17 / 21
第九章
咆哮(1)
しおりを挟む
大隅に戻ってきたカザトに、貴志麻呂は猛然と怒りをあらわにした。
何故戻ってきた、今すぐヤマトに帰れ、と激しく言い立てたがカザトは頑として首を縦に振らない。
カザトが不退転の意思で戦場に戻ってきたことを悟った貴志麻呂は、とうとう根負けして前線に出ないことを条件に隊への復帰を承諾したのだった。
本当はお互いに、それぞれの胸の内が痛いほどよく分かっている。
それだけに余計辛さが勝る。しかし、一刻も早くこの戦を終わらせなければ、さらに多くの血が流されることになるのだ。
今はただ、戦乱の憂いを無くし、貴志麻呂とともに無事ヤマトへと帰ることだけがカザトの望みだった。
総指揮権が旅人から二人の副将軍へと委譲されたヤマトの軍勢は、二箇所の山城に立て籠もる大隅隼人の早期制圧を目論んでいた。
季節はようやく冷涼さを感じるようになっていた。灼熱地獄のような炎天下での戦闘が無謀であることは、骨身に沁みて分かっていたため、勝負をかけるならば秋から冬にかけての、暑さの心配がない時期に限るのではないか。この南国ではたとえ真冬でも雪の心配はまずあるまい。
だが、そんなヤマトの見通しすら、甘過ぎたことを間もなく思い知らされることになる。
同年九月、まるで大隅での乱に呼応するかのように、遠く北辺の陸奥国で按察使(あぜち)・上毛野(かみつけぬ)広人(ひろと)が殺害され、蝦夷たちが武装蜂起に踏み切った。それによってヤマトは北へも兵の動員を余儀なくされたのだった。
その余波は少なからず大隅での兵営にも影響していた。秋・冬期における総攻撃を計画したものの、武器・防具、食糧などの補給物資の流れが、目に見えて滞っているのだ。
いくら南国とはいえ、冬場は相応の冷え込みがあり、充分な装備がなければ戦どころではない。頼みにしていた物量が心もとなくなり、将兵たちは浮足立った。戦況は、まさに泥濘の深みにはまり込んでいた。
養老五年(七二一)五月―。開戦からは実に一年以上が経過していた。
ようやくのことで軍備を整えたヤマト勢は、炎熱の季節に焼かれる前に雌雄を決すべく動き出した。最後の総力戦を展開する構えで、大隅隼人らが立て籠もる終の砦、「曽於乃石城」と「比売之城」を包囲すべく進軍を開始した。
カザトは貴志麻呂と同じ隊の一員として、曽於乃石城へと迫っていた。大隅の隼人らは方々の狭隘地や渓谷などに潜伏し、ヤマトの軍勢がさしかかるのを待ち伏せて襲撃する戦法を得意としていた。
狭い道で隊が細長く伸びきったところを見計らって、左右から矢を射かけ、矢が尽きれば騎馬で、あるいは徒歩(かち)で鉾や剣を振りかざし、突撃を敢行してくるのだ。
隼人とは「早人」のことだ、と言われることがあるが、確かに大隅隼人らの戦闘での俊敏さと勇猛さはその名に相応しい。ましてや死を決し、傷付くことを厭わずに躍りかかるその様は、ヤマトの将兵たちにとって恐怖以外の何物でもなかった。
行軍は慎重を極め、夜襲に備えての警備も厳重なものになっていた。
曽於乃石城を目前にしての野営の夜、カザトは一人焚火を前に物想いに耽っていた。これから攻めようとしている山城にヒギトがいる。自分はもう一度ヒギトと戦うことになるのだろうか。もしそうなったとしても、それで戦況がどう変わるものでもないことは分かりきっていたが、何故かそうすることこそが自分に与えられた使命のように感じていた。
それに……火乃売とのこともきちんと打ち明けねばなるまい。しかしその機をはかりかね、どう切り出したものか悩むうちに時ばかりが過ぎていく。やはり何もかも落ち着いてからでなければ難しいだろう。
人の気配を感じて振り仰ぐと、いつの間にか貴志麻呂が傍に佇んでいた。
カザトの横にゆっくりと腰をおろすと、ほんの少し笑ってみせる。大隅着陣以来、以前の快活さを失ったように塞ぎがちだった貴志麻呂は、このところ目に見えて憔悴の度合いを強めていた。落ちくぼんだ眼に、こけた頬は痛々しいばかりだ。
思えばこうして並んで腰かけるのもいつ以来だろうか―。
貴志麻呂は手元の枝を小さく折っては焚火にくべながら、ゆらめく炎に眼を細めている。
「秦の先祖の話をしたことがあったかな?」
カザトが首を横に振ると、じゃあ聞いてくれるか、と言って語り始めた。
「遠い昔、秦の先祖はいま唐の国がある大陸で暮らしていた。その時はまだ唐の国はなかったんだけど、来る日も来る日も戦ばかりの続く、暗くて悲しい時代だったそうだ」
ぽきん、と枝を折って火に放り、貴志麻呂はさらに話を続ける。
「噂によると東の海に、争いのない楽土のような島があるらしい。緑は濃く豊かで、人の心も穏やかで、怒る、ということを知らないとも言われていた。秦の先祖はそんな島があるのならどうしても行ってみたいと願った。そして船をこしらえて、一族みんなでその島をめざして漕ぎ出した」
その言い伝えはカザトも耳にしたことがあった。渡来人の名門たる秦の一族が、故国の戦火を逃れてヤマトへと旅立つ話だ。たしか「秦」という族名もその国の名からとられたものではなかったか。
