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第八章 ハヤヒトの国
挙兵、薩軍進発
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苦痛に耐えかねたような呻き声が営倉の方々から漏れ聞こえてくる。
隼人と草介は制服まで没収され、薄鼠色にくたびれた粗末な着物一枚で牢に囚われていた。
ほぼ一網打尽にされた警視庁の密偵団は、それぞれの持つ情報を自供するよう苛烈な拷問を受けているのだ。
離れた部屋の扉越しに、何かで肉を打ち据える湿った音が響く。
またあるいは突如として悲鳴が立ち、目には見えぬがおそろしい光景を想像させて余りある陰惨な空気が充満している。
「わざと儂らにも聞こえるよう痛めつけておるのだ」
「こいつぁむごいぜ……。おんなし薩摩の侍だろうによ……!」
「密偵団はほとんどが下士で、拷問しているのは上士たちだろう。薩摩の身分差は苛烈だ。拷問に躊躇のない連中も多いのだろう」
隼人と草介は今のところ拷問を受けてはいない。政府の郵便御用であり、薩摩人ではないことに一定の配慮がされてはいるのだろう。
だがこの状況では村田卿に書状を届けるどころか、ややもすると命の危険と紙一重ではないか。
「御立派な大将の西郷さんは何やってんでえ」
草介が毒づくのも無理はないが、西郷はそもそも私学校の運営には積極的に関わっていない。
西郷が士官候補生らの弾薬庫襲撃を知ったのは2月1日、療養先の大隅・小根占でのことだった。
報せを受けた西郷は「しもた」と呟き、学生らの行動に怒気を露わにしたという。
しかし私学校教官の幹部らが「挙兵」の方向で意見を統一させたと聞き、その翌日に小根占を出立。
こうして2月5日の私学校大講堂に姿を現したというわけだ。
文字通り、とうとう担ぎ出されてしまったともいえる。
講堂でどういった議論が交わされたのか、隼人と草介には知る由もない。
だが翌6日、明らかに周辺の動きが変わった。
この日、私学校の門標に「薩軍本営」の文字が掲げられ、兵士の募集が開始されたのだ。
薩摩は一連の事件と密偵団に自供させたという西郷暗殺の計画について、政府問責の軍を発することとなった。
この一日だけで、志願者は3,000名にのぼったという。
もはや用はないといわんばかりに、密偵団が責め苦に呻吟する声はぴたりと止んだ。
しかし隼人と草介はそのまま拘束され続け、外部の詳細もわからぬままに十日、二十日と日々が過ぎ去った。
「はーさぁん……生きてっかぁ……」
「ああ」
「今が昼だか夜だかわかりゃしねぇよ」
「おそらく朝だ。まだ夜明け前ではないか」
大人数が慌ただしく動き回る音が常に響き渡っていた私学校は、いつしかほとんど人の気配が感じられないほどに静まり返っていた。
隼人と草介に芋や水などの食餌を配給する世話人はいたが、一言も発することなく一切情報は伝わってこない。
あまり光の入らない牢獄は日中でも薄暗く、草介が時間の感覚を失くすのは無理もない。
と、牢前の扉が開かれ、荷を抱えたまま誰かが入ってきた。
暁闇の暗がりにぽうっと灯りが点され、戦支度に小銃を担いだ男の姿が浮かび上がる。
「おめぇさんは……」
それはあの日心を通じ合わせた郷士・諸留忠太だった。
真一文字に引き結ばれた口は堅く、眉間には厳しい皴を寄せている。
忠太は牢に近付くと、声を潜めて語りだした。
「三日前、十七日に薩軍一万三千の兵が進発しもした。熊本鎮台……熊本城が第一の目標でごあす」
外の様子に注意を払う素振りを見せつつ、忠太が続ける。
「おまんさぁらぁ、ただの郵便屋さぁではごわはんな」
すっと手燭の明かりにかざしたのは、隠していたはずの村田新八卿宛ての書状。
隼人と草介は一瞬身構えたが、忠太はなぜかそれを格子越しに差し出した。
「制服の襟に縫い込んじょるんを見付けて抜きもした。許してたもんせ」
隼人がそれを受け取り、検める。忠太がかざした灯下に“坂本龍馬”の署名が浮かび上がった。
「おいは学はなかじゃっどん、こん書状ば大事じゃっちゅこつは分かりもす。……こん戦は、間違いじゃ。ないごて軍ば起こさにゃならんとか。薩摩に生まれたもんは、卑怯な振る舞いをすな、士道にもとる生き方をすなちいうてしつけらるっとじゃ。じゃっどん、仲間を痛めつけてあることないこと吐かせっとは卑劣ではなかか。理ばあるちゅうなら、まずは堂々と政府に文をもって糺すんが筋ではなかか。間違うちょる。私学校の先生も……西郷先生も」
