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第九章
咆哮(2)
しおりを挟む曽於乃石城へ向けての最後の行軍が始まった。各方面から同時に押し寄せ、大隅隼人の砦である山城を包囲するのだ。だが、その間には狭隘な道を通過しなければならない。奇襲攻撃を受ける可能性の高い、危険な移動でもある。
厳重の上にも厳重を重ねた警戒態勢を敷きながら、隊は迅速に歩を進めていった。狭いところでは馬一頭通るのがやっと、という道幅だ。
ほとんど一列縦隊のようになってしまうため、こんな場所で細長く伸びきった隊列を襲撃されればひとたまりもないだろう。多くの兵が弓に矢をつがえたまま、四方八方に気を配っている。
やがて隊の先頭が道を抜け、曽於乃石城を望める広い平坦地へと至った。なんとか無事に危険な箇所を切り抜け、隊列を組み直そうとしたその時―。
背後の山あいから、狼の吠えるような声が重く低く、不気味な重圧と共に重なり合って近づいてくる。その声には、誰しも聞き覚えがあった。そう、大隅隼人の発する吠声にほかならない。次の瞬間、平坦地に集合しつつあった乱れた隊列に向けて、驟雨のように無数の矢が降り注いだ。
「敵襲!」
そう叫んだ兵が矢を受けて、そのまま仰向けに崩れ落ちる。遮蔽物を探して人馬が縦横に入り乱れ、隊は大混乱に陥った。一瞬の静寂の後、続けて第二波の矢が襲いかかる。逃げまどう味方同士が衝突し、矢を避けきれなった者たちが、折り重なるようにして次々と倒れていく。
ふいに強い衝撃を受けてカザトは後方へ弾き飛ばされた。暴走した軍馬が味方の兵を蹴散らしながら走り去ってゆく。
「カザト……、無事か?」
声の方向に首を巡らせると、すぐそばに貴志麻呂が仰向けに倒れている。はい、と答えながらカザトはそのまま貴志麻呂に向かってにじり寄った。
「よく聞いてくれ。敵は俺たちが平坦地に出て安心したところを狙ってきた。隊列が乱れた今、次は突撃して白兵戦を仕掛けてくるに違いない」
一気にそこまで言うと、貴志麻呂は荒く息をついた。顔からは血の気が失せ、蒼白となっている。
「戦える者を……速やかに横列に布陣し、長柄の鉾で、突撃を食い止めろ……。隊長は……矢を受けて、動けない……。お前が……隊を、まとめてくれ……」
喘ぎながら、絞り出すような声で貴志麻呂が指示を続ける。その異変に気付き、それ以上喋ることを止めさせようとするカザトを制し、
「それと……、あと一つ」
と言って、貴志麻呂はがっしりとカザトの手を掴んだ。
「この戦が終わったら……、姉上と一緒になってくれるか?」
こんな時に何を、とカザトが口にしかけた時、貴志麻呂の横たわる地面に黒々とした染みが広がっているのが眼に飛び込んだ。
驚いて抱き起こそうと背中に腕を回すと、どろりとした生温かいものに手が触れ、夥しい量の血が流れていることに気付かされた。貴志麻呂は甲冑の隙間に矢を受け、背後から深々と射貫かれていたのだ。
カザトは衣の袖を引き裂き、夢中で貴志麻呂の傷口に押し当てて止血を試みた。だが、禍々しいほどの赤黒さで迸る血は、止めどなく大地を濡らし続けている。
尚も手当てを続けようとするカザトを押しとどめ、貴志麻呂は不思議なほど澄んだ眼をして、
「答えを、聞かせてくれ」
と、カザトを真っ直ぐに見据えた。あふれそうになる涙を堪えて、カザトがうん、うん、と何度も頷く。貴志麻呂はふっと目元をやわらげると、カザトの手を握り直した。
「……そうかい……。よかった……。じゃあ、これで……俺たちは……ほんとうの……」
きょうだい、だ。と、発したままの形で、貴志麻呂の唇はそれきり動きを止めた。
「貴志麻呂様! 貴志麻呂様!」
大声で呼びかけながら、カザトは貴志麻呂の身体を揺さぶり続けた。だが虚ろになったその瞳にはもはや一片の光も宿っておらず、ただ甲冑の触れ合う空しい音が響くのみだった。
