33 / 104
第五章 鎮西禍前夜
走馬灯
しおりを挟む
「お師ちゃん……! おい、お師ちゃん!」
草介の声に目を覚ました由良乃は、首筋から頭にかけての鈍い痛みに思わず顔をしかめた。
「あの男は……?」
急速に正気を取り戻して辺りを探るが、刀の鞘や両断された白木の杖が散乱するだけで靫衛の姿はない。
「呼子笛が鳴って撤収していきゃあがった。それよかお師ちゃん、走れるかい」
ぼやけていた視界が戻ってきた由良乃が身を起こすと、草介はその背に隼人を負って紐で括りつけているところだった。
「まっつぐ山ぁ下りて船に戻ろう。医者先生が手当てしてくれるはずだ」
「わたしも…! 一緒に担ぎます」
「二人じゃあけえって危ねえ。おいらが担ぐから、わりいがお師ちゃんは刀持って自前で下りてくれるかい」
「では先に行って船に知らせます!」
飛び起きた由良乃は隼人と自身の刀を回収して草介の荷を受け取ると、元来た急斜面を駆け下りていった。
さしもの草介も、大の男一人担いで崖を下りることはできない。尾根から伸びる杣人の道を選び、息が続く限界の速さで駆け出した。
背中でぐったりと身を預けている隼人の呼吸は浅く、制服越しに血が滲み続けていることが否が応でも感じられる。
「はーさんよう…! 死ぬんじゃねえぞ! んなもん縫っちまやあ、たちどころに塞がるぜ……!」
走りながら、草介は隼人に声を掛け続けた。
「前に風呂入った時によう。古傷の思い出聞かせてくれたよなあ。けど、一つだけ教えてくんなかったなあ」
足を運ぶにつれてずれていく隼人の体を、ぐいっと背負い直して言葉を続ける。
「ありゃあ今さっき斬られたのとおんなじとこだった。はーさん、あのユキエっつう爺さんと因縁あったんだな。なんで……なんで一人でケリつけようとすんだよう」
草介は自分でもそうとわからぬうちに、両の目から滂沱の涙を流していた。
死んでほしくない。死なせたくない。この少々偏屈ながらも強く温かい父親のような男の命が、ただただ惜しかった。
草介は走った。喘ぎながら、足がもつれて何度も山道を転げ落ちそうになりながら、ひたすらに走った。
やがて港の建物群が見えるところまで下りた頃には、朦朧として足腰の感覚ももはやない。
が、霞む視界の先にこちらへと走り寄ってくる数人を捉えた。
「草介さん!!」
先行していた由良乃が明光丸からクルーを連れて迎えに来たのだ。
そこには副長の岡本覚十郎、そしてドクターの成瀬国輔の顔も見える。
「草介くん、よくやった! 後は任せろ!」
ドクターと共に駆け寄ったクルーが隼人の体を支え、草介はそのままそこに倒れ込んだ。
由良乃が水を持って、草介の介添えに膝をついた。
クルー達は手際よく担架のようなものに隼人を乗せ、ドクターが傷を検める。
「甲板上で緊急手術だ! 急げ!」
男達が疾駆し、草介も由良乃に支えられてその後を追う。
能う限りの速さで上がった明光丸の甲板には白布が敷かれ、手術道具一式が用意されていた。
十分な陽光の下、ドクターが助手に次々と指示を出し、隼人の制服を大きく切って縫合手術の準備を進めていく。
「医者せんせえ、おいらたちにも出来るこたあねえかい。この人を、どうか死なせねえでください!」
「ああ、繋いでみせる! 君たちは、声を掛け続けてやってくれないか。どこにもゆかぬよう、ここに引き留めてくれ!」
その時、隼人がうっすらと目を開いた。
「……ない……え、たち……」
「おい! はーさん!!」
草介と由良乃が、隼人の手を握ってその口元に耳を近付けた。
「おま、え……たちが……足…手まとい……なわけが、ない……。すま…ない……」
隼人の言葉に、草介も由良乃も顔をくしゃくしゃにしてかぶりを振った。
「先生、生きて!」
「おいちゃん、てめえ! おいらぁ許さねえかんな! 治ったらおめえ……おめえ……うめえもん食わしやがれよ!!」