だが、貴志麻呂自身の口から聞くのは初めてだ。カザトは黙って頷き、話の続きを眼で促す。
「はじめのうちは、その島国はまさしく楽土に思えた。でもほどなく、そこに暮らす人々が怒りを知らない、というのは本当ではないことが分かってきた。故国と同じように、憎しみ合い、傷つけ合う人々の所業を、秦の一族は哀しい思いで見続けてきた」
貴志麻呂は大きく息をつくと、掌を焚火に向けてかざした。火明りに透かされた血潮が、炎の色と相まって真っ赤にその手を縁取っている。
「祖父(じい)さまいわく、俺の家が拳足の技を伝えてきたのは、本当は戦うためではないんだ」
謎かけのような言葉にカザトは首を傾げる。きょとん、としたその様子がおかしかったのか、貴志麻呂は白い歯を見せた。
「己の拳だけで戦う、というのは生身の人と人とが直接ぶつかり合うことの痛みを忘れない、ということらしいんだ。そりゃ戦のためなら殴る技なんかよりも、武器を扱う術や兵を動かす法を学んだほうが早い。けど、武器を持てば相手より強い武器を欲して、さらにそれを上回る武器を求めて、果てがない。そんなことに、果たして意味なんかあるのか……」
貴志麻呂の言うことは、いみじくもカザトが感じ続けていたことと全く同じだった。拳足の技のみならず、それはスマイにしても言えることではないだろうか。
痛みを知ること―。
それは命の重みを知ることにほかならない。
そしてその感覚は己の身体で感じとるしかないものなのだ。それは、自身が決して傷付くことのない安全な場所から兵たちに戦うことを命じるだけの、血を流さぬ者たちには決して分からないことだろう。
「ヤマトのやり方は間違っている」
貴志麻呂はきっぱりとそう言い放った。
「北の国では蝦夷たちも蜂起したというじゃないか。南へ北へ、兵を差し向けることなどいつまでもできるわけがない。たとえそうやって力づくで隼人や蝦夷を従わせたとしても、彼らは何度でも立ち上がるだろう。恨みは、千年も二千年も受け継がれる」
カザトは言葉もなく、貴志麻呂の言うことに耳を傾けるだけだった。
確かに今のままではヤマトと隼人、あるいは蝦夷は永遠に手を取り合うことなど不可能だろう。だがカザトと貴志麻呂のように徒手空拳でぶつかり合い、理解し合えるという絆も確かに存在するのだ。
「あの頃は楽しかったなあ」
ふっと遠くを見やるような眼をして貴志麻呂がつぶやく。
カザトも一瞬、同じことを考えていた。そうだ、本当に楽しい日々だった。だがそんな日常の裏では、今日の戦へと至る熾火がくすぶり続けていたのだ。
早くあの頃のように屈託なく笑い合えるような日々が訪れてほしい。願うことはただそれだけだ。
貴志麻呂がゆっくりと立ち上がり、空を仰いだ。つられてカザトも顔を上げる。ヤマトで目にしていたものと寸分たがわぬ星の並びが認められ、不思議な気持ちがこみ上げてくる。あの星々からすれば、この地上の出来事などとるに足らない歴史の一幕に過ぎないのだろうか。多くの血が流された哀しい戦の記憶すらやがて誰からも忘れられ、永遠に失われてしまうのだろうか―。
「なあ、カザト」
宙から目を転じた貴志麻呂は、カザトを見つめたままその後の言葉を躊躇うように口ごもった。
「……やっぱり、この戦が終わったら言うことにするよ」
じゃあ、お休み、と言い置いて背を向け、自分の兵舎へと戻ってゆく。暗闇の中、何故かその背中がいつまでもくっきりと白く、カザトは暫くの間目を離すことができずにいた。
何故戻ってきた、今すぐヤマトに帰れ、と激しく言い立てたがカザトは頑として首を縦に振らない。
カザトが不退転の意思で戦場に戻ってきたことを悟った貴志麻呂は、とうとう根負けして前線に出ないことを条件に隊への復帰を承諾したのだった。
本当はお互いに、それぞれの胸の内が痛いほどよく分かっている。
それだけに余計辛さが勝る。しかし、一刻も早くこの戦を終わらせなければ、さらに多くの血が流されることになるのだ。
今はただ、戦乱の憂いを無くし、貴志麻呂とともに無事ヤマトへと帰ることだけがカザトの望みだった。
総指揮権が旅人から二人の副将軍へと委譲されたヤマトの軍勢は、二箇所の山城に立て籠もる大隅隼人の早期制圧を目論んでいた。
季節はようやく冷涼さを感じるようになっていた。灼熱地獄のような炎天下での戦闘が無謀であることは、骨身に沁みて分かっていたため、勝負をかけるならば秋から冬にかけての、暑さの心配がない時期に限るのではないか。この南国ではたとえ真冬でも雪の心配はまずあるまい。
だが、そんなヤマトの見通しすら、甘過ぎたことを間もなく思い知らされることになる。
同年九月、まるで大隅での乱に呼応するかのように、遠く北辺の陸奥国で按察使(あぜち)・上毛野(かみつけぬ)広人(ひろと)が殺害され、蝦夷たちが武装蜂起に踏み切った。それによってヤマトは北へも兵の動員を余儀なくされたのだった。
その余波は少なからず大隅での兵営にも影響していた。秋・冬期における総攻撃を計画したものの、武器・防具、食糧などの補給物資の流れが、目に見えて滞っているのだ。
