剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ

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第三章 博徒の雛と老剣士

花香の藪

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湯治場を後にした草介が隼人に付いて訪れたのは、河内と大和に境する紀伊北東部の山中だった。
高野街道と伊勢街道が直交する交通の要衝でもある町から、高野の山へと分け入る道に沿って灌木の枝を払う。

「はーさん、これほんとに道かよ」
「道ではないが方角は合っている」
「ほんとかよう。まるっきり藪じゃねえかよう」
「黙って来い。それと“はーさん”はやめよ」

隼人が草介を引き合わせると言ったのは、棒を扱う武術の達者だという話だった。
そこは古い神社と道場だが御留郵便の重要な中継地の一つであり、隼人はしばしばそこで物品を受け取って配達に向かうのだという。

「草介、しばしここで待っておれ」

隼人が歩みを止めたのは小さな沢が二股に分かれた場所で、細流がさわさわと心地よい音を立てている。

「待っとけって…どこ行くんでえ」
「先に屋敷の者に訪いを告げてくる。務めの性質上、怪しげな者には容赦がないのでな。儂とても手順に従って身元を示さねば入れぬ」
「えぇ……」
「よいか、ここを動くな」

そう言い残して隼人は藪の向こうに消え、一人になった草介は所在なく沢ぎわの石に腰掛けて韮山笠を脱いだ。
散切りの頭をくしゃくしゃと掻き回すと、木々の間を渡る風が梢や笹をからからさわさわと揺らしていった。

隼人の強さを目の当たりにしている草介にとって、その技はもはや神がかっているようにすら感じられる。
荷を担ぐための天秤棒ですら、隼人が振るえば容易に人の生命を奪える恐ろしい武器となる。
その隼人が「自分より達者」という位なのだから、これから会う人物はさぞや老練な達人なのだろう。

そんなことをぼんやり考えているうち、草介は藪の向こうにほんの少し“何か”の気配を感じた。
隼人が戻ったのかとも思ったが、そうであるならばこんなに息を潜めるかのような警戒感が伝わるはずはない。
草介はそっと腰の拳銃を取り出し、可能な限り音を立てぬよう慎重に弾を込めていった。
危険は何も人ばかりとは限らない。野生動物に襲われても簡単に命を落としてしまうのだ。

その動きを察したのか、藪の向こうでぴりりと緊迫が増した。
草介は息を止めて銃をそちらに向け、撃鉄に親指をかける。
と、背後の沢で「ボチャンッ」と大きな水音が立った。
反射的に振り返って銃口をそちらに向ける草介だったが、その目には投げ込まれた拳大の石が水柱を立てているのがはっきりと映った。

「――くそっ!」

陽動に気付いて再び振り返った草介だったが、藪中から走り出て急速に間合いを詰めてきたそれに真下から銃を撥ね飛ばされてしまった。

「ぐおぉっ!!」

咄嗟にそれの正面を避けて回り込み、両腕で締め上げるようにして捉えた。
人だ。
獣ではなく、草介より頭一つは小さな人間。
ぎりぎりと力を強め、完全にその背後を取った。
が、次の瞬間、捕捉した対象がふっと身体を緩めたかと思うと草介の視界はぐるりと反転し、強烈に地へと打ち付けられていた。
投げ飛ばされて仰向けに倒れ、間髪入れず腕の関節を極められた上に喉輪にも膝を落とされ、ぐうとも声が出ない。
一瞬で息が詰まり視界がぐちゃぐちゃになる草介。
このまま死ぬ――。そう頭を過ぎったとき、

「何をしている!」

鋭い声が飛び、縛めの力が緩んだ。
咄嗟に相手から逃れて転がった草介は、激しく咳き込みながら声の方を見やった。
隼人が戻ってきたのだ。
そしてもう一人、今しがた草介が絞め殺されそうになった小柄な人影。
霞む視界に映るそれは、自分たちと同じ紺色の詰襟制服姿だ。

「片倉先生」

小柄な人影は韮山笠の紐を解き、硬いギヤマンが打ち合わさったかのような澄んだ声を発した。
一つに束ねた長い黒髪に切れ長の眼、肌は山中にぽうっと明かりが灯ったかのように白い。

由良乃ゆらのどのか」

隼人が安心したように声を和らげた。
一方の草介は投げられた痛みと絞められた苦しみで朦朧とする中、藪に潜む気配の正体にやっと思い至った。
わずか、ほんのわずかに甘い香りがしたのだ。
草介はもう一度激しく咳き込み、花香の元である少女をおそるおそる見上げた。
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