隼人はほのかに微笑むと、再びふうっと目を閉じた。
草介と由良乃の声が耳の奥に響き続ける。
――ああ。
なんと……なんといい若者たちなのだろう――。
意識が遠のいていくに従って、隼人の脳裡にはまるで夢のように、幕末へと至る若き日の記憶が蘇っていた。
草介の声に目を覚ました由良乃は、首筋から頭にかけての鈍い痛みに思わず顔をしかめた。
「あの男は……?」
急速に正気を取り戻して辺りを探るが、刀の鞘や両断された白木の杖が散乱するだけで靫衛の姿はない。
「呼子笛が鳴って撤収していきゃあがった。それよかお師ちゃん、走れるかい」
ぼやけていた視界が戻ってきた由良乃が身を起こすと、草介はその背に隼人を負って紐で括りつけているところだった。
「まっつぐ山ぁ下りて船に戻ろう。医者先生が手当てしてくれるはずだ」
「わたしも…! 一緒に担ぎます」
「二人じゃあけえって危ねえ。おいらが担ぐから、わりいがお師ちゃんは刀持って自前で下りてくれるかい」
「では先に行って船に知らせます!」
飛び起きた由良乃は隼人と自身の刀を回収して草介の荷を受け取ると、元来た急斜面を駆け下りていった。
さしもの草介も、大の男一人担いで崖を下りることはできない。尾根から伸びる杣人の道を選び、息が続く限界の速さで駆け出した。
背中でぐったりと身を預けている隼人の呼吸は浅く、制服越しに血が滲み続けていることが否が応でも感じられる。
「はーさんよう…! 死ぬんじゃねえぞ! んなもん縫っちまやあ、たちどころに塞がるぜ……!」
走りながら、草介は隼人に声を掛け続けた。
「前に風呂入った時によう。古傷の思い出聞かせてくれたよなあ。けど、一つだけ教えてくんなかったなあ」
足を運ぶにつれてずれていく隼人の体を、ぐいっと背負い直して言葉を続ける。
「ありゃあ今さっき斬られたのとおんなじとこだった。はーさん、あのユキエっつう爺さんと因縁あったんだな。なんで……なんで一人でケリつけようとすんだよう」
草介は自分でもそうとわからぬうちに、両の目から滂沱の涙を流していた。
死んでほしくない。死なせたくない。この少々偏屈ながらも強く温かい父親のような男の命が、ただただ惜しかった。
草介は走った。喘ぎながら、足がもつれて何度も山道を転げ落ちそうになりながら、ひたすらに走った。
やがて港の建物群が見えるところまで下りた頃には、朦朧として足腰の感覚ももはやない。
が、霞む視界の先にこちらへと走り寄ってくる数人を捉えた。
「草介さん!!」
先行していた由良乃が明光丸からクルーを連れて迎えに来たのだ。
そこには副長の岡本覚十郎、そしてドクターの成瀬国輔の顔も見える。
「草介くん、よくやった! 後は任せろ!」
ドクターと共に駆け寄ったクルーが隼人の体を支え、草介はそのままそこに倒れ込んだ。
由良乃が水を持って、草介の介添えに膝をついた。
クルー達は手際よく担架のようなものに隼人を乗せ、ドクターが傷を検める。
「甲板上で緊急手術だ! 急げ!」
男達が疾駆し、草介も由良乃に支えられてその後を追う。
能う限りの速さで上がった明光丸の甲板には白布が敷かれ、手術道具一式が用意されていた。
十分な陽光の下、ドクターが助手に次々と指示を出し、隼人の制服を大きく切って縫合手術の準備を進めていく。
「医者せんせえ、おいらたちにも出来るこたあねえかい。この人を、どうか死なせねえでください!」
「ああ、繋いでみせる! 君たちは、声を掛け続けてやってくれないか。どこにもゆかぬよう、ここに引き留めてくれ!」
その時、隼人がうっすらと目を開いた。
「……ない……え、たち……」
「おい! はーさん!!」
草介と由良乃が、隼人の手を握ってその口元に耳を近付けた。
「おま、え……たちが……足…手まとい……なわけが、ない……。すま…ない……」
隼人の言葉に、草介も由良乃も顔をくしゃくしゃにしてかぶりを振った。