いくら南国とはいえ、冬場は相応の冷え込みがあり、充分な装備がなければ戦どころではない。頼みにしていた物量が心もとなくなり、将兵たちは浮足立った。戦況は、まさに泥濘の深みにはまり込んでいた。
養老五年(七二一)五月―。開戦からは実に一年以上が経過していた。
ようやくのことで軍備を整えたヤマト勢は、炎熱の季節に焼かれる前に雌雄を決すべく動き出した。最後の総力戦を展開する構えで、大隅隼人らが立て籠もる終の砦、「曽於乃石城」と「比売之城」を包囲すべく進軍を開始した。
カザトは貴志麻呂と同じ隊の一員として、曽於乃石城へと迫っていた。大隅の隼人らは方々の狭隘地や渓谷などに潜伏し、ヤマトの軍勢がさしかかるのを待ち伏せて襲撃する戦法を得意としていた。
狭い道で隊が細長く伸びきったところを見計らって、左右から矢を射かけ、矢が尽きれば騎馬で、あるいは徒歩(かち)で鉾や剣を振りかざし、突撃を敢行してくるのだ。
隼人とは「早人」のことだ、と言われることがあるが、確かに大隅隼人らの戦闘での俊敏さと勇猛さはその名に相応しい。ましてや死を決し、傷付くことを厭わずに躍りかかるその様は、ヤマトの将兵たちにとって恐怖以外の何物でもなかった。
行軍は慎重を極め、夜襲に備えての警備も厳重なものになっていた。
曽於乃石城を目前にしての野営の夜、カザトは一人焚火を前に物想いに耽っていた。これから攻めようとしている山城にヒギトがいる。自分はもう一度ヒギトと戦うことになるのだろうか。もしそうなったとしても、それで戦況がどう変わるものでもないことは分かりきっていたが、何故かそうすることこそが自分に与えられた使命のように感じていた。
それに……火乃売とのこともきちんと打ち明けねばなるまい。しかしその機をはかりかね、どう切り出したものか悩むうちに時ばかりが過ぎていく。やはり何もかも落ち着いてからでなければ難しいだろう。
人の気配を感じて振り仰ぐと、いつの間にか貴志麻呂が傍に佇んでいた。
カザトの横にゆっくりと腰をおろすと、ほんの少し笑ってみせる。大隅着陣以来、以前の快活さを失ったように塞ぎがちだった貴志麻呂は、このところ目に見えて憔悴の度合いを強めていた。落ちくぼんだ眼に、こけた頬は痛々しいばかりだ。
思えばこうして並んで腰かけるのもいつ以来だろうか―。
貴志麻呂は手元の枝を小さく折っては焚火にくべながら、ゆらめく炎に眼を細めている。
「秦の先祖の話をしたことがあったかな?」
カザトが首を横に振ると、じゃあ聞いてくれるか、と言って語り始めた。
「遠い昔、秦の先祖はいま唐の国がある大陸で暮らしていた。その時はまだ唐の国はなかったんだけど、来る日も来る日も戦ばかりの続く、暗くて悲しい時代だったそうだ」
ぽきん、と枝を折って火に放り、貴志麻呂はさらに話を続ける。
「噂によると東の海に、争いのない楽土のような島があるらしい。緑は濃く豊かで、人の心も穏やかで、怒る、ということを知らないとも言われていた。秦の先祖はそんな島があるのならどうしても行ってみたいと願った。そして船をこしらえて、一族みんなでその島をめざして漕ぎ出した」
その言い伝えはカザトも耳にしたことがあった。渡来人の名門たる秦の一族が、故国の戦火を逃れてヤマトへと旅立つ話だ。たしか「秦」という族名もその国の名からとられたものではなかったか。
だが、貴志麻呂自身の口から聞くのは初めてだ。カザトは黙って頷き、話の続きを眼で促す。
「はじめのうちは、その島国はまさしく楽土に思えた。でもほどなく、そこに暮らす人々が怒りを知らない、というのは本当ではないことが分かってきた。故国と同じように、憎しみ合い、傷つけ合う人々の所業を、秦の一族は哀しい思いで見続けてきた」
貴志麻呂は大きく息をつくと、掌を焚火に向けてかざした。火明りに透かされた血潮が、炎の色と相まって真っ赤にその手を縁取っている。
「祖父(じい)さまいわく、俺の家が拳足の技を伝えてきたのは、本当は戦うためではないんだ」
謎かけのような言葉にカザトは首を傾げる。きょとん、としたその様子がおかしかったのか、貴志麻呂は白い歯を見せた。
「己の拳だけで戦う、というのは生身の人と人とが直接ぶつかり合うことの痛みを忘れない、ということらしいんだ。そりゃ戦のためなら殴る技なんかよりも、武器を扱う術や兵を動かす法を学んだほうが早い。けど、武器を持てば相手より強い武器を欲して、さらにそれを上回る武器を求めて、果てがない。そんなことに、果たして意味なんかあるのか……」
貴志麻呂の言うことは、いみじくもカザトが感じ続けていたことと全く同じだった。拳足の技のみならず、それはスマイにしても言えることではないだろうか。
痛みを知ること―。
それは命の重みを知ることにほかならない。
そしてその感覚は己の身体で感じとるしかないものなのだ。それは、自身が決して傷付くことのない安全な場所から兵たちに戦うことを命じるだけの、血を流さぬ者たちには決して分からないことだろう。
「ヤマトのやり方は間違っている」
貴志麻呂はきっぱりとそう言い放った。