いつしかカザトは、キシマロ! キシマロ! と声を限りに絶叫していた。
背後の山から、鬨の声とともに山崩れのような轟音が迫ってくる。
馬のいななきや蹄の音が無数に混じるその音は、生き残ったヤマトの兵たちを竦み上がらせた。貴志麻呂の予測したとおり、大隅の隼人らがなだれをうって突撃してきたのだ。
貴志麻呂が最後に指示したように、生き残った者だけで隊列を立て直し、白兵戦に備えなければならない。しかし、あまりに多くの者が傷を受けており、恐慌に陥って戦える状態ではない者も少なくない。それでも幾人かは鉾や剣を構え、迎え撃つ気勢を示している。
カザトは貴志麻呂の亡骸から離れると、怒涛のように迫りくる人馬の音に立ちはだかった。身体の奥底から、溶岩のように噴き上がってくる感情が怒りなのか、憎しみなのかは分からない。
だが、頭の芯だけは透明に冴えわたり、一切の迷いを断ち切ってカザトの身体に冷徹な命令を下していた。
戦え、と。
山の斜面を駆け下りて、騎馬の大隅隼人らが鉾を振りかざして殺到してきた。迎え撃とうとしたヤマトの兵が幾人か突き倒され、怒号と悲鳴が入り混じる。
仁王立ちのカザトにも馬上から激しく鉾が突き下ろされる。だがカザトはかわしざまに鉾の柄を掴み、力任せに引き込んだ。勢い余って馬上から大きく投げ出された敵に向けて、奪い取った鉾を打ち込む。刃は過たず甲冑ごと敵を貫き、縫い付けるかのように深々と地面にまで突き立った。
振り返ると、剣を振り上げて走り込み、カザトに向かって斬り付けてこようとする男がいる。鋭く振り下ろされた剣が脳天に届くその刹那、カザトは踏み込んで相手の腕を受け止め、肘関節を逆に極めながら渾身の力で直下に背負い落とした。腕の折れる湿った音と共に、敵から悲鳴があがった。
カザトを強敵と見てとったのだろう。今度は左右から、短剣を腰だめに構えた男たちが二人がかりで突き込んできた。
右の敵が一瞬早い―。そう判断したカザトは深く身体を沈めながら右側の敵に足払いをかけた。
左側の敵が、もんどりうって倒れ込んでくる味方に怯んだ一瞬の隙に、カザトはその顔面に唸りを上げて拳を打ち込んだ。間髪いれず、足払いで倒した敵の面にも拳を突き込む。手首までめり込んだかと思われるほどの強猛な打撃に、二人の男は血泡を吹き上げて痙攣し、やがて動かなくなった。
カザトには不思議なほど、敵の動きがゆっくりと見えていた。しかし、激情に駆られた肉体と冷静沈着な精神は互いに齟齬をきたし、もはや歯止めがきかなくなっていた。
カザトは気付いていない。己が狂ったように雄叫びを上げ続けていることを―。
その咆哮は戦場にあってなお、味方の兵までをも戦慄せしめていた。
体勢を立て直しつつあるヤマトの隊が、徐々に大隅隼人らを押し始めた。
「勝てるぞ! 怯むな!」
誰かが士気を鼓舞するかのような大声を発する。死にものぐるいで応戦するヤマトの兵らが勢い付いてきたその時、再び狼の吠えるような声が響き渡った。
示し合わせたように、騎馬の大隅隼人らが馬首を返して撤退し始めた。徒歩の者を馬の背に引き上げ、鮮やかなまでの素早さで戦列を離れてゆく。
カザトはそれを追おうと駆け出した。しかし馬の足にかなうはずもなく、その距離はどんどん大きくなっていく。だがただ一頭、その流れからは離れてじっと佇む馬があった。
鞍上からは引き締まった細身の身体に総髪を束ねた、鋭い眼付きの若者がカザトを見下ろしている。
「ヒギト!」
カザトは駆けながら、声を限りに叫んだ。なおも追い縋ろうと足を速めたカザトだが、ヒギトは馬腹を蹴ると撤退の隊列に合流していった。
カザトの叫びはもはや声になってはいなかった。それでもまだ、喉が裂けるまで続くかと思うほどの咆哮だけが、兵たちの屍が折り重なる野にいつまでも響いていた。
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