剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ

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第五章 鎮西禍前夜

走馬灯

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「お師ちゃん……! おい、お師ちゃん!」

草介の声に目を覚ました由良乃は、首筋から頭にかけての鈍い痛みに思わず顔をしかめた。

「あの男は……?」

急速に正気を取り戻して辺りを探るが、刀の鞘や両断された白木の杖が散乱するだけで靫衛の姿はない。

「呼子笛が鳴って撤収していきゃあがった。それよかお師ちゃん、走れるかい」

ぼやけていた視界が戻ってきた由良乃が身を起こすと、草介はその背に隼人を負って紐で括りつけているところだった。

「まっつぐ山ぁ下りて船に戻ろう。医者先生が手当てしてくれるはずだ」
「わたしも…! 一緒に担ぎます」
「二人じゃあけえって危ねえ。おいらが担ぐから、わりいがお師ちゃんは刀持って自前で下りてくれるかい」
「では先に行って船に知らせます!」

飛び起きた由良乃は隼人と自身の刀を回収して草介の荷を受け取ると、元来た急斜面を駆け下りていった。
さしもの草介も、大の男一人担いで崖を下りることはできない。尾根から伸びる杣人の道を選び、息が続く限界の速さで駆け出した。
背中でぐったりと身を預けている隼人の呼吸は浅く、制服越しに血が滲み続けていることが否が応でも感じられる。

「はーさんよう…! 死ぬんじゃねえぞ! んなもん縫っちまやあ、たちどころに塞がるぜ……!」

走りながら、草介は隼人に声を掛け続けた。

めえに風呂入った時によう。古傷の思い出聞かせてくれたよなあ。けど、しとつだけおせえてくんなかったなあ」

足を運ぶにつれてずれていく隼人の体を、ぐいっと背負い直して言葉を続ける。

「ありゃあ今さっき斬られたのとおんなじとこだった。はーさん、あのユキエっつう爺さんと因縁あったんだな。なんで……なんで一人しとりでケリつけようとすんだよう」

草介は自分でもそうとわからぬうちに、両の目から滂沱の涙を流していた。
死んでほしくない。死なせたくない。この少々偏屈ながらも強く温かい父親のような男の命が、ただただ惜しかった。

草介は走った。喘ぎながら、足がもつれて何度も山道を転げ落ちそうになりながら、ひたすらに走った。
やがて港の建物群が見えるところまで下りた頃には、朦朧として足腰の感覚ももはやない。
が、霞む視界の先にこちらへと走り寄ってくる数人を捉えた。

「草介さん!!」

先行していた由良乃が明光丸からクルーを連れて迎えに来たのだ。
そこには副長の岡本覚十郎、そしてドクターの成瀬国輔の顔も見える。

「草介くん、よくやった! 後は任せろ!」

ドクターと共に駆け寄ったクルーが隼人の体を支え、草介はそのままそこに倒れ込んだ。
由良乃が水を持って、草介の介添えに膝をついた。
クルー達は手際よく担架のようなものに隼人を乗せ、ドクターが傷を検める。

「甲板上で緊急手術だ! 急げ!」

男達が疾駆し、草介も由良乃に支えられてその後を追う。
能う限りの速さで上がった明光丸の甲板には白布が敷かれ、手術道具一式が用意されていた。
十分な陽光の下、ドクターが助手に次々と指示を出し、隼人の制服を大きく切って縫合手術の準備を進めていく。

「医者せんせえ、おいらたちにも出来るこたあねえかい。このしとを、どうか死なせねえでください!」
「ああ、繋いでみせる! 君たちは、声を掛け続けてやってくれないか。どこにもゆかぬよう、ここに引き留めてくれ!」

その時、隼人がうっすらと目を開いた。

「……ない……え、たち……」
「おい! はーさん!!」

草介と由良乃が、隼人の手を握ってその口元に耳を近付けた。

「おま、え……たちが……足…手まとい……なわけが、ない……。すま…ない……」

隼人の言葉に、草介も由良乃も顔をくしゃくしゃにしてかぶりを振った。

「先生、生きて!」
「おいちゃん、てめえ! おいらぁ許さねえかんな! 治ったらおめえ……おめえ……うめえもん食わしやがれよ!!」

隼人はほのかに微笑むと、再びふうっと目を閉じた。
草介と由良乃の声が耳の奥に響き続ける。

――ああ。
なんと……なんといい若者たちなのだろう――。

意識が遠のいていくに従って、隼人の脳裡にはまるで夢のように、幕末へと至る若き日の記憶が蘇っていた。
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