「先生、生きて!」
「おいちゃん、てめえ! おいらぁ許さねえかんな! 治ったらおめえ……おめえ……うめえもん食わしやがれよ!!」
隼人はほのかに微笑むと、再びふうっと目を閉じた。
草介と由良乃の声が耳の奥に響き続ける。
――ああ。
なんと……なんといい若者たちなのだろう――。
意識が遠のいていくに従って、隼人の脳裡にはまるで夢のように、幕末へと至る若き日の記憶が蘇っていた。
1
あなたにおすすめの小説
輿乗(よじょう)の敵 ~ 新史 桶狭間 ~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
美濃の戦国大名、斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)は、隣国尾張の織田信長に嫁ぐことになった。信長の父・信秀、信長の傅役(もりやく)・平手政秀など、さまざまな人々と出会い、別れ……やがて信長と帰蝶は尾張の国盗りに成功する。しかし、道三は嫡男の義龍に殺され、義龍は「一色」と称して、織田の敵に回る。一方、三河の方からは、駿河の国主・今川義元が、大軍を率いて尾張へと向かって来ていた……。
【登場人物】
帰蝶(きちょう):美濃の戦国大名、斎藤道三の娘。通称、濃姫(のうひめ)。
織田信長:尾張の戦国大名。父・信秀の跡を継いで、尾張を制した。通称、三郎(さぶろう)。
斎藤道三:下剋上(げこくじょう)により美濃の国主にのし上がった男。俗名、利政。
一色義龍:道三の息子。帰蝶の兄。道三を倒して、美濃の国主になる。幕府から、名門「一色家」を名乗る許しを得る。
今川義元:駿河の戦国大名。名門「今川家」の当主であるが、国盗りによって駿河の国主となり、「海道一の弓取り」の異名を持つ。
斯波義銀(しばよしかね):尾張の国主の家系、名門「斯波家」の当主。ただし、実力はなく、形だけの国主として、信長が「臣従」している。
【参考資料】
「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社
「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳) KADOKAWA
東浦町観光協会ホームページ
Wikipedia
【表紙画像】
歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
幻の十一代将軍・徳川家基、死せず。長谷川平蔵、田沼意知、蝦夷へ往く。
克全
歴史・時代
西欧列強に不平等条約を強要され、内乱を誘発させられ、多くの富を収奪されたのが悔しい。
幕末の仮想戦記も考えましたが、徳川家基が健在で、田沼親子が権力を維持していれば、もっと余裕を持って、開国準備ができたと思う。
北海道・樺太・千島も日本の領地のままだっただろうし、多くの金銀が国外に流出することもなかったと思う。
清国と手を組むことも出来たかもしれないし、清国がロシアに強奪された、シベリアと沿海州を日本が手に入れる事が出来たかもしれない。
色々真剣に検討して、仮想の日本史を書いてみたい。
一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。
印旛沼開拓は成功するのか?
蝦夷開拓は成功するのか?
オロシャとは戦争になるのか?
蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか?
それともオロシャになるのか?
西洋帆船は導入されるのか?
幕府は開国に踏み切れるのか?
アイヌとの関係はどうなるのか?
幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる