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7. 皇子、懊悩する

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 シャルが目覚める数時間前・・・

  キーン!

 空気を切り裂く不快な音に、エクセルは、思わず両耳を抑えた。

 瞬間、窓ガラスにひびが入り、目の前に人影が出現する。

 アルフォンソが、瞬間移動の術でバリアをぶち抜いて戻ってきたのだ。

 いくら非常時でも、もうちょっとましな戻り方があるだろうに。後で言い訳する身にもなれっての。
 心の中で、エクセルは悪態を吐く。今更のことなので、口に出しはしなかったが。そのかわり、

「アル、街の状況は?俺たちも出た方がいいか?」

 早速、アルフォンソに問いかける。

 王都への魔物襲来の知らせに色めきだった黒騎士団の面々をくい止めるのに、いい加減うんざりしていたのだ。

「やっぱり、団長の留守中に、部外者がしゃしゃり出るのもなあ。お前が勝手に抜け出したのがばれるのも、まずいだろうし。ま、今の衝撃で、ばれちゃったろうが。俺の苦労は何だったんだ?」

「エクセル、頼みがある」

「アル?どうした?」

 アルフォンソのただならぬ様子に気づいて、エクセルは、いつものお気楽な表情を消した。

 まじめな顔で、アルフォンソの彼らしからぬどこか要領の得ない話に、しばし耳を傾ける。

「承知した。後は任せてくれ」

 理由を尋ねることもせず、どこか不安そうな皇子に、エクセルははっきりと頷いてやった。    
 その返事に安心したのか・・・

「では、後始末をしてくる」

 と、一言告げて。アルフォンソの姿は、再び、空に消え失せた。

*  *  *  *  *

 エクセルは一刻も無駄にしなかった。部屋を出ると、配下にただちに病室として使えそうな場所を準備するよう命じ、病人を運べそうな馬車を秘密裏に用意させる。

 緊急時ではあったが、大国からの客人の要請を無下にするのは得策ではないと判断したのだろう。離宮の世話係たちは、できる限り速やかに、要望に応えた。
 現段階で街に行かれた場合、安全の保障は致しかねます、との言をしっかりと添えて。

 渋る軍医を馬車に放り込むと、エクセルは、自ら、アルフォンソに告げられた場所へと馬車を走らせた。

*  *  *  *  *

 それからしばらくして・・・。

 空間移動の術で、アルフォンソは再び部屋に戻った。

 離宮では、体よく閉じ込められていた黒騎士団の団員たちが、上司を、つまり団長アルフォンソ副団長エクセルの姿を求めて騒ぎ立てていた。

 何食わぬ顔で、階下に降り、不満を訴えに来た直属の部下たちを、黙って待機せよ、と一喝する。
 疲労と動揺をいつもの無表情の下に押し隠して。

「そう言えば、さっき、左翼の建物の方に、誰か来られたみたいですが。団長、何かご存知ですか?」

 部下の一人の質問に、ホッと胸をなでおろす。

 どうやら、エクセルは、事を荒立たせることなく、うまくやってくれたらしい。

 勝手な行動に後で文句が出るかもしれないが、大国の皇子の行動だ。ブーマ国としても、大目に見ざるをえないだろう。

 アルフォンソは特別扱いを好まない。国内にしろ、国外にしろ。
 こんなふうにローザニアン皇国の皇子としての権力を行使するのは初めてだと、ふと思う。

 そして、アルフォンソは、あの少女のためなら、自分が使える手段はどんなことでも利用しようと、すでに心に決めていた。

 念のため、もう一度、瘴気が漏れ出ていないか、広域探知魔法を一帯に巡らして確認する。

 大丈夫。何ら、異常は感じられない。

 兆候なく現れたにしては、今回の『穴』は簡単に塞ぐことができたようだ。

 特にやるべきことがなくなると、どうしても、先ほどの自分らしからぬ行動が思い浮かぶ。

 なぜ、やってしまったのだろう?あの時、逃げ出すような真似を?

 こんな気持ちになるのなら、離れるべきではなかった。『穴』を塞ぐのを少し後回しにしてでも、エクセルに任すのではなく、自分が直接迎えに行くべきだったのでは?でも、もし、自分の身元がばれでもしたら・・・?大国の皇子が動けば、嫌でも事が公おおやけになる。彼女に迷惑がかかることは、絶対に避けるべきだった。だから・・・。でも、認識阻害の術を使っていたし、彼女と父親らしき男以外いなかったんだから、あの場合、エクセルに連絡を飛ばして、迎えが着くまで待つという手も・・・。

 堂々巡りする考えに自分でも嫌気がさして、アルフォンソはいらいらと頭を振った。

 それにしても、エクセルは何をしているのだろう?

 そろそろ仔細を報告に来てもいい頃ではないか?

 応急手当は完ぺきだったはずだ。あとは軍医のアレスに任せればいい。彼は自分が認めた名医なのだから。それでも・・・

 アルフォンソは、とうとう見出したという喜びと、わけのわからぬ後悔と不安を胸に、先ほどの『奇跡』について思いを馳せていた。

*  *  *  *  *

 初めはとても信じられなかった。

 こんな場所で、思いがけない場面で、かの存在に巡り会えるなんて

 もはや記憶も定かではない遠い昔に失ったもの、何度も異なる生を繰り返しながら、ただひたすら探し続けたものに。

 人のことわりを捨て、繰り返した生。男になったり、女になったり。黒髪黒目である以外、見かけも境遇も、その度に変化した。過ぎ去った生については、細部まで記憶しているわけではない。ただ、どの人生でも共通していたのは、身を焦がす切望。もう一度会いたいという思いだけだ。

 誰よりも強く優しく、自分にとって唯一だった存在に。それが、まさか・・・。

 腕の中の、華奢な身体を思い出す。

 最初、遠目に見たその姿は、まさに驚きだった。

 つぶれかけた馬車らしき乗り物から身を乗り出して魔物に挑むその姿。

 彼女についてまず感じたのは、純粋な驚きと称賛だった。

 飛翔術を駆使して、危ういところで救うことができたときは、心底安堵した。
 そして改めて驚いたのだ。魔獣を仕留めた戦士が、年若い令嬢だったことに。

 この大陸では稀有な銀色の髪に琥珀色の瞳を持つ、まだ少女と言ってよいくらいの年齢の令嬢。
 その姿は遠い過去の記憶を、とっくの昔に心から消し去った女を思い出させた。

 少女と目が合う。少女が感謝の言葉を口にした。

 その瞬間・・・

 何が起こったのか、わからなかった。ただ、全身に稲妻が、感じたことのない衝撃が、走り抜けた。

 形見の『輝石』が熱を帯び、まばゆい光を放った。

 まさか・・・本当に?

 叶うはずがないと半ば諦めていた希望がよみがえる。

 思わずその顔をそっと上向かせて、まじまじと覗き込んでいた。

 感じる。変質はしているが、これは確かに『彼』の気だ。
 本当に、再び逢うことができたのだ。

 琥珀の瞳が戸惑うように瞬いた。

 ポツリとその頬を数滴のしずくが濡らす。

 その時、漸く、彼は自分が泣いているのに気がついた。

「やっと見つけた」

 喜びに震える自分の声が聞こえた。

 これで、すべてを終わらせることができる。そう思って、遠い昔に失った『かの名』を発しかけたとき・・・

 目の前で、琥珀の瞳が力なく閉じられた。腕の中の身体が急に弛緩した。

 ぐったりとした反応を無くした身体に、パニックに襲われかける。
 必死に癒しの術ヒールをかけ続けた。何度も何度も。

 だめだ。

 彼の渾身の魔力を持ってしても、効果がない。

 生まれ変わってさえ、癒しの術が効かないのなんて。

 落ち着け、落ち着くんだ、アルフォンソ。
 こんな時のために、何度目かの生で、医術は十分に学んだはずではないか?

 大きく深呼吸して焦る気持ちを落ち着かせる。
 大丈夫だ。今度こそ、助けて見せる。絶対に。

 手早く傷の状態をチェックする。

 傷そのものは、それほど酷いものではなさそうだ。

 問題は、むしろ魔物の粘液だらけだということ。植物系の魔物の多くは、その樹液に強い毒を持っているのだ。

 マントを脱ぐと、比較的きれいな地面に敷く。少女の身体を、細心の注意を払いつつ、その上に横たえた。

 全身に清拭の術と解毒の術をかけ、魔物の毒を洗い流す。自分のシャツを切り裂いて清め、包帯代わりに傷口に適度な強さで巻きつけて、止血しておく。

 後できることは・・・

 血の気の失せた顔。身体がひどく冷たい。息が荒くなってきた気がする。

 彼は即断した。

 その場に膝をつくと、少女の頭をそっと抱え上げる。それから身をかがめて、青ざめた唇にそっと己の唇を重ねた。
 慎重に自分の生体エネルギーを、ゆっくりと吹き込んでいく。
 冷たい頬に徐々に熱が戻ってきたのを感じて、ひとまず安堵した。その時、

「おい、俺の娘を放せ!」

 怒声とともに、空気を切り裂いてバカでかい剣が閃いた。

 反射的に地を転がり、かろうじて身をかわす。

 燃えるような赤毛の大男が、少女と彼の間に立ちふさがっていた。

*  *  *  *  *

 一目で、男が先ほどまで中心になって魔物を屠っていた人物だということはわかった。

 魔物を断ち切った大剣を構えて彼を威嚇するその瞳は怒りに満ちていたが、ちらりと少女に向けられた眼差しには懸念が籠っていた。

 男は少女を「俺の娘」と呼んだ。

 油断なく身構えながらも、冷静に情報を分析する。

 彼が『探し求めた存在』には、今生では守ってくれる父が、家族がいるのだ。こんな風に。決して一人ではなく。

「落ち着いて欲しい。私は治療をしていただけだ」

 できるだけ刺激せぬように、剣を腰に戻し、両手を上げて告げる。

「治療だと?」

「そうだ。ご令嬢の怪我そのものは大したことはない。応急処置はしたつもりだが、魔物の毒が心配だ」

 彼に敵意がないことを悟ってか、男の剣気が薄れた。

 警戒しつつも、剣を背負った鞘に納める。大きな手で娘が息をしているのを確かめ、男は安堵の息を吐いた。

「シャル、大丈夫か」

 先ほどとは打って変わって優しい口調で呼びかける。

 なぜだろう?彼女の味方の登場を喜ぶべきなのに、なぜ、胸が、もやもやと、苦しくなるのだろう?

