私の妻は元悪役令嬢

熊五郎

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最終話

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 そして五年の月日が流れた。
 アルカ様はその後ハナコ・ヤマダと結婚し、国王に就任した。
 ローランが明日は我が身だぞと予言した通りに貴族の力を削いで回り、中央集権化に勤しんでいる。
 ハナコ・ヤマダの力は凄まじいもので欠損箇所を元通り復元させ、どのような病も治した。自らの病や身内の病を治すことを条件にアルカ様に無理難題をふっかけられたという貴族は数多く、しかし結局はそれを呑まざるを得なかったという。

 ローラン・リーリスは最北領であるツーガレに飛ばされた後はどうなったのかは分からない。寒さと飢えが支配し、北方には蝦夷という異民族も居る。快適な暮らしではないだろう。
 マルカスは捕らえられ、牢屋に繋がれているらしい。彼の詳しいことも伝わってはこない。辛い獄中生活であるのは間違いないだろう。

 そして私は望み通りエルザ・リーリスと結婚し男の子を一人設けた。今年三歳になる。名前はヨームという。
 私の与えられた仕事は国の歴史の編纂という誰がやっても大して変わりのないような役を与えられ、私は毎日朝八時に貴族の習わしとして帯刀し屋敷を出て、夕方五時には帰るという変わり映えのない生活をしている。
 息子のヨームの成長だけが私の生活の彩りと言っていいだろう。

 妻であるエルザは変わった。傲慢さはなくなり、誰にでも謙虚な態度で接すようになった。と同時に明るさも快活さも失われ、気が付くと呆けたように遠くを見つめているということがしょっちゅうであった。

 私はこれで良いと思った。エルザは外出もめったにせず、屋敷に引きこもり、あの頃と比べすっかり暗くなってしまったが美しさは健在であり、子を産んだためか少しふっくらとしそれもまた艷やかな印象を私に与えた。
 
 私は相変わらず妻を見ながら葡萄酒を舐めるようにして飲む。夫婦になり、子まで産ませたが私達は感覚としては他人であった。
 気持ちが寄り添うことはない。なぜなら私はまだあの夜会に居るからだ。あの夜会でエルザを眺めているように、自らの屋敷でエルザを眺めている。

 それからしばらくするとアルカ様とハナコ・ヤマダの間にも子が産まれた。男の子だった。
 国中をあげてのお祝いとなったが私は形だけの祝いの品物を贈って済ませた。これくらいで丁度良いだろうと思った。そもそもあの品がアルカ様に届けられることもないだろう。

 深夜、私は自室の窓から月を見上げる。
 エルザとは寝室を分けてあるのでここには居ない。

 私はエルザを愛しているのだろうか。愛している。そのはずだ。エルザは私を愛しているのだろうか。それは分からない。
 あの弾劾が行われた夜会で私が声をあげなければエルザは父親のローランとともに最北領ツーガレに飛ばされていただろう。
 ローランが王への上奏を握りつぶされ傷心のまま王都を離れる際、彼は私の手を取り娘を頼むと言った。
 私は過酷な運命からエルザを救い、そしてまたリーリス家の血を中央に残すことに成功させた。公私ともに恩人と言っていいだろう。
 
 しかし、と思う。しかし恩があれば人は人を愛せるのか? そもそも私の愛とて美しい花や絵画を愛でているようなものではないのか……人はどのようにすれば人を愛したと言えるのだろうか。
 グラスに入っている葡萄酒を一気に胃の腑に流し込む。熱い塊が喉を過ぎ、胃に落ちる。
 今夜は少し飲みすぎたかもしれない、そろそろ寝ようとしたとき風が吹いた。窓は開けていないのに。

 後ろを振り向くと彼が居た。あの夜会で顔を合わせていた彼、アルベシアの腕を見事に斬り飛ばした彼だ。

 「やぁもうお開きかい? 良い酒を持ってきたんだが」

 彼は久しぶりだというのにそれを感じさせない軽い口調でボトルとグラスを手品のよう取り出しテーブルの上に置いた。

 なぜ来た、だとか、どうやって入った、だとかは私は口に出さず「久しぶりだね。いただこうか」とだけ言ってグラスを差し出した。

 彼はグラスに葡萄酒を注いでくれた。私も彼に注ごうとすると、いやいや結構。恐れ多いよ。などと笑い自分のグラスへ注いでしまう。
 
 「王子の誕生に乾杯」

 「乾杯」

 二人でグラスを掲げて葡萄酒を口に入れる。素直に美味いと思った。ずいぶん上等な酒だ。

 「君は……」

 色々な言葉が脳裏に浮かんだ。何者なんだ? とか王子の親衛隊のものなのか? とかハナコ・ヤマダに近しい人物なのか? だとかそれはもう色々浮かんだが葡萄酒とともに飲み込んだ。どうでもいいことだ。
 知っても意味がないと思ったし知りたくないと思った。私は今のこの生活で十分満足している。

