剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ

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第五章 鎮西禍前夜

乱を告げる

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ほとんど同時に斬り上げた由良乃と靫衛の太刀が、両者の中心で爆ぜるように撃ち合わさった。
だがその直後、靫衛が僅かに接点をずらして均衡を崩し、螺旋の動きで由良乃の刀を巻き上げた。
そのまま一瞬で間合いを詰められた由良乃が目を見開く。
声を上げる間もなく、首筋に手刀を打ち込まれてくずおれてゆく。

「お師ちゃんっ!」

隼人の傷をともかくも縛り留めた草介が叫び、最後に弾を装填した銃を向けようとした。
が、間髪入れずに靫衛がもぎ取った由良乃の刀を投げ付け、すんでのところで身を伏せた草介は銃を手放してしまった。
即座に殺到してくる銀髪の老剣士。
草介は由良乃が突き立てていったじょうを引き抜き、大上段に振りかぶった。

「おぉぉぉらあぁぁぁぁっっ!!!」

技も何もない。彼我の間合いも測らず、向かってくる敵に対して力の限り振り下ろす。
急制動をかけて見切った靫衛だったが、その喉に跳ね返るようにして草介の杖先が迫った。
一瞬反り身になって躱したものの、さらにくるくると杖の両端が交互に襲い掛かってくる。

「今度は杖術じょうじゅつとは――」

口元を歪める靫衛。笑っているのだ。

「だが、付け焼刃」

鋭く踏み込んで草介が構える杖の中心を掴み、そのまま持ち主ごと力任せに立木へと叩き付ける。
背中を強打した草介は息が詰まり、それでも敵を見据えねばとぐっと顔を上げた。
だが眼前には、刀を真っすぐの上段に構えて今しも斬り下ろそうという靫衛の姿が。
咄嗟に杖を頭上真一文字に上げる草介。
しかし靫衛の太刀はそれを易々と両断し、切っ先は草介の鼻っ柱のすぐ際をかすめてゆく。
靫衛は左手で草介の喉輪を掴むと、再び背後の立木に抑えつけた。

「名を聞こうか」

あれだけの動きで三人を順に相手にしたにも関わらず、老剣士は汗一つかいていない。
顔の左側に刻まれた傷跡が威圧し、白濁した左眼が心の奥底までを透かし見るかのような魔力を放つ。

「草…介……。根無し草の……草介…でえ……。いま…ぶっ飛ばして……」

呼吸が妨げられるなか、真っ向から睨み付けながら啖呵を切ろうとする草介に、靫衛は薄っすらと笑みを漏らした。

「私の名は東堂靫衛。片倉は……君らを“有為の若者”と言っていたな。私も若者を斬りたくはない。――だが」

突然喉の圧迫から解放された草介は、その直後鳩尾に衝撃を受けて空気と吐瀉物を撒き散らした。
靫衛の拳に急所を穿たれ、体を丸めて地面に這いつくばる。内臓が強制的に収縮する激痛に、呼吸すらままならない。

倒れている由良乃にも草介にも目をくれず、靫衛は右手に刀を提げて隼人へと近付いていった。
傷口を晒帯で縛られて横たわる隼人の顔色は蒼白で、依然として血は滲み続けている。
靫衛は刀の先で隼人の制服のボタンを跳ね飛ばすと、その懐にしまわれた一通の書状を摘まみ上げた。

「いやはや……。坂本龍馬の文とは」

書状の署名に嘆息した靫衛だったが、足元の違和感に目を落とした。

「かえし…やがれ……」

制服のズボンの裾を掴んでいるのは、いつの間にか這い寄った草介の手。
未だ去らぬ苦痛に悶えながらも、決死の形相で縋りつく。
靫衛は満足そうに微笑み、刀の切っ先を草介に向けた。

と、その時。
頂上から続く道の先で、高く鋭く呼子笛の音が鳴り響いた。

「――撤収命令」

靫衛は剣を引き、草介から離れて朱鞘に音もなく納刀した。
倒れている隼人に由良乃、そして尚も追い縋ろうと手を伸ばす草介を順に見渡す。

「草介君といったね」

鬼の形相で見上げる草介に、靫衛が穏やかに語りかける。

「撤収の指令により君らの命は奪えない。時間をかけ過ぎたな。だが、見事だった。敬意を表して一つ予言をしよう」

靫衛は遥か遠くを見通すかのように、その白い左眼を眼下の海に転じた。

「乱は必ず起こる。まずはそう、肥後熊本から。次は筑前福岡。そして――長州、萩」

そこまで言うと銀髪の老剣士は踵を返して反対側の尾根道へと歩んでいった。
徐々に速度を早め、瞬く間に流れるような駆け足となって遠ざかってゆく。

「また会うだろう。生きていれば」

その言葉は草介の耳に、風と共にいつまでも残響していた。
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