「迂闊に動かさない方がいい。ここで様子を見ていてくれ。助けを呼んでくる」

 そう言い捨てると、エクセルの気配を頼りに、アルフォンソは瞬間移動の術を発動したのだった。

*  *  *  *  *
 
 エクセルが部屋に戻ったのは、それから半時ほど経ってからだった。

「しばらく休めば、大丈夫だとさ」

 だから安心しろと言いかけたエクセルは、皇子の顔をまじまじと見た。それから、静かに問いかけた。

「彼女がそうなんだな、アル?」

 アルフォンソは、無言で頷いた。

「そうか。よかった。よかったな」

 エクセルの顔が笑み崩れた。目が潤んでいるようにさえ見えた。

「ようやく願いが叶ったってことだろ?それも、うら若き乙女の姿で。筋肉ムキムキ野郎じゃなくて本当によかった。森の魔物に転生している可能性まで考えたんだぜ、俺は。あんな女性なら、何の問題もないだろ?」

「そうだな」

 エクセルが怪訝そうな表情になった。

「どうした?うれしくないのか?」

「うれしいさ。けれど、私は彼女にどこまで、いや何をどう話すべきなんだろう?」

 ずっと考えてたんだ、とアルフォンソはエクセルをすがるように見つめた。

「正直に真実を話す?それで、私の話を信じて、いや、聞いてくれると思うか?それに・・・私の事情など知らない方が、彼女にとっては、いいのではないか?」

「アル、お前は、それでいいのか?後悔しないか?」

「後悔は、するかもしれない。でも、彼女のことを考えれば、やっぱり・・・。何も言わないほうが」

 悄然とソファーに持たれているアルフォンソの姿は、エクセルの目には、奇妙なほど頼りなく見えた。まるで遠いあの日の『彼女』のように。

「まだ時間はあるんだろ、アル?」

 エクセルが、ぽつりと言った。

「『大穴』が完全に広がりきるまで、あとどのくらいだ?」

「たぶん、早ければ1年。遅くても2年以内には」

 アルフォンソが俯いたまま答えた。

「じゃあ、まずは知り合いになることから始めてはどうだ?半年あれば、十分だろ」

「知り合いに?彼女と?」

 驚いて顔を上げたアルフォンソに、エクセルは、そうとも、と頷いてみせた。

「別にすべてを話す必要はない。まずは自分の気持ちに正直になってみればいいさ。世界のことより、まず、自分の幸せを考えろ。お前には、お前たちには、それくらいの権利はある」

 アルフォンソが驚いたように大きく目を瞬かせた。それから、しばし考えこんでから尋ねた。

「具体的には、どうすればいい?」

 人づきあいが苦手なことは自分でもよくわかっている。若い女性とうまく話せるかは、甚だ疑問だ。

「舞踏会でエスコートをかって出るってのは、どうだ?どうやら、舞踏会そのものは、一応開かれるらしいから」

「エスコート?」

 アルフォンソが怪訝そうに聞き返した。

「ますは、彼女の名前だ。彼女は、リーシャルーダ・ベルウエザーだ」

「リーシャルーダ、リーシャルーダだって・・・」

 アルフォンソが呆然と繰り返した。

「そう。皮肉なものだな。いや、この場合、奇跡的一致かな」

 エクセルが面白くもなさそうに笑った。

「あのベルウエザー子爵の一人娘でもある」

「ベルウエザー?・・・そうか。あれがクレイン・ベルウエザーか」

 彼女を心配そうに見つめていた赤毛の大男の姿が浮かぶ。

 クレイン・ベルウエザー。ブーマ王国のベルウエザー一族を率いる傭兵上がりの婿養子。

「魔物の被害を最小限に食い止めたのは、ベルウエザーの一団だ。この事実はすでに周知されている。賓客の皇子様が、そのご令嬢をエスコートしたって、誰も不思議には思わんさ」

 エクセルが断言した。

「ぐずぐず悩まずに、俺に任せろ。知り合うきっかけは作ってやる」

 エクセルはそう言うと、にやりと笑って、自分の胸を叩いてみせた。

「だから、アル、お前はお前でできることをしろ」

「わかった」

 皇国第二皇子は、まず、今ここでできることにせいいっぱい取り組む決意をしたのだった。





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