 「恩赦がある」

 ふたりで無言で飲んでいると彼はそんなことを言った。

 「おんしゃ?」

 酒で頭の回転が鈍くなった私はオウムのように繰り返した。

 「そう、恩赦だ。王子の誕生を祝って、特に世に放っても害のなさそうな罪人を牢屋から出す」

 「それがどうした」

 事実それがどうした、と思った。私には全然関係のない話であろう。

 「マルカス・ドーソンも解き放たれる罪人の一人となっている」

 「マルカスが……」

 今更世に出されたとてその方が地獄だろう。今や権力のすべてを掌握していると言っても過言ではないアルカ様とハナコ・ヤマダを狙った男を誰が保護するものか。野垂れ死にするのが関の山だ。
 もしかしたらそれをアルカ様とハナコ・ヤマダは狙っているかもしれないと思い付く、あの性格の悪い二人ならありそうなことだ。

 「奥方に気をつけられよ。昔、話したかもしれないがあの二人は元々懇意だった。女は情け深いからな、心身共に疲れ切った昔の男を助けたいと思うかもしれないぞ」

 幾分真剣な面持ちで彼は私に忠告してくる。
 なるほど、そういうこともあるかもしれないなと思うが具体的にどうしようという方策は頭の中に浮かんでこなかった。酔っていたのである。

 「僕はね、ハルリア……君のことを気に入っている。なるべく中央のごたごたに君を巻き込みたくない」

 「それは私とて同じだ。巻き込まれたくないよ。エルザのことはよく見ておこう。忠告感謝する」

 とりあえず私はそういって頭を下げた。彼は私のつむじあたりを彼は見ながら「王族がそんな簡単に頭をさげるものじゃないよ」と言った。

 私はなにを今更と思いつつ「そう言えば君の名前はなんだったっけか」と尋ねつつ頭を上げるとそこにはもう彼の姿はなかった。


 あの彼が言った通り、恩赦は実行された。
 しかし当然のように誰が解き放たれたかなどは分からず、本当にマルカスが赦されたかどうか調べる術も私にはなかった。

 そこで一週間仕事を休み、自らの屋敷を監視することにした。エルザには仕事に出る振りをしていつものように朝八時に屋敷を出る。
 我ながらバカバカしく思ったがマルカスが接近してくるならこの一週間のうちだろうと思った。彼は困窮しているだろうし他に頼る伝手もない、私の屋敷は王都にあるので訪ねてきやすいだろう。

 屋敷から少し離れた三階建の家屋を借り上げ、遠眼鏡を持って監視する。私が屋敷を出るとエルザは三歳になる息子を伴い庭を散歩する。その姿はやはり美しく私は葡萄酒が欲しくなる。
 昼になるとテラスで本を読み始める。本に飽きると息子用なのか靴下を縫い始めた。私はエルザが針仕事をする姿など想像もしていなかったので驚いた。
 そうこうしているうちに帰宅の時刻となり、私は屋敷に戻る。そんな日が三日ばかり続いた。

 その日エルザは朝からそわそわしていた。これも彼からの忠告がなかったらきっと気が付かなかっただろうが何気なく観察していると明らかに落ち着きがない。
 落ち着きがないことを誤魔化そうとしてさらに不自然な行動となる。悪循環に陥っていた。

 私は素知らぬ顔をして件の如く朝八時に屋敷を出る。素早く借り上げている家屋に入り込み遠眼鏡を持って屋敷を覗く。
 エルザは息子と庭の散歩をしているが明らかにそわそわと落ち着きがない。私が居ないものだから隠す必要がないのでその態度は顕著である。

 昼になると一旦屋敷の中に入り、しばらくすると外行きの格好と小さな荷物を持って出てきた。メイドとなにか話していると、メイドがエルザに頭を下げた。いってらっしゃいませとでも言っているのだろう。

