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Episode.8
あの人に傘を貸すのは、この私①
しおりを挟む── 土日は桐生さんに会うことはない。
キス騒動があったからとかじゃなくて、元々土日に会うことなんてなかった。私達は平日の雨降りに傘を貸して、返されての関係。変な関係だって思われるかもしれないけど、私にとってその変な関係が何よりも大切なの。
この土日で気持ちを整理して、桐生さんへ想いを伝えたい。でも、その前に美冬へ伝えなきゃいけない……私の大切な親友だし、それが筋ってもんでしょ。
「なによ、ボーッとして。美味しくないのー?」
「え? ああ、ごめんごめん。めちゃくちゃ美味しい。ていうか、すんごく可愛い」
「でしょ? 我ながら天才じゃね? って思ったわ」
── 『筋ってもんでしょ』とか偉そうなこと言っといてまだ言えてない、というか言えない。美冬が大切だからこそ、言えないよ、こんなの。
「天才だよ、美冬は。本当にセンスある」
「ははっ。褒めても何もねぇよ。つーか、ぼちぼち時間」
「うん……そうだね。ご馳走様でした」
「ほいほい。気をつけて帰りなよ~」
「うん、またね」
和菓子屋から出て、心の中で“言いたい言えない”の押し問答をしながら歩く。結局、マンションへ帰ってきてしまった。
「……どうしよう」
テレビも観ず、スマホを構うこともせず、ソファーに座ってただ天井を眺めた。時間も忘れて美冬のことばかりを考えている。
・・・怖い、どうしようなく怖い。美冬を失うかもって思うと、寂しくて、悲しくて、辛くて、怖い。
美冬と離れたくなくて日本に残ったのも、男女交際が禁止されてて、それを破ったら海外行きなのも美冬は全て知ってる。なのに、桐生さんのことを好きになっちゃって、そんなの……美冬が快く思うはずがないって、そう思ってしまう。
『は? なにそれ。あたしのことはどうでもいいわけ? どーぞ、勝手にすれば?』
なんて言わない、美冬はそんなこと絶対に言ったりしない。むしろ『いいんじゃね?』って、応援してくれると思う。それでも臆病な私は、余計なことを考えてしまう。
「美冬がいなきゃ私は……」
『ねえ、梓。あたしのこと何だと思ってんの? あたしはさ、梓が幸せだったらそれでいいの。あたしを理由に何かを諦めたり、遠慮とかすんのやめろよ』
都合がいいだけかもしれないけど、美冬がそう言ってくれてる気がした。
「……ごめん、美冬。私、どうしようもなく桐生さんが好き」
時計を見ると、もう20時を過ぎていた。美冬からこの時間帯はひとりで外出するなって言われてる。危ないからバイト先にも遅くには来るなって。でも、今すぐ……直接美冬に会って伝えたい。
私は家を飛び出した。そして、美冬の言い付けを守らなかったことを後悔する。
「キミ、月城梓だよね」
明らかに“普通”ではなさそうな男の人に声をかけられた。
「人違いじゃないですか?」
「桐生がえらく気に入ってるらしいじゃん」
「……すみません、急いでるんで」
通り過ぎようとした時、腕を強く掴まれた。
「オレさぁ、アイツのこと嫌いなんだよねー」
「離してください」
「ま、恨むならアイツを恨みな? 後悔先に立たずってやつ」
── 後悔……? 私は後悔なんてしてないし、しない。
こういうこともあるかもしれないってそう思ってたし、これが桐生さんのせいではないってことも、ちゃんと分かってる……理解してる。これが私の選んだ道、私自身が望んだ道なんだ。
・・・覚悟はもう、できてる。
「あの人に傘を貸すのは、この私」
「は? なに言ってんの?」
「……あの人に傘を貸すのはこの私なの!!」
「ハッ、意味分かんねえ~。そういうのどうでもいいからさぁ、ヤらせろよ」
瞳に光を宿さない、何も映そうとしない、ただ憎しみに支配されてる……そんな目をして私を見る男。ここで連れ去られたらきっと私は……想像するだけで情けなく体が震えた。
「ククッ。いいね、その怯えた顔」
「は……なして……離して!!」
周りの人は見て見ぬふり、誰も助けてくれない。
いや、違う……そうじゃない。私は“覚悟”を決めたんだ。周りに助けてもらおうなんて、そんな甘い考えじゃこの先桐生さんの隣には立てない。自分でなんとかしなきゃ。
私は男の腕に思いっきり噛み付いた。
「痛っ!!」
掴まれていた腕が解放され、その隙に走り出す。
「こんのクソアマがぁっ!!」
後ろでそう叫んでる男、私は振り向くことなく走った。このまま美冬のバイト先へ……いや、それはダメ。美冬を巻き込むわけにはいかない。
── 美冬……。
私は和菓子屋の手前にある路地裏に入って先を進み、上がる息を必死に抑えて物陰に身を隠した。どうしよう、焦ってこんな場所へ来ちゃったけど、ここに入るのを見られてたかもしれない。こんなの逃げ場がっ。
「み~つけた」
「ひっ!?」
「馬鹿だねえ、キミ」
胸ぐらを掴まれて、無理やり立たされると、ドンッ!! と壁に押し付けられて口を塞がれた。
「んぐっっ……!?」
「桐生のお気に入りは、どんな味かなぁ?」
「んんっーー!!」
「なあ、あの桐生を虜にしちゃうスゲぇテクニックとかあんの~? オレにもシしてよ」
体をベタベタと触られて、それが気持ち悪くて仕方ない。
触んないで。桐生さん以外に触れられたくない、触らせたくない。
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