忠太は一瞬肩を震わせ、そして腰に下げていた鍵を取り出し、牢を解錠して扉を開けた。
「村田先生の隊まで案内しもそ。じゃっどん、おい一人では直接書状ば渡せもはん。郵便屋さぁ、どうか先生の元へ届けてたもんせ」
忠太は頭を下げ、手燭を携えてきた荷の方へと向けた。
そこには隼人と草介の制服、そして刀が、きっちりと揃えて置かれていた。
隼人と草介は制服まで没収され、薄鼠色にくたびれた粗末な着物一枚で牢に囚われていた。
ほぼ一網打尽にされた警視庁の密偵団は、それぞれの持つ情報を自供するよう苛烈な拷問を受けているのだ。
離れた部屋の扉越しに、何かで肉を打ち据える湿った音が響く。
またあるいは突如として悲鳴が立ち、目には見えぬがおそろしい光景を想像させて余りある陰惨な空気が充満している。
「わざと儂らにも聞こえるよう痛めつけておるのだ」
「こいつぁむごいぜ……。おんなし薩摩の侍だろうによ……!」
「密偵団はほとんどが下士で、拷問しているのは上士たちだろう。薩摩の身分差は苛烈だ。拷問に躊躇のない連中も多いのだろう」
隼人と草介は今のところ拷問を受けてはいない。政府の郵便御用であり、薩摩人ではないことに一定の配慮がされてはいるのだろう。
だがこの状況では村田卿に書状を届けるどころか、ややもすると命の危険と紙一重ではないか。
「御立派な大将の西郷さんは何やってんでえ」
草介が毒づくのも無理はないが、西郷はそもそも私学校の運営には積極的に関わっていない。
西郷が士官候補生らの弾薬庫襲撃を知ったのは2月1日、療養先の大隅・小根占でのことだった。
報せを受けた西郷は「しもた」と呟き、学生らの行動に怒気を露わにしたという。
しかし私学校教官の幹部らが「挙兵」の方向で意見を統一させたと聞き、その翌日に小根占を出立。
こうして2月5日の私学校大講堂に姿を現したというわけだ。
文字通り、とうとう担ぎ出されてしまったともいえる。
講堂でどういった議論が交わされたのか、隼人と草介には知る由もない。
だが翌6日、明らかに周辺の動きが変わった。
この日、私学校の門標に「薩軍本営」の文字が掲げられ、兵士の募集が開始されたのだ。
薩摩は一連の事件と密偵団に自供させたという西郷暗殺の計画について、政府問責の軍を発することとなった。
この一日だけで、志願者は3,000名にのぼったという。
もはや用はないといわんばかりに、密偵団が責め苦に呻吟する声はぴたりと止んだ。
しかし隼人と草介はそのまま拘束され続け、外部の詳細もわからぬままに十日、二十日と日々が過ぎ去った。
「はーさぁん……生きてっかぁ……」
「ああ」
「今が昼だか夜だかわかりゃしねぇよ」
「おそらく朝だ。まだ夜明け前ではないか」
大人数が慌ただしく動き回る音が常に響き渡っていた私学校は、いつしかほとんど人の気配が感じられないほどに静まり返っていた。
隼人と草介に芋や水などの食餌を配給する世話人はいたが、一言も発することなく一切情報は伝わってこない。
あまり光の入らない牢獄は日中でも薄暗く、草介が時間の感覚を失くすのは無理もない。
と、牢前の扉が開かれ、荷を抱えたまま誰かが入ってきた。
暁闇の暗がりにぽうっと灯りが点され、戦支度に小銃を担いだ男の姿が浮かび上がる。
「おめぇさんは……」
それはあの日心を通じ合わせた郷士・諸留忠太だった。
真一文字に引き結ばれた口は堅く、眉間には厳しい皴を寄せている。
忠太は牢に近付くと、声を潜めて語りだした。
「三日前、十七日に薩軍一万三千の兵が進発しもした。熊本鎮台……熊本城が第一の目標でごあす」
外の様子に注意を払う素振りを見せつつ、忠太が続ける。
「おまんさぁらぁ、ただの郵便屋さぁではごわはんな」
すっと手燭の明かりにかざしたのは、隠していたはずの村田新八卿宛ての書状。
隼人と草介は一瞬身構えたが、忠太はなぜかそれを格子越しに差し出した。
「制服の襟に縫い込んじょるんを見付けて抜きもした。許してたもんせ」
隼人がそれを受け取り、検める。忠太がかざした灯下に“坂本龍馬”の署名が浮かび上がった。
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忠太は一瞬肩を震わせ、そして腰に下げていた鍵を取り出し、牢を解錠して扉を開けた。
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