 私は来た、と思った。方法はわからないがマルカスからの連絡が昨夜のうちに届いたのだ。今からエルザはマルカスのもとに向かうのだろう。
 
 屋敷を後にするエルザを遠眼鏡で追うと私は驚愕のあまりに呼吸を忘れた。エルザが笑っているのだ。それも満面の笑みだ。輝かしい未来へ足を進めていると確信している表情だった。

 しばし呆然としていたが私は借り上げいる家屋から飛び出しエルザの後を追う。
 エルザはつばの広い帽子を被り、人目を避けるように歩いている。私も気取られぬように慎重に着いていく。
 
 乗合馬車の駅につくとエルザはきょろきょろと辺りを見渡し一人の男を見つけると駆け足で近づいた。マルカスだった。ずいぶん痩せていてなんと右腕の袖が風に揺れている。なぜか隻腕となっていた。

 二人は抱擁を交わし、マルカスの瞳から涙が溢れた。二人はそのまま乗合馬車へと乗り込んだ。

 まずい、と思った。当然私も乗合馬車に乗るわけにはいかない。なら今から出ていって二人を抑えてしまえば良いと頭の中のもうひとりの自分が言った。
 私はそれを無視した。どうしてもそれはできなかった。二人は必ず人気のない場所に行くだろう。そこまで尾行したかった。

 乗合馬車が出発する。私は慌てて近くを通りかかった馬借に金を渡して馬を借り受ける。鞍も鐙も付いていないが仕方ない、馬に抱きつくようにして私は乗合馬車の後を追った。

 二人は王都からほど近い森の手前で降りた。私も気付かれぬように馬を乗り捨て、森の中に入っていく二人を尾行する。しばらく進むと湖に出た。あぁ確かにここには湖があったと一人で納得する。

 エルザとマルカスは二人で湖の畔に腰を降ろし話し始める。エルザが小さな荷物から弁当のようなものを出してマルカスに食べさせた。
 その光景はありふれた恋人の日常といって良かった。一人は私の妻であり、一人は恩赦を賜った元罪人であるということに目をつぶればだが。

 二人は話し、泣き、そして笑い合っていた。どの姿も私が見たことないエルザの顔であった。この女はこんな顔で話し、こんな顔で泣き、そして笑うのだなと五年も一緒に暮らしているくせに全然私は知らなかった。

 そしてエルザとマルカスは手と手を取り、口付けを交わした。それは愛情のこもった深いものであった。
 たっぷり長い時間かけた口付けが終わると二人は肩を抱き合いながら立ち上がり湖へと向かっていく。ここに到着したときにこれは予想していた。心中するつもりなのだ。

 「マルカス! ! !」

 私は声を張り上げ、二人の元に駆け寄る。駆け寄りながら鞘から剣を抜く。駆けながらこの身に渦巻くのは怒りなのか、悲しみなのか、それともまた全く違う感情なのか私には分からなかった。

 私を見た二人の表情は驚愕と恐怖に染められた。エルザなにかを言おうとしマルカスの前に庇うように立ち塞がる。そこまでこの男のことを、と次は明確な怒りが頭を支配する。鞘を握る手に力が入る。
 エルザを左手で押し退け、逃げようとするマルカスの背中を袈裟懸けに斬り伏せた。かなりの手応えがあった。

 マルカスは「ぎぃっ」とみじかく叫び、ふらふらと二三歩進み、湖の中に転落した。血が水面に浮かび滲み、広がっていく。

 血糊のついたまま剣を鞘に収めて振り返る。
 エルザは泣いてはいなかった。その瞳は虚空を見るように焦点が合っていなかった。

 「ここで死にたいと言うなら斬ってやる。だがヨームの元に帰るというならなにも見なかったことにしよう」

 エルザは「……ヨーム」と静かに呟くと一人覚束ない足取りで森の外へ続く道へと歩き出した。
 ここで私の元に、ではなくヨームの元にと言う私の卑劣さに涙が出そうであった。
 
 私はアルカ様と結婚して栄華を掴むことも、マルカスと心中し愛に殉ずることもできなかった哀れな女の背を見る。
 私はどうやら栄華も愛もエルザには与えられないようだ。ならば私は彼女になにができるのだろう。

 視線を感じ振り返ると、あの夜会の彼が木を背にしてこちらを見ていた。どこまでがアルカ様とハナコ・ヤマダの掌であったのだろうか。聞けば彼は教えてくれるだろうか。

 いや、どうでもいいことだ。
 
 私は哀れで愛しい女の背を追って歩き始めた。
 
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