねえ、美冬……っ!?」

 美冬は倒れ込んでる男を蹴っ飛ばして仰向けにさせると、馬乗りになって胸ぐらを掴んだ。

「うぐっ!?」
「っ、美冬……!! やめて!!」
「おい、クソ野郎が。へばってんじゃねぇぞ」

 ・・・ダメだ、私の声すら届かない。でも、美冬を止められるのは私しかいない。

「美冬!! 私は大丈夫だから!!」
「あたしの大切なもんに手ぇ出したこと、後悔させてやるよ」
「美冬……っ!!」

 今にも男に殴りかかりそうな美冬を止めるべく、私は美冬に駆け寄った……その時だった。

「はいはーい、峯ちゃ~ん。そこまでだよ~」

 おちゃらけた口調なのに、なんだろう……この圧は。しかも『峯ちゃん』って、美冬の知り合いかな。後ろへ振り向くと、そこにいたのは……え? 私とおちゃらけた声の主は数秒間見つめ合った。

「「ええっ!?」」

 互いに声を出して驚きを隠せない。名前は知らないけどこの人、桐生さんの近くにいた人だ!!

「うえっ!? なんで梓ちゃん!?」

 なんて言いつつ、美冬を男からひっぺがしてる。

「チッ。おい離せよ、ストーカー野郎が」

「んもぉ、そういうこと言わないの~。で、この寝っ転がってる奴は何ぃ?」
「アンタには関係ない。邪魔、退いてろよ」
「はいはい、そんな怒んないの」
「鬱陶しいっつってんのが分かんねぇの? いい加減にしろよ。アンタもブッ飛ばされたいわけ?」
「ははっ。まあ、やれるもんならやってみなよ~。俺に勝てんの? 峯ちゃん」

 ニヤッとしながら美冬を見下ろして、あの美冬が何も言い返せず悔しそうにしてる。

 ── この人、一体何者……?

「で、なんなの? コイツ。峯ちゃんのナニ?」
「あ? 別にあたしのどうのこうのって奴じゃねぇよ。つーか、触んな」
「だって逃げるでしょ~?」

 美冬の肩をガッシリ掴んで肩を組んでるおちゃらけさん。

「んーっと、てことは……梓ちゃんのほうかな?」
「つーかアンタ、なんで梓のこと知ってんのよ」
「ん? ああ……ほら、『俺ヤクザだよ~』って言ったでしょ~? 俺、桐生組だからぁ~」
「「え」」

 声を揃えた美冬と私、それを見てケタケタ笑ってるおちゃらけさん。いや、笑い事でもないような?

「ははっ、びっくりだよねぇ~。……で? この男は?」

 ニコニコはしてるけど完全に仕事モードな気がするなぁ。

「あの、桐生さんには言わないで……ほしいです」
「んー。実害があったとなると無理かなー」
「そう……ですか……」
「ねえ、梓ちゃん」
「はい」

 美冬から離れて、私の前まで来るとニコッと微笑んだ。

「誠さんはさ、優しいんだよ」
「知ってます」
「ははっ。だよね~」
「はい」
「ま、任せてよ」
「……え?」
「全力で守り抜くよ。誠さんも、誠さんの“特別”も」

 私の目を見てるその瞳からは、強い“決意”を感じる。私に宣言した意味は分からないけど、桐生さんにもこんな頼もしい仲間がいるんだと知れて、嬉しかったしホッとした。

「てか、この男どーするわけ? そっちで処分すんの?」
「ああ、うん。うちで預かるよ」
「あっそ。じゃあもういいわ、うぜぇ」

 美冬は私と目を合わせることなく、この場を去ろうとしている。

「ねえ、美冬……待って!!」

 美冬の手を掴むと、パッと振り払われてしまった。

「ごめん、触んないで」
「なん……で……」
「ごめん」
「ねぇ、なんで……? どうして謝るの? 美冬……」

 私を見ようとしない美冬。

「……約束、破ったから」
「ち、違う、これは違うよ! 美冬は私を守ろうとっ」
「あたしが怖かったでしょ?」
「え?」
「怒りで何も見えなくなった。何も聞こえなくて、梓の声ですら……」
「それは私の為にっ」
「はっきり言えよ!!!!」

 美冬の怒鳴り声が辺りに響き渡る。握り拳を震わせて、うつ向く美冬がとても弱々しく見えた。

「私は美冬を怖いなんて思ったこと、一度だってない」

 美冬は絶対に私の前で喧嘩をすることはなかった。私への配慮だと思う、私が怖い思いをしないようにって。確かにさっきの美冬は、いつもの美冬とは違った。ああ、こうやって戦ってきた人なんだって……そう思ったよ。

 でも、怖いなんて思ったことないし、さっきだって怖いだなんて思わなかった。だって、美冬が優しい子だって私は知ってるもん。理不尽な喧嘩なんて一度もしたことがないって、私はちゃんと知ってるよ?

「いい子ちゃんといると疲れんだよ」

 美冬が絞る出すような声で放ったその言葉が、心にズキッと突き刺さった。

「……なによそれ。だったらなんで遠ざけるの? いっつもそう! 私をその場から遠ざけてたのは美冬じゃん!! 私はっ」
「巻き込めるわけねぇだろ!!」
「巻き込まれただなんて思ってない!!」
「……チッ、いい加減わかれよ。足手まとっ!?」
「はいはい、峯ちゃん。落ち着けって」

 美冬の口を押さえて、包み込むように美冬を抱きしめてるおちゃらけさん。

「梓ちゃん、悪いけど峯ちゃんのバイト先へ行っててくれる?」
「でもっ」
「大丈夫大丈夫~。峯ちゃん久々の喧嘩で、ちょーっとアドレナリン出過ぎちゃってて興奮しちゃってるだけだからさ~。あんま気にしないであげてくれる~?」
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