「北の国では蝦夷たちも蜂起したというじゃないか。南へ北へ、兵を差し向けることなどいつまでもできるわけがない。たとえそうやって力づくで隼人や蝦夷を従わせたとしても、彼らは何度でも立ち上がるだろう。恨みは、千年も二千年も受け継がれる」
カザトは言葉もなく、貴志麻呂の言うことに耳を傾けるだけだった。
確かに今のままではヤマトと隼人、あるいは蝦夷は永遠に手を取り合うことなど不可能だろう。だがカザトと貴志麻呂のように徒手空拳でぶつかり合い、理解し合えるという絆も確かに存在するのだ。
「あの頃は楽しかったなあ」
ふっと遠くを見やるような眼をして貴志麻呂がつぶやく。
カザトも一瞬、同じことを考えていた。そうだ、本当に楽しい日々だった。だがそんな日常の裏では、今日の戦へと至る熾火がくすぶり続けていたのだ。
早くあの頃のように屈託なく笑い合えるような日々が訪れてほしい。願うことはただそれだけだ。
貴志麻呂がゆっくりと立ち上がり、空を仰いだ。つられてカザトも顔を上げる。ヤマトで目にしていたものと寸分たがわぬ星の並びが認められ、不思議な気持ちがこみ上げてくる。あの星々からすれば、この地上の出来事などとるに足らない歴史の一幕に過ぎないのだろうか。多くの血が流された哀しい戦の記憶すらやがて誰からも忘れられ、永遠に失われてしまうのだろうか―。
「なあ、カザト」
宙から目を転じた貴志麻呂は、カザトを見つめたままその後の言葉を躊躇うように口ごもった。
「……やっぱり、この戦が終わったら言うことにするよ」
じゃあ、お休み、と言い置いて背を向け、自分の兵舎へと戻ってゆく。暗闇の中、何故かその背中がいつまでもくっきりと白く、カザトは暫くの間目を離すことができずにいた。
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【時代小説】 黄昏夫婦
蔵屋
歴史・時代
江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。
そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。
秋田藩での仕事は勘定方である。
仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。
ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。
そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。
娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。
さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。
「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。
今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。
この風習は広く日本で行われている。
「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。
「たそかれ」という言葉は『万葉集』に
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」
— 『万葉集』第10巻2240番
と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。
「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」
— 『源氏物語』「夕顔」光源氏
と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。
なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。
またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。
漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。
「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。
この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。
それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。
読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。
作家 蔵屋日唱
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる